- Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061831001
感想・レビュー・書評
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今の気分が全くマッチしなかった。暇を持て余していながらも、そのこと自身に微かな不安を抱きながら毎日を過ごす大学生のような気分になる。でも、村上春樹の小説の登場人物は、基本自由だと思う。自由でいながら、自制心はすごく強くて、規律正しく文化的な生活を、どこか退廃的な気持ちを抱えながら送っていて、それを檻の外から眺めるのが風情というかなんというか。でも、残念ながら、今の気分はそれを風情とは受け取れず、散漫としか感じることが出来なかった。寧ろ、嫉妬すら感じ得る村上小説の世界。
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15/10/11、ブックオフで購入。
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双子が家に住み着いても
名前は聞かないものなのです。
僕と鼠が関わるのは同じ女性?
僕と鼠の2 -
今から読み返すと、作家の頭の中に漂うピースが少しずつ物語としての体をなしていく途中の出来事的作品。
こりゃ当時の芥川賞選考委員も踏み絵を踏まされた感が確かにあります。それくらいこの作品をどう感じ取れたのか、その後の怪物的とも言うべき存在となった作家の感性を肯定的に受容できたのか強烈な問いかけを発する作品。
『みんながそんな風に問わず語らずに理解し合ったって何処にもいけやしないんだ』やはりこの作家、本質的には不屈の心で歯を喰いしばって前を見ようとする作家なんだと思うんですわ。 -
決別の物語。
どこかで区切りをつけなくてはいけない、ということが、人生にはある。
「僕」も鼠も、その境目に立って、対岸を見ている。
対岸は何も見えない。
でも、終えてきた「時」は確かに後ろに感じるし、脱ぎすてなくてはいけない殻は心に重い。
そんな、若い頃の煩悶を感じる作品だった。
ここで抜けて行かなくては次に進めない、という確信と暗中模索の苦しみが、私にも確かにあった。
そんな記憶を思い出させる作品だ。
・・・・なんて、歳をとったなあ、と、思う。
2014.6.29
過ぎ去り、二度と戻ってこないものたち。
その切なさと、閉塞感と、それでも先に流されてしまう無常観であふれていた。
鼠の混乱と、一見たんたんと日常を繰り返しているかに見える僕とは、とても似ている。
交わっていないはずの二つの生活。
でも、その二つは、同じ何かを軸にして、螺旋を描きながら、同じ方向に向かって進んでいるかのように感じる。
人は、いろんなところに、いろんなカタチで、いろんなものを置き去りにし、埋葬して、一人歩いていかなくてはいかない。
いつ読んでも、切ない諦めを感じる。
2006.7.1
双子が出て行ったときの喪失感が身に染みる。鼠の行き詰った状態もよく理解できる。でも、どれも、今の私には過去だ。もう通り過ぎてしまったものたち。歳をとったものだ。僕と鼠との生活は、接点がないのによく似ている。
2000.9.11
村上春樹の作品を読んで、こんなに切なく寂しい気持ちになったのは初めてだ。前回この本を読んだ時は、とりとめのない作品のように感じたが、今は違う。すごく寂しい。それは、おそらく、私がどうしても手放したくないものと出会ってしまったからだと思う。失うのが恐いと思うほど、大切なものを見つけてしまったから。だから、僕やネズミの「本当の言葉」が痛い。 -
風の歌から引き続き。
現実感を感じるのに非現実。空気感が素晴らしい。なぜ引き込まれてしまうんだろう。 -
"でも。過ぎてしまえばみんな夢みたいだ"
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わけがわからない、と言ってしまえばそれまでなんだけど、きっと何か意味があるんだろうという気にさせて、引き込んでしばらく抜け出させない。
そんな不思議な魅力があるのが村上さんの文体とストーリー。本作は特に顕著。
風の歌〜よりは幾分読みやすいかな。 -
何度読んでも面白い