- Amazon.co.jp ・本 (130ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102001059
感想・レビュー・書評
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「早春」「クヌルプの思い出」「最期」の3編から成る。
年上の初恋の娘に裏切られた時から、クヌルプの漂泊の人生が始まる。旅人となり放浪する彼は、自然と人生の美しさを見いだす生活の芸術家となり、行く先々で人々の生活に灯りをともす。肺を病んで雪の中で倒れ、人生を後悔する彼に、神は彼らしく生きたと語りかける。
「早春」「クヌルプの思い出」と読み進めていて、この話の何が名作なんだろうかと、正直疑問に思った。クヌルプは、私には、わがままで厚かましく、自己中心的が過ぎるような気がした。誰もが彼を好いて、きれいな子供が屈託なく生き進んでいるかのように評し、放浪している彼に喜んで手を差し伸べている。それがなぜだか理解できなかった。
そのもやもやは最後までやはり残るが、「最期」の編を読むと、彼がいかにして絶対的な孤独を好むようになったのか、自然に包まれながらさすらうことを望むようになったのかが描かれていて、私にとってやや愛すべき人に変貌していき、独り死んでいく彼を憐れむ気持ち、慈しむ気持ちが不思議と湧いてきた。
クヌルプの死の場面は、この上なく美しい。子供の頃、フランダースの犬のネロとパトラッシュが天に召される場面を知った時の、深刻で強烈だった感覚と似ていた。
☆神さまとクヌルプは、互いに話し合った。彼の生涯の無意味だったことについて。また、どうしたら彼の生涯が作り変えられ得ただろうか、ということについて。なぜあれやこれやがああなるよりほかなく、なぜ別なようにならなかったかということについて。
あるがままでいいんだ、何も嘆くことはない…何もかもあるべきとおりなんだ。
あの時こうしていれば、など、時々立ち止まって深い後悔に打ちひしがれたりは年を重ねれば誰しもあることだけれど、何もかもあるべきとおりなんだ、と大きいものに肯定されたようだった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「クヌルプの生涯三つの物語」の副題があるとおり「早春」「クヌルプの思い出」「最期」に分かれている。「クヌルプの思い出」でのクヌルプと友人との哲学的議論が読んでいて面白かった。
流浪者であるクヌルプは何にも縛られず様々なものを愛し自由に生きる反面、孤独を抱えている。逆に、手に職をつけた友人たちは結婚し家庭を築きあげているが、自由であるクヌルプに憧れも抱いている。最期には、クヌルプ自身が自分の生涯を振り返り、自分の生涯が無意味であったと嘆くが、神との対話ですべてあるべき通りの嘆くことのない人生であったと悟る。
クヌルプのような人生に憧れるものの、帰るところのない生活は孤独で自分にはできない人生だが、二度目の人生があるのなら経験してみたいものだ。 -
孤独を愛することは誰かに依存してはいけないんやと、思う。クヌルプはけっこう自分勝手で自分大好き人間やから、孤独とはちょっと違うのかもしれない。人の好意をどう思ってるのかなとはめっちゃ感じたし、そばにいたくないタイプかなーと思ってしまったですよ。
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自分自身を受け入れる、というテーマで読むのなら、『デミアン』の方が好みかな。
どんな生き方であっても、その生き方にしかない良さがあって、神様が望んだこと。 -
エリートコースを進む主人公の人生の歯車が少しずつ狂っていく、という大筋は「車輪の下」「デミアン」と似ているが、本作はそこまで暗さがなく、青春時代の楽しそうな描写が多い。放浪するに至るほどの苦悩ではないように感じて、あまり感情移入はできなかった。
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クヌルプの流浪してても、装いを綺麗に、物を大切に扱うところが素敵だ。見習いたい。ラストはなかなかいい。
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やはりヘッセは文章が美しい。訳者の高橋さんの素晴らしい翻訳もあるのだろうけど。ヘッセは3冊目だけど、物語の主軸には結局ヘッセの人生が見え隠れしてる感じがする。なぜクヌルプが流浪の職工にならなければならなかったのか。理由を知った時、愕然とした。短い作品なのでまた読みたい。ヘッセは素晴らしいね。他の作品もどんどん読もう。2012/172
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見どころがありそうなだけに惜しい作品。1クール目だけはおもしろいアニメみたいなかんじ。もっと跳躍できそうなのに、やはりいつものヘッセである。
クヌルプの漂白の人生。彼は美青年で気ままで不思議なところがあり、かならず娘っこたちの目にとまる。彼のときおり口ずさむ詩や、生活をいとなむうえではいくらも役にたたない手先の器用さは「人々の息苦しい生活に一脈の明るさとくつろぎをもたらす。」
作者のいうことを鵜呑みにすれば、そうなのだろう。けれどもぼくにはこのクヌルプという人物が真から人を和ませることのできる人物とはとても思えない。なぜなら彼の性格はやはりヘッセ的気難しさであって、それがクヌルプの柔和な性格といまいち融和しきれない感じをおぼえる。
なにより生活を営む人たちに対するクヌルプの軽蔑がかなり徹底してることに驚く。彼の生活は社会の外にあって、アウトサイダーそのものであり、そのうえ「軽蔑」まで加われば、これはもう生活の内にある人々・インサイダーにとってみれば「破壊者」そのものであろうし。
クヌルプが「聖」の属性をになっているのはわかるのだけれども、「俗」への軽蔑をみせる場面ではたしょう説教師的「聖」のありかたが垣間見える。まあ救世軍に入りたいとも言ってるし。けれどもクヌルプはけっきょく最後まで彼の「繊細さや敏感さ」を捨て去ることはなかった。ただぼくにとっては、年上の女にふられて漂白という、クヌルプのなまっちろさがいかにもうさんくさいのだ。
彼は「繊細さや敏感さ」の世界に留まることを選び、俗と汚辱にまみれた生活とは縁を切っていたけれど、神がこのクヌルプを選ぶということは、はっきりと誤まりだったとぼくは思うのだ。とヘッセに言いたい。
もはやヘッセとの対話という感じではあるが、二章の「クヌルプの思い出」は好き。 -
どこか散文詩的な性格を持った小説。
相変わらずヘッセは主人公に自分を投影させまくり。
作品自体が忠告をその内に秘めてるというか、一言で要約すれば「恋愛ごときで中退するのはやめとけ」ってことかね。
故郷の村をあてもなく彷徨う場面が好き。