カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)

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制作 : 原 卓也 
  • 新潮社 (1978年7月20日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (680ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102010129

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有効な左矢印 無効な左矢印
三島 由紀夫
ドストエフスキー
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カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

  • ついに読んだ。
    実に2週間ほどかかって、やっとこさ読了いたしました。疲れた~。

    昨年2013年の目標として、『月に1作品、文豪といわれるような人が書いた古典文学を読もう』と思い立ち、はや一年。
    太宰治の「人間失格」から始まって、奇数月は日本の偶数月は海外の作品を手に取ってきました。
    最後の12月は絶対ドストエフスキーにしようと、「カラマーゾフの兄弟」にしようと心に決めていたのです。

    それにしても長いし難しいし、本編より周辺の話ばかりで、上巻は結構つらかったです。
    正直字面追ってるだけで頭に入ってこなかった。
    中巻に入って、ようやくお父さんが殺されるという事件が起きて、そこからは面白かったです。
    いちいち長くて、本筋に関係ないところを削ったら、もっと分かりやすくて読みやすい本になるんだけど、その関係ないところこそが、「カラマーゾフ」が文学史に燦然と輝く作品であるところなのかな、という気はしました。
    宗教観とかはよく分かんない部分も多かったけど、下巻のはじめと終わりの子どもたちの話はよかった。
    本筋のところも、現代みたいに科学捜査ができない分、心理的な分析や想像がスリリングでした。
    それぞれ、冷徹な心や侮蔑な態度や、それでいて良心の呵責やら脆いところがあって、翻弄されますね。

    ラストは唐突なんだけど、どうやら続きがあったみたい。
    けっきょくアリョーシャが本作の主人公ってとこが、強引な感じになっちゃうもんね。

    それにしても、とりあえず読んだということだけで、私は満足です。
    これからもたまにはこういう文学作品読んでいきたい。

  • やっと読み終えることができました。
    もう、読了至福の満腹感でみたされています。
    上中下と長い時間かけて読んでいたので、ページ数が少なくなってくると、だんだん寂しくなり…カラマーゾフ三兄弟に、もう会えなくなるという気持ちにさえなりました。(再読すればいいのだけど)

    下巻のクライマックスは長男ミーチャの父親殺しの嫌疑による裁判。
    検事のイッポリートと弁護人のフェチュコーウィチの論告対決が、ストーリー内の聴衆とともに私も左右されてしまったり、拍手を送ってしまいそうになったりと、すっかり傍聴気分でした。

    判決は、あぁ、やっぱりそうなってしまったかの結果だったけど、それでもミーチャは愛するグルーシェニカとの今後への想いがエピローグで語られていて、カラマーゾフ的情熱には参りました。

    しばらくは良い意味でドストは読めそうにありません。
    来年になったら別の作品にチャレンジしたいです。
    (本日は平成27年12月15日)

  • 中巻の後半からおもしろさが増してきたので、下巻を一気に読み終えてしまった。カラマーゾフの兄弟は本当に名作だ。久しぶりにこういったいい本を読んだ。
    カラマーゾフ家の、金の亡者で道化者の父親フョードルや愛に愚直な長男ドミートリイや頭脳明晰で思想家の次男や善良な修道僧の三男アリョーシャという設定が絶妙によかった。父親と長男がキチガイじみた行為をしているところを、無神論者のイワンと信仰心あふれるアリョーシャが冷静な視点で見ている風なんだけど、そこは神を信じている者と信じていない者による視点の相違もまたおもしろい。それにしてもアリョーシャを見ていると、イワンのようにどれだけ頭脳明晰であろうとも真実のみを語る善良さとは何て素晴らしいんだと思う。この本を見ると、人間てアリョーシャのようになるべきだなと思い、自分を省みてしまう。ただアリョーシャの善良さというものは、信仰心に起因しているので、やはり宗教というのは非常に重要な概念なんだとも思った。宗教でいうと神は存在するかというように、この小説は要所要所で宗教についてのシーンが出てくるけど、基本的にイエズス会を冷笑している節があって、ロシア正教とイエズス会ってそんな違うんだということもわからない日本人な自分を見ると、宗教についてもっと学んだ方がよいと思った。
    キチガイの父親や長男や冷静な次男も全員アリョーシャを好きだし信頼しているところを見ると、すべては善良さによって得られたものだと思う。
    ストーリー的には、この下巻は裁判でのやり取りがメインになっているのだけれど、検事の発言内容は読んでいてイラっとした。逆にドミートリイを弁護する側の弁護士の発言は裁判所に来ていた聴衆者と同様自分も感嘆するところがあった。あと証人喚問で発言したカテリーナにもイラっとしたというか、カテリーナの恋愛脳が見ていてムカつく(笑)最初の発言と、イワンをかばうために急に出た発言の内容の真逆さが本当に呆れてしまった。グルーシェニカの方がよっぽどいい女なのに、カテリーナに売女よばわりまでされてかわいそう(笑)裁判の判決が結局望んでいたものではなかったけど、ストーリーとしてはおもしろいから正直どちらでもよかった。
    とりあえずスメルジャコフって本当悪い奴だね(笑)
    下巻の最初が、上巻でいじめられていた子供といじめていた子供がアリョーシャを介して仲直りしている話から入って、途中でこの話いるのかと思ったけど、最後のアリョーシャと子供たちのシーンが非常に重要で、確実に必要だったなと思った。というかこういった殺人事件が起きて、裁判が行われ、判決が下された後で、子供たちとアリョーシャで自分たちも将来悪い大人になるかもしれない、ただ善良だった頃の思い出が将来悪い行いを躊躇させる手段になりえるというような会話が非常に感動した。アリョーシャは本当に素晴らしい人格者だし、このストーリーに欠かせない存在だ。ただ、こういった善良さから現代人は非常に乖離している気がして、なんてくだらない価値観や争いに毒されているんだろうと少し感傷に浸った。また、この本を読む上で自分はなんておっさんなんだろうと思った。こういった本は、若い時こそ読むべきだと思う。34歳のおっさんより

  • (01)
    解法をほぼ無限に有する傑作なテクストで、テーマとモチーフ、ドラマとロマンス、エピソードとアレゴリー、ミステリーとヒストリー、コミカルとシニカル、どうつまんでもおいしいのが本書である。
    さしあたり人物の魅力ということなら、兄弟の主人公たちはともかく、いつも泣いたりへらついたりしているけれど漢(おとこ、そして無頼漢)な一瞬がキラキラしているスネギリョフ、悪意のない虚言で煙に巻きなんだかコロコロしている住所不定のマクシーモフ、カテリーナやリーザへと達する兄弟の恋路にいつも関門の様に立ちはだかりしかし自分の恋路にはキチンと段取りを踏むホフラコワ夫人などなど、登場するたびにしでかしてくれそうで嬉しくなる人物にも事欠かない。
    沸騰し狂騒し罵声する声たちがありとあらゆる場面で登場(*02)し、それはポリフォニーとも評されるが、情景を口やかましく彩る様を読んで見つめるとき、読書することの幸福を感じるとともに、発せられ読者に読まれてしまった、声、セリフ、一句、一語、それらのいちいちが、登場人物ではないかという眩暈にあてられてしまう。その意味で無限の解法がここにある。

    (02)
    場に登り、場に発せられたものは何なのか、という前にそのものがどこから生まれたかを考えてみたい。
    セリフの過剰に隠れてはいるが、地の文として目に飛び込んできて印象的なのは、口づけと笑いである。口づけの多様と作用、笑いの矛盾と唐突には、いつもいつも驚かされる。このキスとラフは、口の方法と形であって、長広舌を補いつつ、饒舌に対しての反射の様に現れる。
    この口、人間の顔面の下部を占め、食べると飲むに欠かせない機関として働き、言語の様な意味から悲鳴の様な無意味までの音声を発し、臭い息やスカトロジーなどに暴露され機関的な意味での内面の昇降口ともなる、口が問題の端緒でもある。
    目の描写についても冴えをを見せており、太陽が映りこむ水玉などのアレゴリーも豊富ではあるが、本書においてやはり問題となるのは、顔の穴としての口腔ということになるだろう。それは人格の欠格にも対応する。スメルジャコフが向かったのが料理であったこと、その名が放つ異臭は、ゾシマ長老の腐臭とも共鳴しあうこと、これら悪臭の避けられなさは鼻孔という穴に由来している。
    もちろん、19世紀ロシアはヨーロッパの先進性に対し後進性を見せており、その後進は、著者によって、ロシア性、カラマーゾフ性などとしてからかわれながらも引き合いに出され、批評にさらされた。つまりは文明の突出に対するヘコみとしてのロシアであり、大陸的な穴や欠損が卑しくも意識されていた時代であることは見逃せない。
    また、ミーチャの蕩尽は痛快であるが、読者は、それぜったいだめ、という世話焼きな半鐘を鳴らす一方で、頁を隔てた向こう側で使われるルーブル(*03)は読者の財産ではないため、どんどん使っちゃえ、という焚き付けに加担もしている。このミーチャの行動は、ポトラッチとして理解される。つまり、蕩尽による名誉の保全であり、近代的には人格的な欠損を金で補い、箔を付ける実践として理解される。穴埋めというなら正しくその通りであり、彼はいつも埋めなければと切迫している穴を(好んで?)抱えている。
    地獄や悪魔は穴の内容であり、ヒステリーやアフェクトは穴の修繕あり、扉や封筒は穴の容態であった。口、穴あるいは孔のアレゴリーには事欠かないが、ミステリーの肝となる、誰がフョードルを殺したか、という穴はエピローグの円団の時点でどのように満たされたであろうか。
    本書の卓抜は、この作劇上の要点となる犯人は誰という穴に、神の不在というという問いを掛け合わせた点にある。やったのかやらなかったのか、いたのかいないのか、いるのかいないのか、曖昧をさまよう譫妄状態(*04)や、不問に付される... 続きを読む

  • ロシアの巨匠の超大作、ドス兄のカラ兄をついに読了しました。
    長かった・・・笑

    序盤はなんせ19世紀ロシアの時代背景についていけずに苦労した。どんだけ接吻するねんこの人達、みたいな。さらに登場人物大量発生(しかもドミートリイって言ったりミーチャって言ったり呼び方変わりまくり)なので上巻はひたすら混乱。

    解説文によると、本書の中心となる話はフョードルの死と長男ドミートリイの殺人容疑の件らしいのですが
    イワンの叙事詩(大審問官といって有名らしい)、ゾシマ長老の生い立ち、そしてゾシマ長老死後の民衆の動揺など
    脇道に逸れた各人のエピソードが秀逸で、それだけで一篇の小説が書けるレベル。

    特に大審問官の話には喰らった。
    視点が面白いし、大審問官、キリスト、民衆、それぞれの動きにいちいち引き寄せられた。

    いろいろ思うところはあったんですがペラい感想文にしかならないのでこのへんで。
    この夏は西洋文学祭にするつもりやったんですが、この3冊で夏が終わってしまいました

  • 「カラマーゾフ万歳!」最後の少年たちの叫びに、共鳴する思いがした。
    何が真実で何が嘘なのか、饒舌には要注意だと検事の論で頭を冷やされた私なのに、弁護士の論がミーチャの味方だったばかりに彼の論に拍手をしかねなかった。
    それに比べて「…この点だけは弁護士の言ったとおりです。」と兄に言うアリョーシャは他人の饒舌に全く揺るがない。それは単に彼が強く信じる他の何ものかを見つけていたからだ。自分に見える真実とは信念のことに他ならないことを強く感じた。(私がミーチャの無罪を主張するばかりに弁護士の論を全面的に支持してしまったように)
    イワンのように真実を見極めようとする人間は自分が何を信じ、何を信じないのかで苦悩する。
    人間は見たいものを見て、信じるものを真実だと思い込む。つまり信念とは真実そのものなのだとしたら、私は何を信じるのか?どんな世界に生きたいのか?
    純粋な3人兄弟に幸あれ。

    追伸
    純粋に信じてしまうことの危うさは?
    信じる人は救われるというのは当人が当人の信念によって揺るがないというだけの話で、信念が強ければ強いほどその人は自分の生きる道が鮮明になり、救われるだろうが、その人の外部に位置する人にとっては全く違うのでは?
    つまり、信じるものを真実にしてしまうのではなく、目の前の真実に見えるものはちっぽけな自分が信じているものに過ぎないことを自覚し、自分の世界にひび割れをいれておかないと、他人の痛みや意見を排除してしまうのではないか。
    信じるものは救われるかもしれないが、イワンのような生き方もまた素晴らしいんじゃないのか?

  • エッセイ出せば良かったんでない?とも思えたがまあ満足。登場人物の狂いっぷりや長所と短所を交えた表現を奇妙なものとみなしていたが、間を短縮しているだけで人間こんなものだな、と思った。

  • 終わったあああ!これをつまらないということが知性欠如の証であろうと、面白いとはえいない。でも読んで無駄だったとは思わない。キリスト教徒は悩むのが好きだな。ロシア人は饒舌だな。私は速読ができるんだな。「水源」の裁判シーンは耐えられるんだけどな。
    誕生日にこの作品から解放されたのはうれしいな!

  • 世界は対立する2つの要素で分類できる。賛成派と反対派、タカ派とハト派、大人と子ども、男と女。私は二元論で物事を考えることは好きではないけれど、この本を読み終わった時はさすがにこう思った。
    「世の中は『カラマーゾフの兄弟』を読んだ人と読んでいない人で構成されている」と。

    精緻で綿密な心理分析とその描写、大勢の登場人物それぞれのキャラクター設定の複雑さ、ストーリーの本流と派生話とのバランスと象徴性の面白さ、もうすべてが一級品です。
    上中下巻のそれぞれが670ページ前後あり、しかもそのほとんどのページが文字で埋まって真っ黒です。文章も固く、読みづらいのは否定できません。でも、努力すれば報われるほどの、いやそれを上回るほどの、大きな感動があります。
    海外文学が好きで、時間に余裕があって、忍耐力に自信のある方はぜひ、上巻の8合目まで我慢して読んでみてください。きっと虜になると思います。

    今回は腕試しの一回目。とりあえずスメルジャコフが忌々しくて、カテリーナが憎い。。ミーチャとグルーシェニカにはもっとうまく生きろと嘆き、イワンよもっと強くなれと願う。アリョーシャはこの作品の中の良心で神々しい限り。。次回読むときは、もっと内容を掘り下げていきたいです。

  • ドミートリィの裁判が始まる。イワン・カーチャ・グルシェーニシカの鍵を握る面々は己の中で良心と悪魔とを戦わせながら、それぞれの証言を行う。
    スメルジャコフの暗躍によって真実は違った方向へ進み、ミーチャの有罪は確定してしまう。ただそれでもミーチャの「高潔」な感情が失われることはなかった・・・。

    ついに完結です。だがドストエフスキーはこれを二部構成としていたので、完結ではありません。あとがきに逆らうことになりますが続きを期待させる終わり方だと思いました。これを書き終えた三ヵ月後にドストエフスキーは亡くなったそうです。カジポンさんじゃないですが自分が死んだら是非続きを聞きにいきたいッ!!

    謎が多い、もしくは伏線の回収に留まった下巻という印象を受けました。なぜスメルジャコフは自殺したのか、そもそもなぜイワンに独白したのか?など疑問が残ります。
    また思想的な面では上巻の「大審問官」や中巻のゾシマ長老の伝記に多く表されていると思います。もちろん下巻でも弁護士の弁論に当時の現代ロシア的な問題が多く語られていたのでないわけではありませんが、ドストエフスキーの根幹的な思想となるとこの巻では発見しづらいと思いました。

    ただこの作品が人類の遺産となりうる傑作であることは間違いありません。是非読んでいただきたい。いや、むしろ読め。読まないと人生を損している、こう言っても全く差し支えない作品です。

  • 検事イッポリートと弁護士フェチュコーヴィチの対決。「全体の状況を見ると被告が有罪としか思えない。しかし、個々の証拠を精査すると決定的な事実は何一つ出てこない。」
    この部分だけを法廷劇として切り取っても凡百の小説より遥かに面白い。

    秩序とは、家庭とは、刑罰とは、良心とは。それぞれのテーマについて検事と弁護士が持論を展開し、聴衆に訴える。ディベートの手本になる題材とも言える。

    前半、リアル中二、コーリャの青臭い生意気さにイラっとさせられるが、そのあと読み進めて、中二病が完治していないイワンが、悪夢で昔の黒歴史を暴露されて恥ずかしさで死にそうになるシーンには苦笑してしまった。

    再読してよかった。

  • 裁判の検事と弁護士のやりとりはすさまじかった。彼らの主張がほとんど綺麗に対になっているのが、彼らには明らかになってない幾つかの事象に対する解釈の違いのせいだすると、たとえばスメルジャコフの告白を記した語り手とはどういう立場なのか、が気になる。

  • 最後の場面でのアリョーシャの演説が良かった。最後の裁判の場面はこれまでのストーリーの復習みたいになっていて読みやすかった。

  • 2017年1月31日読了。
    裁判の描き方異常じゃない?
    これを書けるのは凄いし、ラストは未完とは思えない完璧さ。

  •  話しの流れとしては「父親殺しで長兄が逮捕、本人は犯行を否定する。異母兄弟スメルジャコフが真犯人だと主張、スメルジャコフは犯行を匂わせる遺書を残して自殺する。次兄のイワンはスメルジャコフから預かった、犯行の時に強奪された金を持ってる。三男のアレクセイは、長兄が犯人でないと主張するが、元長兄の婚約者が殺しを決定付ける書類を持って証言」・・・で、犯人はだれ?・・・そこでネットで検索(ここまでの流れも確認のためネット検索)回答として「第十一篇 第八において、スメルジャコフがイワンに、犯行を自白している」ということらしい。
    参照URL:https://oshiete.goo.ne.jp/qa/901974.html

     素直に面白かったと言えないのはわたしの学のなさなのか?この小説を面白と感じる感性がないのか?

  • おもしろい。奇人変人オンパレードだけど、カテリーナが比較的理解出来るか。登場人物はとにかくみんなよく喋る。イワンと弁護士の弁論は圧巻。結末は意外といえば意外だった。もし逆の結末だったら、文学的評価は違ったのだろうか?
    続編が読みたかった。

  • とりあえず読破という感じだ。
    キリスト教の根幹を私達日本人は感じることは不可能な点で、この小説の根幹を感じることは不可能。そう感じた方が私たちは救われる。
    まず登場人物の相関関係と登場人物の呼称などを把握することから始まる。
    父親とドミートリーの愛する女性に対するベクトルが同じだという点。またイワンの愛する女性に対するベクトルは一方通行。これにはイワンはドミートリーへの歪んだ思考ゆえの一方通行なベクトルだったのかもしれない。三男はベクトルとは違う次元に生きている。

  • (2017.03.11読了)(2000.08.11購入)(1991.01.25・26刷)
    下巻を読み始めました。
    ドミートリイの裁判が始まるのかと思っていたら、第十編は、少年たちでした。上巻の第四編の続きのようです。
    第十編の途中まで、何の話が始まったのか? という感じでした。いじめに遭っていた子供を、いじめていた子供たちが見舞う話になっています。
    アンドレイが仲立ちをしたようです。この話はどこかでまた続きがある?

    やっと第十一編兄イワンを読み終わりました。
    イワンが旅先から戻って、ドミートリイにあったりアンドレイにあったり、スメルジャコフにあったりして情報収集をしています。悪魔まで登場しています。
    その中で、大変な事実がわかりました。でもその情報源が消えたので、どうなるのでしょう。
    ドミートリイは、無実を主張していますが、シベリア行きは覚悟しています。グルーシェニカは、ついてゆくのでしょうか。

    第十二編誤審を読み終わりました。
    法廷での裁判の様子が記されています。証人たちの証言で、ドミートリイに有利なのも不利なのもありますが、イワンとグルーシェニカとカテリーナが修羅場を演じています。譫妄症やらヒステリーやら凄まじいですね。
    最後に検察官と弁護人によるまとめがあって、陪審員による評決結果が告げられました。
    残るは、エピローグのみです。どうなるんでしょうか。

    エピローグと解説を読み終わりました。
    エピローグでは、アンドレイがドミートリイとカテリーナを和解させようとしています。人の心はなかなか定まらないようです。
    最後は、第十編の少年たちとアンドレイがまたしても登場して締めくくっています。
    『カラマーゾフの兄弟』は、未完という話もあるのですが、とりあえず完結しているようです。アンドレイを主人公にした続編が予定されていたということのようです。
    宿題の一つが片付きました。

    『罪と罰』と同様興味深い内容の物語と思います。宗教の世界、大人の世界、子どもの世界と物語は多岐にわたっています。三冊に分けてそれぞれの物語にしても十分読めそうです。
    一番読みたくないのは、大人の世界の部分でしょうね。お金が絡む話がいっぱい出てきますので。貴族の世界は、労働が主の世界ではないので、男と女のスキャンダルと相続をめぐる泥試合、お金を浪費するギャンブルやお酒を飲んでのどんちゃん騒ぎといったところなのでしょうか。悪魔の活躍する場はたくさんありそうですが、神の登場する余地はあまりなさそうです。
    裁判は、陪審員制となっているようですが、上告審はなさそうですね。

    【目次】
    第四部
    第十編 少年たち
    第十一編 兄イワン
    第十二編 誤審
    エピローグ
    解説  原卓也
    年譜  江川卓

    ☆ドストエフスキーの本(既読)
    「貧しき人々」ドストエフスキー著・原久一郎訳、岩波文庫、1931.02.28
    「罪と罰 上」ドストエフスキー著・米川正夫著、新潮文庫、1951.02.05
    「罪と罰 下」ドストエフスキー著・米川正夫著、新潮文庫、1951.02.25
    「地下生活者の手記」ドストエフスキー著・中村融著、角川文庫、1952.08.15
    「白夜」ドストエフスキー著・小沼文彦訳、角川文庫、1958.04.15
    「白痴(上)」ドストエフスキー著・木村浩訳、新潮文庫、1970.12.30
    「白痴(下)」ドストエフスキー著・木村浩訳、新潮文庫、1970.12.30
    「悪霊 上」ドストエフスキー著・江川卓著、新潮文庫、1971.11.30
    「悪霊 下」ドストエフスキー著・江川卓著、新潮文庫、1971.12.05
    「賭博者」ドストエフスキー著・原卓也訳、新潮文庫、1979.02.20
    「罪と罰(上)」ドストエフ... 続きを読む

  • ただ読了したのみ。
    主人公は、大審問官のくだりと悪魔との語らいのくだりの2点で圧倒的にイワンじゃないかな。面食らいましたもん。
    アレクセイは狂言廻し的かな。。。
    ドミートリイからはパンクを感じました。
    一番狂気を感じたのは、イワンとホフラコワ夫人との最後の会話かな。あれはヤバい。
    ゾシマ長老からの腐敗臭もかなり印象的。

  • ドストエフスキーの絶筆。人気である理由が納得できるし、熱狂のうちに読了した。

    『罪と罰』から『白痴』『悪霊』『未成年』と読み進めた今初めて、カラマーゾフ流の極端な心理の動揺や、ヒステリー以外に名づけようのない各階級の女性陣の書簡の真意が、自然と理解されるだけでなく、そのことが、そうでなければ再び重たかったであろう頁めくりを押し進めた。

    もっとも、そうでなければという仮定は小説の性格上あり得ない、小説とは人間のいくつもある側面のうちのごく一部をデフォルメして、そのキャラクターが経験する世界を描くものだから。逆に言えば、ドストエフスキーの後期長編は、定冠詞付きの小説だと言うことができる。

    ほとんどのことはすっと頭に入ったけれど、一つ疑問が残るとすれば、この物語の主人公は誰か、ということ。私はイワンに一票入れたいのですが、、、絶筆にならず、第2部まで書かれていれば、アリョーシャだったのかも知れない。

    また、トルストイと比較して異なる点として、明確に登場人物に裁きを与えている点が興味深い(それが誤審であることによって、本来的に人が人を裁けない、あるいはそもそも良心の裁きに対する優位性を説こうとしたのかもわからない)。

  • そして、結末。

  • 2016.8.1.読了とにかく長かった…。何かのエピソードが起こるたびに前哨戦の長いこと長いこと。そして、事件が起こるまでにほぼ上
    中巻を要し、覚悟していたが本当に忍耐を要する本だった。でも、とりあえず読み終えたということで満足感を覚えたが最後の終わり方…未完だったんですね?に中途半端に放り出されたような気分になった。

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カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)の作品紹介

父親殺しの嫌疑をかけられたドミートリイの裁判がはじまる。公判の進展をつうじて、ロシア社会の現実が明らかにされてゆくとともに、イワンの暗躍と、私生児スメルジャコフの登場によって、事件は意外な方向に発展し、緊迫のうちに結末を迎える。ドストエフスキーの没する直前まで書き続けられた本書は、有名な「大審問官」の章をはじめ、著者の世界観を集大成した巨編である。

カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)のKindle版

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