魂でもいいから、そばにいて ─3・11後の霊体験を聞く─

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104049028

感想・レビュー・書評

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  • 記録としても物語としても共感できる。

  • 震災後の霊的な体験談。

    あれから数年経ち、少しずつこの様な話をしても良い雰囲気に社会がなりつつあるのだと思う。
    非科学、というのは簡単だが人生にとって大切なものほど見えないことが多い。
    幸福、愛、感動、心…見えるもの、手にとって触れるものしか信じないのでは人として、いささか寂しい感じがする。

    内容的にはオカルトを扱うTV番組のように面白おかしく恐怖を煽ったりするような怪談話ではなく、この世とあの世をつなぐ感動的な話に貫かれている。

    分からないからといって即座に否定することこそ、非科学的な態度とも言えるのではないだろうか。

  • 岡部さんは、岡部医院の看護師が、津波で流された場所に立った時、人間の死を個人の死ではなく、大自然という大きな命の下に繋がって生きていた生命体が、大きな命に帰るという感覚が舞い降りたという。それを彼はイワシの群れに例え、人間はイワシの群れの1匹なのだと言った。
    五木寛之「大河の一滴」親鸞「自然法爾」
    全ての人は大河の一滴として大きな海に還り、ふたたび蒸発して空に向かう。

  • 日本に生まれた身として深く記憶に刻まれている大震災のあと、不思議な体験をしたという人達の話を聞いて回った人の本。買ったはいいけど読めていなかった本を棚から引っ張り出してきた。
    自分はいわゆるオカルトというか超常現象とかの類はあったほうが楽しくない?と考えるタイプだけど多分霊感的なものはほとんどない…という自覚がある。が、災害で喪った家族や親族にまつわる霊体験の話をまとめた内容になっているので、やっぱり夜中に読むのはちょっと抵抗があった。各話毎に遺族の方々が所持している故人の写真が出てくるところで、「ああ、この人はもうこの世にはいないのか…」と思ってしまうと、どうしても死という概念を強く意識してしまう。ただこの本は、一般的に「幽霊=怖いもの」とされがちだけれど、愛した伴侶や子どもの霊であればまったく怖くない、むしろこれからも会いに来てほしいと感じている人たちの話なので、どちらかというと文章を通じて「死」に触れることに対する怖さを感じていたのかもしれない。
    当たり前だけど、どの話もしゅんとするような、唇を噛みしめるような気持ちになってしまう。災害の復興に終わりなんてなくて、数字として分かりやすく人口が元通りになったとか景観が再現されたとかそういう目安はあったとしても、大切な人を喪った方々の心は元に戻ることはないわけで。離れて暮らしていると日々の忙しさに流されてどんどん他人事になっていくことを思い出させてもらったような気がした。同情や哀れみとかではなく、自分の中で正しさを持って他人事と割り切る覚悟がある程度必要なのもまた事実かもだけど。
    写真でなんだか不思議に思ったのは、比較的若い女性や子どもの写真だとなんかこう、ゾクッとしてしまうんだけど、男性やお年寄りの写真を見ても同じようにはならなくて、どういうわけか穏やかな目で見てしまう自分がよくわからない…。これは評価とかそういう本じゃないかもな、と読み進めている時は思ったりもしたけれど、読み物としての興味深さで一応つけておきます。

  • 3.11東北大震災から10年3ヶ月。
    たくさんの方が犠牲になって、この霊体験はごく一部だと思う。
    信じる方も、信じない方もいるとは思うけど、私は信じる。

    魂でもいいからと思う気持もすごく分かる。

  • 東日本大震災の被災地での聞き込みを元にしたノンフィクション。

    津波で亡くなった親族に、夢やなんらかの心霊的現象を通して会った、という体験をまとめた一作。
    「一人の語り手に最低でも三回会う(p.252)」という丁寧な聞き取りをもとに書かれた作品。

    個人的には非常に理解しにくい作品。
    購入してすぐに一読したにもかかわらず感想をかけず、数年経って再読してなんとか感想じみたものを書いているのは、自分の理解が及ばなかったからにすぎない。

    今回再読してもこの本を理解できたとは思えない、というのが本音。ただ「自分がこの本の読み方を間違えていた」ことはわかった。
    主に「心霊体験」をした被災者の語りが載っている一冊。だから、この本から読み取るべきなのは「語り手である被災者」である、と思っていて、語り手もそんな語り手自身のことを話したいのだろう、と思って今までは読んでいて、だからこそこの本からなにも読み取れなかった。

    そうではなくて、語り手が語りたいのは亡くなった(もしかすると今もどこかで生きているかもしれない)相手のことで、心霊体験という選択はその相手のことを語りやすいエピソードがたまたまそれだったに過ぎないんだ、と理解してから一気に読みやすくなった。

    とはいえ…やはりこの手の話は自分は苦手なんだな、ということも理解できた。
    どれだけ冷静に人を観察しても、そこには語り手の主観が挟まる。ましてや、この作品の場合はそれを著者が聞いて一定の編集をしていて、そこにはおのずと著者の主観が挟まってくる。
    自分自身、こういう伝聞の個人情報処理は苦手で。できうる限り、その本人に事情を聴きたがる。しかし、この本のケースの場合、恐らくその願いはかなわない。

    自分自身が苦手とする情報伝達手段からも、有用な情報は得られるんだ、という意味での学習になった一冊。その学びを今後に生かせるかは…怪しいな…(苦笑)

  • 書中のある方の話の中で「陛下が来られるまで、私たちは誰からも声をかけてもらえなかった」というくだりがあって、それまでは避難所でも肩身の狭い思いをしていたのがそこを転機に他の人からも声をかけられるようになって、家族が会話できるような状態になったという。
    話者はそうして、この本の著者に会って話ができるような状態にまでなれたわけだが、ここを読んでいて気になったのはその他の、ここで語ることのできていない、同じような「声をかけてもらえなかった」まま陛下にも出会わなかった人々が居るのではないか、その人たちはどうなっているのかということ。
    著者のこの、被災者の物語を記録する仕事はまだ大変な長い旅になるのではないかと感じた。

  •  副題のとおり、東日本大震災の被災者たちの「霊体験」を取材した連作ノンフィクションである。
     著者は、『ナツコ 沖縄密貿易の女王』で大宅賞も受賞したベテラン・ノンフィクション作家。

     被災地では、亡くなったはずの人が現れる幽霊話が後を絶たない。私も現地で耳にしたし、被災地の霊体験に的を絞った類書も、すでにいくつか出ている。

     本書は、概要だけを聞くとキワモノ本に思えるかもしれないが、真摯なノンフィクションである。
     「霊体験本」というより、被災者の話に耳を傾けるうち、その人が語る霊の話(津波で亡くなった家族が、霊として現れる話)を中心にせざるを得なくなった……という趣。

     また、怪談・怖い話のたぐいでもない。
     序章で紹介される一般的な話の中には怪談めいたものもあるが、本文で紹介される霊体験は、いずれも取材対象者が愛する人の霊であり、彼らにとって怖い存在ではないからだ。むしろ彼らはみな、愛する人とまた「会える」ことを喜んでいる。

     これは、霊が科学的にあり得るか否かを問う本ではない。著者もそういう次元で書いてはいない。
     亡き家族が彼らの前に、まるで生きているかのようにいきいきと現れたこと――それは客観的事実ではないとしても、彼らにとってはまぎれもない真実なのである。

     16編の体験が収められている。
     わりと玉石混交で、サラッと読み流してしまったものもあるが、いくつかの体験は強烈な印象を残す。

     とりわけ、冒頭に収められた、妻と幼い長女を亡くした亀井繁さんの体験は、哀切な「愛の物語」として胸を打つ。
     ひとり遺された夫が生きる希望を見失ったとき、妻と娘は夫を励ますかのように、霊として現れるのである。

  • 震災にあった方達の霊体験です。
    体験したことによって、生きては会えないけれど、見守っていてくれるという、絆を確認できたのでは。他人は信じてくれないけど、その体験に支えられたと思います。

  • 故人が携帯に出た、壊れた故人の携帯が光った、おもちゃが動いた等々、3・11後にいわゆる霊体験をした人たちの語りを集めたもの。東北地方には昔からの「オイガミさま」と呼ばれる魂の呼び寄せが日常の中にあり、それでも体験した人たちはある程度の期間口を開かなかったそうだ。多くの人が多くの身内や知り合いを亡くしていることに胸がつぶれる思いがする。
    この本に出てくる人は、一歩踏み出したり、あるいは「奇跡的に」記念品や写真が出てきた人が多い。それさえも見つからずにいる人がこの本の向こう側にどれくらいいるのだろうか。
    私個人的には筆者の文章は読みずらかった。

著者プロフィール

奥野 修司(おくの しゅうじ)
大阪府出身。立命館大学経済学部卒業。
1978年より移民史研究者で評論家の藤崎康夫に師事して南米で日系移民調査を行う。
帰国後、フリージャーナリストとして女性誌などに執筆。
1998年「28年前の『酒鬼薔薇』は今」(文藝春秋1997年12月号)で、第4回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞受賞。
2006年『ナツコ 沖縄密貿易の女王』で、第27回講談社ノンフィクション賞・第37回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。
同年発行の『心にナイフをしのばせて』は高校生首切り殺人事件を取り上げ、8万部を超えるベストセラーとなった。
「ねじれた絆―赤ちゃん取り違え事件の十七年」は25年、「ナツコ 沖縄密貿易の女王」は12年と、長期間取材を行った作品が多い。
2011年3月11日の東北太平洋沖地震の取材過程で、被災児童のメンタルケアの必要性を感じ取り、支援金を募って、児童達の学期休みに
沖縄のホームステイへ招くティーダキッズプロジェクトを推進している。
2014年度より大宅壮一ノンフィクション賞選考委員(雑誌部門)。

「2023年 『102歳の医師が教えてくれた満足な生と死』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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