長女たち

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103133636

感想・レビュー・書評

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  • 読み終わって、鳥肌が立っていた。

    だからと言って、長女に依存する親たちのこの物語が
    特殊なケースだとは思わない。

    年をとって、自分でできなくなり
    命まで自信がなくなってきたら、
    藁をもつかむ思いで、
    私だって何を言い出すか…自信がない。

    その相手が娘であって、娘が独身の長女であるから
    遠慮なく双方から言葉が打ち下ろされるんだと思う。

    『ミッション』の死生観。超高齢化社会に突き進む私たちの国。
    こうあるべきという形は陰と陽に滲みながらぼんやり分かれる。

    どこにも正解のない問題。
    物語を読んで、1日でも多く介護と真っ直ぐ向き合うために必要なものなんて、
    何もないんだと思い知った。

    何をすればいいかわからない時は、
    とにかく体力をつけておこう。

    仕事が多忙の時に読んだので…介護する長女たちに
    「そんな仕事、ちょろいじゃないの。」
    と鼻で笑われた一冊です。

    • なにぬねのんさん
      まっき~♪さん、はじめまして。
      花丸&コメント、どうも有難うございます。
      まっき~♪さんのレビューいつもチェックさせていただいてます。読...
      まっき~♪さん、はじめまして。
      花丸&コメント、どうも有難うございます。
      まっき~♪さんのレビューいつもチェックさせていただいてます。読みたくなるレビューをいつも有難うございます。

      まっき~♪さんは、介護されてるんですか…。
      この本、介護中の方が読まれると、どうなんでしょう。抉られて傷つく表現が多々ある気がします。

      私は母が今のところ健康で、介護は将来的なことなので読めた部分もあるかと。
      でも介護する長女に深く共感したり
      私にはわからない何かを感じられるかも知れないのですが。

      疲れているときに読むのは辛い本かもしれません。
      読んでいて、辛くなったらすぐギブアップしてください。それはまだこの本が自分に必要がない時期だということだと思います。

      寒くなってきましたし、年末の慌ただしさで
      体調を整えるのが大変な時期かと思います。
      いい新年が迎えられるよう、ご自愛くださいませ。
      2014/12/09
  • 痴呆が始まった母のせいで恋人と別れ、仕事も辞めた直美。父を孤独死させた悔恨から抜け出せない頼子。糖尿病の母に腎臓を差し出すべきか悩む慧子……当てにするための長女と、慈しむための他の兄妹。それでも長女は、親の呪縛から逃れられない。親の変容と介護に振り回される女たちの苦悩と、失われない希望を描く連作小説。

    やばい母親が続く・・・どれも身勝手な上、最後娘は自分の所有物状態。
    娘が自分の為に人生を掲げるのが当然という価値観が理解出来ず、最後まで読むのが辛かった・・・だって私も長女なので(>_<)

  • 長女の立場の女性と、向き合うべき老齢の親との関わりを綴る短編3つ。

    地方を発症した母に振り回され、仕事を辞め、付きっきりの介護生活になった直美…家守娘。
    志半ばにこの世を去った尊敬する医師の遺志を継ぎ後進国の遅れた医療現場で働くことを決めた頼子…ミッション。
    医者ファミリーに嫁ぎ義両親を看取り、その後も更なる孤独から糖尿病になるまで不摂生をした母と共依存のような生活をしている慧子…ファーストレディ。

    どれも先の見えない辛い話。
    高齢の親を持つ長女としては、身に詰まる話ではありました。
    自分が歳をとる時は、周りに迷惑をかけずに元気なままで逝きたいもの。
    これは誰もが思うことだけど、そう上手くはいかない、ある意味進化した医療の弊害でもあるのかと、ミッションを読みじんわり思い巡らせているところです。

  • <人生のピークを下ろうとしている「長女たち」3題>

    「家守娘」、「ミッション」、「ファーストレディ」の中編3編を収める。
    いずれも軽くない。

    「家守娘」は、レビー小体型認知症を発症した老母と暮らす40代の「出戻り娘」、直子の物語。5歳年下の妹は、資産家の息子と結婚して家を出ている。
    「ミッション」の主人公、頼子は、一度社会人になったものの、母ががんで闘病後に死亡したのをきっかけに、医学部に入り直して医師となる。さらには、アジア奥地の医療施設に身を投じていた恩師が客死したのに突き動かされるように、同じ地で働くことを志す。46歳。結婚して家庭を構える兄がいる。
    「ファーストレディ」の慧子は、開業医で地元の名士である父のファーストレディ役を務めている。家に引きこもりがちの母は、あるときから甘いものに極度に依存し始め、重い糖尿病に罹りつつも甘味を断つことができない。慧子は30代半ば。弟は国際結婚し、子供も設けている。

    主人公が長女で独身であるという以外、少しずつ毛色が違うので、いささか括りにくいが、それなりの年となり、しがらみもある中で暮らしている女たちの物語といえようか。
    もう1つ、共通点を挙げれば、いずれの物語も医療が一つのキーポイントになっている。
    「家守娘」・「ファーストレディ」の場合は、親自身が病気である。認知症・糖尿病は、いずれも患者が多い疾患であり、高齢化や栄養状態のよさが背景にある、現代ならではの病気とも言える。
    「ミッション」の頼子の両親はすでに亡くなっているが、頼子自身が医師であり、医療スタッフとして、外国に赴いている。

    全般に、日常に忍び込む、冷ややかな恐怖がうまく取り入れられていると思う。著者のベースはホラー作家なのではないか、と端々に感じさせる。「家守娘」に描かれる、知らぬうちに近づき、親しげに入り込んでいる”狂気”。「ミッション」のシャーマンに誘発され、頼子が見る幻想。「ファーストレディ」のそれぞれの思惑の方向性のずれ。
    怖い話なのだけれども読ませてしまう、という著者の力量にも感じ入る。

    「家守娘」も「ファーストレディ」も、家族の物語である。どちらの主人公も母を重いと思いつつも、「え、そこまでするのか」と思うほど母に尽くす。このあたりは、読者自身の母との関係で、読み方・捉え方もさまざまな部分なのだろうが、私には少し行きすぎに見えた。一卵性母娘的な関係に共感する人と違和感を覚える人に分かれそうな設定ではある。

    作品群中で個人的に一番印象的だったのは、「ミッション」である。
    これはある意味、現代医学と民間療法のせめぎ合いの話なのだが、個々の患者が生きる上での「物語性」というものについても考えさせられる。健康に悪い食事をとり続けたために生活習慣病になって死んだと言われるよりも、誰々の霊に導かれて安らかにあの世に旅立ったと言われる方が、納得できる人がいるのだとしたら、他人がそれを否定することに何の意味があるのか。
    例えば、5年後に死亡する確率を数値で語られるより、死ぬ直前まで懸命に働き、ぱたりと死ぬ方が悪いとなぜ言えるのか。例えば、精霊を呼ぶ儀式よりも、病院でチューブにつながれている状態の方がよいとなぜ言えるのか。
    それは死生観にもつながり、また現代医療が抱える問題を抉り出すようでもある。
    主人公の頼子が、民間療法が提示する「別の視点」を受け入れないのも、なかなか象徴的である。
    現代医療が必ずしも患者の思いに添うものではないという点は、他の2作にも共通する部分がある。

    3編、いずれも軽くない。そしていずれも割り切れない。
    巧者の手による物語であるから、いずれも結末に幾分かの爽快感はある。そうではありながら、なお、先行きの不安も、不透明さも、やりきれなさも、ぬぐいきれない。
    「その先」が順調ではないことがわかる程度には世の中を見てきてしまっている。
    それがこの作品群の主人公たちが属する中高年の持つ澱や苦さだとするならば、その部分は誠にうまく書けている、というしかない。
    折々の幾分かの達成感を胸に、心は羽ばたきながら、しかし足には足枷を感じながら、それでも前に進む、いや、進まざるをえない、そんな年代であるのかもしれない。


    *この本、「女たちのジハード」のいわば後日談、というような評をどこかでちらっと目にして手に取ってみたのですが、思ったより苦かったかな・・・? 「女たち・・・」は細部を覚えていないのですが、爽快感があって好きな1冊でした。それはそれとして、今やジハードという言葉をタイトルに入れることは不可能なのではないかと思うと、いずれにしろ時が経ったということかもしれません。

    *ちょうど、ベトナムの助産師さんのドキュメンタリー(『ベトナム 山里の助産師』)を見ておりまして。地元民族の女性に助産師としての教育をし、彼女らは地域の風習と西洋医学のどちらも取り入れているというようなお話でした。「ミッション」と重ねつつ、興味深く視聴しました。

    *アジア奥地の物語といえば、『弥勒』や『ゴサインタン』もそうでしたね。自分ではレビューを書いていないのですが、いずれも重厚で読み応えがありました。篠田さんがこの地域を舞台にすると凄みがありますね。

  • 短編3作品。30~40代中年の長女たちの話。キャリアを積んでそれなりの地位を確立した女性が直面する介護問題やアジアの山奥での死生感。主人公たちはそれなりに成功体験を積んできているので、自分の価値観が絶対正しいと自信を持っている。が、正論に片寄りすぎていて柔軟性にかけている印象。それを端から眺めて、さて私はどうかなと考えてみる材料ともなる。興味深かった。

  • 中編三篇。

    ①姉妹。認知症母と長女の二人暮らし。
    ②長女感はやや低め。途上国の医療について。
    ③姉弟。糖尿母に腎臓をねだられた長女。

    うへぇ。あるある過ぎて辛い。

    家そのものがしがらみに思えない。けど割りきれない血の繋がりがホント厄介。ほどよい距離、お付き合いの仕方はあるはずなので、長女に限らず搾取子さんニゲテーって感じ。

  • 老いた親の世話を押し付けられる中年長女たちの葛藤の物語集。話の運び方も上手いし、イライラ描写もリアルで非常に手堅い印象。

    実の娘だからこそ鬱憤も醜態もさらけだして全体重でのしかかる老母たちはモンスターのようだ。そんなモンスターを長女に押しつけて恥じない他家族たち。彼らの無責任な口調と振る舞いは実にリアルで、主人公に感情移入して読むとイライラしてくる。とは言え、どっちの気持ちも分かってしまう。読んでる間、姥捨山をちらちら考えしまうくらい家族による介護の厳しさが伝わってくる小説集だった。

    『墓守娘』は親子介護がもたらす地獄だけでなく、ミステリーやファンタジー要素も入っていて最後まで妙に楽しい話ではあった。だだをこねる母親を抱き起こす場面の、脆くなった骨粗鬆症の骨のうえに美食で肥えた肉のついた体を持ち上げる云々という描写には、一言もコンチクショウとは書かれていないものの、主人公の心の叫びが滲みでていて思わず笑ってしまった。流石の描写力だと思った。あと、出てきた瞬間から詐欺師丸出し男だった新堂は、話にスリルを加えつつ最後には完璧に成敗されるので、介護疲れした主人公と、腹立たしい描写によって鬱憤がたまった読者の気分を晴らせてくれて大変良かった。在宅介護の厳しさを伝えつつも、しっかりエンターテイメント要素もある良作だ。

    『ミッション』仕事に生きているはずなのに孤独死した父親への罪悪感に苦しめられる長女のお話。ミスリードが上手くてほぼホラー小説だった。文明国による途上国への人道支援は余計なお世話かもしれないという視点は鋭い。延命治療の是非も。
    生物としての人間は40代以降は余生という記事も読んだことがあるし、今でもぽっくり寺に参拝する老人は多い。日本には間引きや姥捨の過去もあり、そもそも日本家屋は長生きする人間用には作られていないという話もあるのだから、昔の日本もこんなだったかもしれない。
    ポックリ逝けて、介護もなくて、死んだらご先祖様と共に神様なると信じられるだなんて素晴らしいとすら思ってしまった。
    ただ、やはりどうしても死にたくないのが人情である。長生きを是とすればこそ介護も必然的についてくるものだという当たり前の因果を見せられてあれこれ考えこんでしまった。
    あと、家事全般を配偶者に依存し続けた男の末路をこんな風に描くのもなかなかすごいなと思った。大音量でテレビをつけたままボロを着て灰色に腐る爺さん。想像するだけで悲惨である。でも、ドキュメンタリー映画『ボケますからよろしくお願いします』では痴呆症のお婆さんの代わりにヨレヨレのお爺さんがうどんを煮ていた。『ミッション』の爺さんは単にやる気がなかっただけと思うのだが、親子だからこそ孤独死なんかされたら一生割り切れないのも、またよく分かるからやるせない。

    『ファーストレディ』母子共依存の地獄。糖尿病なのに一心不乱にスイーツを食べ続けるのは自傷行為だろう。そうやって自らを傷つける妻を娘に丸投げして、娘を妻の代わりに利用して、良い人の顔つきのまま趣味や仕事で成功をつかむ男と、母ゆずりの美貌と父ゆずりの頭脳ゆえにチヤホヤ育てられ何も背負おうとせず「母さんの病気は自業自得だろ。死ぬのも自己責任」などと平気で言えるネオリベ現代人な息子が普通に怖い。流石USA留学。こやつらが成敗されるためにも、娘が逃げたあともツイーツ婆さんには執念深くモンスターらしく生きてほしいと思ってしまった。

  • 短編が3つ、互いに関わりはない。

    最初は、認知症の母親を抱えて生活を奪われていく長女。愚かであったはずの次女との対比が痛々しい。損なわれ歪み憎しみながらも確かに在る親子愛が救い。

    二編め、医業に自らの生の意義を見いだした女性が、その灯火を見せてくれた先人の遺志を継ごうとネパールの貧村に赴く。そこで、自分の信じてきたそれとは全く違う死生観をつきつけられる。

    最終話、信頼される開業医である父を支えながら、糖尿病の母を介護する女性。どうしても自らの健康をかえりみようとしない母の心中が彼女にだけは見えてしまう。

    この本が迷わず手に取られるのは、「長女たち」というタイトルそのものが 女性に対する期待や価値観が時代とともに変化することにより生じたギャップを雄弁に語っているからであろう。
    こうあるべきと信じて歩んできた道が、たいして理解されず、評価もされず、気づくとひとりぼっちの母親達の絶望感。 無意識にひずみを埋めることを期待され、 母の孤独も そのように期待されていることも理解できてしまう長女の悲劇。
    自立とは、単に自分の食い扶持を自分でなんとかできる、ってことではないのですね。
    親には読ませられない、
    が、同時に、老いては子に従えと肝に銘ずるのだった。

  • 篠原節子の新作。何かの雑誌で見て借りたやつ。ずっと桐野夏生だと思って読んでた。どおりで毒が少ないと思った。3つの短編集。私も長女なので、非常に気持ちは分かるというか。でも最後のお母さんに腎臓をあげようと思うとか、ここまで一体化するだろうか。正直、うちの親が糖尿病になったって知ったこっちゃない。最初の認知症の話も恐ろしい。ほんとその前にぽっくり逝ってほしい。そう思うと、2話目の秘境の地では突然死が良しとされる、というのには納得いく。そんな場所ではやっぱり医療なんて求められてないのかもしれない。生きながらえることが良しとされるなんて、一昔前の考えだろう。こないだも安楽死を選んだ人がニュースになってたけど、そんなのがニュースにならなくてすむような時代も来るのだろうか。

  • 痛ったい!
    ああどの話も、突き刺さってくる。
    でも読んでしまう。

    母親の娘との一体感というか、繋がってる感とか。
    なんで、長女なんだろ。
    なんで次女でなく、長女。
    長女の連鎖ってあるのか、な。
    たぶんあるよね。
    それはどこかでたちきれないのだろうか?

    真ん中の話。
    現代医療が本当に人類を幸福にしたのか?
    治療ってなんなんだろ。
    延命して、そこに魂は存在するのかな?

著者プロフィール

篠田節子 (しのだ・せつこ)
1955年東京都生まれ。90年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。97年『ゴサインタン‐神の座‐』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞、11年『スターバト・マーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞、15年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞、19年『鏡の背面』で吉川英治文学賞を受賞。ほかの著書に『夏の災厄』『弥勒』『田舎のポルシェ』『失われた岬』、エッセイ『介護のうしろから「がん」が来た!』など多数。20年紫綬褒章受章。

「2022年 『セカンドチャンス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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