小澤征爾さんと、音楽について話をする

  • 新潮社
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感想 : 280
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  • Amazon.co.jp ・本 (375ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103534280

感想・レビュー・書評

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  • 話されている内容については全然わからないながら
    二人が楽しそうに話していることが伝わってきて それが楽しい

    村上さんの質問がいいのでしょうね

  • この本は、クラシックが好きな方も興味がない方もぜひ読んでみてほしいと思いました。さまざまな名曲や音楽人たちのことを知れてまた、いっぱい聴きたくなりましたし、その名曲を弾きたくにもなりました。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「その名曲を弾きたくにもなりました」
      素敵ですね!
      私は文庫になるのを待ってます。。。
      「その名曲を弾きたくにもなりました」
      素敵ですね!
      私は文庫になるのを待ってます。。。
      2012/05/24
  • これもなかなか読めなかった本。なにしろ小林秀雄のモオツアルトの楽譜が読めなくて、奥さんに演奏してもらったくらいだから、音楽のマニアックな話はぼくに語りかける言葉にならないと思っていた。確かに細かい知識面はわからないことばかりだったが、村上春樹がどんなに丁寧に音楽を聞き込んでいるか、指揮者がどう考えているかを学んだのは大きい。小沢征爾の教育観も、、、

  • クラシックファンでないワタシにはまるでSFのような世界の話。
    SFのように未知の世界の広がりに目を見張る。時折入ってくるクラシック音楽にこれだけの深さと豊かな喜びがあろうとは。

    小澤征爾は村上春樹のことを『春樹さんはまあ云ってみれば、正気の範囲をはるかに超えている』と述べている。

    正気の低いレベルにいるワタシにはワタシの耳の届かないところでの深い議論は、特に興味はないはずなのに知らない世界を覗き込む楽しみに満ちている。
    その例には枚挙にいとまないのだが、例えばCDとして出す時に、ちょっとした音をやりなおす。2番フルートが息継ぎをしたとか、ホルンのパートをやりかえて、逞しい音から柔らかい音にかえた。そうしたレベルまで気を使うとか、マーラーの音楽はそれまでの音楽と全く違うとかドイツとフランスでは音が違うなどなど。とにかく面白く読みました。

    小澤征爾が「春樹さんのおかげで、カラヤン先生のこと、レニーのこと、カーネギー・ホールでのこと、マンハッタン・センターでのことなど思い出が蘇った』とあり、こうして文章化されたことに意味があるのではないだろうか。

    『新しい書き手が出てきて、この人は残るか、あるいは遠からず消えていくかというのは、その人の書く文章にリズム感があるかどうかで、だいたい見分けられます。でも多くの文芸評論家は、僕の見るところ、そういう部分にあまり目をやりません。文章の精緻さとか、言葉の新しさとか、物語の方向とか、テーマの質とか、手法の面白さなんかを主に取り上げます。でもリズムのない文章を書く人には、文章家としての資質はあまりないと思う。』

    『いち、にい、さん・・・ほら、ここのところ音が鳴ってない。音が途切れている。これはね、ブラームスにとっては悪いことをしてるわけです。本当はここで空白をあけちゃいけないんだ。ところがなにしろ頑固な男で自分はこうするんだ、ということで通しちゃった。』

    『「ほら、ここにコンマが書いてあるでしょう。」「はあ、これはいったい何ですか?」「ここで息を継ぎなさいというしるしです。だからね、ぜんぶ書いてあるんです。もちろこんコントラバスだから、管楽器と違って息なんか継がないんだけど、でもここで息継ぎをするみたいに音をいったん切れと、音を切れ目なしでつながないでくれと、マーラーはそこまで細かく念入りに指示を出す人なんです。」』

    『沈黙というのは音がない状態というんじゃないんだ。そこにはちゃんと沈黙という音があるんだと』

  • 小澤征爾の音楽に対する情熱が素直に伝わって来る。

  •  村上「うん、たしかに尋常じゃないですね」
     小澤「狂うことが大事というか、倫理性がないというか。道徳とかそういうことを凌駕している部分があります」』
     -『グスタフ・マーラーの音楽をめぐって』

    この本の良さは、読んでいて頬が火照るような感じがしてくる程に二人の会話にのめり込めるところというか、話されている内容がどうであれそれがとてつもなく濃いということが解って頭の中が飽和して逆上せたようになってしまうところ、なんだと思う。頬が火照るとか、頭が逆上せるとかいうのは、内容を左脳的には理解し得ないまでも身体がその価値を物凄く認めている証拠で、その場では解ったような気になることができる、ということの表れでもあると思う。それに勝る幸福感というのは、ちょっと無いようにも思えるのである。

    言葉にリズムが伴っていないと言いたいことの半分も伝わらない、ということがあるように、音楽にも何か決定的な説得力を支配する要素があるように思う。文章にリズム感のない若い小説家は残っていかない傾向がある、と村上春樹が指摘するように、音楽でもそれは天賦の才の有無として演奏者をふるいにかけるのだ。例えば言葉は結局のところディクションなのだと個人的には思う。そしてそれは歌になった時にも普遍であり、ある程度音楽一般にも残る真実だと思う。言葉がなくても、言葉に載せられたものと同じように旋律にはディクションが必要なのだ。そしてそれは優れた俳優が別の地方の言葉で役を演じることができるようになるのと同じ意味で、訓練によって習得することもできる。

    文章について、訓練を積み重ねてリズム感を獲得することができるかどうかについて、自分は判断を保留するしかないけれども、歌についてはディクションを訓練で習熟することは可能であるのは、アマチュアとしての拙い経験からではあるけれども、正しいと解っている。しかし、文章でも音楽でも、圧倒するということに必要なものは、やっぱり天賦の才なんだということも、また、悲しいほどに解っている。

    この対談の中で、村上春樹は彼自身の立ち位置を音楽に対しての素人であると定め続ける。しかし、村上春樹の話を聞く限り、彼は明らかに耳がよく、音楽を長く丹念に聞き続けてきたことによって裏打ちされる感覚を持ち、かなり深く興味を持って調べた知識があることは明らかだ。そして彼の文章を読む限り、村上春樹はリズム感がとてもよい、と思う。単なる素人でもマニアでもないことは明らかだ。だからこそ、あのセカイのオザワからこんなにも沢山の頭がぼうっとなるような話を聞き出すことができたのだと思う。

    でもね、本当にすごいなと思うのは、この二人の天才の話はいつ聞いても勇気がもらえたような気になれるというところなのだと思う。もちろん、この二人は全く違った言葉でそれを成し遂げるのだけれど、そして本当に常人には及びようもないくらいの天才なのだと思うのだけれど、ひょっとしたら、二人のいうことを聞いて真面目に練習を積み重ねていったら、そんな風になれるのかな、と思わせてくれるところなんじゃないかな、とも思うのだ。頭のいい人と難しい話をしていると、その場では自分もすっかり理解できたような気になることがあるじゃないですか。この二人の傍にいて話を聞いていたらきっとそんな気になるんじゃないだろうか、と思うのだ。

    そんな二人が、真面目にこつこつとやることの重要性をあんなにも強調している二人が、結局は「狂気の芸術性」について語る。それはとてもすごいことなんだろうと思う。難解なものを解きほぐしていった先で敢えて筋道を逸らせること。そのことによるカタルシス的な満足感。結局はそこにどうしても人間は惹かれてしまうもののようだ。でも、だからといって最初から道を踏み外したのではどうにもならない。道はもくもくとそれに沿って走り続けるように敷かれているのだから。自分もこつこつ積み重ねて行こうと思う。

  • 時間がかかりましたが、読み終わりました。
    あまり、知識のない内容だったため、時間がかかりました。
    ただ、音楽家小澤征爾という人の考え方、生き方
    というのは勉強になった気がします。
    そういう意味で、こういった本は世の中に必要と感じました。

  • あまり音楽に詳しくないので、ちょっと読むのは大変だった。
    でも、途中で止めようと思わず最後まで一気読み。
    村上春樹の文章に引っ張られた。

    「始めに」の部分に、村上春樹は自分の事を
    「素人の音楽ファン」と書いているが、
    その知識と音楽解釈は素人の域を遥かに越えていると思う。

    「文章の書き方を音楽から学んだ」など、
    印象的な文もいたるところに。
    音楽に詳しい方が読めば、もっと楽しめるはず。

  • 『モンキービジネス』で立ち読みしてたんですが、こんなに早く1冊の本にまとまるとは。しかも売れてるってのがまた驚きでした。このようなクラシックについての対談本が。

    わたしは村上春樹さんが音楽について書いてるものがとても好きなので(音楽に関係ない小説でも、音楽エッセイでも)、大変楽しめました。オザワ語もおもしろいし。

    春樹さんの「シルクっぽい音」とか「空間に墨絵を描くような、どこまでも美しいピアノの独奏。端正で、かつ勇気にあふれた音の連なり。ひとつひとつの音が思考している」といった音楽に対する表現が大好きです。

    演奏者(指揮者)である小澤さんと、聴くことを楽しむ村上さん。
    「レコード・マニア」みたいな人が好きじゃなかった、と話す小澤さん。「あなたと話していて僕がいちばん感心したのは、あなたの音楽の聴き方がとても深かったということなんです。僕から見ると。あなたの場合は(レコードをたくさん集めてはいるけれど)いわゆるマニア的な聴き方じゃないんですね」。
    しかし春樹さんは「いろいろと考えてみたのだが、僕は昔からレコードを集めることに喜びを見出している部分があり、それは確かに小澤さんの言う『レコード・マニア』にいくぶん通じるところがあるかもしれない」としたうえで、こんなことを書いている。
    「でもあるとき、実際のインタビューにかかる前に世間話の一部として、このような-それなりに率直な-会話を交わしたことによって、小澤さんと僕との音楽に対する姿勢の根本的な違いみたいなものが、僕にもより正確に、いわば立体的に理解できるようになったし、それはかなり大事な意味を持つ認識であったと思う。プロとアマを隔てる、あるいは創り手と受け手を隔てる壁というのは、僕が今さら言うのもなんだけど、かなり高いものだ。とくに相手が超一流のプロとなれば、その壁はとてつもなく高く、また分厚いものになる。しかしそのことは必ずしも、僕らが音楽について正直に話し合うことの妨げにはならないのではないか--少なくとも僕はそのように感じている。音楽というのはそれだけ裾野の広い、懐の深いものであるからだ。」(p.97-98)

    p.129の「文章と音楽との関係」も面白かったな。
    「いちばん何が大事かっていうと、リズムですよね。文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです。前に前にと読み手を送っていく内在的な律動感というか……。機械のマニュアルブックって、読むのがわりに苦痛ですよね。
    (中略)
    新しい書き手が出てきて、この人は残るか、あるいは遠からず消えていくかというのは、その人の書く文章にリズム感があるかどうかで、だいたい見分けられます。でも多くの文芸批評家は、僕の見るところ、そういう部分にあまり目をやりません。文章の精緻さとか、言葉の新しさとか、物語の方向とか、テーマの質とか、手法の面白さなんかを主に取り上げます。でもリズムのない文章を書く人には、文章家としての資質はあまりないと思う。もちろん、僕はそう思う、ということですが。」

    あぁ、これは本当に春樹さんの考え方をよく示しているなあ、と思うと同時に、100%共感しながら読んでいたら、小澤さんたら、
    「文章にリズムがあるというのは、僕は知らなかったな。どういうことなのか、まだよくわからない。」
    ですって!
    やはり春樹さんのこの意見って一般的じゃないのかな。そんなふうに文章をとらえる人は少ないのかしら。
    わたしも文章のリズムはすっごく大事だと思ってて(それは春樹さんの影響なのかな)、心から共感するんだけどね。

  • 村上春樹と小澤征爾の音楽対談、タイトルのまんまの内容なんだけど。村上春樹は作家だし、音楽の素人と最高峰に位置する人の対談だから面白そうじゃないかと思ったら、村上春樹の音楽に対する造詣が深すぎてなに言ってることがほとんどわからなかった笑
    それでも小澤征爾のオーケストラ人生を垣間見えるのは面白かった。
    最後の小澤征爾が主催してるセミナーで若手をおしえてるってとこはその風景を思い浮かべて思わず笑みがこぼれるような良いなぁって感じ。

    これはまた時間が経って読むとまた理解が深まるタイプの本かな。

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