- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101005126
感想・レビュー・書評
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随分前から積読してあった本です。
何度も途中で挫折してこれは大人になったら面白さがわかる本なのか(十分大人なんですが)と思ったら『世界は文学でできている』で楊逸さんが中高生にお薦めしていたので、慌てて読んでみました。
読んでいるうちに、だんだん面白くなってきて、読むスピードが上がっていきました。
『細雪』というタイトルですが、雪の降る場面はどこにもないそうです。
昭和十年代の大阪船場に古いのれんを誇る蒔岡家の四人姉妹、鶴子、幸子、雪子、妙子、そして幸子の娘の悦子の五人の女性の物語です。
大変雅やかな文章です。
三女の雪子は姉妹のうちで一番美人ですが、縁談がまとまらず、三十歳を過ぎ独身で、幸子夫婦の世話になって見合いを繰り返しています。
妙子も独身ですが、妙子は奔放で、若い頃駆け落ちのようなことをしたことがあります。
鶴子だけは東京に住んでいます。
京都での春のお花見の場面が美しくなんとも印象的でした。
p149より
「それはこの桜の樹の下に、幸子と悦子とがたたずみながら池の面に見入っている後姿を、さざ波立った水を背景に撮ったもので、何気なく眺めている母子の恍惚とした様子、悦子の友禅の袂の模様に散りかかる花の風情までが、逝く春を詠歎する心持を工まずに現わしていた。以来彼女たちは、花時になるときっとこの池のほとりへ来、この桜の樹の下に立って水の面をみつめることを忘れず、且つその姿を写真に撮ることを怠らないのであった」
P150より
「忽ち夕空にひろがっている紅の雲を仰ぎ見ると、皆が一様に、「あー」と、感歎の声を放った。この一瞬こそ、二日間の行事の頂点であり、この一瞬の喜びこそ、去年の春が暮れて以来一年に亘って待ちつづけていたものなのである。彼女たちは、ああ、これでよかった、これで今年もこの花の満開に行き合わせたと思って、何がなしにほっとすると同時に、来年の春も亦この花を見られますようにと願うのであるが、幸子一人は、来年自分が再びこの花の下に立つ頃には、恐らく雪子はもう嫁に行っているのではあるまいか。花の盛りは廻って来るけれども、雪子の盛りは今年が最後であるまいかと思い、自分としては淋しいけれども、雪子のためには何卒そうあってくれますようにと願う。正直のところ、彼女は去年の春も、去々年の春もこの花の下に立った時にそう云う感慨に浸ったのであり、そのつど、もう今度こそはこの妹と行を共にする最後であると思ったのに」
以下中巻に続く。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
まことさんのレビューを見て、読んでみました。
大阪船場の旧家、薪岡家の四姉妹、鶴子、幸子、雪子、妙子。両親は何年か前に亡くなり、長女鶴子夫妻が本家として一家を仕切っている。本家の旦那(婿養子)は、三女の雪子や四女の妙子に疎ましがられているので、雪子、妙子は本家よりも、芦屋の幸子夫婦の家に居着いている。
時代は昭和の初め、戦争前。雪子(30歳くらい)と妙子(25歳くらい?)はまだ独身。妙子には結婚を約束している恋人がいるが、姉の雪子を追い抜いて先に嫁ぐ訳にはいかない。雪子は美しく、年齢よりもかなり若く見えるが、何故か縁遠く、結婚がなかなか決まらない。良家のお嬢様であるので、条件が難しく、良い話があっても、本家の綿密な調査により何か相手に問題が見つかり、断ることになってしまうのだ。上流階級のお嬢様も大変だ。羨ましくもならないが、戦争前の喧騒を他所に、おっとりした優雅な美しい世界。長女は「姉ちゃん」、次女は「仲姉ちゃん(なかあんちゃん)」、三女は「雪姉ちゃん(きあんちゃん)」、末の娘は「こいさん」と呼ばれている。
毎年、幸子一家と雪子、妙子で京都へ花見へ行く恒例行事がある。その日のために彼女たちは選りすぐりの着物を用意して、平安神宮、嵐山、御室など、京都の桜の名所を巡る。桜は勿論美しいが彼女たちの姿も目を見張るくらい美しく、「写真を撮らせて下さい」という人が必ずいる。幸子は思う。来年もここでこうして、三姉妹で桜を見られるか?と。雪子と妙子が娘さん(とうさん)でいてくれる間はこのように三人揃って桜を見られるが、二人が嫁いだらこの行事はなくなってしまうと。二人の行く末(特に雪子の)を案じながらも、二人が娘さんでいてくれる時を惜しんでいる。
下巻の解説を読んでみたら、三島由紀夫が「谷崎潤一郎は戦争の影響を受けていない唯一の作家で、源氏物語の世界を現代に蘇らせた人」というようなことを言ったとか書いてあったが、なるほど、源氏物語の世界と同じで、滅びゆく上流社会の美しい世界を文学という形で残して下さったのだと思う。
感情が揺さぶられる類の小説でもないし、続きが気になるタイプの小説でもないと思いながら読んできたが、終盤になって少し続きが気になり出した。本家の旦那さんが東京に転勤になり、大阪の本拠地がなくなったのだ。東京に引っ越した本家。慌ただしく見つけた借家は手狭で、呼び寄せられた雪子の部屋もないほどであるが、丁度親の財産も尽きてきて、「蒔岡家」の名前も通っていない東京で上流家庭のプライドを通して暮らす必要もなく、世間並に節約し、中流家庭のような暮らしを始めるようになり、雪子たちのことにもうるさく言ってこなくなった。
雪子の縁談がまた破談になった。見合いを口実に神戸に帰ってこれた雪子もまた、東京本家に戻らねばならなくなった。時代の変わり目、この先、雪子は?蒔野家は?どうなるのだろう。
中巻に続く。
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Macomi55さん。こんにちは。
Macomi55さんは近代文学のレビューが大変お上手だといつも思っていました。
芥川龍之介、私も...Macomi55さん。こんにちは。
Macomi55さんは近代文学のレビューが大変お上手だといつも思っていました。
芥川龍之介、私も好きで、再読してみたりしているのですが、何しろレビューが書きにくくて。Macomi55さんのレビューから、コツを盗みたいと思うのですが。なかなかですね。2021/05/03 -
まことさん、こんにちは。
いつも「いいね」有難うございます。
私は遅読であるため今までの読書数が少なく、今はとにかく「死ぬまでに読んで...まことさん、こんにちは。
いつも「いいね」有難うございます。
私は遅読であるため今までの読書数が少なく、今はとにかく「死ぬまでに読んでおきたい名作」を中心に読んでいます。
谷崎潤一郎に関しては私好みでなさそうで、今まで避けて通っていましたが、まことさんのレビューを読んで「細雪なら読めそう」と思い、今回挑戦しました。
私も大人になって○十年経ちましたが、十年前に読んでいたとしたら投げ出していたかもしれません。
他の方のレビューが助言になって読む経験が出来る本、沢山ありますね。
有難うございました。2021/05/03
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谷崎潤一郎と言えば、言わずとしれた文豪。
恥ずかしながら、28歳にして初めて読んだ。それがこの「細雪」だった。
最初こそ文章に少しだけ難解さを感じた。けれど同じ言い回しが頻出するので、慣れてくるとスラスラと読めてしまう。例えば「入ってくる」は「這入ってくる」と書かれるのだけど、読みすすめる内にルビ無しでも読めている自分がいた。
内容はと言えば、果たして、面白かった。
あらすじはこの通り。
> 大阪船場に古いのれんを誇る蒔岡家の四人姉妹、鶴子、幸子、雪子、妙子が織りなす人間模様のなかに、昭和十年代の関西の上流社会の生活のありさまを四季折々に描き込んだ絢爛たる小説絵巻。
なるほど。上流階級の4姉妹とのことで。高飛車な話かもしれないと気構えたいたのだけど、全くの杞憂だった。
それぞれに個性の違う4姉妹を愛しいと思えれば、この小説にはハマれると思う。自分の嗜好として、女たちがやいのやいのしているだけで好きなので、存分に楽しめた。
4姉妹に限らず、細雪で描かれる人々はとても可笑しくて愛くるしい。人間臭さが全開で、愛おしくて仕方なかった。谷崎潤一郎の人間への愛と、真っ直ぐな観察眼があってこその作風だと思わされた。
決して劇的にストーリーが展開されるわけではないけど、ゆっくりと流れる時間の中で、人間が愛おしくなるような小説だった。
谷崎潤一郎はこんな作家だったのかと。純文学にはこんな小説があったのかと。新鮮な発見をした想い。少しだけ自分の純文学嫌いが解消されたかもしれない。
細雪はなんと三部作。中巻と下巻を読むのが今から楽しみ。
(書評ブログの方もどうぞ、宜しくお願いします)
https://www.everyday-book-reviews.com/entry/%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%8C%E6%84%9B%E3%81%8A%E3%81%97%E3%81%84%E3%81%A8%E6%80%9D%E3%81%88%E3%82%8B_%E7%B4%B0%E9%9B%AA%E4%B8%8A_%E8%B0%B7%E5%B4%8E%E6%BD%A4%E4%B8%80%E9%83%8E -
昭和7年、谷崎から結婚前の松子御寮人への手紙
「もし幸いに私の藝術が後世まで残るならば、それはあなた様というものを伝えるためと思し召してくださいまし」
昭和10年、谷崎、松子御寮人と結婚(3人目)
昭和17年、「細雪」執筆開始
昭和18年、上巻刊行後、掲載を止められる
松子夫人から谷崎への手紙
「私の手でできる限り写したく、一二年全力を注いでみようと存じます」
◇
戦前の彼女らに、胸がこがれる上巻。 -
戦争中は言論統制によって発表の場を奪われていた『細雪』だけれど、上巻はどこに差し支えがあったのかわからないのんびりホームドラマ。というか雪子がはっきりしなさすぎで驚き呆れる。上流なのか関西なのか、まったく別文化の世界。
着飾った三姉妹が外出するシーンが、においたつようなうつくしさ。これは映画化されるのがよくわかる。あと、ウサギの耳というか足の話は、谷崎らしいなと思った。 -
俄然、おもしろい、うまい。ま、当たり前なんだけど。大作家谷崎潤一郎なればこその名作。
のっけから船場言葉「こいさん」だの「とうさん」だの「ふん、ふん」が頻発なのだが、そこは江戸っ子作家からみた関西なのでくみし易い。谷崎潤一郎は上方の生活文化を愛情込めて書き込んだ。
さて、あらすじ、没落はしたが船場育ち四人姉妹の三女雪子が30歳なのにお嫁にゆき遅れている。
昔よ(昭和12、3年ころ)、びっくり!だから最初から最後までお見合いの連続。
あいまに、物見遊山、観桜、蛍狩り、年中行事、食べ歩き。そして、大洪水の恐さ、大病、などの事件、大阪神戸と東京を行ったりきたりの変化、ほんとあきさせない。
でも、観桜のきらびやかさとか着物の派手さだけでは終わらないのがこの物語。
いろいろな読み方はあるだろうが、私は物語が進むにつれ明確になる四姉妹、鶴子(長女)幸子(次女)雪子(三女)妙子(四女)のキャラクターをことさら楽しんだ。特に主人公雪子のキャラは想像力を掻きたてられる。何を聞いても自分を出さずに「ふん、ふん」といっていてとらえどころがないようだが、芯が強い性格、でなければあの行動力はなんなんだということになる。意見だってことさら言わなくても通すしぶとさを持っているのだ。
阪神の土地勘を知るのもよし、意外や(といっては悪いが)当時の第二次世界大戦前夜のきな臭い感じ、庶民のせつなさも書き込まれているのでを味わうもよし。終わりまで完璧に引っ張っていかれる。
勿論、構築がきちんとした格調高い耽美派の名作ではある。堪能した。
うーん、山崎豊子の「女系家族」[華麗なる一族」の世界はきっとここから来たのね、とちょっとひらめいた。「女系家族」[華麗なる一族」も格別おもしろかったから。 -
大阪の旧家の四姉妹が繰り広げる、四季折々の物語絵巻。
この作品を読んだころ、私は「名作って、読まなきゃいけないのかなぁ」なんて考えていた。
というのは、高校の図書室の先生と仲良くなって、彼女に名作をもっと読むことを薦められていたからだ。
そこで漱石とか三島とか、ちょびっと読んでみたのだが、どうにものめり込めない。
怠け者の私は、「ああ、やっぱり私には早いんだ」と単純に考えて、名作からしばらく離れていた。
ところが、ちょっとした偶然から(?)私の敬愛する作家である恩田陸氏が「自分の中で面白い小説」とかいう本を3冊紹介しているのを読んで、その中にこの『細雪』が挙げられていた。
そんなわけで、名作素人の私はいきなり、上中下巻の大作の『細雪』を手に取ったわけである。
この本は私が今まで抱いていた「名作」のイメージとは、全く違う本だった。
まず、会話が全部関西弁というところからして驚きのはずなのだが、名作初心者の私はそんなことには全く気づかず、一文がとにかく長いことにびっくりした。
それまではなんとなく、名文と言うのは贅肉のない簡潔でストイックな文章のことだと思い込んでいたのだ。しかし、この本ではゆらゆらとしかし不思議にたおやかな文章が、取り留めなく語られている。それが不思議と心地よく、姉妹の会話がそのまま耳に聞こえてきそうで、面白かった。
また、人間の機微や心理描写など、じれったくなることを細々と書かない乾いた語り口にひかれた。私は基本的に、アンニュイな湿っぽい雰囲気が苦手なのである。
というわけで、この本は初めて「名作も面白いんだ」と思うことが出来た、私にとっての記念の本なのだ。
名作だからのめりこめなかった、というのではなく、新刊でも自分に合う合わないがあるのと同じように、名作にも相性があるだけなんだ、とこの本が気づかせてくれたのである。 -
1948年(昭和23年)。
しっとりとした日本情緒と、瀟洒な昭和モダンの雰囲気、双方が味わえる風雅な風俗小説。前者の象徴として雪子が、後者の象徴として妙子が配置されていて、その対比も面白い。それもステレオタイプに美化されているのではなく、内気な雪子が実は強情で口論となると舌鋒鋭かったり、怖いもの知らずにみえる妙子が案外意気地がなかったりと、人物造形がリアルで生き生きしている。世間体を気にする所や、金銭的にガッチリしている所も、関西人らしくて楽しい。幸子が桜に思いを馳せるくだりでは、日本人なら誰もが感じ入るところがあるのでは。 -
昭和天皇に献上され読まれたという大衆小説。
現代であれば芥川賞を受賞するタイプの作品。
そっくり百年間時計の針を戻したような、市中のとある旧家を描いた物語。
もったいつけたような表現が多いが、それが余計に登場人物の心情をようよう描いている。面白い。 -
第二次世界大戦直前の暗くなっていく世相のなかにおける旧家の4姉妹の生活を綴る。谷崎文学特有の悪女は存在せず、一人一人個性の異なる4姉妹のある意味のほほんとした物語だ(他作品と相対して)。かと言って平凡な小説かといえばそうでもなく、全体から芳醇に漂っている良くも悪くも現代の庶民感覚とは遠いどこか王朝時代の貴族的な、華やかさ、美学を堪能できる作品である。
会話文では柔和な船場言葉が使われており、より一層作品の温かみ、丸みを演出できている