- Amazon.co.jp ・本 (307ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102451038
作品紹介・あらすじ
私の父は、52歳で離婚し、ニューアークの家で、ひとり孤独に死んでいった。父の死を伝え聞いた私は、15年ぶりに帰郷し、遺品の数々と対峙する。そこで、私は一冊のアルバムを見つけた。夥しい父の写真。私は曖昧な記憶をたどり始める。父の孤独な精神の闇。父の父(祖父)をめぐる不幸な殺人事件…。見えない父の実像を求めて苦闘する私。父子関係をめぐる著者の記念碑的作品。
感想・レビュー・書評
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今まで様々な本を読んできた。中でもこの本にであったことは、記念碑的な出来事だと感じる。
見えない人間の肖像
ポール・オースターの初期の作品だそうだが、彼が作家になろうとした過程で、まずは書くことで過去を生き返らせる方法を取る。
それは過去の記憶を、平行して過ぎていった自分の時間を、亡くなった父親を書くことで現在に手繰り寄せていく。
父親は意固地で頑固で、自分の周りに人を寄せつかない、なにか現実から浮き上がったような人だった、世間からはみ出さないだけの智恵はあり、心のこもらない言葉はすらすらと出てきた。経済的には豊かさを金で買うことが生活の一番の目標だった。不動産業で一時は成功した。世間的には、面倒見がよく先が読め人から親しまれている部分もあった。
三週間後遺品の整理中に、手もつけていないらしい一箱の写真を発見した。初めて父の過去と対面する。
父の生い立ちを見たとき、息子として暮らした生活の記憶や、父親の歴史が見えた。
様々なシーンから父親が閉じこもってきた、自分という囲いの中から生身の人間が見え、そして彼の中に潜んでいた孤独が感じられた。
いい息子ではなかったかもしれない、存在が消えたときになって、生きていたときの父親の世界の残されたもの、写真や記憶の中から、その魂が感じられた。
という様な、書くことで父を心に残しておく。
写真でなく父の生きてきた時間を通して、「父の孤独」が自分の心と響きあう。
この章は読んでいて悲しみに満ちてはいるが、父と息子の距離の取り方もいい、一人の人間の生きた軌跡を息子の目から見た記述が、心にしみる。
記憶の書
作家になろうと言う決意で何冊かの本を書きながら,言葉を使ってより深く、より正確に書く作業を進めている。
部屋に一人でいる作家の孤独といったことを繰り返し書いている。
優れた習作のようにも感じる。テーマは見出しのように記憶の書なのだが、記憶を辿りながら書くという文章でありながら、詩人から出発した作者の、散文詩のような記述とが特徴で、難解と言われた当時の現代詩につながる。時々の感性で選んだ表現で繋いでいく文章は特に個人的に共感できなければ難解に感じられるかもしれない。
サルトルが書いていた「詩人の言う風車は現実に回っている風車ではない」(本を探したが見つからないので曖昧な記述です)と言う言葉が実によく理解できる。
ただ 記憶の書その一から十三、最後の一章と結びは、テーマに呼び起こされた記憶が起点でそれからの展開であったり、ふんだんなメタファを膨らませるために、様々な文章の一節が使われている。これが面白い。
特に理解されなかった預言者のカッサンドラ、鯨の腹の中で未来に気づいたヨナと約束の地。彼がSというイニシャルで語る、過去の旅の出来事。
記憶に刻み付けている様々なイメージが言葉になって作品になる行程(結果としての作品)がみえる、正確に豊かに、深く深く掘り下げられていく。
面白い。ポール探索の書ともいえるが、書くことの孤独を見つめ、こうして「孤独」は発明されたということにも気がつく。
図書館で借りてきたが、購入して時々読み返すことにした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
作家はデビュー作の中にすべてが詰まっている、と言ったのは誰だったか。そのセオリーはこのポール・オースターのデビュー作にも言えることみたいだ。ユダヤ人であること、父との複雑な関係、貧乏暮らし、そして書くという「孤独の発明」……そういったテーマをこれでもかと生煮えのままぶつ切りにして煮込んだような、したがって後のオースターを知る私たちからすればどこか完成度の低い・粗い作品として本書は仕上がっている。だが単に「トラウマ語り」と見なすのはもったいない。オースターを単なるエンターテイメント作家と侮らないようにしたい
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『見えない人間の肖像』は、
見ようとするからこそ見えないことが浮き彫りになる父親と、
それを執拗に見続けようとする息子との、
交わらないエディプス・コンプレックスの物語で、
ものすごく引き込まれて一気に読めたのだが、
一転、『記憶の書』は、
途中まで一体何が語られているのか理解できなかった。
文字としては認識できるが実感が伴わないために、
難解な現代詩を読んでいるような、
はたまた古典を眺めているような、
哲学書のようであり心理学の理論書のようである。
それでも何かが美しく、好ましく、
自分の中で繋がってくるまでとにかく読もうと決意し、
音楽を聴くようにページをめくっていたところ、
とある瞬間にわかったのだ。
これは、孤独についての物語であることが。
タイトルと扱っている内容から考えれば、
最初からからくりが明かされているマジックのような話だが、
これが本当に孤独に関する限りない内省であることに気がついたのは、
途中からこの表現は、
フロイト、少なくても精神分析に精通していなければ、
絶対的に不可能であるとわかる箇所があったからだ。
それからは急に私の物語であるかのように、
隅々の言葉が入り込んでくるようだった。
そしてすぐに種明かしがされ、
直接的にフロイトが引用され始めたのであった。
*
あることがわかるのは、無いことを感じた時のみ。
見ることの意味を理解できるのは、
見ようとする時のみ。
そしてそれ自体が目的であり、存在であるのだ。 -
2009年1月23日~25日。
ポール・オースターの散文作家としての処女作とのこと。
「見えない人間の肖像」で亡き父を語り「記憶の書」で記憶、孤独、偶然などを語る。
「記憶の書」が難解、あるいはつまらないという意見が多いように思えるのだが、僕としては「見えない人間の~」よりも圧倒的に面白かった。
そこには、ハッとするような文章表現や思考がそこかしこに存在している。
そんな文章を読んでいると物を見る時の見方がおのずと変わってくる。
哲学的だとさえいえると思う。
そして同時にロマンティックでもあり、情緒的でもある。
一見、とっちらかっているようにみえて、全てが繋がっている。
たまらなくおもしろかった。 -
「見えない人間の肖像」と「記憶の章」の二部構成からなる長編。あらすじ的にはオースターの自伝。でも自伝的小説というのには当たらない。解説にもあったようにオースターの精神の成り立ちをあぶりだすような作りになっている。こういう内省的な小説は自分に合わないものだと吐くくらい気持ち悪いけど、オースターの孤独を通り越して空虚な感じはやっぱり好きです。最初は本当怖いぐらい空っぽな父親の空っぽが息子を孤独にしていく過程が恐ろしかった。でも「見えない人間の肖像」は進むにつれて父親の人間的な部分も見えてきて混乱する。一人の人間を語るのには混乱がつきものなのだろうけど。たくさんんの部屋を通して見る孤独、物語ことの重要性。
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父の肖像はわからない。
父という存在は、知れば知るほど自分と遠ざかると思うのは全世界共通なのだな、と。それを改めてつきつけられる。だよね、と。
最も近い人とも実は分かり合えていなかった、という悲しくなる事実を、避けては生きていけない。知らないといけないのだ、と思うこと自体は非常に重要なことだと思う。それは真摯さか、父を通した自己探求か、ただの好奇心か。
調べる前から虚しくなるとわかってて進んでく作者はマゾに思える。
自分もそうなるかもしれない。 -
著者の自伝のような、少し違うような作品。
定義としては私小説のようだけれども、日本のそれとは全然違う。
かなり骨太に、記憶をめぐる思考を語る。
(それはそれで素晴らしいけれども)情景の中に感情を読み込んだり、そういう空気を写し取るようなものではない。
特におさめられた二作目、『記憶の書』は強烈。
どのエピソードが、ではない。どの一文が、でもない。
膨大な物語がおさめられていながら、無駄な一文、冗長な語りがあり得ない。
結論が示されるわけではなく、煮詰められた考察、をそのまま呈示してみせたような本。
考察の対象は、父への子の、子への父の眼差しを表象としながら、自らの内へ内へ向かっていくもの。
父の死から生へ、そして自らの生に遡って(明示されているわけではないけれど、息子を見る眼差しは反転して、息子にとって父である自身の死、というか消滅、社会的な死も含めた死、記憶の中の生も含めた生、に向かっている) -
見えない人間の肖像だけ読んだ。難しかったけど、こういう人(登場人物の父)いるよなあと思った。
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読んで良かった。遺品整理の経験があるので前半の話は身につまされた。他人と心を交わす能力も欲求もない父の造形も心当たりしかなく、また藪から棒に婆さんの殺人事件の話が生えてくるあたりそういえば『最後の物たちの国で』と同じ作者だったわい、と…。
後半は部屋の中に一人でいる図が様々な形で提示されることで、思いを言葉にできない孤独と部屋の中を見れないことによる孤独が顕わになるような、感覚的な話だった。ヨナ書が度々引用されるのも良い。旧約聖書の中でヨナ書は一番ましな文書の一つだと思う。なのにさ、読み終わって印象深かったくだりは「一つひとつの射精には、数十億の精子が、いいかえれば全世界の人口とおよそ同数の精子が含まれている。ということはつまり、男性一人ひとりが自分のなかに一個の世界全体を可能性として抱えているのである」なんだな。こんなんある?いきなり過ぎない? -
詩人として活躍していたポール・オースターの小説デビュー作。子どもからの視点と伝聞によって著者の亡き父が如何に孤独の中で生きてきたか想いを馳せる物語と著者がモデルであることを暗に仄めかすような孤独に対する散文的な2つの物語で構成されている。
とても内省的であり、正直にいうとこれまで読んだオースターのどの作品よりも退屈だなぁと思うことがしばしばあった。こういう作品さえも素晴らしさを見出せると良いんだけど、自分にはなかなか難しかった