- Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062731294
作品紹介・あらすじ
22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした。-そんなとても奇妙な、この世のものとは思えないラブ・ストーリー。
感想・レビュー・書評
-
恐らく20年とか昔、読みかけで放り出して忘れてたのだと思う(多分当時の僕は読書より音楽仲間と連む時間を優先してたし)けど、後半の記憶が全くなかったおかげで読み終えた今、新鮮な気分…
すみれが素敵。ハードカバーで欲しくなりました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
あちらとこちら
-
もう十年以上も昔のことである。とあるホテルに泊まったときの話だ。
フロントでキーを受け取って、自分の部屋へ行くためにエレベーターに乗り込んだ。乗客は僕ひとりだった。扉が開いて、何も考えずに降りた瞬間、体が固まった。辺りがあまりにも暗いのだ。真っ暗と言ってもいい。
とっさに考えたことは、間違えた階に来てしまったということだ。たぶんボタンを押し間違えて、従業員専用のフロアにでも降りてしまったとか。
それにしても暗い。暗すぎる。いくらここがスタッフ・オンリーの場所だとしても、これでは何も見えない。何かがおかしい。ココハナニカガオカシイ……。
そこまで考えるのに、一秒とかからなかった。僕は怖くなり、もう一度エレベーターのボタンを押した。幸い扉はすぐに開き、僕は中に飛び乗った。もう一回フロントまで降りて、今度は注意深くボタンを確かめながら押した。ドキドキしながら扉が開くと、何の変哲も無い客室の廊下が現れた。あの不気味な場所につながることはなかった。僕は心から安堵した。
あのとき僕は間違いなく「あちら側」の扉を開けてしまったのだと思う。この小説にも「あちら側」に行って帰ってこない少女が描かれているが、そのような世界は本当に存在するんじゃないだろうか。
あのとき、妙な好奇心を起こして先へ進んでいたらどうなっていただろう。この本の少女のように、僕は神隠しに遭ったように消えてしまったかもしれない。だから、この物語は僕にとってフィクションではないのである。ばかばかしいと言われようが、あの夜の体験は、僕の脳裡にまざまざと刻みつけられている。 -
「僕」のすみれに対する想い、出会えた喜びが真っ直ぐに伝わってくる。
成就するとかしないとかはともかく、こんなふうに人を愛せたら、幸せなんだろうなぁ。
これはミュウとすみれの物語ではなく、確実に僕とすみれの物語だ。
地中海に浮かぶ、ギリシャの小さな島の風景や、ミュウの観覧車の話は、まるで映画のワンシーンのようだった。 -
不在の存在。
あちら側とこちら側。
そうだね?
そのとおり。
素敵な不思議な恋の話です。 -
不思議な小説…ラストは夢なのか現実なのか。
-
あちら側とこちら側。
何か大切なものが損なわれたとき、もうそれは今までの自分ではなくなる。
そして何度も「寂寥」という単語がでてくるように表す僕の孤独。
『これだけ多くの人々がこの世界に生きていて、それぞれに他者の中になにかを求めあっていて、なのに我々はここまで孤絶しなくてはならないのだ。何のために?この惑星は人々の寂寥を滋養として回転しつづけているのか。(p.272)』
個人的にだけどラストはとても好きな終わり方だった。 -
夜遅くに読み終えたのも相まって、とんでもない寂寥感
"正しいこと"ってなんなんだろう? -
なぜ「スプートニクの恋人」というタイトルをつけたのかというのは、たぶん真剣に考えてみたらとてもおもしろいのだろう。
二つの対立するものが度々出てくるのはもちろん、すみれの夢にもミュウの過去の話にも、螺旋階段や観覧車といった回転するモチーフが出ていることはかなり重要そう。何よりも気になったのは、作中で「一対」という表現がわりと頻繁に出てきたこと。スプートニクに載せられて宇宙を見つめている犬の瞳や、すみれやミュウの乳首の描写などに。
すみれと僕との、記号と象徴のくだりがとっても好きだった。