魂でもいいから、そばにいて ─3・11後の霊体験を聞く─

著者 :
  • 新潮社
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感想 : 58
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104049028

感想・レビュー・書評

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  • 震災の話、特に子供を亡くした話は辛い。

    この本には私がいつも思っていること、それが書かれていた。

    「大自然という大海の中に論理という網を投げて、引っ掛かってきたものが科学的成果で、大半の水は科学という網目からはこぼれ落ちるんだと物理学者の中谷宇吉郞は言ったが、そういう科学の限界点を知れば、お迎え(霊)が存在しないなんて恥ずかしくて言えないはずだ。」

    「近代科学とは、たかだか四百年の歴史にすぎないのである。生命の歴史四十億年の中の、たった四百年なのだ。その程度の歴史で、理解できなければ排除することの方がおこがましいと言わざるを得ないだろう。」

  • 私の祖父がなくなったとき、仕事の都合で葬式に間に合わなかった。実家で遺骨の祖父と対面した後、ふと携帯電話を見ると「着信あり」の表示。発信者は、昨日死んだはずの祖父の名前。ずっと誰にも言えなかった、この体験。何かの誤作動でそう表示されたと思い込むようにしていた。

    この本を読んだとき、そんな思い込みなんて必要なくて、祖父が挨拶に来てくれたんだと、思うようになれた。

    飛行機の中でこの本を泣きながら一気に読んでいたら、隣のバハレーン人が、心配したのかポテチやグミを私にくれた。

  • 人がとても受け止めきれないような
    過酷な経験をしたときに、
    目の前に愛する人の手が差し伸べられたら
    きっと私だってその手にすがるだろう。
    たとえそれがもうこの世の人ではないはずの
    手であったとしても。。。

    3.11後の東北では
    不思議な体験をした人たちがたくさんいたという。
    もう繋がらないはずの携帯電話に相手が出たり
    ふと気づくと津波で亡くなったはずの家族の気配を感じたり。
    亡くなった人からのメッセージを受け止めて、
    生き残った人たちは、やっと生きる希望を見出すことができたのだろう。
    死者と生者の間に生まれたこの物語を
    私は丸ごと受け止めたいと思う。
    そしてこの本の中で語られた津波の体験談は
    今まで読んだどの3.11関連の本よりも
    その悲しみと悲惨さを深く感じた本でした。

  • 霊界はある。肉体はなくなっても霊人として生きているというしか説明できない。
    科学で説明しきれるわけでもない。
    ただ落ち込んでいる時ではなく、前向きになった時に亡くなった家族が現れるのは霊界の決まりがありそうだ。

  • 東日本大震災で大切な人を亡くした人たちが遭遇した不思議な霊体験を聞き取り調査した記録。著者は、一人の人に最低3回は会うことにして体験に耳を傾けた。悲しい思いが幻覚・幻聴を招いたと言う人もいるかもしれないし、確かにそうかもしれないけれど、たとえそうだったとしても、「私がそう思うからそう」なんだと思う。
    震災後、避難所で川の中州に幽霊が出たと聞いて避難所の人たちが懐中電灯を持って中州に詰めかけたという話を聞いたことがある。
    幽霊だったとしても会いたい。切ない。

    p236
    それまで、中野いい人たちがみんな空の上に逝っちゃったから、死ぬのは怖くないと思っていたのに、あの光の柱のおかげで、自分が守られているなら、もっと生きてみようと思いました。

  • 東日本大震災から間もなく十年がたつ。どうしても東北出身としては、忘れることが永遠に出来ないのがこの震災だ。

    著者はふとしたきっかけから、遺族の周りで起こった不思議な体験を取材することを決意する。

    ただ、著者も書いているが、この手の話は再現性に乏しく、確たる証拠が有るわけではない。そこで、東北各地にいる遺族に話を聞く旅紀行という形を取りながら、最低でも3回会うという取材手法で客観性を保ちながら、この本を完成させている。

    フィクションとノンフィクションの境目で、信じない人はまったく信じないだろう。

    僕は、信じる。幼少の頃、イタコさんが来るということで、何回か連れられて会ったことがある。亡くなった親や親戚の霊をおろしてもらって、話を聞いたり心配事を相談するのだ。そういう風習は普通の生活の中にあったし、それが当たり前だった。亡くなった人は、決して「無くなった」訳じゃない。何処かで見守ってるという認識で、シャンとして生きるように親から教わった。

    ひたすら悲しい出来事でしかない。だからこそ、寄り添える何かが有っても良いんじゃないかと思う。

  • 震災に合い大切な方を亡くして途方に暮れて過ごしている遺族の方
    その生活の中で、亡くなった方が夢に出てきたり、
    第六感。または虫のしらせで感じたりした話が載せられている。
    私は震災経験はないですが、大切な人を亡くすと似た感情を知り
    もがき、夢で会いたくなったり、「これってもしや・・・?」みたいな
    偶然の一致や感覚を経験した事あります。
    だから、現実離れというよりは、実際にあったんだろうと思いました。
    1万8千人の方が突然命を落とし、その家族、友人、知人達にも
    それぞれの物語がある。
    亡くなっても近くにいて欲しい、感じたいと思って当然だと思います
    その感覚こそが、生きる希望に繋がっている。
    死と隣り合わせで生を生きている。

    その当時の凄まじい様子も垣間見れてきて、想像を絶する想いです
    遺体を捜す。豆が出来てつぶれても歩くしか手段がないから必死で探す
    見つけられても時間が経っていると袋に入っていて触れられない
    自分で火葬場を探す。見つからず山形まで行ったなど。
    放心状態で、空腹で、睡眠不足で、家も家族も失い
    何も出来る状態じゃないのに・・・。泣けてくる
    特に小さなお子さんを亡くした話は読んでいてもつらい
    魂でもそばにいてあげてと思いました。
    自分にもそばにいてほしい人はいる。時々感じる偶然の一致だけでも
    とても嬉しくそれだけで前向きになれる

  • 震災で肉親を亡くされた方の、不思議な体験の聞き語り。
    突然の巨大災害で最愛の人を亡くした悲しみ、助けることができたのではという悔い、残った者として生きていかなればならない現実。そんな中、亡くなった方の気配や夢に支えられて、前に進み始めた遺族の話が16話掲載されている。
    理性的には信じがたい話だが、詮索せずにそのまま受け止めたい。
    お子さんや孫を亡くされた方の「成仏しなくていい、そばにいていつでも出てきて欲しい」という語りが胸を打つ。

  • 霊体験というより、生きている人間の能力が起こしている、不思議だけど理にかなった現象だと思えた。

  • 不思議なことがいっぱい書いてあったが、実は僕は不思議と感じつつ、さもありなん、と自然に受け入れていた。

著者プロフィール

奥野 修司(おくの しゅうじ)
大阪府出身。立命館大学経済学部卒業。
1978年より移民史研究者で評論家の藤崎康夫に師事して南米で日系移民調査を行う。
帰国後、フリージャーナリストとして女性誌などに執筆。
1998年「28年前の『酒鬼薔薇』は今」(文藝春秋1997年12月号)で、第4回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞受賞。
2006年『ナツコ 沖縄密貿易の女王』で、第27回講談社ノンフィクション賞・第37回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。
同年発行の『心にナイフをしのばせて』は高校生首切り殺人事件を取り上げ、8万部を超えるベストセラーとなった。
「ねじれた絆―赤ちゃん取り違え事件の十七年」は25年、「ナツコ 沖縄密貿易の女王」は12年と、長期間取材を行った作品が多い。
2011年3月11日の東北太平洋沖地震の取材過程で、被災児童のメンタルケアの必要性を感じ取り、支援金を募って、児童達の学期休みに
沖縄のホームステイへ招くティーダキッズプロジェクトを推進している。
2014年度より大宅壮一ノンフィクション賞選考委員(雑誌部門)。

「2023年 『102歳の医師が教えてくれた満足な生と死』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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