世界屠畜紀行 THE WORLD’S SLAUGHTERHOUSE TOUR (角川文庫)
- KADOKAWA (2011年5月22日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
- / ISBN・EAN: 9784043943951
感想・レビュー・書評
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高野秀行さんの著書に度々名前があがり、とても気になっていました。
家畜とスーパーで並んでいるお肉はどうしても別物となっている現在。
家畜がどのようにしてお肉となるのか。
実はとても興味がありました。
内澤さんは世界中の屠畜中を見て周り、スケッチし、インタビューし、そして食べる!
どうしても屠る現場を見ると食べられない人が居ることも想像出来ますが、家畜は食べてこそと言うか。
上手く言えませんが、とても考えさせられます。
お肉はもちろん、お魚もおろせない私にとって、家畜とお肉がひとつに繋がらないと言うか。
もやもやしてものがすっきりした気分です。
~なんである。
内澤さんの語り方、癖になります。
イラストも味かありますね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2011-5-28
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BookBarで紹介されていたので、読んでみる。
肉は食べるし、昨今「肉をたくさん食べようぜ!」という風潮が強い。
しかし肉大好き、食べたい!という者の中の何人が屠畜の現場を知っているのだろうか。
きちんと命を頂いているということを、この本は教えてくれる。 -
2018.03.31
数年かけて読了。面白いのに、何故か時間がかかった。肉食人間だから肉についてなるべく情報を得るよう心がけている。肉は文化。衛生面も重要だけど、行き過ぎの管理で、美味しさや食文化が失われないことを願う。 -
トチク、どころかトサツすらPCで変換できないってどういうことなの?
と転記しようとして思った。
ちなみに、ほふる、かちく、から変換した。
著者が実際に韓国、バリ、エジプト、イスラム世界、チェコ、モンゴル、インド、アメリカ、日本の芝浦、沖縄、墨田とか、の屠畜場に行って見てきた記録。
「部落開放」という雑誌に連載されていたもの。
まず忌避感沸く人が多いってそんなに多いんだとびっくりした。
だってお肉だよ?普通に牛肉豚肉鶏肉なんだから元はそうだろうに。
まあ捌いた事など魚しかない私が言うのもなんだけど。
もちろんニオイとかいろいろは気になるけれどそれだけじゃないのか。
色々考えさせられるというか私の感性もどちらかと言うと内澤さんよりなのでそういった意味でのショックを受けた。 -
動物を潰してさばいて肉にする営みについて、世界各地のやり方や考え方をつぶさに聞き伝えている本。工程がとても丁寧に説明してあったり、衛生環境や動物愛護との関わりが述べられていたり。
書き手には日本の屠畜にまつわる問題意識があるにしても、日常生活で肉を食べてるから肉がどうやってできるのか知るべきだよねと、まずは身近な目的で話をしている。極端に走らないスタンスなのが頼もしく、読んでいて眉間にしわを寄せる必要もないのがありがたいが、うーんと違和感を表明するだけしてお茶を濁す箇所があったり、一応完成版の本として心許ないことも若干。
書き手の興味か何かで話が逸れかけることもあるせいか、分量はなかなか長くて、読了に時間がかかった。 -
屠畜の世界っておもしろい、且つ、とても重要な産業です。もっと知ってもらうが必要ですね。
命をいただくことは生きること、生きることは命をいただくこと。当たり前のことであり、残酷なことでは無い。もっと尊い仕事として扱われてもいいように感じました。 -
数人からオススメされた屠畜の本。いきものがお肉になるまでを描いた(本当に詳細なスケッチもある)一冊。各国の美味しく食べるための技や、衛生管理や効率化するための職人的技術はすごい。動物愛護のことや職業差別の意識についても各国でインタビューされてて、自分はどう思うだろう、どこの国のどの宗教のどの人の考えに近いだろうといろいろな視点があり面白い。モンゴルの平原のように空間だけでなく動物と人間と自然と、全てのものが平行、水平で真っ直ぐだというのは、わたしでは現地に行っても体感できない気がする。お肉は美味しく食べてるし、山羊皮の財布気に入って使ってるから、いろんな人に感謝感謝の、読んで良かった一冊です。
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二日で読み切った。彼女の屠畜フェチっぷり全開って感じで旅が貫かれてる。これと言った心境の変化が著者の中であるわけではない。いちいち気にしてしまうナイーブさを持っていたらこんなには回れなかったんだろうけど、これだけ回り切ることに何の意味があるのかというとよく分からない。好きだから回ったんだなーってことはわかったけども。まあ、旅なんてモノはその程度のモノ。それは「僕の見た「大日本帝国」の旅も同じ。回りが評価をすると、なんだか高尚なことをしてきたかのようなパブリックイメージがつき、そのイメージに旅してきた本人も感化されちゃったりするんだけど。
僕自身、屠畜の様子をこうしてまとめて読むのは初めてだったが、読み切るという行為にあまり意味を感じなかった。イラストやら淡々とした細密な描写は、知らなかったことを知ったという喜びがあったがこれだけのボリュームで読む必然性は感じなかったな。
皆が絶賛するほど良い本だとは思わなかった。身体のいいなりの方が全然好きだ。 -
目次
韓国
バリ島
エジプト
イスラム世界
チェコ
モンゴル
韓国の犬肉
豚の屠畜―東京・芝浦屠場
沖縄
豚の内臓・頭―東京・芝浦屠場
革鞣し―東京・墨田
動物の立場から
牛の屠畜―東京・芝浦屠場
牛の内臓・頭―東京・芝浦屠場
インド
アメリカ
屠畜紀行その後 -
めちゃめちゃおもしろかった。
肉食べるひとは全員読んで。 -
屠蓄の行程などが細やかなイラストと描写によって丁寧に説明されていて、非常に興味深かった。各国の屠蓄模様や、家畜を殺して肉にすること、それを実行する人に対する意識の違いも浮き彫りにし、いろいろと考えさせられる。んが、ちょっと著者の一人よがりすぎる主観や根拠のよくわからない先入観に基づく物言い、好みなどが強く出すぎている部分があり、それに完全に趣向できない部分ではちょっともやもやした感情を抱かざるを得なかった部分もあるので、人によって好みは分かれそうな本ではある。
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屠畜が「残酷」と隠されていることを問題視し、それなら見てもらおう、と世界の屠畜とその国の屠畜に対する意識や差別感情なども一緒に紹介した本。生と死が隠されていることについては考えたことがあったけど、ここにもあった、隠されているもの。私も屠畜見てみたい!となった。こういうものを見ながら生きる方が、絶対に生が充実すると思う。
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多くの人が日常的に肉を食べているにも関わらず、それがおいしいお肉になるまでの過程をビュジュアル的に思い浮かべることはできない。豚や牛、鶏、馬、鯨、鹿や羊、などなど。お肉になる動物は数知れず。魚をおろす人はまあまあいるが、俺、自分で鶏を絞めるよ、なんて人には出会ったことがないし、いたらなんでそんな話すんだよ、と白い目で見るかもしれない。
「屠畜」の現場は未知の世界だ。かつ食文化の盲点だ。
豚がどう解体されるのか知らなかったし、牛がどう解体されるのかも知らなかった。日本では電気ショックで気絶させて、気絶しているうちに解体していしまう。たぶん当の本人(本豚、本牛)は死んでるのに気づいてないんじゃないか。
解体の過程がまあ細かい。こんな細かいイラスト解説いるのか?ってくらい細かい。正直イラストじゃなくて映像で見せてくれたほうがわかりやすいかなぁと思ったけど、映像で見たらトラウマになるかもしれないので、イラストでギリギリなのかもしれない。でもこの過程に思いを巡らすというのは大事なことだ。
食事の前の「いただきます」という言葉。これは神仏への感謝の意味もあるが「命をいただきます」という意味もある。生きていくために犠牲になってくれた動物、植物への感謝の気持ちを表す言葉でもある。しかし、肉食という行為がどれだけ尊い命の犠牲の上に成り立っているのかを考えている人が果たしてどうれだけいるだろうか。
だから肉食をやめろと言っているのではない。菜食だって植物の命を奪うことを無しにはできない。命をいただいているんだよってことを自覚することが、命を大切にすることにつながっているということ。加工食品ばっかり食べてる現代人に欠落している視点だなと思う。
ここでは日本のことしか書かなかったけど、本書では世界各国の屠畜事情も書いてあるので内容はボリューム満点。比較してみると、庭で家畜を殺したり、店先で肉の解体をしている国のほうが、肉も内臓も無駄にしないし、ほとんどの部位を食べる。人目に屠畜の現場をさらすなんて野蛮だ、なんて言ってる国のほうが命の重みをわかってない。
この本、簡易版をつくって、小学校の教科書に採用したほうがいいな。 -
世界各国で生き物が食べ物になる過程をまとめた本。品川に行くとSONYの目の前に食肉処理場があることにずっと物凄く違和感を感じていたが、この本を読んで、さらに、そんなに莫大な量の食べ物が作りている事にも驚いた。
肉を作る人達の事を差別する歴史があることは知識として知っていたが、実感値としては全くわからない。お百姓さんありがとうというのとほぼ同じ感覚だな。よくいう話ではあるし、巻末で佐野真一も書いているが、生と死が遠くにありすぎる事はいいことのようには思えない。なんで生きていられるのか、理解するべきだと思う。残酷なんてナンセンスで、動物愛護という考え方やそういう人に対しての忌避感には人間のエゴを強く感じる。 -
屠畜するところ、お肉が作られるところを見たい!というやわらかめ視点と、屠畜に従事する人々が受ける差別への問題意識というかため視点のバランスがいい。
イラストがとても素敵。 -
子どもの頃、キジバトだかヤマバトだか、段ボールに詰められた数羽の鳥が送られてきたことがあった。送った方はぜひ食べてとのつもりだったのだろうが、それなりに大物の魚でも捌く父でさえためらったか、結局食卓に上がることはなく、おそらく処分したのだろう。今にして思うが、もったいないことをしたものだ。
高校の家庭科の授業で、ヨーロッパ(確かドイツ)での豚の解体の全過程を追ったビデオを見た。屠畜工場ではなく、ふつうのご家庭の庭先での作業のようだった。
怖さや気持ち悪さはなく、とても興味深かった。
そんなことを思い出しつつ、本書を読み切った。
屠畜にまつわる差別的な感情があることは、子どもの頃からなんとなく知ってはいたし、そういえば昔あった屠畜場は、いまマンションに変わってしまったが、一体どこに行ったのだろう。
屠畜の現場は遠ざけるが解体された肉は食べるとは、火葬場は遠ざけるが遺体の火葬はしてもらうのと似ている。他人事なのだろう。 -
家畜が食べ物になるまでに必要な、と畜について、さまざまな現場の様子をイラスト入りでルポした連載からうまれた一冊。まぁ本当に丁寧にわかりやすく、殺して洗って開いてわけて剥いで分別して検査してパックに入れて保存して搬出するまでの過程と、そこにたずさわる職人さんたちの様子が描かれている。
海外もアジア中東東欧、沖縄にテキサスと精力的に広範囲に訪ねて回り、これがすべて自費での取材だというのだからびっくりした。
つい最近、台湾でのスーパーの食肉の消費期限改ざん事件の報道を見たときもおもったんだけど、特に最後、テキサスでの食肉工場の様子を読んで、日常的に肉をたべるということ、いつでもかんたんにパックされた肉が買えるということについてなんだか考え込んでしまった。
うちの近所の市場では、肉は塊で吊るしてあるのを欲しい部分切り取って量り売りになっている。内臓らしきものもつるしてあってそこから汁がポタポタたれていたりもする。鳥は生きてるのが籠にはいっていて、多分、丸ごとかってそこで潰してもらうんだろうと思う。まだつぶしてる現場に通りがかったことはないけど。魚もまるごと売ってて切身ではない。
はじめは肉の塊の迫力におされて食欲わかなかったが、このごろはなれてきて、新鮮で美味しそうだなと感じるようになってきた。実際のところ地元の事情はよくわからないのでどこでどうやって飼育されてきたものかはわからないし、エサの安全性とかもいまいちよくわからないんだけど。
たくさん安く効率よく作ってたくさん流通してたくさん売る。肉はハレの日や特権階級の贅沢ではなくなって、単なる汎用品として作られ消費されている。庶民にとってはいいことなんだろうが、なんだかな。
この本の主旨とはずれてしまうんだが。 -
どれも目を瞠る話が続く。なかでも印象的なのはラクダのとインドの中での話。体当たりの取材に基づく圧巻の本。続きが読みたい。
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4〜5
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家の畑が獣害に会い、狩猟免許を取得し自然と屠畜にも興味が出て紹介された本。
いろんな国の屠畜事情が紹介されており、旅行記としても優秀だった。
屠畜は食べるため、生きるためある種当たり前だと考えていたのにそれに差別が存在していたということを目の当たりにし、驚いてしまった。
また、日本もクジラを食べることが非難されるが、その国の人が伝統的に生きるため食べてきた文化を非難は絶対面もあり前向きでなければいけない。
実際には難しいと思うが、昔のように家庭菜園レベルで家で食べるものをさばくという風になってもいいのではないか。
とにもかくにも普段食べているものがどういう過程でそうなっているか、授業に取り入れるなどして解体を誰もが一度は目で見て行って考えてみるべきだと強く感じる。 -
<単行本のレビュー転載>他の方もご指摘しているとおり、差別に関しては、「どぉしてだろぉー」と問い続けるモノの、どん欲に掘り下げようとはしていないように思います。
自分たちが口にするモノを屠ったり・おろしている人達が差別されるのってヘンだよねと言う感覚はごくごく真っ当だと思うし、共感しますが、じゃぁ「この差別のある実態」と「私の感覚」との断絶はいかにして説明されうるのかというところが「やっぱりわからない、なっとくいかない」で片付けられている部分は多い(沖縄の章で触れられていたが―日本国内でも地域差はすごく大きいはず)。
肉を扱う料理人にもおすすめの一冊。
イラストは、単行本のほうが大きく見やすい。 -
色々な所を見て回って鶏も豚も羊も牛も捌くところを見てきたけど、いざ自宅でひとりで雉をつぶすってなるとぐったり...っていうのは何となくわかる気が。どこか他人事だったというか非日常扱いだったというか...。後で出た本では豚の飼育からつぶすまでを書かれてるみたいなのでそちらも読んでみたいです。
犬とウサギは自分で調理するのは無理だな...とは思いました。金魚もインコも飼ってたのにこの差はどこからくるんだろう?大きさ? -
すごい本だ。
日本は言うに及ばず、韓国、エジプト、チェコ、モンゴル、アメリカと、世界の屠畜の現場を巡ったレポート。
大規模な工場のようなところから、家庭での屠畜まで、その「現場」も多様。
特にモンゴルの、一滴も血を外にこぼすことなく羊をつぶす方法などは、実際的であるだけでなく、洗練された方法で、感心してしまった。
屠畜に携わる人への職業差別や、「動物を殺すなんてかわいそう」という動物愛護意識と屠畜とのせめぎ合いなど、難しい問題にも果敢に踏み込む。
「自分も食べているものなのに、何も知らないでいたというのが恥ずかしい」というのは、本書の中でも何度も出てくる言葉。
私自身も、本当にそう思った。
後書きには続編も今企画されているとあった。
そちらにも期待したい。 -
著者のバイタリティと好奇心に、ただただ敬服。
以前読んだ「ドキュメント屠場」でも思ったけど、屠畜は本当に職人の世界であり、それは世界どこでも変わらないんだなと思った。
屠畜に携わる人への差別の有無もテーマだったため、著者は各地でそれを尋ねるのだけど、屠畜の技術やルポに絞ってもよかったんじゃないかと思う。でもまあ、屠畜や肉を扱う以上は、避けることはできないんだろうな。
印象に残ったのは、チェコとバリ島。そして芝浦屠場、アメリカ。お祝いやお祭りに豚や羊をつぶして食べるという“肉を食べる特別性”になるほど! と思ったし、古くから肉を食べ、屠畜が身近に行われていたところでは、屠畜する人への差別感がないというのも納得だ。
だけど、昔から肉を食べていたはずなのに、大量の屠畜をこなすために高度にシステム化されたアメリカでは、差別感はなくても、“誇りを持てない最低の仕事”となっている。難しい。
BSE検査やトレーサビリティに対する日米の明らかな姿勢の違い、動物愛護団体によるプレッシャー、同じ仏教でも「人に利益をもたらすための殺生は罪ではない」と説くチベットやモンゴルの仏教などなど、いろいろと興味深かった。
命をもらって生きているということ、子どもはもちろん、大人も考える時じゃなかろうか。 -
豚、牛、鶏がどうやって豚肉、牛肉、鳥肉になって行くのかを分かりやすくルポされている。外国の状況も旅行記のように読めて面白い。
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「私たちは一体何を食べているのか」この一言に尽きる。