- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087815139
感想・レビュー・書評
-
エンジェル・フライトの皆さんには頭が下がります。
しかし,この本に関して言えば,
感情が籠もりすぎ
タンタンと書けばいい詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「国際霊柩送還とは、海外で亡くなった日本人の遺体や遺骨を日本に搬送し、日本で亡くなった外国人の遺体や遺骨を祖国へ送り届けることである」(本文より)
ただ搬送するだけではない。痛ましい姿になった遺体をできるだけ生前に近い姿に修復し穏やかな表情にし、残された遺族のもとへ送り届けるのだ。
この本のことを聞いて最初に思い出したのは、去年の夏テレビで見た、東日本大震災で亡くなられた方々の傷んだ遺体を復元しておられた女性納棺師、笹原留似子さんのことだった。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0817/
http://www.poplarbeech.com/sp_pickup/fukugen/
ここで詳しくは書かないけれど、笹原さん同様、この国際霊柩送還師の方々は亡くなった方に対してどこまでも誠実に向き合い、残された家族に対して究極の思いやりを持ちながら、過酷な仕事を淡々とそして完璧にこなしていく。
生と死は隣り合わせで、死を想うことで生に向き合い、生に向き合うことで死を想う。当たり前といえば当たり前なのだけれど、自分ではなく家族でもない他人の生と死にこれほどまでに真摯に向き合えるこの人々には、本当に頭が下がる。
いろんな逸話のなかに、どんなに損傷がひどくても修復処置をする前のままの姿で息子を連れ帰りたいと望む母親のエピソードが出てくる。彼女は「息子さんは親戚やお友達と会ってお別れが言いたいと思う…今の自分の悲しい顔を記憶しておいて欲しくないと思う…みんなの記憶の中でこれからも生きていかなきゃならない」と説得され処置を施して連れ帰ることになった。
著者はいう「処置は真実の死を覆い隠してしまういう側面も持っている。」
この本を読んでいる間中、ずっと脳裏を離れなかったのは、かつて乗るはずではなかった飛行機に乗って御巣鷹で死んでしまった友人が柩に横たわっている姿だった。そして今わかったのは、あれからもう四半世紀も経つのに、あの姿を想うと今だに辛くてたまらない理由は、彼女が死んでしまったことだけでなく、若く美しい顔の額にあった一筋の傷でもなく、わずかだけれど苦しそうにゆがんだ彼女の表情だったのだ。苦しみながら死んでいったという彼女の真実の死。
微笑んだ顔ならよかったのにとも思うけれど、あのままでよかったのかもしれないとも思う。彼女自身はどう思っているのだろうか、それが一番気になる。聞きたくても聞けないけれど。
そして最後には、シリアで亡くなった山本美香さんと、今もたくさん亡くなり続けているシリアの人々のことが書かれていた。
これもまた、辛い話だ。 -
知らない世界を知る。いつも何か感動があるね。
-
海外で亡くなった日本人、日本で亡くなった外国人の遺体を家族の元に返す「国際霊柩送還」専門会社エアハース・インターナショナルの人々に密着したドキュメンタリー。
その業務の性格上、どうしてもきつい表現が多いので、万人に勧められる本ではないと思う。
その点を除いても(海外で死亡してしまうかは別にして)「死」は誰もが必ず経験(?)することだけに、そう何度も読み返せるものではない、と感じた。
(内容が不快という訳でなく、誰にでも起こる事で痛すぎるから)
以前読んだ、上野顕太郎の「さよならもいわずに」(ビームコミックス)を思い出した。
(感想:http://randokukanso.blog79.fc2.com/blog-entry-301.html)
こちらも同じ理由で、未だに読み返す「勇気」が持てない。
エンバーミング(防腐処理)の是非や海外の遺体搬送ビジネスの「闇」にも触れているが、「死」とどう向き合うか、という話がメイン。
特に遺体搬送ビジネスの「闇」は、かなり深そうだ。
これだけでも、一冊の本になりそうだが、本書のメインテーマではない。
人は死んだ後、いつから「死者」になるのだろう?
客観的には「心臓が止まった時から」なのだろうが、残された側にとってはどうなのだろう?
心臓が止まったら、そこに「いる」ではなく「ある」になる、と簡単に割り切れるだろうか。
理屈では、もうその人はそこにいない、というのは分かるが、どうしてもまだ何かが残っているように思える。
と言うより思いたいのかもしれない。
だからこそ、国内・海外を問わず、事故や災害で亡くなった人でも、遺族はできる限り遺体を捜そうとする。
本書に出てくるエアハース社の人達も遺体と接する時は、生きている人と同様に接する。
前述の「さよならもいわずに」にも葬儀社の人に「何か形があった方が送り手の方が安心するものだ」と言われる件があったのを思い出した。
そのため、遺体や儀式という「形」が必要なのだろう。
そして、死者と向き合いやすくしたのが「エンバーミング」なのかもしれない。
人間の体を破壊する力を持つ技術が発達したという事と二人三脚ではあるだろうが・・・。
おそらく世界中に「葬式」という儀式があるのは、死んだ人のためであると同時に、残された側のためでもあるのだろう。
「死」を納得し、受け入れやすくするために。 -
「国際霊柩送還士」の仕事を通して「弔い」や「死」、改めて日本人であるのだと感じる価値観を再認識した。
後半著者の独白が強くなってしまいその点は残念だったが、「忘れ去られるべき人」の素晴らしさは忘れないと思う。 -
エンド・オブ・ライフ、夜明けを待つに続いての佐々さん3冊目。
読みながら、以前読んだ他の著者さんの「面影修復師」を思い出していた。
その技術が活用される亡くなった場所が、国内なのか、海外なのかの違いだけの違い。
生前のその人をその人らしい姿に再生し、ご遺族へと送り届ける。
コロナ禍で、弔いの形は、簡素化してきている。
この本が書かれた当時よりもなお一層、簡素化しているだろう。
でも、どんなに簡素化したとしても、根本的なところは変わっていないはず。
その根本をエアハースの方々は、今も護っていらっしゃる。
佐々さんのあとがきで、それが明確に書かれていると思う。
とても印象に残った文章だった。
『亡くなった人から我々が託されているであろう宿題はふたつだ。ひとつは、命を終えてしまったその人の分まで人生を生き抜くこと。そしてもうひとつは、その人との別れを悲しみ抜くこと。』275頁
『彼らは心の中に戻ってくる。悲しみぬいたあとの生きる力となる。もっと親しく、もっと強くそばにいてくれる。だから一度、「さよなら」を言う必要があるのだ。
以前この取材に入る前に、ある編集者に言われた言葉を思い出す。
「医者みたいに人を救う人なら書く意味もあるだろうけど、死んだ人を運ぶ仕事を書いてどんな意味があるの?」
今なら答えることができる。
「亡くなった人でも救う事はできる。私たちが悲しみぬいて、きちんと生きぬくことができるなら。それを手助けしてくれるのが彼らの仕事なのだ」と。』277頁 -
2012年刊。海外で亡くなった人、或いは国内で亡くなった外国人を海外に返す事のプロ達、と、その様々なケース、生前の姿にまで修復するという特殊性、その意味は?などが書かれている。
特殊な仕事だ。このような本が出なければ知ることは無い。その点では有難いし、「悲しみ抜くことこそ必須」というのも成程なぁと感じた。
興味深い点は確かなのだが…… 正直、眠くなってしまう。クドイ。単純なレポートでは無いのだから、あれこれ書きたいのは分かるが、クドイ。終盤になるほど、その傾向が顕著になる。 -
損傷の激しかった遺体が目を覚ましそうなほど修復され遺族に返される。
絶望の淵にいた遺族は、少しでも救われたと思いたい。 -
米倉涼子が主演するドラマの原作と知り入手。
以前から、納棺師やエンバーマーのことは知っていたがこういう仕事があるのを初めて知った。
損傷した遺体修復の生々しい描写が嫌いな人は要注意ですが、全体を流れるのは、人が悲しむためのきっかけを当たり前にするために24時間働く人たちの誇りのようなものだった。 -
ドラマとは全然異なっていた
ドラマは個々のストーリーに焦点があたっていたが、
こっちは国際霊柩送還士の仕事に
人の死という特殊な仕事は
実際に現場を見ないとわからないと思う