1973年のピンボール (講談社文庫 む 6-2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061831001

感想・レビュー・書評

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  • 本当に難しい作品だった。
    鼠と僕が交わると思っていたのだが、交わらない。
    双子の女性を養う。「直子」が現れ、唐突に姿を消す。
    性描写も行くところまでいかない。
    もう一度読み直してみたら、新たな発見があるのかもしれない。

  • なんだかさっぱりした終わり方でした。
    区切りごとの脈絡があるようなないようなつながりがおもしろい。
    入り口と出口。

  • 井戸の話、犬の話、直子という女性を愛したがすでに死んでしまい、捉えどころのない双子女と3人暮らし。僕と鼠とピンボール、1973年9月始まる。

  • 風の歌を聴けに続く話。

    こちらも、なんともクールな文章。

    なんというか、空気が澄んでいるというか。

  • 初期ハルキ文学の”スカした感じ”がよく出てます。

  • 3部作は読んでおこうと。

  • 相変わらず読んだあとになにも残らない(^^;;話がどんどん妄想めいていっていまの季節読むにはぴったり(笑)

  • 3部作を後ろから読んでしまっているが、これが一番わけがわからなかった。どれが私で、どれが鼠か。そこが狙いでもあるかもしれないが。しかし、確かにこのあとかなり整理された羊男に進むのは納得感あり。混沌と単純の波間で物語が転換するのか?

  • 内容がよくわからない。

  • 喪失、達観、憧憬。
    まあ、あいかわらずの。

    なくしたものを探す旅路。何かが自分を呼んでいる。なくしてしまった、何か。例えば、ピンボール。そして、そのピンボールそのものも、ただ繰り返すモノ。但しそれは、拡散ではなく総括へと、ある存在の軸へと向かう、永劫回帰への憧憬もある。

    世界と自分とのつながりを求める僕。世界から離れて自分と向き合おうとする鼠。鏡を見るような、僕と、鼠。この「つながり(外)」と「自分(内)」とのシーソーゲームも、ある種の永劫回帰。どこに答えがあるわけでもない。

    反復の象徴としてのピンボール。ただ没頭していた自分、失われた時間。見分けのつかない双子、事務的で現実的で、行き場を失う女の事務員、説明にうんざりする鼠。もう説明しなくてすむ、と胸を撫で下ろす鼠。「そしてこう思った。もう何も欲しがるまいってね。」三年ばかり前→ピンボールにはまり込んだタイミング。「終わったのよ、何もかも。」と彼女。「何一つ終わっちゃいない、いつまでもきっと同じなんだ」と、僕。

    現実をくるくる回す僕。ただ、それだけで生きて行けるわけではない。ふりかかるものたち。誠実=自立=孤立に対してふりかかる災難。

    そして、繰り返される死と性(セックス)。

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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