- Amazon.co.jp ・本 (172ページ)
- / ISBN・EAN: 9784104669035
感想・レビュー・書評
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絲山秋子さんの作品は「沖で待つ」「ラジ&ピース」を読みました。
「沖で待つ」は芥川賞作品です。
これも短く読みやすかったです。
赤城山、高崎、前橋と群馬県の地名が出てきます。
「ラジ&ピース」も舞台は群馬県でした。
ヒデという20歳過ぎの男と額子という27歳の女の二人が中心です。
「ガクコさんてどんな字書くの」と聞かれて額子は「額田王の額」と答えますが、ヒデは額田王を知りません。
19歳からの2年間ヒデはあまり大学に通わずに額子に狂っていました。
そして結婚が決まった額子に捨てられてしまいます。
その後、ヒデにはネユキという新しい恋人ができますが、ネユキは宗教にのめり込んでしまい、ヒデと言葉が通じなくなってしまいます。
ネユキはその後、その宗教団体の中の殺人事件で逮捕されてしまいます。
このことでヒデはショックを受けます。
大学を1年遅れて卒業したヒデは就職します。
ヒデは28歳になったころ、私立中学の教師をしている翔子という恋人ができます。
ヒデは酒浸りになり、翔子の両親はヒデと翔子の結婚に反対します。
ヒデと同棲していた翔子は出ていきます。
ヒデは飲酒運転で事故を起こし、免許を取り上げられてしまいます。
このあとはヒデの更生物語です。
依存症から抜けるために断酒会に参加したりもします。
結婚していた額子が夫の運転する車の事故で片腕を失い、その後は一人で暮らしているということをヒデは耳にします。
額子のいる尾瀬付近の山里をヒデは訪ねます。
まだ35歳くらいなのに白髪になった額子を見てびっくりします。
額子は通信制の大学で勉強したいといいます。
蜻蛉日記や更級日記など1000年も残るような文学を読みたいと言います。
「ばかもの」という題名ですが、このせりふが最初と最後で巧みに使われています。
読後感の良い作品でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
絲山さんのこの秋の新刊は、タイトルどおり、「ばかもの」を描いた長編です。しかしこの「ばかもの」という言葉には、とてつもない愛おしさに満ち溢れていることが、読み終わるとわかります。
物語は、19歳の大学生ヒデと27歳の額子のセックスシーンから始まります。
ヒデこと大須秀成は、自分に自信が持てないヘタレ。気の強いSな恋人額子にイジめられっぱなしだけど、そんな彼女が好きで離れられない。ところがある日、額子は、ヒデを公園の木に下半身丸出しで後ろ手に縛り付けたまま姿を消してしまう。
ヒデは大学卒業後、家電量販店に就職し、大学の同級生加藤を通じて知り合った翔子と付き合うようになるが、この頃から酒に溺れるようになっていく。これではいけない、酒をやめようと何度も決心するが、その苦痛に耐えられず、<できねえ><どーせだめだ><今日はもうやめにしよう><でも明日>の繰り返し。
そんなところにふらりと現れた、かつて額子が飼っていたホシノという犬。次の瞬間には額子の母が、自分の経営するおでん屋から姿を現し、懐かしい再会をする。<おばやん>といろいろ話をしているうち、自分と素直に向き合うようになるヒデ。
苦しいです。とにかく苦しい。抜け出したい、抜け出そうと思っても抜け出せない自分の弱さ。はじめは軽く読み始めるんですが、読んでいくにつれて笑えなくなってくる。ヒデの苦痛がこっちにも伝わってきて、息苦しくて息苦しくて、途中で本を伏せて深呼吸したくなります。
でも、これはすごい作品です。わたしは、これは絲山さんのこれまでの作品の中で最高傑作かもしれない、と思っています。読んでいる時、「わたしはもしかしたら今すごい作品を読んでいるのかも」とちょっと空恐ろしい気持ちになりました。何度サブイボが出たことか。
この小説では、大学の友人ネユキこと山根ゆきとの交流も忘れてはいけません。ヒデが彼女の部屋に行って泊まったりもする仲ですが、決して男女の関係ではない。いつも自分の道をゆくネユキとはいい友達だった。彼女はヒデの生活の要所要所で登場し、そのつどヒデに大なり小なり衝撃を与えます。
また最も大事なのが<想像上の人物>。これは文字どおりヒデの想像の産物、なのでしょうが、ヒデには見えるし、肌で存在を感じることもできる。その正体は、わかりません。けれども、ヒデには、というよりこの小説には欠かせない、ものすごく大きな存在なのです。このあたり、『海の仙人』を彷彿とさせますが、わたしには本書の方が現実的に迫ってくるものがありました。
そして額子との再会。これがもう、最大のサブイボポイント。胸がぐぐっと締め付けられました。「ばかもの」という言葉がこんなに切なく愛おしいものだったなんて。
軽く読めるのにこの深さ。200ページ足らずでこの濃さ。つくづくすごい作品です。
この小説には、痛いほどに、人間の弱さが描かれています。
でもちゃんと救いがある。これこそが、この本がサブイボ小説であるゆえんであります。
つまりは人間って、みんな愛すべき「ばかもの」たちなのです。
読了日:2008年10月9日(金) -
round about―迂回、してたどり着いた。10年かかった。
いつだって居場所をさがしていたんだ、とヒデは、アルコール依存性の果てに、それを克服したあとに、額子に再会したとき思った。
でもね、あなただけじゃないよ、人は誰だって居場所をさがして、希求して、実はあえいでいるのかもしれないよ。
「ばかもの」は、なんでこんなに?と思わせられるセックス描写に始まり、目を背けたくなるようなヒデの堕落の日々を見せつけられ、最終的には、左手を失いかつての刺々しさを失くし痛々しいほどに優しく、芯から強くなった額子に再会し、いっしょにやっていこうかなぁ・・といういささか頼りなげな、だからこそ大切にしたいひかりが見える・・・といったストーリーなのだが、なぜこれだけのことに言葉をなくすほどに考えこまされなければいけないのか?読み終わって一週間以上もやもやを抱え続けていた。
わたしはとりたてて障害もなく結婚し、二人の子を授かり、日々の小さなしこりはあったとしても、それはそれで暮らしている毎日。もちろん生活していくうえでのしんどいことはある。胃の痛む思いをしたことだって一度や二度ではない。しかし取り返しのつかないような喪失は、多分ない。
ささやかに、生きてさえいければ、もうそれだけでいいから、と願うほどのギリギリも味わってはいない(もちろんそれは幸せなことだ)。
左腕を失った額子が、再開したヒデに浴室で右の腋毛を剃ってもらう場面がある。
生活のほとんどを、車の運転さえもできる額子でも、それだけはどうしてもできないことだった。
きっと、他の誰にも頼むことができなかったこと。
ズボンのすそを捲り上げたヒデが浴室に入ったとき、裸になって、そろえた足にタオルをかけて浴槽に向かって腰かけた額子は、孤児のようにヒデを見上げた。
不安で、でもすがりたくて、今にも泣き出しそうな気持ちを顔をゆがめながらこらえて、笑顔をつくっていたんだろう・・。
ヒデが額子の腋にあてるかみそりの音までが聞こえてきそうな、しんとした切なさが張りつめていて、圧倒された。
ああ・・だからなんだ。
心のどこかでちくりと、羨望したのかもしれない。世界の一隅に吹き寄せられて、唯一寄り添えられる二人となった額子とヒデに。
これほどに切なく、無器用な、愛すべき‘ばかもの‘ には、とうていわたしはなれないだろうから。
(そのことに気づいて、認めるまでに1週間かかったということだ) -
ばかものだけど,こういう前半生もありだな〜ヒデは9歳離れている額子に呼ばれると何を差し置いても出掛けて行かざるを得ないほど,額子の肉体に夢中で大学にもロクに通っていない。そもそもの出会いはバイト先が同じスーパーだったことだった。ある日,公園の樹に後ろ手にベルトで縛られ,パンツを下ろした状態で,「結婚するから」と別れを告げられた。何故か,大学4年次には持てる時代が続き,留年して卒業した後の家電量販店で働き始め,友人の妻の親友と暮らし始めるが,酒を飲まずにはいられない日々が続き,パートナーに暴力を振るうらしく,誰もがアルコール依存症だと云う。直したい気があっても踏み切れないまま,会社を辞め,バイトはラーメン店に落ち着く。額子の母の店を訪ねると,事故にあって離婚し,片品に独りで住んでいると聞く。アルコール依存症を治療するために3ヶ月入院し,運転免許も失効し,電車とバスを乗り継いで訪ねた片品で右手一本になった額子は幾分,柔らかくなってヒデを迎入れ,アルコールに逃げようとするヒデを救ってくれた。ラーメン店も駅前に進出して失敗し,額子の許で小さな仕事をしながら暮らしていくしかないと覚悟を決める〜悪くない・・・新境地かも知れない。彼女が群馬に籠もって書いたものだろう。地元の中高大と進んだ若者が,どのようにうらぶれて救われていくか,榛名山や赤城山,片品も訪れてみたくなる
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いーんじゃないの、これ。
久々に私的絲山ヒット!という感じ。
ギリギリと痛くって、ぎゅーっと圧迫されて、最後はパーッと。
ずーっと暗闇にいて、なんだかまわりがもうすぐ明るくなりそうだって予感があっても、やっぱり突然明るくなったら瞳孔は自然にぎゅっとなっちゃうものなんだなというこの新鮮さ。
あと、上り調子のイイトコで終わってるのもイイなと思う。いい意味の無責任が心地よかった。
翔子ちゃんとか加藤とか家族とかほっぽりだして、なんだ最後の一文のあの爽やかさは。
「ばかもの」というタイトルが秀逸でした。
「海の仙人」や「袋小路の男」とは並べられないけれど、それでも、やっときたか!の星5つ。
★
死んではいけない理由を重ねていって、それを数えたいなんて甘えとしか言いようがないが、たぶん俺はその甘えを翔子に対しては暴力という形で表してしまった。翔子が二度と俺みたいな男に出会わなければいい、と思う。
たぶん俺はずっと誰かに甘えたい男なのだ。でもそれはこういう形じゃない。もっと誰も不幸にならないような甘え――そんなことは可能なのか。
そうだ。俺はあらゆる人から軽蔑されることが怖い。両親に。ネユキや加藤に。いなくなった翔子に。額子に。そして額子の母親であるこのおばやんに軽蔑されたら、俺はまた新ではいけない理由を見落としてしまいそうだった。俺は何よりも軽蔑されることが怖くて、それ以上に自分で自分のことを軽蔑してきて、それなのに人から軽蔑されることを長い間、ずっとやってきたのだ。
ヒデは粘土細工に刺した竹串のようにやすやすと自分が作った柔らかい傷の中にめり込んでいく。なにより金が一番問題なんだ。時間を潰し、親からの借金を返すために働くことが。一人前の社会人、というものが今の自分にとってどれだけ遠いことか。社会というのは下車前途無効の切符なのか。俺は途中下車してしまったのか。もう二度と特急には乗れないだろう。鈍行だったら乗せてくれるだろうか。俺はまだ廃駅にはなっていない、俺の前にきっと電車は止まる。
ヒデは自分が依存症のために犯してきた罪について、どこまで敏感であっていいのか分からない。いつまで家族に申し訳ない気持でいればいいのか。そういうことに慣れてしまっていいのか。どこまでが病気のせいなのか。
頬が熱を持って内側からびりびり痛む。
痛快ってこういうことなのか、とヒデは思う。
片腕でなんでもこなす額子の強さが、俺の依存症を撃退する。
「容易じゃないねえ」
「ああ」
ほんと、容易じゃねえ。何もかも。
でも、案外平静な気持だ。
何も考えずただ木に登っていく額子が、だんだん、完璧な生き物に見えてくる。 -
129:これを書くのは苦しかったんじゃないだろうかと勝手に想像。登場人物たちの苦しみや葛藤を描写するのは本当にしんどいことだと思うのです。アラサーだとかアラフォーだとか、そんなくくりを軽々と飛び越える柔軟なヒデと額子が幸せであってほしい。
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そこかしこに グンマー。
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『ばかもの』
口は悪いし、酷いし、女としてどーなの、タイプなのに
結局救われたね
いや、主人公のアル中な描写は結構きつかったけれど、目を覚まして
おばやんの元に行って改心出来たのは良かった
『ばかもの』
って無駄に言ってやりたくなった、この本読んだら
でも木に縛り付けるとかちょっと普通じゃないと思うwどうかしてるw