バカの壁 (新潮新書)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (204ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106100031

感想・レビュー・書評

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  • #読了 2019.4.27

    先日読んだ「天地明察/冲方丁」の解説を養老孟司さんが書いていて、そういえば長年積読に混ざっていたなと引っ張り出した次第。
    出てくる話は2003年当時の感覚のものが多いので、当時を知らない人には正しくニュアンスや温度感が伝わらない箇所もあるかと思う。

    たとえ自分の中でそれが真実でも、相手の中での真実が別に存在することもあって、それがお互いの正義となってぶつかることがあると思う。それはそれでしゃーなしで。
    ただ。相手を否定しなければ自分が肯定されないってわけじゃないから。自己肯定のために相手を攻撃するのではく、むしろ他人に対してもう少し我慢したり、許容したり、ときに無関心になってもいいんじゃないかなぁ。

    2003年発売のこの本、私は当時大学二年生。確かにそういう時代だったなぁと思い返しながら読んだ。
    高校入学に合わせて、周りの子達はPHSを買ってもらう時代だった。うちは厳しかったので私は大学一年生のときにバイトをして初めて自分の携帯電話を持った。そういう時代。
    携帯電話が1人1台になり始め、大学でもパソコンの授業が始まり、いつでもネットに触れる環境になりつつも、それでもネットやパソコンに詳しい人はオタク扱いされ、それをオープンに自負できるような空気ではまだまだ無い頃。
    辞書を引くより、ネット検索することが多くなり、メールが頻繁になり、コミュニケーションの仕方も大幅に変わっていった、そしてゆとり世代前の勉強詰め込み世代であり、且つバブルを知らない世代。自分で言うのもなんだが、上の世代から見れば、社会で戦う馬力は弱いが勉強だけは頑張る、養老孟司さんが言う通り、すぐ正解を知りたがる世代、だったかもしれない。(その後にもっと馬力の弱い世代が来るのだがそれは置いといて)

    大卒が当たり前になり、特別なステータスではなくなった。大卒でもフリーターになることを世間に黙認され始めた頃、不景気と言われながらもリーマンショック前の景気あたりは契約社員や派遣社員などの非正規雇用社員を増やした頃だとも思う。

    そんな時代背景もあってか、当時は確かに「個性」とか「手に職」とかよく言われていたように思う。
    そこに疑問を投げかける点など、とても養老孟司さん節!という感じがした。

    この本の要点は、つまり一元論は危険だと言うこと。これは当時まだ記憶に新しい95年地下鉄サリン事件、97年京都議定書、2001年アメリカ同時多発テロ事件、などの時代背景を根拠に話が進められていくが、2019年この時代においても当てはまることだなぁと思う。
    2003年当時のメインSNSはmixiだったと思うが、その後Twitter、アメブロ、Facebook、Instagram、LINE、TikTokなど様々なコミュニケーションツールで情報収集すると同時に、自ら情報を発信し、まわりがそれに反応するというコミュニケーションを取るようになっていった。その多くが本名を隠してコミュニケーションが取れるわけだ。
    それはこの本がバカ売れした2003年当時よりも一元論者(自覚、無自覚ともかく)が増える環境であると思う。"炎上"などは正しい反応もあるけど、おおかた一元論者ばかりが反応する現象だなぁと思ったりする。(それが商法として成り立ってしまってはなんとも言えないが。)

    元々、私は多分自分の意志が他の人より強くて声も大きいタイプだと思うから、普段から一元論者にならないよう気をつけようと心がけてはいる(つもり)ので、作者の主張には基本的に共感する部分が多かった。
    今後も自分の意志を持ちつつも盲目的にならずに広い視野でいろんなものや人と関わっていきたいなぁと思う。

    あとは、そうだな。
    養老孟司さん独特の強めの言い回しが、一元論に聞こえるような部分がある気がして。
    まぁ、そこは「雪が溶けたら何になる?=春になる」と答えるような文系頭の私にはド理系の強さにあてられただけかな?(笑)

    普段、小説ばかり読んでいて久々にこの手のを読んだ。頭使うね(笑)
    ほら、小説って作者自ら「どういう風に受け取るかはあなた(読者)次第ですよ…うふふ」みたいな空気あるけど、この手のは「私はこう思っているのだ!それが伝わるよう最大限努力して綴った文章だ!どうだい?伝わったかい?」ってかんじじゃない?(違う?w)
    正しく読み取ろう!って部分に関しては普段甘えて読書してたなぁって気付いた。
    まぁ。だから小説が好きなんだろうなぁ。相手の気持ちを正しく読み取ろう!なんてパワーの使い方は、普段の人間関係(ネット含む)の中だけで充分です(笑)
    自分が受け取ったままに受け取っていい小説がひとつの癒しです。
    と言いつつ、この手のもたまには読んでいきたいなぁ。

    ◆内容(BOOK データベースより)
    イタズラ小僧と父親、イスラム原理主義者と米国、若者と老人は、なぜ互いに話が通じないのか。そこに「バカの壁」が立ちはだかっているからである。いつの間にか私たちは様々な「壁」に囲まれている。それを知ることで気が楽になる。世界の見方が分かってくる。人生でぶつかる諸問題について、「共同体」「無意識」「身体」「個性」「脳」など、多様な角度から考えるためのヒントを提示する。

  • 「「平成」をふりかえる」という企画展示に関連して、平成の30年間のベストセラーをいろいろ読み始めようと思い、手に取りました。

    発売当初から各方面から注目された話題書であったこと、また養老孟司のキレのある筆致で社会に漂う閉塞感や「いきづらさ」の文責がなされていること(執筆されたのは15年以上前になりますが)など、まさに「平成」を代表する1冊であるように思います。

    「個性」を尊重する風潮に対する批判は、いわゆる「自己責任論」などにもみられる共同体の崩壊とも関連する部分があるように思いましたし、冒頭の「第1章 「バカの壁」とはなにか」は現在の中学高校生にもぜひ読んで欲しい本です(もちろん、その後の議論も難しい内容ではないので、最後まで読んで欲しいところではありますが)。

    議論の展開として、過激な部分や極端な部分もあり、作品の全部分についてもろ手を挙げて賛同する、とまではいきませんでしたが、平成の後に来る時代を生きてゆくうえでもヒントとなると思います。

    また、個人的には「文武両道」という言葉についての記述も強く印象に残りました。

    P.94~
    江戸時代は、脳中心の都市社会という点で非常に現在に似ています。江戸時代には、朱子学の後、陽明学が主流となった。陽明学というのは何かといえば、「知行合一」。すなわち、知ることと行うことが一致すべきだ、という考え方です。▼しかしこれは、「知ったことが出力されないと意味がない」という意味だと思います。これが「文武両道」の本当の意味ではないか。文と武という別のものが並列していて、両方に習熟すべし、ということではない。両方がグルグル回らなくては意味がない、学んだことと行動とが互いに影響しあわなくてはいけない、ということだと思います。

    何はともあれ、「自分が正しい」と思いこんだり、「自分なりの”個性”を出さなくては」としゃかりきになったりすることなく、様々なものに目を向け、「知る」ということ、実物を見て考えるということを大切にする必要がある、という話なのだと思います。

  • 普段何となくそうだろうなーと思っていることが書いてあった。でも、私の考えは漠然としているものだったが、それを論理的だったり、著者の豊富な経験から考察してあって読むのが楽しかった。

    著者の言っている「バカ」を考えながら読むと楽しいかもしれません。

  • うーん,主義思想はともかくとして,立論に疑問が…。新書であることを考えても,ちょっと。
    全体的に,こじつけや極論が多い。特に3章と4章。
    その結果,情報と人の不変性について「あべこべ」が生じているという筆者の主張にも納得できなかった。

    第3章の「個性」の考え方について,精神病患者をたとえに挙げる理由がわからない(極論)。マニュアル人間の話も唐突で批判になっているようには思えない。自分はマニュアルなんて要らないという話もそれは貴方がそうだろうというだけの話。
    また,イチローや中田英寿らスポーツ選手のみを例に身体的な個性は生まれつきと断定している(実際に彼らがそうなのかはともかく)。後に引用するピカソのような芸術家の個性については触れず。

    4章でも,問いと答えがかみ合ってない(60頁)とか,「武士に二言はない」(64頁)との諺を引用しつつ武士以外には触れないとか,細かい疑問点を挙げていけばキリがない。

    また,筆者は「人間であればこうだろう」という原理を重んじようとしているようだけど,それは筆者の批判する「一元論」と矛盾しないのだろうか。「人間」に対する考え方は文化や宗教によって違うわけで,普遍的な原理にはなり得ないように思うのだけど。


    「唯脳論」ではちゃんと議論されているのでしょうか。

  • y=ax
    インプットの仕方でアウトプットが変わる

  • 読んだことなかったので。
    20年前の時点でニューラルネットについて触れられていて、かつ説明が的確だったので驚いた。見えてる人には見えてるのねー

  • きっと8年前くらいに読んでる。
    あの時はさっぱり響かなかったけど、今読むと面白かった。
    ・イデア
    ・知行合一。知ったことを出力されないと意味がない。それが文武両道
    ・働かなくても食える。それを理想の状態だとしてきたが、ホームレスは理想の状態ではない。そんなあべこべだらかの社会になっている。
    ・特定のことに対しての出力がすごい人。それがオタク
    ・カーストはワークシェアリング
    ・バカの壁。壁の内側だけが世界で、向こう側が見えていない。向こう側が存在することすら分かっていなかったりする。一元論

  • バカにならないために、もっと多様な見方ができる人になりたい。

  • 養老先生が語ってきたことを編集者がまとめた形の著者のため、話が散乱している印象だけど、何とか読み解ける部分もある。

    そもそも「バカの壁」とは何なのか。
    それは「こうに違いない」「唯一の正解はこうだ」とする「一元論」にはまり込んでしまった人に立ちはだかる、強固な「フィルター」であり「楔」だ。
    その向こう側にいる人のことが全く見えなくなる。そしてひょんな事で向こう側の人と対峙すると、相手を「おかしい」「危険だ」とみなしてしまう。

    一元論にはまりがちな人は、自分を絶対視する。「揺るぎない自己」を信じて、「個性」を過剰に重んじる。
    本当は個性なんて生まれながらに備わっている身体そのもの。共通理解、言語を用いた論理性を身につける過程で自ずと与えられているものに気付くものだ。
    「個性を伸ばせ」より、「人の気持ちが分かるようになれ」と、教育し、与えられているものを自他ともに発見することが大切。

    「頭が良い」「利口だ」とは、相手の気持ちが分かり、相手が納得するような「共通理解」作り出す、論理性、言語力があることだ。それでしか測れない。とさ。

    もひとつ、「無意識」を意識し、「身体」を思うように動かせるようになることの重要性。
    現代は脳化社会で考える時間が長く、例えば農作業だの工場作業だの肉体労働をし考えるより手を動かす、なんてことが減った。結果、体の取り扱い方が分からなくなる。ヨガだの瞑想がもてはやされるのはその反動か。
    考えていることと行動が一致するためには、「意識」も「無意識」も自分の一部だと分かっておき、どちらも大切にすること。

  • /*/ 「なるほど…」と納得 \*\





     (→タイトルを受けて…)そしてその納得は
    良い意味での諦めへと移行していく部分もあり…

     個人的な感想ですのでお仕着せでは言えないが。

    私の場合は特に…
    性別を問わずして「未経験者」と「経験者」との間で
    生じがちになる思考の違いや、
    「男と女とでの捉え方の相違」、
    物事に於いて「心に掛けるフィルター」
    それ自体が
    人さまざまに異なった色を映しだす…

    といったようなことをひじょうに分かり易く
    展開させ説明されている部分に納得すること頻り。

    馬鹿はしななきゃ治らない?いや、死んだらおしまい。

    要はその前に、
    少しでも相手(異性・異なる性格の人)を
    総括的に捉える手段として、
    「この人は、こうだから無理ないのだ」的なフィールドから
    相手を眺めることができるようになった気がする。

    時にはマンウォッチングのようなものをしながら、
    「短気野郎」「上から目線野郎」
    「常に高飛車にでてくる者」「知ったかぶり野郎」

    そんな方たちと相対する時に、
    養老氏の分析がどこかで大いに役に立っている、
    そんな感じがしてならない。

    ときどき読み返したくなる充実の一冊だ。



    【2015-11-13(Fri) 追記】

    生命の生産、出産、育児(育メンも居られますが、ここでは敢えて度外視とさせて戴いての追記とします。なにとぞ悪しからず)は、女性にのみ神が与えし歓喜と苦痛の試練。
    そこで生じる心身の苦痛は、男性(夫・父親)には男性なりの責任感としてお有りでしょう。

    実質、出産の苦痛はおおよそ殿方にとっては、想像の範疇から脱し得ないものがあるかと。

    ここで、言い添えたいと感じ本日この追記に至ったのは…
    『男女の肉体構造の相違の裾を拡げていくと更に、生まれも育ちも違う人々がこの地球(ほし)で共存共栄していかねばならない訳で…
    想像域で凝り固まった思考を押し通していたのではいけないーーー
    変わってはいけないものと、柔軟に受けとめられる理解力に富むことが、時にとても大切であるということ』

    それを改めて感じている自分が居ることを今宵ここに書き記しておきたかった次第である。

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著者プロフィール

養老 孟司(ようろう・たけし):1937年神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。医学博士(解剖学)。『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。『バカの壁』(新潮社)で毎日出版文化賞特別賞受賞。同書は450万部を超えるベストセラー。対談、共著、講演録を含め、著書は200冊近い。近著に『養老先生、病院へ行く』『養老先生、再び病院へ行く』(中川恵一共著、エクスナレッジ)『〈自分〉を知りたい君たちへ 読書の壁』(毎日新聞出版)、『ものがわかるということ』(祥伝社)など。

「2023年 『ヒトの幸福とはなにか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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