カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (680ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102010129

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  • エピローグのアリョーシャの神っぷりに、前回は単純に感嘆したのだが、今回は怖さに震えた。

    「これからの人生にとって、何かすばらしい思い出、特に子供のころや、親の家にいるころに作られたすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健全で、価値のあるものは何一つないのです。
    君たちはこれからいろいろな教育を受けるでしょうが、少年時代から忘れずに大切にしてきた、美しい神聖な思い出こそ、おそらく最良の教育にほかならないのです。
    そういう思い出をたくさん集めて人生を作りあげるなら、その人はその後一生、救われるでしょう。
    そして、たった一つしかすばらしい思い出が心に残らなかったとしても、それがいつの日か僕たちを救ってくれるのです。…
    もしかすると、まさにその一つの思い出が大きな悪からその人を引きとめてくれて、『そうだ、僕はあのころ、善良で、勇敢で、正直だった』と思い直すかもしれません」

    おそらく「親になる」というプレッシャーからだろうけれど、とにかく ゾッとした。
    男の子と判明したので、尚更。
    コーリャみたいな子になったら、どーすりゃいいの?(気が早すぎ)
    いや、コーリャも可愛いんだけどさ、ハタから見るぶんには。
    一緒に暮らすとなると話は別だ。
    はあ…

    このアリョーシャの青年時代の話を、ぜひとも読んでみたかった。
    今度は彼が、大きな悪の前に立つことになるはずだったのだろう。
    そのとき彼がどうするのか、どう思うのか、まわりには誰がいるのか、見てみたかった。

    そして今回、アリョーシャ以上にわたしがフォーカスしたのはカーチャだった。
    カーチャとミーチャの関係性は、そこらへんの現代恋愛小説の男女なんかより、よっぽど多面的で複雑で奥深くて面白い。
    愛と憎しみ、嫉妬、軽蔑、プライド、事件、裁判なんかが錯綜したら、キャパオーバーで物語が破綻しそうなものだけれど。
    カーチャがミーチャの胸に飛び込むシーンには、感動までした。
    最後の最後にやっと二人のなまの会話が見れて、それだけでも感無量なのに、演技だろうと抱き合ってまでくれるとは。
    『カラマーゾフ』でいちばん生命力に溢れているのは実はカーチャなのではないかと思うくらい、とにかく今回は彼女に意識が向いた。
    前回は気にも とめなかったので、最後のシーンなどまるで忘れていたというのに。

    今度は、子供が中学生くらいになったら読む。

    以上

  • 中編はこちら。
    https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4102010114#comment

    【ロシア人名を覚えるための自己流三原則】
    ①個人名(洗礼名)+父称+名字
     フョードルお父ちゃんの息子たちの父称は、フョードルの息子という意味の「フョードロウィチ」
    ②愛称や名前の縮小がある。
     アレクセイ⇒アリョーシャ、リョーシェンカ、など。
    ③名前も名字も、男性名と女性名がある。
     男性名だとアレクサンダー、女性名だとアレクサンドラになる。
     母がスメルジャーシチャヤなので(呼名だけど)、息子はスメルジャコフになる。

    一人の人間に対していろいろな呼びかけが出てきますが、お互いの立場や親しさにより変わります。
     ●愛称によりお互いの立場や親しさが分かるようです:
     アレクセイ⇒アリョーシャ(一般的な愛称)、リョーシェチカ(ミーチャお兄ちゃんが呼んでいたので、目下を可愛がる?)、アリョーシカ(卑称的な愛称らしい)、アリョーシェチカ(グルーシェニカちゃんが呼ぶので甘ったれたニュアンス?)
     ●名前+父称は畏まった呼び方⇒カテリーナ・イワーノヴナ(彼女は名字が不明です)
     ●名字は一般的な呼び方⇒カラマーゾフ

    【物語】
    ※※※ネタバレしています※※※
    下巻は、中巻でミーチャお兄ちゃんがフュードルお父ちゃん殺人容疑者として逮捕されてから2ヶ月後。
    アリョーシャくんは、ミーチャお兄ちゃんといざこざを起こしたチェルノマーゾフ家を訪れ、今は生死を彷徨っているイリューシャ少年を見舞い、学校友達を呼び寄せている。

    アリョーシャくんのお使いアリさんっぷりは相変わらずのようで(笑)、少年たちを取りまとめたり、ミーチャお兄ちゃんを巡るカテリーナさん及びグルーシェニカちゃんの間を行き来したり、モスクワから戻ってきたイワンお兄ちゃんの様子を心配したりしている。
    そういえば、イワンお兄ちゃんは最近悪魔氏とお話しているらしい。イワンお兄ちゃんは悪魔氏に自分自身が考えたくないこと、認めないことを指摘されて錯乱している。さらにミーチャお兄ちゃんの面会や、カテリーナさんへの愛慕に悩んだり、真犯人かもしれないスメルジャコフくんを問い詰めたりしているから、心身支離滅裂になりつつある。
    アリョーシャくんは言う。「イワンお兄ちゃんは自分が殺人事件が起きるかもしれないと思いつつ立ち去ったことで、自分自身を責めているんでしょう?でも、殺したのはイワンお兄ちゃんじゃないよ。違うんだ。ぼくはイワンお兄ちゃんにそれを言うために神様から遣わされたんだ、ぼくはこの言葉をぼくの一生をかけて言うよ、いいね?犯人はお兄ちゃんじゃない」

    …、…、いかん、読者の私がグッと来た。人には、誰かがそう伝えてあげるべき言葉がある。それを伝えることでその人が救われるということを理解している誰かがいる。自分のすべてを込めて相手に伝える、そこにはまさに”神”の存在があるのだろう。

    しかしイワンお兄ちゃんはアリョーシャくんの「何かあったら、まず僕のことを思い出して」というその想いを拒絶してしまう。
    頭が良いはずのイワンお兄ちゃんはいまではスメルジャコフくんと悪魔氏とに翻弄されてしまっている。スメルジャコフくんも病床にあるんだけど、イワンお兄ちゃんに「自分が旦那様を殺しましたよう」って言って言うんだ。
    …ちょっとまて、さらっと殺人告白したよね?!
    …という読者の思いとは裏腹に、なんの証拠もないし、むしろイワンお兄ちゃんが翻弄されちゃってるし、挙げ句にスメルジャコフくんは首吊り自殺をしてしまいました。

    そして物語は裁判へ。
    次々呼ばれる証人たち、そして証人たちの言葉を総括する検事イッポリートと弁護士フェチュコーウィチ。終盤は彼らの大演説。法廷は大盛りあがり、読者も大盛りあがり。
    自分のすべてを暴かれ、自分が人々に何をして来たのかを見せつけられたミーチャお兄ちゃんは最後に言う。
    「父の血に関しては、僕は無実です。僕は放埒ですが善を愛しています。僕は今日の裁判でいままで知らなかったことを理解しました。もしも慈悲をかけてくださったらもっと立派な人間になります。でもたとえ有罪になっても自分の復讐心を消して神に祈ります。でもどうか、寛大なご処置を…!」


    【人物紹介】
    ※※※ネタバレしています※※※
    人間関係が混乱してきたというか、「え?あなたたち繋がってたの?」という感じになってきた(笑)ので、整理整頓を兼ねて。
    ❐フョードル・パーヴロヴィチ・カラマーゾフ
     カラマーゾフのお父ちゃん。スコトプリゴーニエフスク市(家畜を追い込む町、という意味)の俗物的な田舎地主。中巻で何者かに撲殺され、下巻ではミーチャお兄ちゃんが犯人として裁判にかけられる。

    ❐ドミートリイ・フョードロウィチ・カラマーゾフ(愛称ミーチャ)
     フョードルお父ちゃんの長男。
    下巻後半は、ミーチャお兄ちゃんの裁判。
    もともとのミーチャお兄ちゃんの性格と評判からしてこの裁判はかなり不利。しかもミーチャお兄ちゃんは伊達男のような新調した装束で現れ、証言者たちに対しても余計な野次を飛ばす飛ばす。
    そんなミーチャお兄ちゃんは強盗殺人を否定している。「おれはフョードル親父をブッ殺してやりたいとは言ったが、やってはいない。ましてや金のためにはやらない。おれはたしかにカテリーナの金でグルーシェニカと散財した卑劣漢だが、泥棒じゃねえ」ということ。
    しかしこの事件で自分自身の言動を公表され、本人も覚えていないような話を蒸し返され、勝手に心理を推し量られ、それは子供時代にまで遡り、そしてまだやっていないのにこれからやるかもしれないことまで決めつけられる。そして証言者たち、裁判の傍聴人たちが自分をどのように思っていて、そして自分は彼らにどんなことをしてきたのかを思い知った。
    ドラマチックな裁判の割には、下った判決はすべての罪状に対して「有罪」。ミーチャお兄ちゃんは父殺しで泥棒で二股かけて人のお金を使い込む男と評価されたのだ。死刑がないので、求刑はシベリアの炭鉱で20年の労働。
    ミーチャお兄ちゃんは純粋で正直で直情型で世間の本当の厳しさを知らなくて誇り高い。彼のような人がシベリアの炭鉱でただの強盗や詐欺師たちと一緒にいられるのだろうか?

    ❐イワン・フョードロウィチ・カラマーゾフ(愛称ワーネチカ。あまり呼ばれないけど)
     フョードルお父ちゃんの次男。頭脳派…だが考えすぎで錯乱状態。
    実はミーチャお兄ちゃんのことを軽蔑していて、ミーチャお兄ちゃんを知る人物で、フョードルお父ちゃん殺人犯人だと最初から信じたのは彼だけだったらしい。
    それでもイワンお兄ちゃんはこの殺人には自分自身に罪があると思っていた。
    スメルジャコフくんを問い詰め、殺人を告白させた!と思ったのだが、悩みは増すばかり。
    ミーチャお兄ちゃんの元婚約者カテリーナさんとは実は相思相愛なのだが素直に受け取れない。
    脳がパンクして悪魔氏とおしゃべりするようになり、本来は信頼しているアリョーシャくんのことさえ避けている。
    そして罪悪感のあまりにミーチャお兄ちゃんをアメリカに脱出させる計画をたてるのだ。
    裁判に出てきてスメルジャコフと自分の罪とを語るのだが、あまりにも支離滅裂だったためにむしろミーチャお兄ちゃんの破滅の道を作ることになる。
    このイワンお兄ちゃんの脱走計画は、カテリーナさんとアリョーシャくんに引き継がれ、ミーチャお兄ちゃんの唯一の希望となって残るのだ。
    スメルジャコフによると「大旦那様に一番性格が似ているのはイワン様」ということ。

    ❐アレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフ(愛称アリョーシャ)
     フョードルお父ちゃんの三男。
    フョードルお父ちゃんを殺した犯人をスメルジャコフだと確信している。
    もともと人々から共感を得ていたので、裁判でも彼の言葉はミーチャお兄ちゃんを有利にさせるかと思えた。
    裁判の後でも、ミーチャお兄ちゃんの心身を救おうとしたり、人々の間を繋ごうとしたりしている。
    アリョーシャくんはミーチャお兄ちゃんに伝える。「ミーチャお兄ちゃんはフョードルお父さんを殺していないのだから、十字架は必要ないし、心構えもできていないでしょう?ミーチャお兄ちゃんは苦しみにより新たな人間を生み出したんだ。この先どこに行こうと、その人間のことを覚えていればそれでいいんだよ。どこにいっても、それはミーチャお兄ちゃんの復活の助けになるよ」
    アリョーシャくんの言葉と気持ちは真っすぐで迷いがない。優しいがか弱くはなく、人々から信頼されるのは、彼がしっかり自分を持っているからだろう。

    ❐スメルジャコフ
     フョードルお父ちゃんの召使いだったが、実は私生児だと言われている。
    裁判ではスメルジャコフ論が論じられる。
    検事は、癲癇持ちで知能薄弱で臆病なのだがカラマーゾフ一家のでたらめな生活や、彼らの哲学神学に振り回された小心者だという。
    弁護士は、自分もカラマーゾフなのに召使いという立場を恨み、こんな立場にさせたロシアの農奴制度を恨み、疑い深く野心的で、社会に対してもカラマーゾフに対しても復讐心を持っているという。
     
    ❐悪魔氏
     最近イワンお兄ちゃんを訪ねてくるらしい。
    イワンお兄ちゃんは悩む。あいつは俺自身の嫌な面を具現化したかのようだ。あいつは俺が生み出した幻だ。だがそうだとすると俺は狡猾で卑劣なやつなのだろう。それならあいつが本当に存在していたならいいのに。「神がいなければ宇宙最強は人間だろ。だが神がいなければどうやって人間は善人になるんだい?どうやって人間同士を愛するんだい?ああ神の世界は素晴らしいねえ。わたしだって神を信じたくなるよ。だがわたしが神を信じたら神がなくなってしまうだろう?(※悪魔だから)」なんていうからますます混乱してしまう。
    アリョーシャくんは、悪魔の言葉は悪魔のものであってイワンお兄ちゃんのものではないよ、と告げるが、混乱したイワンお兄ちゃんには届かない。

    ❐カテリーナ・イワーノヴナ・ヴェルホフツェワ(愛称カーチャ)
     ミーチャお兄ちゃんの元婚約者。
    ミーチャお兄ちゃんがグルーシェニカちゃんを選んだので捨てられた立場なのだが、ミーチャお兄ちゃん裁判では自分が好奇の目に晒されることも厭わず無実を勝ち取るために証言台に立った。だが、イワンお兄ちゃんの狂乱を見たカテリーナさんは最初の証言を翻してミーチャお兄ちゃんを「親殺しの無頼漢」と糾弾する二度目の証言を行う。
    ミーチャお兄ちゃんの有罪を決定させたのは、このカテリーナさんの二度目の証言のためだった。
    裁判の後、まわりの評判も気にせずイワンお兄ちゃんを保護して看病するのはカテリーナさんだった。
    ミーチャお兄ちゃんのたっての願いで面会に行く。二人はまるで愛が続くかのような素振りを見せ、そして別れる。互いの心には互いが傷跡のように残り続ける。「愛は終わったわ」と宣言するが、だがその終わったことが、起きたということが、大切なのだ。彼らはどんな形であっても、互いを一生愛し続けるという言葉を交わし合い、別れる。(←居合わせたアリョーシャくんが、こういう場面に慣れていなくてどぎまぎする様子がちょっとかわいいのだが)

    ❐グルーシェニカ(本名アグラフェーナ・アレクサンドロヴナ・スヴェトロワ)
    なんだかんだあったけれど、ミーチャお兄ちゃんに愛を誓った。その直後にミーチャお兄ちゃんは逮捕されてしまった。だから付きそうと誓った。
    ミーチャお兄ちゃんの逮捕でグルーシェニカちゃんは強く美しくなった。だが同時にミーチャお兄ちゃんの敵に対しての攻撃性も激しくなった。

    ❐ラキーチン
     私は彼をアリョーシャの友人で神学生だと認識していたのだが、アリョーシャくんは彼とは別に親しくないと言っていた。私が上巻で読み間違えたか。
    下巻では、カラマーゾフ事件を利用して出世を目論んだり、上流階級未亡人に取り入ろうとしたり(※両方失敗した、良かった)、なんかゴシップ記者のようになっている。
    あっちこっちに顔出しなんでも知っていて弁も立つ。裁判の証人として立ったときにはロシアの市民制度や農奴制度についての熱弁を振るい各種喝采。
    …しかし、証言にあたり馬鹿にしていたグルーシェニカちゃんとは実は親族関係で、いままでも散々お金をたかっていたことがバレて笑い者に。

    ❐チェルノマーゾフ一家
    ・父ニコライ・チェルノマーゾフ 
    カラマーゾフ兄弟上巻で、ミーチャお兄ちゃんと一悶着があった元二等中尉。ヘチマに似た男と評される。人に馬鹿にされる人生だったため自ら道化師として振る舞っている。下巻では愛する息子のイリューシャが結核で死にかけていて、ニコライ父ちゃんは狂乱に陥っているのだ。
    ・母アリーナ・ペトローヴナ
    ・娘ワルワーラ・ニコラーエヴナ、ニーノチカ・二コラーエヴナ
    ・息子イリューシャ
     13歳。結核をこじらせて死の床にある事がわかった。
    イリューシャ少年は身体だけでなく精神も苦しんでいた。父親の騒動、同級生なかでも尊敬するコーリャ少年との確執、さらにはスメルジャコフに唆されて野良犬に対して酷いイタズラをしてしまったこと。(←スメルジャコフ!ここにもちょっかい出してたのか!)
    アリョーシャくんは、彼の学校友達を家に呼び寄せ、裁判の合間に最期まで彼に付き添い、友人たちにも彼を忘れないようにというのだった。

    ❐コーリャ(本名ニコライ・イワノフ・クラソートキン)
     役人の息子。
    下巻は13歳のコーリャ少年がアリョーシャくんと知り合うところから始まる。
    コーリャ少年は、チェルノマーゾフ家のイリューシャ少年の学校友達で、かなり大人びているというかこまっしゃくれているというか(笑)
    アリョーシャくんはコーリャ少年のことを「素晴らしい天性を持っているのに、変な考えで歪められているのが悲しい。物事を素直にみたり、自分のためでなく相手のためを考えられればもっと良くなるのに」と言う。そんなふうに自分を一人前扱いするアリョーシャくんを尊敬するようになる。
    なおコーリャ少年に変な考えを吹き込んだのはラキーチンのようだ。あんたここにもちょっかい出してたのか!

    ❐ホフラコワ夫人、娘リーザ(フランス風だとリーズ)
     上巻で、リーザちゃんは衝動に駆られてアリョーシャくんと可愛らしい婚約をしたんだが、どうやら衝動にかられてリーザちゃんから破談にしたらしい。でもアリョーシャくんはそんなリーザちゃんを気にして訪ねてきている。
    最近はイワンお兄ちゃんもリーザちゃんを訪ねてきているらしいが、支離滅裂さの影響を受けてしまっていて、自己破滅的な心境に陥っている。ちょっと心配だ。

    ❐フェチュコーウィチ
     ミーチャお兄ちゃんの遣り手弁護士。
    ❐イッポリート
     ミーチャお兄ちゃん裁判の検事。
    下巻終盤では、彼らの最終弁論が熱い!
    裁判は感動的な人間愛でなく、正義をロシアに轟かせようというイッポリート検事と、
    われわれはこの地上にしばらくの間しかいないのだから、良からぬことをではなく良い言葉を語り善い行いをしよう、というフェチュコーウィチ弁護士。

    ❐わたし
     「カラマーゾフの兄弟」の語り手。ミーチャお兄ちゃん裁判を傍聴していたらしい。結局あなたは何者だったんだ。

    【人間の二面性】
    下巻では人々の二面性が垣間見られる。
    裁判で顕になるのは、ミーチャお兄ちゃんの無邪気で高邁な性質と、下劣で卑怯な性質とを併せ持ったその複雑な精神。それはまさにカラマーゾフ的といわれるものだ。
    カテリーナさんは、自分の恥になることでも毅然として証言してミーチャお兄ちゃんを救おうとするのも彼女であり、しかしそのミーチャお兄ちゃんを「親殺しの卑劣漢」と糾弾するのも彼女だった。カテリーナさんは、生涯の最後の叫びとして言うような告白を魂をかけて叫ぶことのできる女性だったのだ。
    イワンお兄ちゃんは神を信じているのか、本当に信じられないのか。
    スメルジャコフは臆病な精神薄弱者なのか、深い恨みと野心でカラマーゾフと通してロシア社会とを破滅させたいと思っているのか。

    【アリョーシャくんの演説】
    下巻ラストは、亡くなったイリューシャ少年の葬儀の後に、アリョーシャくんから少年たちへの演説。
    イリューシャ少年のことを覚えていよう、彼の愛情、そして自分たちが彼の周りに集まったことを。
    自分たちが愛情を持ったことを思い出せば、その上に人生が作られるなら、この先何が起ころうと、大いなる悪から守ってくれるかもしれません。
    そして僕たちを善良な感情で結び付けてくれたイリューシャ少年のことを忘れないでいましょう。

    【続きは?】
    「カラマーゾフの兄弟」は二年間かけて完成させたという。
    …えーー、読みとるほうがもっと長く掛かるよ(笑)
    そして1860年代を舞台にしたここまでの話は第一部であり、本当はこの後1880年代を舞台にした第二部が書かれるはずだった。しかしドストエフスキー他界により叶わなかった。そのためドストエフスキーにとってこの段階での「カラマーゾフの兄弟」は未完となる。
    確かに、主人公と言われるアリョーシャくんがあまり主体ではないので(アリョーシャくんは、登場人物たちを繋げるような役割な気がする)、第二部で行動を起こし、この第一部はその行動の根拠となる話だったのだろうかとも思う。
    ミーチャお兄ちゃん脱走計画はどうなったのか?イワンお兄ちゃんは正気になったのか、ううん両方希望は薄いな(-_-;)
    最後の最後でアリョーシャくんを慕うコーリャたち少年がやたらに持論を述べていたので、彼らとアリョーシャくんはまた出てくるんだろう。
    もしかしたら、語り手とアリョーシャくんが直接会話するようなこともあったのかな。
    あとがきの解説によると、アリョーシャくんがグレてしまうようですが、この一部でゾシマ長老やアリョーシャくん自身の言葉を忘れなければ、真っ直ぐな途に戻れるのだと思うのだけれど。

    • hei5さん
      私は戦前の翻訳、訳者の名前は忘れましたが、図書館で借りる以外では一番のエコノミーコースで読了しました。
      いつか再読の機会を見つけたいと思って...
      私は戦前の翻訳、訳者の名前は忘れましたが、図書館で借りる以外では一番のエコノミーコースで読了しました。
      いつか再読の機会を見つけたいと思っておりますが、
      時が来たら、あなた様のあらすじ書きはとても役立ちそうです。
      2024/01/02
    • 淳水堂さん
      hei5さん

      フョードル父ちゃんになりたいとは、まさにカラマーゾフとしての生き方、「カラマーゾフ万歳!」ですね!
      レビューお役にたて...
      hei5さん

      フョードル父ちゃんになりたいとは、まさにカラマーゾフとしての生き方、「カラマーゾフ万歳!」ですね!
      レビューお役にたてるなら嬉しいです(^^)
      2024/01/02
  • 神とは、善と悪、罪への向き合い方、人を赦すこと、愛とは何か、そして家族や友人、恋人との関係などの本質が描かれています。
    こんなに長い小説を読むのは初めてで、読み終わるまで2ヶ月くらいかかりました!
    アリョーシャが好きです。

  • 泣けました。

  • 「カラマーゾフの兄弟を読破した側人間になりたい」というだけの極めて不純な動機で読み始めた本作だったがその初期衝動だけでこれだけの大著を読み通せるわけがない。単に面白かったから読んだ、それだけのこと。
    不死がなければ善行もない、ゾシマ長老の説法、大審問官、フョードルとドミートリィの確執、スメルジャコフとイワンの不思議な絆、フョードルの死をめぐるミステリー、ドミートリィとカテリーナ、グルーシェニカの三角関係、少年たちとアリョーシャの掛け合い、法廷での危機迫る証言、検事と弁護士の白熱の舌戦。これら全てが単独のテーマとして10本の小説が書かれていてもおかしくはない。まさに総合小説。
    キリスト教のあり方をテーマとして扱っている点が現代を生きる日本人には馴染みにくいとされがちだがそんなことは全くないと感じた。同じ宗教を信仰していない分、切実さが少し異なるだけでドストエフスキーのメッセージはひしひしと伝わってくる。信仰の対象を持っていようといまいと罪を携えて神の前に立つ人間の心中がどうあるかをこの小説を読むことで追体験できる。
    エピローグのアリョーシャが子供たちにかけた言葉には思わず涙がこぼれた。少年時代から大切に保たれた神聖な思い出をたくさん集めて人生を作り上げればその人は救われる。今この瞬間の素晴らしい出来事がずっと続くことなんてあり得ない。でも、大切に取っておいた思い出のひとつひとつが優しく、同時に強く燃える炎となってその人の心を温めてくれる。

    結論。世の中には二種類の人間がいる。『カラマーゾフの兄弟』を読破したことのある人と、読破したことのない人だ。

  • やっと読み終えることができました。
    もう、読了至福の満腹感でみたされています。
    上中下と長い時間かけて読んでいたので、ページ数が少なくなってくると、だんだん寂しくなり…カラマーゾフ三兄弟に、もう会えなくなるという気持ちにさえなりました。(再読すればいいのだけど)

    下巻のクライマックスは長男ミーチャの父親殺しの嫌疑による裁判。
    検事のイッポリートと弁護人のフェチュコーウィチの論告対決が、ストーリー内の聴衆とともに私も左右されてしまったり、拍手を送ってしまいそうになったりと、すっかり傍聴気分でした。

    判決は、あぁ、やっぱりそうなってしまったかの結果だったけど、それでもミーチャは愛するグルーシェニカとの今後への想いがエピローグで語られていて、カラマーゾフ的情熱には参りました。

    しばらくは良い意味でドストは読めそうにありません。
    来年になったら別の作品にチャレンジしたいです。
    (本日は平成27年12月15日)

  •  読んでる途中から忙しくなって結局かなり時間がかかってしまった。長編だからか登場人物に感情移入しすぎて、途中から読んでて辛くて、何度も溜息をつきながら読んでた。でも、いろんな要素が詰まってるし、内容も引き込まれるし、本当に読んでよかった本。第二部があったら、また全然違うメッセージ性があったんだろうな。
     
     イワンが「信仰はない、愛なんて分からない、全ては許されるんだ、合理性を求めるべきだ」って思ってたはずなのに、絶望の中で愛に背けず、愛故に自らを破滅させた部分が刺さった。大審問官を聞いたアリョーシャが「兄さんもその老人と一緒なんでしょ?」って言ってたこととか、イワンがアリョーシャに「どうしたら身近なものを愛せるか分からないんだ」って言ってたこととか思い出した。そんなこと言ってても、最後には愛とか良心とか神とか強く持ってるのがイワンなんだなぁと。
     イワンの愛は、自らが罪を背負おうとしすぎてて、罪の所在の真実からは遠ざかってるなと思うけど。カテリーナの愛も、真実とは遠い効果を生み出すものだった。愛による行動が、真実を遠ざけることが往々にしてあるものだなと思った。人間は絶望の淵で本当の愛に気づくことが多いし、絶望的な状況であるが故に決定的な影響を及ぼしてしまうのだなと。

     イッポリートの真相解説は、中巻で読者が、ミーチャが犯人だと仮定したときに考えるであろうこととかなり近いと思う。それを、既に読者が真実を知っている状況で、しかもミーチャの運命を決める裁判の場面で、検察側の主張として並べ立てるのは、「お前らだって前はこう考えていたんだろう?」って言ってるみたい。

     裁判の件を読んで、人の内面を全て理解するなんて不可能だし、それをはき違えて、何かを狂わせることが多々あると、強く思った。裁判という場では、堂々と他人の行動や言動の内面的理由を並べ立てることが、正当化される。第三者は、推測でしかないのに、あたかも真実であるかのように話す。それを当然の権利としている。推測が合理的に思える話であればあるほど、間違っていた時にタチが悪い。心理学は両刃の刀っていうのに共感した。真実であったとしても、人の内面を第三者がまくし立てることを正当化するなんて、裁判にかけられてる人間を侮辱しているように私には思えるけど。真実が無罪であるなら尚更。冤罪を免れるには仕方ないとはいえ、そもそも罪がないのに何故引っ掻き回されなきゃいけないんだ、っていう。
     「なぜ我々は自分の想像通りに仮定し、仮定した通りに想像しなければならないのか。」っていう言葉も印象的。先入観に左右されるものだよな。
     あとこの裁判みたいに、なんの根拠も見つからなくて訳が分からなくなったら、信じたい方を信じるだけで根拠も正義もありはしないなと思う。

     ミーチャの「人は誰しも罪を持っている。」の件も結構共感できる。不条理を生む社会の仕組みを黙認せざるを得なかったり、抗議しようにも無力さを抱えていたり。だから不条理を被る人に対して罪がある。常に意識してたら精神的に辛いだけだと思うけど、何事に対しても謙虚さを持とうっていう精神は大事だよなと思った。

     何を考えても結局、根本で信仰にぶちあたる。この本では神を信じない=信念がないとみなしている気がしたけど、この本で本当に大事にしている信仰の根幹と無宗教の人々が各々で持つ信念は同じだと思う。何を考えるにしてもその人がもつ信念とか、人はどう信念を持つべきかっていう議論になる気がしちゃう。永遠の議題。

     カラマーゾフ的というのが崇高な心と卑劣な心の両極を顕著に持ち合わせているということなら、多くの人間に当てはまるものだよな、と思う。

     最後の場面でのアリョーシャと子供達の会話に、メッセージ性を感じるなぁ。あれで締めくくるなんて、予想とは全然違かった。ドストエフスキーの温かい部分が感じられる終わり方だなぁと思う。

  • 中巻の後半からおもしろさが増してきたので、下巻を一気に読み終えてしまった。カラマーゾフの兄弟は本当に名作だ。久しぶりにこういったいい本を読んだ。
    カラマーゾフ家の、金の亡者で道化者の父親フョードルや愛に愚直な長男ドミートリイや頭脳明晰で思想家の次男や善良な修道僧の三男アリョーシャという設定が絶妙によかった。父親と長男がキチガイじみた行為をしているところを、無神論者のイワンと信仰心あふれるアリョーシャが冷静な視点で見ている風なんだけど、そこは神を信じている者と信じていない者による視点の相違もまたおもしろい。それにしてもアリョーシャを見ていると、イワンのようにどれだけ頭脳明晰であろうとも真実のみを語る善良さとは何て素晴らしいんだと思う。この本を見ると、人間てアリョーシャのようになるべきだなと思い、自分を省みてしまう。ただアリョーシャの善良さというものは、信仰心に起因しているので、やはり宗教というのは非常に重要な概念なんだとも思った。宗教でいうと神は存在するかというように、この小説は要所要所で宗教についてのシーンが出てくるけど、基本的にイエズス会を冷笑している節があって、ロシア正教とイエズス会ってそんな違うんだということもわからない日本人な自分を見ると、宗教についてもっと学んだ方がよいと思った。
    キチガイの父親や長男や冷静な次男も全員アリョーシャを好きだし信頼しているところを見ると、すべては善良さによって得られたものだと思う。
    ストーリー的には、この下巻は裁判でのやり取りがメインになっているのだけれど、検事の発言内容は読んでいてイラっとした。逆にドミートリイを弁護する側の弁護士の発言は裁判所に来ていた聴衆者と同様自分も感嘆するところがあった。あと証人喚問で発言したカテリーナにもイラっとしたというか、カテリーナの恋愛脳が見ていてムカつく(笑)最初の発言と、イワンをかばうために急に出た発言の内容の真逆さが本当に呆れてしまった。グルーシェニカの方がよっぽどいい女なのに、カテリーナに売女よばわりまでされてかわいそう(笑)裁判の判決が結局望んでいたものではなかったけど、ストーリーとしてはおもしろいから正直どちらでもよかった。
    とりあえずスメルジャコフって本当悪い奴だね(笑)
    下巻の最初が、上巻でいじめられていた子供といじめていた子供がアリョーシャを介して仲直りしている話から入って、途中でこの話いるのかと思ったけど、最後のアリョーシャと子供たちのシーンが非常に重要で、確実に必要だったなと思った。というかこういった殺人事件が起きて、裁判が行われ、判決が下された後で、子供たちとアリョーシャで自分たちも将来悪い大人になるかもしれない、ただ善良だった頃の思い出が将来悪い行いを躊躇させる手段になりえるというような会話が非常に感動した。アリョーシャは本当に素晴らしい人格者だし、このストーリーに欠かせない存在だ。ただ、こういった善良さから現代人は非常に乖離している気がして、なんてくだらない価値観や争いに毒されているんだろうと少し感傷に浸った。また、この本を読む上で自分はなんておっさんなんだろうと思った。こういった本は、若い時こそ読むべきだと思う。34歳のおっさんより

  • 通勤電車でちまちまと読み進め、上巻から半年くらいかけて読み終わった。取り掛かっている時間が長かっただけに、読み終えた際の喪失感も一入だった。
    半年近くかけて読んでも面白さが持続する長編小説、なんていうのはそう多くないのではないか。小説は時間をかければかけるほど、感情の揺さぶりが希釈され、感動が小さくなるものだと思っている。だから、時間をかけると飽きとの戦いになったり、話の粗探しを始めたりしてしまう。しかしながら、この本に関していえば、感情の揺さぶりが薄まってもなお十分なパワーを持っている。半年の間、この話を読んでいて退屈な時間は少しもなかった。
    ひとつの長編小説としてもすばらしいけれど、場面場面を切り取っても、それぞれが完全なものとなっており、短い話の寄せ集めとして見たとしても、すべてが面白い。というか、細部が完全だからこそ、その総体としての一個の長編小説が、まったく間伸びしたところのない素晴らしいものになっている、ということかもしれない。
    その長さや、ドストエフスキー特有の、捲し立てるような文章の熱量から、勢いでどんどん読み進めてしまいそうなものだけれど、毎朝通勤電車の10分くらいの時間でゆっくりちまちま読む、というのもありだと思う。

  • 言葉は偉大だ。発する事で他者に想いを述べられる。逆に発しない事で魂の矜持を誇示できる。貴方にだけは届く。それだけを信じて苛烈な運命に立ち向かい、狂い、絶叫し、胸を張る誇り高き人生達が、私の胸を掻きむしった。強く生きようと誓った。

著者プロフィール

(Fyodor Mikhaylovich Dostoevskiy)1821年モスクワ生まれ。19世紀ロシアを代表する作家。主な長篇に『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』『悪霊』『未成年』があり、『白痴』とともに5大小説とされる。ほかに『地下室の手記』『死の家の記録』など。

「2010年 『白痴 3』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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