国境の南、太陽の西 (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062630863

作品紹介・あらすじ

今の僕という存在に何らかの意味を見いだそうとするなら、僕は力の及ぶかぎりその作業を続けていかなくてはならないだろう-たぶん。「ジャズを流す上品なバー」を経営する、絵に描いたように幸せな僕の前にかつて好きだった女性が現われて-。日常に潜む不安をみずみずしく描く話題作。

感想・レビュー・書評

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  • 家庭円満であっても、浮気は駄目だと分かっていたとしても、未来や今ある幸せをその時の感情の高まりであっさりと手放してしまえるそんな力が恋にはあるのかな。恋は相手のいいところしか目に入ってこない。彼女が最後消えたのも、未来に二人が望む本当の幸せがはっきり見えなかったからなのだろうな。主人公のこの先がちょっと気になった。

    純愛がやっぱり好き。

  • 大人のためのおとぎ話のようだった。
    美しい文章とエスプリの効いた会話に酔いしれる。
    しかし、生々しい性描写は命を繋ぎ止めるような切実さを帯びていた。
    人は誰しも欠落を抱いている。それをひとりで抱えている限り人は孤独なんだ。
    まだ誰もあなたのことを知ろうとしていないだけなのだ。

    大きな欠落を埋めてくれる唯一の人なら、幸せな家庭を捨ててもいいという気持ち、分からなくもない。
    ハジメと同じようにしたいかも?という深層心理を炙り出してくれる。
    村上春樹をまた読みたくなるのはきっとそのためだ。

  • 村上春樹はあまり好きじゃない、とある男の子に話したら、この本を薦められた。
    女の子が読むなら、この本がいちばんお薦めだと。



    でも多分それは間違いだ。
    なんて自分勝手な小説なんだろう。
    限りなく男の人目線の話。
    男の人だけで完結してしまっている。

    村上春樹の小説に出てくる女のひとは皆、男のひとが想像する姿。
    こんな女のひとだったらいいな。あるいはこんな女のひとだったらいやだな。

    村上春樹の小説には、男のひとは基本的に一人しかでてこない。主人公。
    ふらふらと考えがかたまらなくて、優柔不断。
    女のひとは沢山でてくる。色々な考えを持った女のひと、女の子。
    彼女たちはそれぞれ色々な事を考えて、色々な悩みを持っている。
    だけど、彼女たちはぶれない。
    危うくて脆くて壊れてしまいそうだけど、根底の考え方はふらふらしない。
    危ういなりに、しっかり芯を持った考え方をしている。
    ひたすら依存体質だったり、ひたすらだらしなかったり、ひたすら安定志向だったり、ひたすらエキセントリックだったり。
    そこに違和感を感じる。
    女のひとはそんなに強くない。
    女のひとはそんなに単純じゃない。
    単純、というと語弊があるかもしれないけど、「芯が変わらない」という意味での単純。
    女性に男性が甘えきっている構図がいやだ。

    主人公には芯がなくて、周りのいろんな女の子が持っている芯に惹かれていく。
    男の人はその芯に惹かれて、影響されて、成長していく。

    じゃあ女の人はどうなるんだ。
    女の人だって、周りの女の子の持ってる色んな芯に触れて、憧れて、真似しようとして挫折したりしてる。



    私だけかもしれないけど。

    これを読んで、男の子が村上春樹好きな理由がすこしわかった。
    こういう女のひとを世の中の男のひとが求めているのなら、それはすこし嫌だなと思う。
    マザコンっぽい。

    でもそれもある意味妥当なことなのかもしれない。
    「理想」はいつだって「シンプル」だ。
    好き好んでややこしい複雑なものを好きになる必要はない。
    単純に強いひと。単純に弱いひと。単純にエキセントリックなひと。



    でも村上春樹が嫌いなわけじゃないんだ。うまく言えないけど。
    表現が、描写が、胸を苦しくさせる。
    この本だってボロクソに書いてるけど、嫌いなわけじゃない。
    最後まで読んだもん。

    世の中にはうまくいかないことが沢山あって、皆それぞれ苦しい思いをかかえてるけど
    それでもまあなんとかそれなりに生きていこうよ、
    っていうのが村上春樹の小説だと思ってる。

    あと村上春樹の小説が苦手な理由のひとつに「ストーリーのわりにオチが弱い 」 っていうのがあったんだけど、
    今回はあまり感じなかった。
    収まるべきところに収まったという感じ。
    ていうかストーリーというストーリーもなかったかな。


  • 『ノルウェイの森』から『スプートニクの恋人』へと続く系譜となる、話の締めも含め個人的に好みの作品。
    本作では失ったものは取り返しが付かず、喪失から再生を描く恋愛作品群とはかなり感触が異なる。
    過去に損なった女性のジリジリと責めるような存在感が全編に張り詰め、言語化の難しい実在・非実在への不安感や焦燥感を見事に作品化した計算高い完成度。

  • 面白く読めたもののモヤモヤ感はかなり残った。バブル期の作品だった事もあって、どこか経済的成功が担保された故のモラトリアム感とか煮え切らなさが引っかかった。(その日和見に振り回されちゃった人多すぎません?)

  • この春樹作品は、さらさらと読みやすく、ファンタジー要素のない物語。
    主人公の僕が12歳のところから始まり、その時の同級生の島本さんをずっと想い続けながら、何人かの女性と関わり、そして傷付けていく。
    結構ひどい男だ。
    愛する妻と二人の娘、順調な仕事、裕福な生活。
    それなのに心には埋められない穴がある。
    作品全体が、哀しみに包まれている。そんな印象。
    そして春樹作品らしく、そこには音楽が流れている。
    島本さんと雨。島本さんと雪。
    描写のひとつひとつが美しくて哀しい。
    妻、有紀子とのラストのシーンだけが現実みを感じる。

  • 村上春樹の長編小説の中で、1番著者と主人公(「僕」)との距離が近く、親密度が高いと思った。もちろん同一人物ではなくて、「僕」は結婚して、子供を作り、2つ目の店を経営し始め、しだいにぼくら(著者、読者)から離れていくんだけど、自分の人生の正しさを「僕」は自問し、それに呼応して物語はほんとうの「僕」へと「僕」を引き戻していく。

    .

    -そして私もたぶんあなたの全部を取ってしまうわよ。全部よ。あなたにはそれがわかっているの?それが何を意味しているのかもわかっているの?」(p248)

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    中間の許されない決断をいつか自分がすることになるんだろうか、と思う。いつ、どんな決断をするんだろう。

    .

    -思い出したようにときおり、雲の切れ目から太陽が顔を見せた。からすの声と、川の水音の他には何も聞こえなかった。僕はそんな風景を眺めながら、きっといつかこの光景を、どこかで目にすることになるんだろうなとふと思った。 (p160)

  • 人は普通に生きているだけでも自分を損ない、他人を損なってしまうもの。自分が他人に作った穴も他人が自分に作った穴もどうしたって埋め合わせることはできない。孤独を孤独のまま受け入れることのできない哀しい男の物語。
    東京事変の曲にかつては男と女という曲があるのだけれどその雰囲気と完全に一致している。

  • 青山に上品なジャズバーを経営する主人公。
    小学校時代の友人、島本さんとの、雨の日のドラマチックな出会い。
    恋愛は、日常に起こり得る「事件」のようなものだ。

    ナット・キング・コールの「プリテンド」は好きな曲だ。
    「辛いときには幸せなふりをしよう。」
    歳を重ねるごとに、その意味がよくわかるようになる。

    太陽の西には、何かがあるのかもしれないし、何もないのかもしれない。
    そんなことを考えながら、日々現実を積み重ねている。

  • 自分にある欠落した部分の存在を認め受容する… と何度も感じ、問いながら読み進める。
    まるで子供の頃から見ていた幻想かのような島本さん、そしてイズミを重ねてしまう。

    今回も休憩を入れつつ入れつつ読了…
    読書 時々怖い…笑

  • 村上春樹の小説。
    複数の女性を通過して、成長していく物語なんだと思います。
    実際、世の中には人間的には未成熟でも社会的に成功している人って結構いるけれど、本作の主人公も、運を掴んで安定した生活を手に入れた、結構そのタイプ。

    多分これは10年前に読んだら、何も面白くなかったと思うのです。それは自分が世間知らずすぎたからで、
    でもあくまでフィクションと割り切って、出てくる女性(割とひどい扱いを受けている)もすべて創作と思えば、「ああ、こうやって人は自己を開示し、結婚という他者との生活に折り合いをつけられるようになるのかな」と思います。
    本人が最後に破滅するとこまで行かないとこを除けば、割と太宰っぽいかも。

  • ハードカバーの新刊が出てすぐ買ったが、またこの話かと嫌になってすぐ古本屋に売った。
    あれから20年以上経って、どんな小説だったっけとふと思い再購入。
    たしかにまたこの話かとは思ったが、こんなに痛切な小説だったのか…。自分が年をとって色々な経験をしたからこの小説が身にしみたんだろう。彼の作品中、最も悲しみを表した小説だと思う。

    ノルウェイの森同様、最後に「現実」を選択するが、そこに希望も喜びもあるわけではない。悲しみがあるだけだ。
    失ったものは失ったもの、失われたものは失われたものということを認めるのはとても難しい。
    夢はどれほどリアルでも夢でしかないということはあるときにはとても辛い。

    村上春樹特有の回りくどさは比較的薄く、一定のザクザクとしたリズムで話が進んでゆく。
    このリズムの保ち方は見事で、色々な要素が入ってきても全体を貫くトーンがまったくぶれない。一つの曲のような小説だ。

  • うまくいっている仕事、素敵な奥さんと子どもといった形式的にはというか一般的な目線では(いい表現が見つからない)満足出来ているような状態でも、
    心のどこかで不安を感じたり、孤独を感じたりしてしまう様子がひしひしと伝わった。


    自分がそのような状態になったら主人公と同じように島本さんを別荘へ連れて行ってしまうのだろつか?明確に否と言える自信は正直ないかな。

  • 2年ぶり2回目。

    気取ったフランス料理店の支配人がアメリカンエクスプレスカードを受け取るときの顔つきについて考えることとなった。

  • どうして、村上春樹の書く文章ってすごく自然にぬくぬくその世界に入り込ませてくれるんだろう。
    おもしろかった、時間が経ったらもう一度読みたい本。
    「僕」は良くないことをしてるけど悪人とは言えないかんじ、
    登場人物それぞれに「誠実さ」を感じた。
    わたしは、僕も有紀子も島本さんもいい加減な人ではなく、それぞれの誠実を確立しているように感じてよかった。誠実な人ばっかがいいけど、誠実な人ばかりいると世の中って複雑になりすぎて、みんな苦しくなるのかもとふと思った。好きじゃないけどいい加減な人もいないと、世の中上手く回らないのかもと思った。
    誠実なのはやっぱ好きだなと再確認させられた。
    ラストスパート部分は、車でトンネル通ってるペースで進んでわたしは好きだった。

  • 新しい自己になりたいと動き出す時、今現在の自己と動き出した自己には間隙が生じ、不安定性を生む。

  • 「ねぇ、」の多さが鼻に掛かるけど面白かった。
    分かりやすい言葉で、恋でも愛でもないどうしようもできない何かを描ききっていて痛快だった。

  • 主人公の不安定さを感じる小説だが、なにかぼんやりしていて、つかめないところがいい。

  • ▼トモダチであるはずの異性が、「自分のことを好きなのでは?」と感じたり、「自分はあのひとのことを好きなのでは?」と悩んだり。まして相手にはパートナーがいたりするとまた甘酸っぱい辛い。「相手と両思い?」とか感じると酸っぱい甘かったりして。体力と時間と愚かさと、「未経験さ」が揃って、若さのフォーカードの時期にそんなこんながあると、たまンないですよね。ところが大人になってからだと、修羅場になりかねません。そして、そんな修羅場のほうが、野次馬として、つまり観たり読んだりするには味わい深いようです。ヒトの不幸はテイストオブハニー。
    ▼松田優作さんと小林薫さんと藤谷美和子さんの映画「それから」(1985)が昔から好きで、森田芳光さんの映画の中でも、ちょっと別格だと思っています。松田優作さんも小林薫さんも、黙っていても良し。しゃべっても良し。藤谷美和子さんは、黙っているぶんには素晴らしい。それに、笠智衆さんも草笛光子さんも、圧巻の素敵さです。「三角関係映画」というジャンルでは、「突然炎のごとく」にも劣らない、世界に誇れる1本。原作の「それから」も、漱石でいちばん好きで読みやすい小説です。段取りで言ってしまえば、主人公の代助が、かつて親友だった男の妻と、不倫の恋愛に落ちていく、っていうだけの話なんですが。
    ▼「国境の南、太陽の西」村上春樹。講談社、1992年初出。2019年8月読了。
    ▼中学生の頃、多分1986年に村上春樹さんの小説を読み始めました。確か「風の歌を聴け」をなんとなく買って読んで、面白かったからそのまま順繰りに「ピンボール」「羊をめぐる冒険」「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」と読んでしまって、新作を待っていると「ノルウェイの森」が発売になり。長い間うっかり火にかけたまま忘れていた油を敷いた中華鍋に一気に野菜と肉とを放り込んだときのような、ヒステリックなまでのブームが起こってしまいました。あれ、すごかったですね。
    ▼その後、村上春樹さんは、「ノルウェイの森」みたいな小説を渇望している世間に向けて意地悪をするが如くにいつも通りの村上節の「ダンス・ダンス・ダンス」を上梓、なんというか、サザンオールスターズのような存在には絶対にならないことを示した訳ですが(笑)、そのあたりで個人的には興味が移ったのか、村上春樹さんの小説を読まなくなりました。再び読み始めたのが40代から。ほぼ全部読みましたが、いくつか歯抜けになっていたひとつが、「国境の南、太陽の西」。
    ▼主人公はジャズ・バーを経営している中年男性で、奥さんがいて娘がふたりいて、順調。そもそも奥さんの父の経済援助で成功してきています。そんな主人公が、昔(かなり昔)の女友達と、不倫の恋にゆるやかーに、ゆるやかーに、どんぶらこと落ちていくのが描かれます。村上春樹版「それから」。そういう愉しみ方もできます。書いているほうはそんなつもりはゼロだと思いますが。最後は、かなり曖昧ですがなんとなく破滅しそうな感じです。それもちょっと「それから」っぽい。
    ▼細部はもう忘れていますし、いつも通り?難解と言えば難解だし、個人的には全然解釈しないでただ読むので、あまり内容は語れません(笑)。恐らく解釈を試みれば、メタファーとか幽霊とか象徴とか色の使い分けとか心理分析的なこととかが語れるのではと思います。なんだけど、言ってみればデニーロとストリープの「恋におちて」を見ているような単純なエンタメ感も十分にあります。あの映画は、極上。うまいっ!職人芸!
    ▼閑話休題。この本、面白いんですが、オモシロい一方で、独特のいつもの村上節というか、気障といえばキザ....悪意を持てば、かっこつけとも言えるような感じも満載ですね(笑)。この小説、嫌いなひとは嫌いだろうなあ・・・でも不愉快に思いながら読み通しちゃうんだろうなあ・・・。そのあたりの「語り口」って、フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」とほぼ同じなんだと思います。
    ▼ネットでチラ見したんですが、解釈によっては、この主人公のその後が「ねじまき鳥クロニクル」になっていくそうです。それはそれで、「それから」っぽい。「門」「道草」が、「それから」の続編と考えることもできるので。
    ▼全然話は変わりますが、「それから」っていうタイトル、かなりズバ抜けて、かっこええなあ・・・と思います。「国境の南、太陽の西」のほうが、(タイトルだけで比べると)うーん、やっぱり・・・気障?・・・。村上春樹さんの書くモノが嫌いかとというと、僕はそんなことは無いどころが真逆で、ほんとうに大好きなんですけれど(笑)。漱石も好きなんで。

  • どうしても、僕のことが好きになれない。
    男の自分勝手だと思う。昔の恋人が自分のことを思い続けていてほしい(しかも自分だけを!)また、自分によってついた傷を未だに負っていてほしい。でも僕には帰るところがある。女はそんなに弱くないし、優しくない。バカじゃない。
    ナット キング コールの音楽だけが救いだった。
    2018.9.15


    過ぎ去ったらもう2度と戻ってこないもの。
    ストーリーはすっかり忘れていた。揺れ動く気持ちはわからないでもないが、今回は島本さんが好きになれない。。

    2023.10.6

  • 後半になっていくにつれて今までずっとリアルな話を展開していたと思っていたものが、ミステリアスな雰囲気に。
    島本さんは幻想だったのか。最後のイズミの描写はなんだったのか。一回読んだだけでは難しかった。

    最後に妻である有紀子は僕に対して「何かに追われているのはあなただけではないのよ。何かを捨てたり、何かを失ったりしているのはあなただけじゃないのよ。」と言い、そして僕は思う「そして、おそらく今度は僕が誰かのために幻想を紡ぎ出していかなくてはならないのだろう」と。

    人はみんな何かを失っていくけど時間は元に戻らず進み続ける。不確定な未来に向かって。

  • 感銘を受けた本。
    社会人になって結婚して、読み返したら、学生の頃よりも易しくて馴染めるものに感じた。

  • 誰かがやってきて、背中にそっと手を置くまで、僕はずっとそんな海のことを考えていた。

  • うーむ、、、すみません、、、よお分からんかった、、、というのが正直な感想ですねえ。なんといいますか、、、なんだかなあ~。結局、んで、、、なんなん?というのが、、、すみません。正直な感想です。うーむ。すみません。

    アレですね。凄く勝手な個人の印象なのですが、この作品みたいなんが、まさに世間一般的に流布している「ムラカミハルキ的なるもの」の象徴のような著作なのではなかろうか?と思う次第ですね。「村上春樹っぽさ全開」と言いましょうか。この作品と『スプートニクの恋人』が、いわゆるそんな世間一般の印象ど真ん中なんじゃねえの?って思う次第です。あくまで個人的に。

    んで、この作品。とりあえず男主人公は、フツーになんだかデキるヤツなんですが、世間一般とのズレはずーっと感じてる。「ボクガイルノハコノバショデハナイ」ってのをずーっと思ってる。でも世の中を渡っていくのは上手い。あと、例によって例のごとく、特定の女の人には超モテる。羨ましい。フツーにガンガンにセックスしてる。ただただ羨ましい。

    島本さんは何故ああなんだ?とか、結局、島本さん、何処行ったのよ?とか、イズミは結局どうなってるん?とか、その辺りは一切言及しない。うーむ。ムラカミ的だ。そーゆーところ、マジ村上的ですよね。この作品が、いわゆる、フツーの作品だったとしましょう(なにを以て「普通」なのか?という永遠の疑問は存在しますが)。

    ま、この作品がフツーの作品ならば、基本的には島本さんは「わたしったら今、コレコレこーゆー状況なの。だからこんな風にしか『ロビンズ・ネスト』に来ることができないの。ごめんなさいね。本当にごめんなさいね。でもあなた(主人公)の事は本当に大好きなの」ってちゃんと説明する、のでしょう。

    あと、イズミも、「あんたにめっちゃ酷く裏切られて、んでその後のワタシはずっと人生裏目裏目。も~人間不信の失敗続き。で、いま、コレコレこーゆーどん底の状況で生きてます。アンタ(主人公)の事はマジ許さないから」ってこと、ちゃんと状況説明すると思うんですよ。

    完璧にそーゆーところ、省きますものね。これぞ、ザ・村上的。説明を求めるな。感じろ!このフィーリングを!みたいなノリ?だと思うんですが、、、うーむ。そーゆーところ、ホンマになんちゅーか、、、すっごいなあ、って思うんですよねえ。それで全てを納得させているように思えるところも。うーむ。凄いよなあ、、、

    とりあえず、個人的に一番好きだったのは、主人公の嫁・有紀子の父ちゃんですかねえ。あのお父ちゃんは、好きです。なんつーか、清濁併せ呑む、って感じで、ちゃんと真っ当に生きているよなあ、って感じで。ああいう人間になりたいよなあ。

    「自分の子供たちでも、成長してくると、一律全員我が子で好き、ではなくてね、俺から見ての、好きの順序ができるんよね」って身も蓋もない真実をアケスケに言っちゃうところとか、超好きだなあ。

    まー、なんといいますか、数年後か数十年後に読み返したら、もしかしたらすっげーガツン!とくる何かがあるのかもしれませんが、、、すみません。今回の読後の感想は。「うーん。なんだかなあ~」というだけでございました。すみません。でもまあ、村上春樹さんの本は、それでも読んじゃうのよねえ~。やっぱ好きなのよねえ~。

  • 初めての村上春樹の長編。

    砂漠の話が哲学的て好き。

    でもいろいろあんまり理解できなかった…
    結局なぜ島本だろう?同じように一人っ子で音楽が好き、本が好きということだけじゃないはずだと思うけれど…

    言葉にできない何か大切なものを読者に伝いたいと感じているが、それが何かははっきり分からなかった。

    ハジメの苦悩というか欠落は何だろう。性欲?優しさを求めたいこと?自分の全てを受け入れる人を求めたいことだろうか…
    島本のことも理解できなかった…彼女は読者にもハジメにも打ち明けなかった…

    短編集を読んでいたときに感じた村上春樹凄い!という気持ちになれなかったけれど。でも読み心地はよかった。ほかのも読んでみたい。

    ーーー
    たくさんの方のレビューを読んで、自分が上に疑問に思っていることが全く重要なことではないと思ってきた…少し恥ずかしい。

  • 1992年12月18日 第六刷 再読
    最後まで再読し終わっても、当時読んだ時の印象が思い出せなかった。
    JKの頃ドキドキしながら読んだコバルトブックスの富島健夫は思い出した。

  • タイトルからなんとなく想像していたのとはぜんぜん違った。まあ、他の作品もそうだけど。
    自分の居場所ではない感覚、夫婦なんだけれど、実は何も分かっていない、何も尋ねようとしない。
    もう一度読み返してから整理しよう。

  • 『国境の南、太陽の西』という洗練されたタイトル、軽やかな文章、現代的でありながら哲学的なテーマ性、いずれを採っても非常に面白かった。

    本作品は「作者 村上春樹」ということが極めて重要である。仮に「作者 村上春樹」でなければ、不倫をテーマとした単なる恋愛小説と言えなくもない。他作品、例えば羊三部作などを反芻したうえで村上作品に佇む「喪失的」との対比が浮かび上がる。であるから「作者 村上春樹」であることが重要である。

    誰もが持つ過ぎ去った日の追憶。過去に得られなかったもしくは失ったものへの渇望。それに対する喪失感は、ある時点で取り戻そうとしても、別の喪失感をもたらすだけなのかもしれない。ハジメにとって「島本さん」は幻想が具象化した存在であり、喪失を取り戻すため全てを投げ打つ価値があると錯覚を与える存在であったのだろう。

    「国境の南」「太陽の西」、存在しないその先を渇望する喪失感、恋愛小説と春樹イズムが融合した非常に良い作品であった。

  • 年をとることでの喪失感を描いた小説なのだと思った。年をとっていく中で、自分が何か大切なものを失ってしまったんじゃないかという感覚。
    10代20代の時には世界に向けて開かれていた自分の感性、可能性が、現実を生きる中で徐々に輝きを失って、形が定まり、ひとつに固まってしまう。たいていの人は仕事をしたり子供を育てたりすることでそれなりのやりがいや責任をもち、忙しさの中でふと自分が何か失ったことに気づいたとしても、また逞ましく現実に戻っていくのだと思うけれど。

    小説の中では、仕事をしていない島本さんは若者のような定まらなさ、形の不安定さを持ち続けたまま大人になり、ハジメくんは喪失感を島本さんとつながることで埋めようとする。けれど結局それはうまくいかない。
    願わくば最後にハジメくんの背中にそっと手を置いたのが、有紀子さんであってほしいと思った。

  • 2日で一気に読んでしまった。大好きな本に追加。
    切ないー
    すべてを捨ててしまってもいいと思える恋。心が震える恋。その後の絶望感。
    すごく共感できた。

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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