- Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101290515
作品紹介・あらすじ
私の大学生活には華がない。特に女性とは絶望的に縁がない。三回生の時、水尾さんという恋人ができた。毎日が愉快だった。しかし水尾さんはあろうことか、この私を振ったのであった!クリスマスの嵐が吹き荒れる京の都、巨大な妄想力の他に何も持たぬ男が無闇に疾走する。失恋を経験したすべての男たちとこれから失恋する予定の人に捧ぐ、日本ファンタジーノベル大賞受賞作。
感想・レビュー・書評
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森見登美彦さんの本作(2003)は、デビュー作にして日本ファンタジーノベル大賞受賞作。実は『夜は短し歩けよ乙女』『熱帯』が私にあまり響かず、本作にリベンジです。復讐ではありません。
あぁ何だろうコイツ、嫌なタイプだな‥。何せ冒頭から、「何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。なぜなら、私が間違っているはずがないからだ」という手記の体裁で始まるのですから‥。
独善ぶり、道徳的優位性感情、高慢さを発揮する「私」は、京都大学を休学中の五回生です。
モテたいのにモテない。(当然だよね?) それでも彼は、「自分がモテないのは世間のほうがまちがっている」とのたまう。(は?) そんな彼にも、奇跡的に彼女・水尾さんがいた時期があり、数ヶ月で玉砕。拒否された事実が解せず、「水尾さん研究」と称して観察を続ける。(完璧なストーカーですよね?) しかし彼にとっては、謎を究明する知的人間の正当な行為なのでした。(すごい理屈!)
他にも、冷静な研究のために対象との直接的接触は避ける(むむっ、ギリセーフか?) 彼女は私の偉大さを理解できないがゆえに否定せざるを得なかった。これは研究であり、断ち切れない恋心とは無縁(おめでたい!) 自分が稀有な存在で選ばれた人間(ウケるー!) この手記が万人の共感を得るはず(この自信はどこから来る?)等々‥
こんなふうに、彼の主観と側から見た客観はことごとくズレていて、もはや不快さを超越した奇想天外のギャグです。もしかしたら、これらを笑えるか腹を立てるかが、本作を好むか好まざるかの分岐かもしれません。
個人的には、内容のコミカルさにニヤリとはするものの、少し堅苦しい文章で、やはり響いた感が今一つ得られませんでした。ごめんなさい。
でも、終末に見せる哀愁漂い、かつ爽やかな雰囲気はよかったです。それに、水尾さんがゾッコンする「太陽の塔」に対しては畏怖し、愛しつつ幻影を見るんですね。
同じ学生生活を描いた伊坂幸太郎さんの『砂漠』や、同じ京大出身で京都所縁で作風が似てる(?)万城目学さんを思い浮かべました。
まさか「きのこの山」×「たけのこの里」論争じゃあるまいし、好みの問題ですね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
うーん、私には合わなかったのか、なかなか最後まで読み進めるのに苦労しました。
「夜は短し〜」と文体は似ていますが、登場人物たちが総じて卑屈な感じがして、時折面白い部分もありましたが、結局よくわからないまま読了。
本上まなみさんの解説の方がよく分かりました。 -
娘が森見さんのファンなのだが…
自分は本は読むんですが、自己啓発…、ミステリーとか映画の小説版など…
森見さん個人的に読みづらいです…
※純文学って感じで森見さんの世界に、俺がついていけてない状態ですね(笑)
自分が追い付けてないので、読んでも頭のなかに映像も浮かばないし…
いやぁ なんか…むづかしい…なんて表現したらいいか…
心境的には…「全然度の合わない眼鏡を渡された気持ち…」「プロレスゲームやろうとしたら相手が序盤からラリアットしかしてこない…」「久しぶりにゲームやろうとしたら自分のデータの上に子供らが上書きでセーブされていた…」そんな気持ちに近い…
ちゃんと文学っぽい本も読んで
理解できるようになろうっと… -
著者の第1作。
主人公は京大5回生の「私」。本書は「私」の一人称で語られている。
「私」はモテない。が、3回生の時に水尾さんという彼女ができる。が、1年ほど付き合ったのちフラれてしまう。
本書の冒頭に、「何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。なぜなら、私が間違っているはずがないからだ。」とあるが、このような考え方のせいでフラれたことを自分で処理できず、水尾さん研究と称し、ストーカーまがいのことをする。
さらには、モテないをこじらせて、同じような境遇の4人つるんで死ね死ね団のようなこともする。挙げ句の果てに、クリスマスイブにええじゃないか騒動を巻き起こす。
この騒動が転機になる。街ゆく人に「ええじゃないか」と語りかけていき、それが伝染して大きなうねりになっていったのだが、その中で巻き込まれた水尾さんを偶然見かける。今まで記憶の中でしか会うことができないでいた水尾さんがすぐそこにいる。声をかけるが返事がない。そこで「私」は「ええじゃないか」ではなく「ええわけがない」と思う。
2人がその後どうなったのかは直接明かされていないが、本書の最後に「何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。そして、まあ、おそらく私も間違っている。」とある。
フラれたことを受け入れて、もう一度水尾さんと向き合うことを選んだのだ。うまくいっていてほしいとモテない自分はそう思う。 -
太陽の塔とは大阪万博の際に岡本太郎氏によって作られた今なお残るどデカい怪物だ。私がこの作品を読んだのは、その「太陽の塔」そのものに馴染みがあったからである。何を隠そう私は生まれてから15年間、万博記念公園のある吹田市に育ったのだ。もちろん成人式も太陽の塔に不気味な眼差しを向けられながら厳かに行った。私の子供時代を象徴するような(自分を投影するにはあまりにバカデカすぎるが)ものがテーマとなっている作品は読まないわけにはいかないだろう。著者ももう顔馴染みの森見登美彦氏だし。
この作品は腐れ大学生が主人公であるが、四畳半や夜は短しとは少し違った雰囲気を感じた。あらゆる原因を周りの環境のせいにして自分を神棚にまであげるような超偏屈大学生、というわけではないように感じた。短いこの物語を通して驚くほど主人公が成長しているのだ。「何らかの点で彼らは根本的に間違っている。なぜなら私が間違っているはずがないからだ。」が口癖の主人公は恋人や唾棄すべき友人との青春を十分に謳歌している。確かに少し空回りしているようなところもあったが、そこも含めてとても愛らしかったし自分を見ているようだったし、なにより羨ましかった。当人においては全く青くないと感じる日々でも、他人から見ると真っ青に見えたりするのだ。なにやら「青いトマト」のような話だが、実際私から見れば真っ青なのである。きっとこの今の自分も何年後かの自分から見れば青春の思い出であり、尻の青さに驚くのだろう。顔を真っ青にする未来の自分が目に浮かぶようである。 -
森見登美彦氏のデビュー作。
主人公の失恋を描く。
京都を舞台として、クリスマスというイベントを、独り身の男子学生たちの視点で見ている。自らの状況を何とか肯定的なものへとすり替えるタフさ。
健気で陰気な男子学生の妄想はどこまでも果てしなく、切ない・・・
何よりも癖が強い。クセしかない!w
森見氏の小説は本作で既にクセのオンパレードであったのか。
読めばわかる。
読了。 -
作者のデビュー作である。京都の大学生たちの歯牙ない失恋状態を延々と描写している。或る種の者たちにすれば、聖書のように箴言に満ちた文章であっただろう。
わたしは、この書を紐解きながら或る先輩の事をずっと思い出していた。彼は「世のフラレタリアートよ、決起せよ」と叫んだ。職場の寮で賄いの叔母さんが作ってくれているカレーとご飯を、常にモリモリと盛り、そのことによって世の中の搾取を挽回する計画を立てた。タヌキのような大きな腹を見せながら、顔を突き合わせる度にわたしに党に入れと誘った。わたしは客観的にもその資格があることは認めながらも、その度に断った。党に入ると碌なことはない。岡山市表町商店街で月一回の支部会と称して穴蔵でロックを飲み干す企ての共謀正犯になるどころか、独りその前に女性グループに声をかけなければならないという新入党員鉄の掟なるものを強制させられる。という噂を聞いた。バレンタイン革命なるものを目指しているという噂も聞いた。幾歳月が過ぎ、先輩はとおに職場を辞し、人には言えぬあれもこれもした後に、2年前のバレンタイン・イブの日の凍れる道端で行き倒れになった。危なかったところを生還して、なんと未だにわたしに毎日の如くフラレタリアートの党に加入せよと電話してきている。もちろん、わたしは断っている。
よって、この作品の登場人物たちがクリスマスファシズムに抗して「ええじゃないか騒動」を共謀する、その未来も充分に予想出来たのである。
「幸福が有限の資源だとすれば、君の不幸は余剰を一つ産みだした」-
2022/12/05
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アニメ四畳半神話大系から森見登美彦さんに興味を惹かれ、この小説を手に取ってみました。
大学生時代の森見登美彦さんの身の回りで起きる奇怪な物語が書かれており、現在大学生の私は、「こんな学生生活、なんかイイな。」と嫉妬してしまいました。
京都のあらゆる地名が作中に登場するため、実際にその場に行ってみたいもんだと感じました。