- Amazon.co.jp ・本 (277ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101349275
作品紹介・あらすじ
先生、あのときは、すみませんでした-。授業そっちのけで夢を追いかけた先生。一人の生徒を好きになれなかった先生。厳しくすることでしか教え子に向き合えなかった先生。そして、そんな彼らに反発した生徒たち。けれど、オトナになればきっとわかる、あのとき、先生が教えてくれたこと。ほろ苦さとともに深く胸に染みいる、教師と生徒をめぐる六つの物語。
感想・レビュー・書評
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2024.3.14 読了 ☆9.5/10.0
「先生、あのときは、すみませんでした。授業そっちのけで夢を追いかけた先生。一人の生徒を好きになれなかった先生。厳しくすることでしか教え子に向き合えなかった先生。そして、そんな彼らに反発した生徒たち。けれど、オトナになればきっとわかる、あのとき、先生が教えてくれたこと。ほろ苦さとともに深く胸に染みいる、教師と生徒をめぐる六つの物語。」
2022年に一度読んで、すごくすごく心あたたかい、優しい気持ちになれたことをよく覚えていて、重松清さんのじんわりと心に沁みる世界に浸りたくなって、久しぶりに手に取りました。
先生だって一人の人間であり、不完全
生徒と一緒に成長していく
そんな人間くさいドラマに心打たれます。
特に、「ドロップスは神さまの涙」「泣くな、赤鬼」は涙が溢れて本がヨレヨレになってます……
改めて感じます。重松さんの描く「親子」や「教師と生徒」が好きだなぁって。
『青い鳥』や『卒業』『きよしこ』もそうですが、なぜだろうか。重松さんの描く親や教師はどこか懐かしくて心のどこかがキュッとなるんです。
自分がこうして社会に出て、大人と呼ぶには程遠いものの大人になってみると、当たり前のことに気づきます。
親も教師も、全然完璧なんかじゃない、一人の人間なんだよな、ということに。
子どもの頃は、そんなこと考えもしないし分からないから、どうして大人なのにこんなこと言うんだろう、と反発したり、大人が言うんだから間違いない、自分がいけないんだ、ダメなんだ、とあまりに素直に受け入れてしまったり。
そうやって当時のことが俯瞰的に見えるようになってから読む、重松さんの親や教師の物語は、子どもの頃には分からなかった、自分を含めた未完成で不完全な大人の戸惑いや不安や悲しみを描いてくれていて、それを、自分が今まで見てきた親や教師の思い出と重ねてしまうからのかもしれないです。
小学校の担任だったあの人のあの言動は、今思えばこんな意図があったのかもな、とか。
当時は気づけなかった、ささやかな優しさにも気づけたりするのです。
人生は学びの連続。教え、教わり、成長していくんですよね
最初の物語の「白髪のニール」の言葉を借りるなら、きっとこうですね
“ロックは始めることで、ロールはつづけることよ。ロックは文句をたれることで、ロールは自分のたれた文句に責任とることよ。ロックは目の前の壁を壊すことで、ロールは向かい風に立ち向かうことなんよ。
これからはロールじゃ。ロールすることが肝心なんじゃ。
キープ・オン・ローリング、なんよ。
止まらん、いうことよ
終わらん、いうことよ
要するに、生き抜く、いうことよ”詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
R1.7.9 読了。
「泣くな赤鬼」が映画化されて、この本を購入した。読みながら、自分には印象に残っている先生は、少ないなと思った。この本の中に登場するような先生と出会えていたら、今の自分と違っていたのかな?
・「2つ合わせてロックンロール。ロックは始めることで、ロールはつづけることよ。ロックは文句をたれることで、ロールは自分のたれた文句に責任とることよ。ロックは目の前の壁を壊すことで、ロールは向かい風に立ち向かうことなんよ。」
・「いじめは伝染病だ。しかも、かかった子ではなく、かからなかった子のほうが苦しめられる。サイテーの伝染病で、センプク期間も、何日で治るかも、特効薬も、なにもわからない。」
・「教師は完璧な人間しかなれないわけじゃないって、先生に教わりましたから。」
・「あだ名を付けられる教師は、じつは意外と生徒から好かれているものなのだ。」
・「人間が他の動物と違うところは、ゆるすことができる、いうところなんよ。なんもかんもゆるせんいう人間は、動物と同じじゃ。」
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教師と生徒の物語を読んだ。
不完全な教師ほど
不器用な生徒ほど
気になってしまう。
子どもの成長が何より嬉しいのがいい先生なのか。
子ども達の個性を見い出し伸ばすのがいい先生なのか。
協力、団結で学級の凝集力を高めるのがいい先生なのか。
目に見えるデータ化できる値をアップさせるのがいい先生なのか。
背中で人生を語るのがいい先生なのか。
コミュ力の高い先生がいい先生なのか。
わからない。
この本でいうなら「ドロップスは神さまの涙」の
養護教諭が魅力的だ。
「にんじん」には背筋がゾクゾクした。
「泣くな赤鬼」では赤鬼先生のかわりに涙が流れた。
先生と生徒、子どもが大好きな重松清先生。
いっぱい間違っていいんですよね。 -
やばいやばい。
先生と接してきた経験がある方。
ほぼ全ての人だと思うが、
この物語はとても良い。
誰に何を言われても、間違いなく、
児童及び生徒と先生には、
特別な出会いがあったと思う。
私に今まで出会った先生達は、幸せな人生を
歩んでいるだろうか。
高校を中退した私を許してくれるだろか。
児童及び生徒という肩書きだけで、
教師という肩書きだけで、
真剣に向き合ってくれた先生達と、
その頃の先生の年齢をこえた今の自分で、
もう一度会って話したいと思った。
少しでも、成長したと思ってくれたら
そんなに嬉しいことはない。 -
短編小説ですが、どれもしっかりとした作品ばかりです。
「泣くな、赤鬼」は映画化もされるようで、試写をされた方はとても良い映画だったと聞きました。
吃音があり、教師をされていた重松氏。
先生と子供たちを描く作品が多いですが、この本も短編ですがとてもいい本でした。
老若男女、特に中国地方と関係がある方は、方言も懐かしく、おすすめです。 -
学校教師と生徒が出てくる短編6つ
聖人君子の先生ではなく
欠点も嫌なところもある先生たちが描かれている
大人になった今だから広い心で見られるけれど
自分が生徒だったころには
やっぱり先生には理想の先生であって欲しいと思っていたに違いない
現役児童が出てくる唯一の話
『ドロップスは神さまの涙』のヒデおばと子どもに心動かされた
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『せんせい。』
家族や小中学生をテーマにした作品が多い重松清さんの、今回は先生にフォーカスした物語
6つの章から構成されており其々にメインとなる先生が登場する。
子どもの頃は先生の言うことは絶対に正しくて、親も先生を敬っていて、だから先生はえらい人なんだって、特に田舎育ちの昭和世代とあってか、そんな風に過ぎた子ども時代を回想しながら読んだ。
聖職ともいわれる先生。
先生だっていつも正しい訳じゃない
先生だって悩んだり落ち込むこともある
先生だって学校以外の生活がある
そんな当たり前のことは、考えればすぐに分かる。
それでも子どもからみた先生は、小さな社会の中でやっぱり特別な存在。それはいつの時代も変わらないと思う。
『ドロップスは神さまの涙』と
『にんじん』『泣くな赤鬼』が
特に印象的だった。
学生時代の担任を思い出しつつ、子どもの目線に戻ってどっぷりはまりたい一方で、大人目線で気付ける気持ちを持て余したくなった。懐かしさや苛立ちや哀しさが込み上げて来て、心があっちこっちと揺さぶられる作品だった。
とりわけ子どもの心理描写の巧さが光っていて、読者の記憶の奥底に共鳴するような感覚は、重松清さんの作品ならではと感じる。 -
誰もが、一番身近な大人を“せんせい”と呼んだ日々を過ごしてきた。
そのなかには、イヤだなと思ったり、
当時は好きになれなかったりした人もいたけれど
その時代はかけがえのないもので、
楽しかったと思えることもたくさんある。
そして、
何よりしんどかったときも
楽しかったときも、
あの時代を過ごしてきたから
今こうして過ごしているんだなとも思います。
なつかしい気持ちになりました。 -
色々な「先生」が登場します。
今現在、現場でお仕事されている「先生」はもっと、自由が効かなくなっているのでは?
「恩師」と呼べる方との出会いがあったら幸せだったと思いました。-
こんにちは!
(~Q~;) 暑い日が続きます。
・・・オリンピックが始まりましたね。
私は何ひとつスポーツができないくせに、観戦は大好きです...こんにちは!
(~Q~;) 暑い日が続きます。
・・・オリンピックが始まりましたね。
私は何ひとつスポーツができないくせに、観戦は大好きです。
バドミントン、バレーボール、卓球は特に好き(*^ー゜)
おかげで読書が捗りません。・(ノД`)・
・・・・せんせい、考え過ぎないよう、楽しんで読んで下さいね♪
レビュー、楽しみにさせて下さい。
ヽ(^_^))((^。^)ノ2021/07/28
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Stay Home期間に突入してから購入したKindle。amazon.co.jpアカウントを紐付け、気軽に日本語書籍に歩み寄れる環境を整えた上で購入書籍の選択についてはブクログに指南を乞う。そんな「新常態」環境にて手元に落ちてきた最初の数冊のうちのひとつが本作。こうした経緯を経て知ることになった重松清という作家さんはこれからもそのいきさつでもって記憶に残ることになるのであろうか。
著者は「文庫版のためのあとがき」にて以下のように記している。
自分の墓碑に記される言葉――それを本人がきめられるのなら、
僕は「重松清」を「教師の話をたくさん書いて、親の話を
たくさん書いて、子供の話をたくさん書いた男」と呼びたい。
本人がこれだけの思い入れを持って綴った作品集だけに良くないはずがない。本文庫には六本の短編が収録されておりどれも秀逸。自分が犯したミスはその中でも評判の高い「なくな赤鬼」を読み始めた途中で生活のペースに乱れがで、あと少しだったところを一気に読みきれなかったこと。また一気読みに挑戦したい。
そういや自分にとっての「せんせい」という人達が身の周りに当たり前にいた頃というのは随分昔のことになってしまった。でもそういう人たちの存在は自分の土台の一部になっていることは間違いなく、こうした作品に触れて振り返ってみるのは悪くない。重松さんの書くせんせいたちはまさに十人十色で、必ずしもみんな聖人君子然とした人とは限らず、ひじょーに人間くさいのがこれまたよい。みんなせんせいである前にひとりの人間なのだから。
こんなことを書いていたら自分も「せんせい」と呼ばれた時期があったことを思い出した。まさに自分こそがそのだらしないひとりの人間だったことまで併せて思い出されるからちと恥ずかしい。