- Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062749053
感想・レビュー・書評
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読書を通じてセンスを磨けているような気がする。また、ところどころ教訓というか身に染みるような文章があって、少し変態的なだけではないところが読んでいて面白かった。
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死んだ人は永遠に死んだままで、死は劇的なものでもなんでもない、フィクションと妙な現実味が混じっててふわふわ浮いたような本だった。ダンスステップを踏み続ける…
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ミステリー好きなので少しミステリっぽいところもあり楽しんで読むことが出来た。
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「そういう考え方は本当に下らないと僕は思う」と僕は言った。
「後悔するくらいなら君ははじめからきちんと公平に彼に接しておくべきだったんだ。少なくとも公平になろうという努力くらいはするべきだったんだ。でも君はそうしなかった。だから君には後悔する資格はない。全然ない」 -
やっと失われたものを取り戻すことができたのだと思う。余韻のあるラスト。
ユキが素敵。 -
基本的に平坦な展開だけど何故か読み進めたくなる。また読み返したい。丁寧に時間を確かめるような、よい時間の使い方をしてるように感じられる。
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『ダンス・ダンス・ダンス』を読むまでの過程を上巻の方に書きました。
さて、こちらでは下巻を読み終えての感想ということになります。むずかしいです。長文になります。やってみます。
うーん
「“現実”というものがどこにあるのか」と「“世の中のすべてがくだらない”をどう乗り越えるのか」の話を書いていたのかなと個人的には解釈します。
主人公の「僕」の仕事がフリーランスのライターで「文化的雪かき」をしてるという感じが終始出てきますが、どういうことなんだろう、おもしろいと思っているわけじゃないけど、お金になるある種の文章を職業的に生産しているだけみたいな虚無感がずっとあって、その生活には現実味がなくて、どう生きていけばいいのかわからなくなった時の内面の変化を追っている作品だと思います。
羊男だったり、俳優をしている五反田くんだったり、娼婦のメイだったり、耳(=聴くための器官)のモデルをしてる幻のような恋人のキキだったり、詩人の恋人と暮らすクレイジーな写真家のシングルマザーの娘で13歳で無垢だがアンニュイで大人びていて霊感のあるユキだったり、そしてホテルのフロントをしてる真面目かつある種の闇を同じように共有できる現実的なユミヨシさんだったり、がいて。
それぞれが「僕」の精神を投影しているキャラクターだと思うのですけど(本文中にもそのようなセリフがあった)、最終的にユミヨシさん(現実)と繋がっていくラブストーリーだと思います。
『ノルウェイの森』では緑が現実からこっちこいってずっと呼んでいてそれに答えていく感じだった気がするのですけど、『ダンス・ダンス・ダンス』ではユミヨシさんのところへ自分から辿り着こうとしている感じがラブストーリーの方向性として違うかなと思います。
いろんな登場人物が死んでしまいましたが、それは自分の中にあったものの投影を落とす冒険だったのだと思います。
そして一周回って「現実」に戻って来る。そこには強い欲望が生まれていて、その欲望を受け取ってリラックスしてくれる相手がいる。そのバランスに「留まろう」とする「僕」がいてお話は終わる。
この感じにはとても共感します。
今なんてSNSがあるおかげで現実というのがどこにあるのかよりわからなくなっていて、人と人が実際に繋がるまでには長い長い冒険がお互いに必要なのかもしれないし、その冒険は困難になっていっている感じもする。
それはとても孤独で、虚無感に包まれてしまいそうになりますが、そういったものに対する混乱をゆっくり解きほぐし、不思議な栄養をたくさんもらえる現実的なファンタジーだと思いました。 -
村上春樹の小説が、高度資本主義社会に疲れ・傷ついた魂を優しく慰撫してくれるものだとするならば、最も上手く書かれているのはやはりこのダンス・ダンス・ダンスだろう。80年代の村上春樹の筆は、滑らかにして美しく、抑制が効きながらもリズム感のある饒舌さ。ダンスのステップを踏み続けるのだ、というメッセージには一定の力強さがあるか。
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五反田君との別れのシーンがギャツビーとの別れと重なって見えた、最後に言うべき言葉を言ったかどうかが違い。言えなかった分の切なさがグッときた。僕が「ユミヨシさん」「キキ」などと誰かの名前を呼ぶことっていままで無かったような。