ダンス・ダンス・ダンス(下) (講談社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062749053

感想・レビュー・書評

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  • 1988年11月1日 第ニ刷 再読
    喪失と絶望の世界を通り抜けてきたが、私はダンスを踊ることさえしなかった。

  • ユキの不安定でよりどころのない、少し虚勢の張った美しさが魅力的だった。
    13歳をこんなふうに描くのか。

    彼の作品はいつも出てくる女の子が魅力的よね。
    変態的によく観察されている。あるいは想像力が凄い。

    展開の中に紛れた彼女の離脱は少々呆気なかったが、子どもらしい際限なく広がる未来が窺えて頼もしかった。
    主人公もそそくさとユミヨシさんのところへ笑。

    何だかんだ言っても、最終的には物語の雰囲気に飲み込まれてしまった。人の抱えるぼんやりとした空虚感や厭世観は、自分のステップで踏み込んで部屋を見つけ、冷や汗の中で光をとらえ、生と死を飲み込みながら、控えめに避けるしかない。絶望的な冗談に閉口しながらも、下巻はするりと読み切った。

  • 羊をめぐる冒険を経て、鼠を喪失し、2時間泣いた僕のその後の物語。

    序盤のイルカホテルがイケイケのホテルになっている描写にたまんなくワクワクした。
    前の羊の博物館とは大きな違い。資本主義の匂い。

    「ここに行けば何かが変わるという予感」ってのは、ごく当たり前にあるもので、そういう場所に行かなければならないときがあるんだなと。
    僕は鼠を失い世界との繋がりを失っていた中で、イルカホテルへ旅立ち、メガネのユミヨシさんや13歳のユキちゃんとの物語が始まる。
    彼女たちの導きに加え、中学生の理科の実験が同じ班だった俳優友達とも関わりあうことに。
    鼠のときとはまた違った、新たな友情を新しい形で築き上げようとする僕の姿が印象的だった。

    殺人事件に伴うミステリー要素みたいなものが多分にあるわけだが、その謎解きはこの作品では一切描かれない。むしろ、奇妙な世界観の一部分として殺人が行われているだけである。そして愛するキキを殺害した五反田くんに対しての僕の気持ちがまた印象的。それをそれと受け止め、それ以上詮索しない。そこのゆとりがある意味春樹らしさを感じさせる。

    ある意味主体的な僕の行動の支えになっているのは、羊男の踊り続けろというメッセージ。
    この物語のタイトルでもあるが、
    音楽の意味や踊る意味を考えることなく、ただただ踊り続けること。
    踊り続けることで、世界が自ずから自分を巻き込んでくるような。
    これは我々が日頃どうしても忘れかけてしまう大事な要素ではないだろうか。
    作中でも揶揄される高度資本主義社会は工場で人と機械をひたすら作動させ、多くの無駄なモノを大量に作りながら発展している。その無駄なモノについて考えずに、作り続けることで社会は発展しているのだ。
    人間も同じで、行動一つ一つに意味を見出そう、効率的にやろうと頭で考えてしまうが、
    実はその世界に流れている音楽に合わせて、リズムに乗り切り踊り続けることが一番大切なのではないか。主体性に欠けていたとしても、流れてきたものに身を任せることは決して悪いことではないのではないか。そうして俳優として大成した幼馴染みと巡り合い、13歳の少女とハワイへ行き不思議な日々を送り、最終的に受付嬢とハッピーエンドを迎える。そこには完璧な文章、完璧な言葉は存在しないし、この四部作を締めくくらセリフは「ユミヨシさん、朝だ。」というなんの変哲もないものだが、それがまた抜群にいいんではないか。村上春樹のハッピーエンドには違和感を覚えるが、踊り続けた僕のたどり着いた物語としてよかったんじゃないかと思う。

  • 程度の差こそあれ人は、決して他人とは相容れない
    『絶対的な孤独』を抱えているのだと、この本で再認識しました。
    このことは、主人公もだけど、五反田君が象徴的ですよね。
    悲しみは悲しみのままで。生きていくって、大変だね。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「生きていくって、大変だね。」
      大変だと思うと大変だけど、普段は忘れていられるかな(私がお気楽なだけ?)
      「文化的雪かき」に感動しました。。...
      「生きていくって、大変だね。」
      大変だと思うと大変だけど、普段は忘れていられるかな(私がお気楽なだけ?)
      「文化的雪かき」に感動しました。。。
      2013/07/03
  • ハワイのシーンが好き。
    ゆったりのんびりしてて、読んでるだけで旅した気分。しかも経費で落ちている。。
    まるで夢のような日々。

    下巻は上巻に比べて夢の描写が多かった気がする。幻想的というのかな。
    いるかホテルで羊男と会ったのも僕が見た夢なのか?
    でもユミヨシさんも遭遇してるしな。
    6体見た骸骨のうちもう1体は誰?
    ユキやアメ、五反田くん、ディック・ノースといる時の僕はまるで夢でも見ているかのような、ふわふわと浮かんでいる感じがしたけれど、最後ユミヨシさんを通して現実に戻ってきたような気がする。

    “現実だ、と僕は思った。
    僕はここにとどまるのだ。”

    ユミヨシさんと一緒に北海道で
    幸せになって欲しい。

    村上春樹作品は謎が多いけれど、それでも好きだし引き込まれる。まだ終わらないでと思いながらいつも読んでいる。終わったらまた読み直せばいい。そしてまた村上ワールドにどっぷり浸るのだ。

  • 何だか、終わってしまった、という感想。尻切れトンボ、謎が謎のまま。いや、それとも。まだどこかに繋がっていくからこそのエンディング、か。時間が許したこもあるが、一気に読み終えてしまった。

  • 「でもそれは現実であるはずだった。何故ならそれが僕の記憶している現実だからだ。それを現実としてみとめなくなったら、僕の世界認識そのものが揺らいでしまうことになる。」

    前作『羊をめぐる冒険』で様々なものを失った「僕」。
    彼は失ったものを取り戻すために、再び冒険を始める。けれど、「僕」が失ったものとは結局は何なのだろう? 彼は何を取り戻すために、旅立たなくてはならないのだろう?

    それはこの物語の最大にしてもっとも重要なテーマだと思う。つまりは、それは<現実>なのではないか。
    「僕」の現実は「僕」が感じている世界、「僕」が認識している世界そのものだ。しかし、その<現実>で果たして本当に世界は機能しているのだろうか。僕の世界は進んでいるのだろうか。
    僕はきちんと起き、食べ、動き、また眠っているのだろうか? 本当に「僕」は世界で生活しているのだろうか? 僕がそう思い込んでいるだけで、本当は何もしていないのでは? ただ僕は悲しんでいるだけなのではないだろうか?

    現実と虚構、虚構と現実が入り混じるこの物語世界で、「僕」は必死に現実を探す。ステップを踏むのだ。きちんとステップを踏んで踊り続けるのだ。
    ベストを尽くすのだ。
    それはとても辛いことだ。なぜ?と思ってはいけない。どうして自分だけがこんなことを?と思ってもいけない。なぜなら踊り続けるしかないからだ。それが必要だから、それが唯一の方法だから。
    彼の虚構は彼が必要としたものだし、彼の虚構は彼を生かすために生まれたのだと思う。けれどそれはとどのつまり、虚構でしかない。それが現実である限り、僕はそれを他人と共有することができない。なぜならそれは彼のための世界だから。それは彼が必要として、彼が必要としている時だけ存在している世界だから……

    世界は必要とされた時に生まれる。それは現実でさえも超越する。それが村上春樹ワールドの原点なのかもしれない。
    この物語では、作者自身がその問題に真っ向から向き合っている気がした。踊り続けなくてはならない、ということは、「書き続けなければならない」ということなのかもしれない。世界を必要とする限り、現実を超越しようとする限り、冒険は続いて行く。

    きちんとステップを踏んで踊り続けるのだ。
    ベストを尽くすのだ。

  • 初期三部作はなんとなく色がなくてかなしいかんじです。たとえばカフカとか、たとえばねじまき鳥とか、たとえば世界の終わりととか。みんなしっかりしているけれども全然かなしくないのに。初期三部作だけはものすごくかなしい。かなしくないところでもすごく、かなしい。そんな物語の延長だからか知らないけれども、全部寒くてかなしい。寒いのは多分いるかホテルが札幌だから。物事がどんどん失われ続けて、というより、この頃の、この物語を一貫して書いていた頃の村上春樹は自分から何かが失われるということをすごくこだわって書いている気がして、中学生の頃とか、手のひらの上に無限に可能性を持っていた頃はそんなものは全然響かなかったのだけれど。手のひらからポロポロと色んなものをこぼしてこぼして時間がたって、なににひとつ選んで手には入れてなくて、そういうわたしにこの本はずしり、ずしりと重い。かなしい、ほんとうに。なんでまた、本を読んでこんなにかなしくならなければならないんだろう、と思うくらいかなしい。昔から、良い本とは時間を忘れて貪り読んでしまうような本だろうと常々思っていましたが、最近はちがう。本当に良い本とは、読んでいる途中で自分とか、自分の在り方というものがむくむくと浮かび上がってきてどうしようもなくなって色んな事を考え込んでしまうから、何回も読むのを中断せざるを得ない、面白くて面白くてしょうがないのにでもどうしようもない。そんな本ではないでしょうか、と考えるようになりました。

  • 不思議な魅力を持った作品。
    五反田君は本当にキキを殺したんだろうか。
    メイは誰が殺したんだろうか。
    キキが導いた真っ暗な部屋に静置された白骨の最後の一つは誰のものか。
    明確な答えを示さず、読者に解釈の余地を与えたまま余韻たっぷりで終わる作品。

    演じる自分と現実の自分の乖離から誰もが後ろ指を指すような行動を半無意識的にとってしまう五反田君の気持ちは割に共感した。
    自分は役者ではないが、仕事や家庭などのあらゆる場面で振る舞う自分と誰も周りにいない完全で孤独な時の自分は全く違うものであり、どちらが本当の自分なのか、自分でも分からない。

    学生の頃に村上春樹の作品を何冊か読んだが、これをきっかけにまた一から読んでみようと思う。

  • 「待つ」ことがテーマ。その瞬間が来るまでどしっと構える。今までいた側の世界から離れても、焦らないこと。
    自分の周りに起こった出来事全てに意味がある。逆に自分にとって必要なことは、必ず最適なタイミングで自分の目の前に訪れる。

    自分と重ね合わせて読まざるを得なかった。すごく心に刺さった。人生の教訓を教えてくれた名作だ。

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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