- Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106103988
感想・レビュー・書評
-
直接は言わず、それっぽいフォローもあるけど、拡散な電通は前近代。収束なリクルートは近代。そんで現代は憧憬なんて広告にはない、自ら自分らしさを定義して、それにふさわしい生き方を決める時代だよ、と。自らで決めなきゃいけない、というマイナスな面も含めて。
踊らされる、と言ったら負のイメージだけど、BGMに合わせて一斉に踊ってる方が幸せなのかも。
でも自分はへそ曲がりだから、自分でホントに選択しているんだ、という錯覚に陥ってしまってることに気付き、いや、合理的な生き方であればなんでもいいや、と割り切るまではもう少し時間がかかりそうだ。
映画やら飲食店のレビューは、事前の期待値との答え合わせをしている表現が多い。という部分が最もたしかに。と思った。
後半になるにつれ、一気に原稿書いたんだろうなーという、高揚感があった。舞い上がったふわふわした表現ばかりで、もう一歩踏み込んだ結論出してもよいのでは。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日本の広告および情報産業というものを理解する上での必読書。なぜ?電通が広告業界トップなのか、リクルートが情報産業をリードしてきたのかが腹落ちする感覚を持って理解できます。
特にR系の企業文化を持つ会社にお勤めの人であれば「なるほど!」が連発だと思います。 -
両者の特徴というよりは、両者が生活者の変化にどう関わっていたかということが生活者中心で描かれている。
ちょっと読む目的とずれてたから、とりあえず積んどく -
元博報堂の著者が元栓型の電通と、毛細血管型のリクルートについて、人の心の変化をベースに歴史を記している。リクルートを人材派遣サービス、編集業だと認識している人にとっては広告という視点で描かれているので面白いかも。私もフツーに読みました。図書館で借りた。
以下メモ
•電通は日本広告株式会社、リクルートは大学新聞広告社が創業時の社名。
•サントリーが金曜日にはワインを買いましょうというキャンペーンを1972年に行った。金曜を木曜の次の日、というだけでなく、ワインを買う日と定義しようとした。また、ワインをぶどう酒だけでなく、家族で金曜に飲むもの、と定義づけた。広告の役割は辞書の書換。
•土用の丑の日、も同じ。
•より多くの人の辞書が書き換わることでより大きな市場の変化が起きる。
•広告の対象物自体が大きく変わらなくても辞書は書き換えることができた。
•百貨店はモノを作っているわけではなく、広告で特定の店で買うことになんらかの意味を持たせようとしたのが、西武やPARCOの、不思議大好き、や、おいしい生活。
•書き換え広告の頂点が、JR東海のクリスマスエクスプレス。単なる新幹線を、恋人達を結ぶ列車にした。
•広告クリエイターは変換スキルが求められる。新幹線は京都に連れて行ってくれる乗り物、ともいえるし、環境に優しい移動手段という位置づけもされた。
•人々は広告になかなか踊らされない。踊ってもいい曲をずっと待っていて、これならば、というときに踊る。
•クリスマスエクスプレスは新幹線の定義を書き換えただけでなく、キリスト教イベントのはずのクリスマスの日本的定義、好きな人と一緒に過ごす、を作ってしまったと言える。そしてそれを多くの女性が納得した。
•リクルートは徒歩1分80mというルールを作り出し、瑕疵物件や囮広告の審査機能を強化して、住宅情報、を作った。
•テレビ番組をただで見るコトができ、不動産の購入や結婚転職情報を調べるにはインターネットをみれば良い。こういうコトが可能になったのは電通やリクルートが頑張った結果。がしかし、わざわざ感謝しようとする人はいない。それどころか、広告は常に批判的な文脈にさらされる危険を持っている。陰で何かを仕組んでいるというイメージ。
•近年の広告論は、人々に情報を届ける技術、ばかりだった。情報を受ける人々の心の変化について論じなければならない。水路の技術ではなく、人々はどうしてコンクリートのようになったのか。人々の心を理解しなければ、どんなに上手に水路を作っておいしい水を届けても意味がない。皆蛇口を開けようとしないし、せっかくのおいしい水をおいしいと思わないから。
•ここ最近は、商品自体に革新性がなければ広告だけで付加価値をつけるコトは困難。UNIQLOは有名人を起用したイメージ広告によってブランドイメージを高めたかもしれないが、毎週印刷される数千枚のチラシとその価格と品質を実現するイノベーションがあったから支持された。昔のファッション広告とは違い、企業の総力でカジュアルファッションの定義を書き換えた。
•食べるラー油もそう。調味料を食べるもの、と定義し直した。商品自体に極めた広告的要素があった。
•オリンピックなどで、感動をありがとう、という声が目に付く。なぜ、おめでとう、ではないのか。自分の感動の期待値を満たしたコトによる感謝。食べログでのコメントも、自分の期待値についてどうだったか、のコメントばかりになっている。 -
電通とリクルートの二つの企業を、「広告」という共通項に基づいてその歴史や、そういった歴史を生んだ社会的な背景を書いた本。
電通はテレビや新聞などのマスメディアを利用した発散志向広告であるのに対し、リクルートはインターネットや情報誌などを利用した収束志向広告という風に対比し、その時代に人々はどういった情報を必要としていたのか、それに対して広告がどういったスキルでもって作られたのか等々について書かれている。
今まで、リクルートは人材サービスというイメージが強かったため、広告という違った切り口での捉え方、電通との比較は興味深かった。 -
何が言いたいんだっけ?
-
2011/6/30読了。
日本人の消費行動の変化を、電通とリクルートという広告業界の変遷と、人々の欲求の変遷から考察した1冊。
電通のようなマス広告が得意とする発散型の広告と、リクルートが始めたライフステージ毎の重大な決断に必要な情報を集めた収束型の広告の隆盛は、それ自体が消費社会の姿を映す鏡であり、そこに社会的な趣向の変化を見出すことが出来る。単なる物質的な豊かさから選択できる豊かさへとシフトしてきた趣向が、今はその"選択"自体もある種の幻想であることが見えてきた時代であり、発散型と収束型の融合という広告の新たな地平が、人々をどう動かしていくか見ものである。
この本の中で一番印象的だったのは、現代の消費が、ランキングや権威のお墨付きという情報から得た"期待"の"答え合わせ"になっているという部分である。ホテルやレストランだけでなく、就職活動も一例にあげられており、振り返れば思い当たる節があった。消費そのものを喜びに感じる、つまりは自分で消費の価値を決めるという原点に立ち返ろうと感じた。 -
C0236 元博報堂なのに第3者的視点なのが気になりますが、前半はよく出来ているかと思います。マス広告で夢を拡散させて、収束型で(辛い)現実に向き合わされるのは、なるほどと思いました。
-
広告と情報の戦後史
80年代をリアルタイムで過ごしてたら、リクルートのすごさをもっと感じてたもしれないなー。
広告って、なくても生きていけるものっていう点では自分とこの会社とは対極にあるようなものだけど、当たり前のようにそこにあるものっていう点ではすごく似たとこにいると思う。
絶対にないと生きていけないものを、当たり前のように存在させるために頑張る人達もすごいしけど、なくても生きていけるものものを当たり前のように存在させ続ける人達もほんとすごいなあと思う。
だからどっかで広告に携わる会社のことは他の会社より好きな気がする。 -
生活者を主語にしてまとめている、と本書では各所で言われていますが、基本的には2社の事業の歴史を、生活者の心の流れに沿って追った2軸展開。すごく分かりやすくまとめられています。
-
6/20
電通は発散型広告。リクルートは収束型広告。
営業っていうのは、ゼロから仕事を作ること。電通や博報堂とかの代理店の営業は営業ではない。リクルートのように自らメディアを開発して、そのためにあちらこちらに営業へ行くわけではない。いわゆる総合広告代理店の営業は代々にわたって引き継がれた取引関係を維持することが最大の責務だった。
一部の大手広告主が広告代理店に対してメディアバイイングの腕を競わせるようになってきた。二千年ごろから。
新聞を下から読め。江副さんの言葉。新聞の下、つまり何が広告されているか。そしてそれらの広告を新たにメディア上に再編集することにビジネスチャンスを求めた。
名刺交換。リクルートの出身者からは名刺を頂くという気持ちが強く伝わってくる。頂いた名刺が彼らにとってはビジネスの種。もらった名刺はやがて収益に変えなくてはいけない。
マス広告の全盛期の時代は広告のコピーが対象に意味を与えた。しかし、インターネットの時代で威力を持つのはランキングの数字だ。現在のランキングは【いま何が評価されているのか】を知り、消費のリスクを軽減させるための情報。
【物から心へ】というほど話は単純ではないり経済的には【まだまだ】と思っている人も多い。そうだとすれば【より自分の力を磨いて、豊か生活をしていく】ということが幸福になっていくことではないだろうか。
広告史を紐解くたびにいつも感じるのは、新たな地平を切り拓くのは現場で制作をするクリエイターの嗅覚だということ。そして、しばらく経ってデータや理論によって、そうした流れが体系化されて、新しい枠組みとなっていく。
分衆・少衆マーケティングはインターネットによってようやく具体的な戦術を実行できるようになった。
人々が欲しかったのは、モノではなく、モノを買う理由だったのだ。その中で重要なのが、ニュース、合理性、ストーリーという理由。
広告は徹底してリアルな情報を整理してら人々に届けることが使命となりつつある。しかし、気のきいたクリエイターであれば、実は人々がおとぎ話を望んでいることを知っている。だとすれば、価格や新モデルの情報をおとぎ話のフレームに包んで届けてやればいい。ソフトバンクの犬の話がうまく仕上げた例、
メッセージは価格などのリアルな情報。ところが、CM全体の構造はおとぎ話になっている。
答えあわせをするようになっている。消費自体によって喜びを得るのではなく、情報との合致性によって安堵を見い出している。食べログなど。
聖書は読むもの。地図は使うもの。リクルートは使うものをつくり続けてきた。情報誌の読者は現代のバスコダガマかコロンブスだと閃いて、リクルートは彼らのために地図を作るのだと認識を新たにする。 -
電通とRのビジネスモデルとここまでの歴史的背景、長所短所を分かり易く描いている。
この本から見るとあえて具体的には書かないけど、Rが外から見て評価されている点と、身につけると有効なスキルが顕在化する気がした。あくまで一意見だけど現場の人には一見の価値はあるかも。
電通を『元栓』、Rを『毛細血管』(笑)とはうまく言うものだ。 -
2011年40冊目。
「企業の情報を加工して届ける」という共通点を有する電通とリクルート。
両者のビジネスの違いや、その中でも補完し合っている部分を紐解きながら、
歴史の中で動いてきた人々の広告に対する意識を辿っていく。
電通のビジネスを「農耕的」「発散志向広告」「収益の高い元栓をおさえる」と表す一方で、
リクルートのビジネスを「狩猟的」「収束志向広告」「毛細管を張り巡らす」と表すなど、
ワーディングも非常に興味深く、記憶に残るものとなっている。
広告業界に興味ある人はぜひ読んでみて欲しいです。 -
電通とリクルート、どちらも消費社会の変化とともに発展した企業。広告は消費社会の鏡、二つの広告会社のビジネスの在り方を捉え直すことで、消費者の心を明らかにする消費社会論。わかりやすく、さらっと読める。
-
駆け足で読んだから、そこまで深く理解出来たわけじゃない。でも、電通とリクルートという二大情報発信企業の違いは分かった。岩波とかに比べると、新潮新書は分かりやすいね。
-
風呂場で半分くらい一気読みした。
いろいろ考える、というか、考え直すテクスト。
--
後半は飛ばし読み。
本論とは関係ないが、NHKホールの音響の悪さには同意。 -
拡散情報の電通。欲望をCMで世の中全体に拡散して喚起していく。
収束情報のリクルート。欲望を購買に情報誌で収束させていく。
という対比軸の設定がおもしろい。
広告はすべてソーシャルや検索連動になるというのではなく、やっぱり拡散型広告と収束型広告は常に必要だ。ネットは収束型を担うが拡散型は引き続き重要だとおもう。
東北のモノをみんなで買おう、という時代的気分をつくりだすのはまさに拡散型広告の真骨頂。