- Amazon.co.jp ・本 (198ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101385310
感想・レビュー・書評
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とても健気で、いじらしく、それでいてしなやかな強さが感じられる作品だと思った。
しかし、同時に私はこの作品に、膝からがっくりくずおれるような、思わず目を固くつぶってしまうような、そんな不安と悲しみも感じてしまった。
みんなが幸せに生きられる、そんな社会を、「本物の知性」で実現することは、果たして可能なのだろうか。
この本の主人公・薫くんは、そのことについて、よくよく、自分で考えている。そして、そのためには、今、自分はどうするべきなのか、ということも、彼はとても真面目に考えている。
けれども、わからないのだ。彼は作中でも何度も何度も、「でも、どうしたらいいんだろう?」と言っている。それはゲバ棒を振り回して安田講堂に立てこもったり、あるいはそういう世間と開き直ってよろしくやっていくことだったりではないのではないか、と彼は思っている。思っているがしかし、ではどうすればいいのか、となると彼は悩むのである。
自分はこんなにも美しいものを愛し、人に優しくし、多くのものに感動し、しっかりした知性を身に着け、強くなりたいと思っているのに、そのはずなのに、どうしたらいいのか、それがわからなくて……むしろ、そのことを真剣に考えると、自分の中の冷酷なものに、怒りに、憎しみに、気が付いてしまうのである。
私たちはどう生きればいいのだろう? 私たちは、本当に、賢くなれるのだろうか?
その答えは、この作品が書かれて半世紀が経とうとしている今でも、全然、まったく、はっきりとしていない。いやむしろ、もっともっと混沌としていると言えるような気がする。
それを思うと私は、固く目をつぶりたくなるし、耳をふさぎたくなるし、何も言いたくなくなる。
それでも……けれど、それでもやっぱり私も、この本の主人公・薫くんの言うように、大きくて深く優しい海のような人間に、のびやかで力強い素直な森のような人間に、なりたいと思うのである。
それを強く強く、仰ぐように、願い続けたいと思うのである。
赤頭巾ちゃん、気をつけて。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
東大紛争のあおりを受け、東大入試中止が決まったある春の1日を、主人公である薫くん目線で思弁的に描いている。
書かれたのは1969年、庄司薫が32歳のときで、作者は同作で芥川賞を受賞し、作品はミリオンセラーになったらしい。1969年というと村上龍の『限りなく透明に近いブルー(1976年)』の7年前、村上春樹の『風の歌を聴け(1979年)』のちょうど10年前になる。あと69年は三島由紀夫が亡くなった70年の1年前にもあたり、2023年の現在からだと54年前にもなる。
いろいろと年代で比較してみたのは、東大紛争、東大入試中止、さまようエリート、若者のエゴと、本作がまさに時代をかたどったタイプの小説だからだ。主人公の薫くんは東大入学者数で灘と1,2を争う(当時)日比谷高校に通う3年生で、エリートという但し書きはあるものの、今から50年も前の時代の様子や精神をのぞき見ることができる面白い小説だと思った。
なんというか共産主義という考え方にみんなが諦める以前の、みんながまだ共産主義にわくわくしていた時代の、思想のぶつかり合いとでもいうような熱気があって、そういった熱気は友達と芸術論でやりあうシーンにもある。
熱いと思わせるのは、薫くんの表現がところどころ、彼の言い方で言うと「激烈」で、まさに若者らしいエゴ全開な感じがするからだと思う。
文体も今から50年前とは思えないくらい平易で読みやすくて、内容も含めて全体的によかった。 -
これまで個人的に愛読してきた小説の影響をガンガンに受けて「面白すぎる..」って始終ニヤニヤしながら読み切った。
インテリ学生の若いエゴと独白スタイルといい、「めげちゃうね」「参ったね」「ぶっとんじまった」みたいな調子といい、ライ麦畑日本学生版を読んでる感覚だった。
庄司薫的にはこの小説を「ライ麦だ」なんて感性を持つ奴は「品性下劣」らしいし「舌噛んで死んじゃう」べきなんだろうけど、そう言われてもモチーフが酷似してるって...って突っ込みたくなる。
感性が魅力的なヒス気味の女の子とか、いちいち趣味嗜好の知性レベルに突っかかってくる同級生とか、ラストシーンちいさな女の子をきっかけに雨が上がって光が差してるような感じとか、ライ麦連想しても仕方ないと思うけどってモヤつくけど、ホールデン風に言えば「ちょっと電話をかけて話したくなっちゃう」作家だった。
↓特に好きだったところ
………….
「エンペドクレスって、世界で一番最初に、純粋に形而上学的な悩みから自殺したんですって。」
「へえ。」
「それでヴォスヴァイオスの火口に身を投げたんだけど、あとにサンダルが残っていて、きちんとそろえてあったんですって。」
「素敵ね、エンペドクレスって。」
「うん(?)」
「サンダルがきちんとそろえて脱いであったんですって。いいわあ。」
............
最高すぎて舌かんで死んじゃいたいわ!-
いつみだ4あみたあまあたぅあたああたたあちみたあまたまたうちちた4441だちといもあたたあたつまたたいつみだ4あみたあまあたぅあたああたたあちみたあまたまたうちちた4441だちといもあたたあたつまたた2023/05/09
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これはなんだか、キャッチャー・イン・ザ・ライを日本版にして小説的効果を放棄させたような、そんな本だとおもった。要するに、けっこうぼこぼこ『これだ!』みたいなものがそのまま書いてある。その『これだ!』みたいなものは、文学として力を持たせるためには、技巧的になりますが小説という装置の中にしっかりとした技術をもって落とし込むことが必要で、それが本当に素晴らしくできたものっていうのがずっと読み継がれるような強力な力を持つ文学である。って考えると、この本はちょっと弱い小説というか、小説の機能を放棄している節はあるんだけれど、その『これだ!』みたいなものが結構な純度の高さで一生懸命書かれているので、やっぱり心動かされるところがあるのかなあ。
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こりゃ重い。物語の構造にしても、思想的な部分にしても。語り口の軽妙さが読みやすさを助長して、読後、きっと皆がなにがしかを考えるだろう、傑作じゃないかしら。
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薫くんは、頭脳明晰で、家柄もよく、そして恐らく見た目もそこそこのイケメンで、素敵なガールフレンドがいて、友人からの信頼も厚い男の子。東京に住んで、もはや大概のことにはコンプレックスなど抱かぬようなプロフィールでありながら、薫くんは悩む。とても高校生とは思えぬ高尚な次元で。
途中、自分は30になるというのに薫くんが考えていることの半分も理解できず、我が身の浅はかさを見せつけられているような気がして辛くなったけど、終盤、幼い女の子とのやり取りで薫くんが悩みの答えを見つけたあたりで、諦めずに読んで良かったと思えた。薫くんが求める「しなやかな知性」を身につけることは確かに尊いけれど、大切なものに気づくきっかけは、意外なところからやってくるのかもしれない。 -
幼馴染との間に微妙な関係が生じる話
おそらくは80年台のラブコメ漫画ブームに強い影響を与えたものだ
1969年の芥川賞を受賞
当時の漫画・アニメといえば「秘密のアッコちゃん」が1968年で
「愛と誠」が1973年だった
かたや呪文ひとつでなんにでもなれる女の子
かたや恋愛でインテリを打ち破る不良少年
つまり旧来の教養が、大衆文化に覆される時代
愛されて行儀よく育った子供たちに、ある迷いがふりかかっていた
心優しい赤頭巾ちゃんを前にして
彼は狼にも、猟師のおじさんにもなりえる
話の語り手は当時、年間200人から東大に送り込んでいた
日比谷高校に通う三年生で
遊び慣れてはいるが、恋愛にはおくてな
ちょっといい家庭の、一人だけ歳の離れた末っ子で
…家族の機嫌をとるために道化をやりがちなお坊ちゃんタイプだろう
しかも地の性格は生真面目ゆえ
どうしても反抗期を持ちえないみずからに強い劣等感を抱いている
それは村上春樹の「多崎つくる」にも共有された
戦後民主主義の悲劇だ
デビュー作の半端な私小説ぶりを江藤淳に批判されたのち
この作品で再デビューを果たした作者は
すでに30すぎのおっさんであったが
その年齢に到ってようやく、偽善のそしりをはねのける強さを
得たということであろう -
村上春樹の系譜に連なる唯一無比の饒舌体に感動。
69年の芥川賞受賞作は学生運動真っ只中の時代の人間賛歌やね。
シニカルな主人公が徐々に人間味を取り戻していくところが良い。 -
言葉では伝わらない。
だけど言葉にしなければ伝わらない。
だから、過剰に無意味な言葉を重ねて
相手に伝えようと努力する。
その過剰な言葉の中に不足する言葉を探してほしいと思っている。
言葉の力を信じたくなる話。
続きも読みたい。 -
はじめて読んだときは、斜に構えていない村上春樹みたいな小説だなぁと思った。
最後のページが大好き。
こころの中では饒舌で、みっともなくて、ひとりぼっちを手玉にとっていて。
男の子の青春小説は、こういうものなのだと思う。