間宮林蔵 (講談社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (462ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061839120

感想・レビュー・書評

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  • 全世界地図の空白部は樺太北部のみであった(北西航路がまだ発見されてないからこれはきっと違う。。。)

    1785前;東韃靼と地続きの樺太半島、西方にあるサハリン島(和蘭陀製全世界地図)
    1787;東韃靼と地続きの樺太半島、サハリン島はない(樺太西岸を北へ。北からの潮流がないため湾と断定)/フランス人ドウ・ラ・ペルーズ
    1804;北部太平洋探検航海記/樺太半島/イギリス人ブロートン
    1804;世界周遊記/樺太半島/ロシア人クルーゼンシュテルン
     ↓
    林蔵の目的は「樺太半島がどのように東韃靼大陸とつながっているかを調査すること」であった

    --間宮林蔵--
    ・1806[27歳];エトロフ島測地
    ・1808[29歳];第1回樺太探索(松田伝十郎、北知床岬~白主~ラッカ)
    ・1808[29歳];第2回樺太探索(白主~トンナイ~リョナイ~トッショカウ~リョナイ~トンナイ)
    ・1809[30歳];第3回樺太探索(ラロニ、トンナイ~ウショロ~リョナイ~ノテト~ラッカ~ユクタマー~ナニオー~ノテト)
    ・1809[30歳];東韃靼探索(コーニ、ノテト~ラッカ~トムシボー~ムシホ~タバマチー川~キチー~アムール河~コルベー~ジャレー~ウルゲー~デレン~ジャレー~キチー~カターカ~アオレー~シュシュ~ホル~バット~サンタンコエ~カルメー~デボコー~ワーシ~ヒロケー[樺太は明らかに島]~アムール河口~チョーメン~オッタカバーハ~ラッカ~ノテト)
    ・1814[35歳];第1回蝦夷測地(松前~江差~イワナイ~オタルナイ~石狩~ノッシャム~宗谷~枝幸~モンベツ~常呂~網走~斜里~国後島~箱館)
    ・1815[36歳];第2回蝦夷測地(箱館~オシャマンベ~釧路~厚岸~花咲半島~根室~ノサップ~箱館)
    ・1817[37歳]~1821[41歳];第3回蝦夷測地(内陸部)
    ・1825[45歳];捕鯨船調査(銚子~福島県江名浜)
    ・1827[47歳];捕鯨船調査(伊豆七島)
    ・1831[51歳];通詞とオランダ商館員との癒着調査(長崎)
    ・1835[55歳];異国船(=捕鯨船)来航時の藩主対応の実態調査(津軽、松前藩領)
    ・1835[55歳]~36[56歳];松前藩警備の巡見使、奥州・山陰・九州・四国の海岸防備&政情を探る旅
    ・1845[65歳];没

    蝦夷地開拓の和人も「壊血病」になっていた
    アイヌ人は壊血病にならない→魚と海草を食べていたため?
    熊の毛皮は雪が凍りつく、犬の毛皮は氷が落ちる

    1903-06;北西航路発見/アムンゼン
    1909;北極点到達/ピアリー
    1911;南極点到達/アムンゼン

  • 不屈の精神が見事に描かれていた。後半だれる。

  • 世界で初めて樺太が島であることを確認した功績者としての間宮林蔵の生涯と、優れた測量技術をもち当時既に老齢ながら全国を調査して回り大日本輿地全図を完成させた伊能忠敬など、一連の人物、また、頻繁に出没するようになった異国船に怯え、対策に追われる幕府をめぐる時勢が具に描かれている。
    間宮林蔵については偉大な功績の割りにあまり知られていないように思う、特に探検家としての性格や、晩年は隠密として全国を回っていたことや、水戸藩徳川斉昭にも重宝されていたことなど。
    健脚や測量技術は師である島之允、伊能忠敬からも受け継ぎ、択捉島でのロシア船上陸事件での敗走を悔い、樺太探索に名乗りをあげ、本当は樺太の北辺を回って一周したかったが、海路も陸路も条件が悪く適わず、最終的には持ち前の根性と忍耐力で樺太の対岸にある清領アムール川周辺まで到達し、そこから樺太を眺めるに島であることに確信をもつ。現地の清役人とや山丹人とも接触し、中ロ関係についての情報まで日本に持ち帰ることに成功した、etc.歴史の教科書からは決して想像のつかないドラマがあったのだ、と感動を覚えた。
    ただ、時折入り込めなかったので、☆は三つ。

  • 全1巻。
    武揚伝から北海道つながり。

    北海道探検した人で隠密。
    みたいなイメージ。

    実際は樺太からロシアまで探検行ったらしい。
    すげえ。
    ちょんまげで。
    隠密とか小説の設定と思ってたけど、
    実際にぽい感じだったのね。

    前半はそれなりにワクワクした。
    けども。
    文章があんまり。
    少し独特。

    箇条書きみたいに事実を書き連ねてく感じ。
    で、盛り上がるとこは掘り下げるみたいな。

    無理って程じゃないんだけど、
    全力ではのめり込めない感じだった。
    史実を消化してるって印象を受けてしまう。

    黒船来る前にこんなことがあったのね。
    実は。

  • 間宮林蔵を冒険家のイメージでとらえていたけれど、この歴史小説からは極めて官僚的人物だったんだなと感じた。樺太が島であること発見するまでの行程は悲壮感に満ちているが、発見は感動的であり、爽快感を味わえる。一転して、隠密として働くことになる人生後半はなんだか物悲しい。

  • 間宮林蔵が生きた時代は激動の時代だったのだなー。そのあたりの時代背景も分かりながら、探険家の生涯も知れて、面白かった。

  • 間宮海峡を発見した人の話。

  • 真面目で几帳面、まっすぐな性格で困難もやり遂げる強さが彼の長所で、樺太が島であることを発見する偉業を成し遂げた。しかしその生真面目さが、融通性がないと思われ、シーボルト事件の密告者だという誤解を生み、彼を苦しめることになる。

    樺太やその周辺の人々の生活を記録も興味深い。アイヌの暮らし、寒さから身を守る知恵など、とても勉強になる一冊。

  • かなり版を重ねた文庫である…史料の隙間を創作しながら、間宮林蔵の業績を伝えてくれる作品である…劇中の林蔵は「決して地位が高くない農家の出で、ようやく掴んだ下級官吏として仕事に賭け続けた職人気質な、そして少し不器用な男」として描かれている。なかなか魅力的であると思った。
    間宮林蔵が生きた18世紀終盤から19世紀前半の情勢に関する、解説的な内容の叙述も多いが、これが大変に興味深い。“鎖国”の江戸時代だが、想像以上に外国との様々な接点があったことに少々驚く。

  • 吉村昭さんの歴史伝記ものはすごいです。
    丹念に資料を調べ上げて、それらの足りないところを丁寧に推理して、よどみのない人物の一生涯の記録として上梓してある。書き方も、後書きを読まなければ本当にこのまんまの光景が実際に行われたと信じてしまいそうなくらいに実写ぽいのだ。しかし、よくこんな昔の資料を研究したよな〜すごい人だ。面白いよ〜

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著者プロフィール

一九二七(昭和二)年、東京・日暮里生まれ。学習院大学中退。五八年、短篇集『青い骨』を自費出版。六六年、『星への旅』で太宰治賞を受賞、本格的な作家活動に入る。七三年『戦艦武蔵』『関東大震災』で菊池寛賞、七九年『ふぉん・しいほるとの娘』で吉川英治文学賞、八四年『破獄』で読売文学賞を受賞。二〇〇六(平成一八)年没。そのほかの作品に『高熱隧道』『桜田門外ノ変』『黒船』『私の文学漂流』などがある。

「2021年 『花火 吉村昭後期短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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