原発社会からの離脱――自然エネルギーと共同体自治に向けて (講談社現代新書)
- 講談社 (2011年6月17日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062881128
感想・レビュー・書評
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エネルギー問題についてなんも知らなかったおれには目から鱗な情報満載だった。例えば自然エネルギーが実は結構量的な意味でもいけるんじゃないかとか、北欧の例とか。原子力ムラも聞いたことあったけど実態が垣間見えたし。エネルギーの問題から日本の共同体自治についても考えたり。
ただ対談形式なんで、おれみたいな無知な人間にしたら知らないキーワードが解説なしで出てくるのが難点。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
エネルギー政策を取り巻く背景と、政治のカラクリが読めた気がする。
本の趣旨とは関係ないが、薪ストーブに惹かれてしまった。
炎を眺める生活は優雅でいいなぁ。 -
飯田氏は東電にも出向した経験があり、福島原発の開発にも関わり20余りの特許も取得した技術者だった。その後その「原子力ムラ」を飛び出しスウェーデンに留学、自然エネルギー等を学んだ。
北欧に比べ日本の状況は30年以上遅れているという。 -
東電も官僚も銀行も、自分の利益を守る。強引に狡猾に、また愚直に。法律の例や前福島県知事の例などから強く感じた。
感情ではなく事実から判断しないといけないということも学んだ。二項対立で、自分の陣地から抽象しているだけではどこにも進めない。国や大手マスコミが流す大本営発表に対し、フリージャーナリストの方々が情報集めて流し、一般市民がSNSで情報を収集できる現状はだいぶよくなったと思う。次は我々が自分の問題として自分の考えを持つこと。
欧州の経過や現状との対比から、日本の問題点を洗い出している点は興味深い。正直なところ私には内容が難しく、かなりの割合で理解できていないのが残念だが、、、
エネルギー安全保障という点では、ウランの埋蔵量は少ないかもしれないが、複数に分散しておくという利点はあると思う。実用できないので意味はないが、再処理は資源に乏しい日本としては望んだ夢であり、また儚い夢であった。 -
日本の環境政策がいかに遅れているかがわかる。
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ありきたりな脱原発、自然エネルギー推進議論ではなく、そもそも何が問題なのか、掘り下げた議論を展開。
飯田氏の濃密な経歴も初めて知れた。 -
パッチギ
スエーデンハウス
薪ストーブ クリーンバーン方式
リオサミット -
これまで日本社会が原発にべったりと依存してきた理由は、行政官僚の暴走を政治家が止められないという<悪い共同体>の<悪い心の習慣>にある。それは、負けると知りながら、 軍部がアジア・太平洋戦争へと突っ走っていったのを誰も止められなかったのと全く同じ構造をしている。原発や六ヶ所村の再処理工場は、「現代の戦艦大和」のごときものだ。
奇妙なことに、日本においては、脱原発や自然エネルギー推進を唱えることが左翼イデオロギーと結びついて捉えられる。けれども、原発をやめられないという病理は、<原子力ムラ>と<電力幕藩体制>、そして<霞が関文学>=「フィクションと現実を繋いでいく言葉のアクロバット」によって紡ぎ出されたものにすぎない。原発は、技術的に不合理である以前に、社会的・経済的に不合理な存在なのだ、というのが本書の主張である。
こういう対談形式の本は、さながらテレビの討論会を聞いているような臨場感があって読み易いのだが、体系的な知識を得て理論武装するためには使えないという欠点がある。飯田哲也氏の本をもっと読んでみようと思った。
ともかく、日本の政策的知性は
いったい、これが世界でもっとも進んだ先進国で民主主義の国だと信じられてきた日本で、チェルノブイリ事故から25年も経た21世紀にもなって、今、起きている現実なのだろうか。これは、フクシマ後に出現した「知の焼け跡」と表現せざるを得ない。(「あとがき」)
というほど情けない状態であることは分かった。しかし、それでもなぜか均衡を保っているのが日本社会の不可解なところだ。 -
原発の話以前に、日本社会のなんたるやが書かれた本だと思います。
私自身がそうだけれど、日本は先進国だとか、日本の教育はすごいとか、日本人ほど他国に信頼される国民はいないとか、そういうおおよそ平和ボケした神話をまんまと刷り込まれて、ある程度洗脳されつつどこかに違和感や恥ずかしさを感じながら生きてきたように思います。
日本は変わりたい。日本を変えていきたい。飯田さんが最後に書いていますが、日より見でも野次馬でもなく、どろどろになって行動したい。行動に移す方法を探っていきます。