- Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101005058
感想・レビュー・書評
-
★★★☆☆
卍や春琴抄とは違う感じ。少しの肩透かし感。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
大分昔の作品なのにちっとも「昔」を思わせない、いつまでたっても瑞々しい文体。
-
猫好きには納得の1冊。谷崎潤一郎の文章、好き。
-
とにかく理由も要らず、大傑作。猫好きは必読。
-
三島由紀夫の小説「金閣寺」のなかに、「南泉斬猫」という物語が紹介されている
……山寺の小坊主たちが、一匹の、たいへんかわいらしい猫を拾ってくるのだが
さてこの猫の面倒を誰がみようということになって
誰もが、その権利を主張し、ゆずらない
そこに、南泉という偉い坊主があらわれて、猫を切り殺してしまう
その夜、高弟の趙州が帰ってきたので、南泉が「おまえならどうする」と問うたところ
趙州はなぜか、自分の靴を頭に乗せて、部屋を出て行ってしまった
それを見た南泉は
「ああ趙州、おまえがいれば猫も死なずにすんだであろうに」となげいたそうな
「南泉斬猫」は不条理な物語ゆえ、その解釈も様々に可能であろうけれども
ひとまず言えることとして南泉は
人心に不和をもたらす存在を、邪悪として断罪せざるをえなかったということ
すなわちここでは、「かわいいは罪悪」なのである
谷崎潤一郎の「猫と庄造と二人のおんな」は
かわいい猫に振り回されて疲弊していく家庭をえがいた小説
この小説において、猫のリリーとは
すなわち、人心に不和をもたらす「かわいい悪魔」なのであり
それにかしずく庄造は、「悪魔主義者」ということが言えるだろう
「悪魔主義」とはもちろん、谷崎潤一郎の作品に対し
尊敬と畏怖をもって与えられた通称にも他ならない
その谷崎は、「饒舌録」のなかで、小説家と言う職業をこう語っている
「これで生活し、妻子を養っていこうとするのは、いわば
危い綱渡りのような渡世である」と
しかし悲しいかな、庄造にはそういう強さがまったく足りないのだった
猫一匹かかえて家を飛び出していくような愚かしい勇気こそ
悪魔主義者には求められるものであろう
「猫と庄造と二人のおんな」は、悪魔主義に片足つっこみながら
出ることもはまりこむこともできず
じりじりと破滅していくしかない男の、もの悲しいコメディーである -
タイトルのまんま
おもしろかった
猫になりたいな
のほほーんって -
読みやすく面白く、ぱっぱと読了!
猫好き、動物好きなら共感できると思う。猫の描写もうまく、脳内で動くリリーが可愛いかった!
初の谷崎潤一郎、馴染み深い関西弁、舞台が地元、最高〜
次は痴人の愛と春琴抄を読みたい。 -
口うるさく強情な品子を追い出し、多額の持参金付きだが腰の軽い福子を後添えにもらった庄造は、やむにやまれぬ状況から愛猫リリーを品子に譲ることになる。しかし、あまりの恋しさに、福子の留守中にリリーに会いに行った庄造は、そのことが福子にばれて、窮地に立たされる。
著者の谷崎自身、並はずれた猫好きで知られているが、さすがは文豪、谷崎はただの猫バカではない。嬉しいとき、悲しいときに猫がどのような動作をするか、それがどれほど愛らしいか、そして猫の発する「ニャア」のひと言にどれほどの意味が含まれているか。それを微に入り細に入り描写する筆はあまりに闊達で、猫好きもここまでくれば“芸”だと言える。
庄造がリリーを手放さざるを得なくなる直接の契機となる、リリィーに鯵を与える食卓シーンは中でも秀逸で、口元をだらしなくあけて、目を細めながらニヤついてリリーとイチャつく庄造(谷崎)の様子に、猫好きは快哉を叫ぶだろう。
猫バカ文学史上に燦然と輝く傑作。 -
猫を溺愛する荒物屋の主人と、猫を奪うことで復縁を迫る元妻、自分より愛情を注ぐ猫を疎ましく感じる妻。
人間世界の生々しい駆け引きを、一匹の猫を中心に展開させることで、彼らの哀れみと滑稽さをより引き立たせている。 -
面白い。なかなか愉快な、まるで落語を聞いて居る様な悲しい喜劇です
解説者は何でも哲学書にしたがるが、小説であろうが、人生であろうが、なんであろうが面白ければ、すべからく良し。
我が家にも保証書無き雑種の猫が居るから解るのだが、谷崎さんは間違いなく猫を飼っていた。その描写に笑うのだ。「吾輩は猫である」と比較しながら読んでみるも良い。