電通とリクルート (新潮新書 398)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106103988

感想・レビュー・書評

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  • ・発散志向広告と収束志向広告

    ・広告の役割の一つ → 辞書(意味)の書き換え

    ・情報誌を高収益ビジネスとして実現するためには寡占化が必要

    ・消費者自らが「買う理由」を欲している
    ・優秀な売り手は、多くの迷える客に対して「理由」を上手に提供している


    '広告は、夢を見せても夢への道のりを教えてこなかった。その道のりを知りたい、というニーズに応えたのが情報誌であった。'

    '人々が欲しかったのは「モノ」ではなく、「モノを買う理由」だったのだ。'

  • 2011年6月初版
    山本直人 著
    ==

    日本の戦後情報産業史を、広告という領域でそれぞれ異なるアプローチで拡大させてきた電通とリクルートに焦点を当てることで、整理した一冊。

    そうかそういう整理も出来るかーという意味では、
    ありそうでなかったアプローチなのかもなあと思い、
    いろいろと面白く読めました。

    ただ、ちょっと乱文というか、
    結構、一見すると論旨が蛇行して進むように読んでて感じるので、
    「あれ、何の話だっけ?」みたいになる本で、
    ちょっと、集中力を要しましたがw

  • 情報に期待し過ぎていた自分に気が付いた。情報が多いからといって最適な選択肢や幸せは約束されない。あくまでも決断は"これまで積み上げてきた自分の価値観"に則る。

  • ブックオフにて105円で入手。しかし値段に反して面白かったです。

    「電通が日本を動かしている」
    「結局は電通だよ(諦」
    みたいなことを臆面無く言う人がわりといる気がする一方、
    広告業界のビジネスがよくわかってませんでした。
    そのへんのことが書いてあるのかなと思い、書名に惹かれて購入。

    結果としてはそのへんのことはよくわからなかったのですが(笑、
    楽しく読めました。
    これは情報産業を通じて、戦後日本の人々の価値観の変遷を分析した本です。

    分析の視点もさることながら、さすが元広告業界の著者と言うべきか、
    比喩の面白さというか、一つ一つの言葉のインパクトが印象に残ります。
    特に美しく、かつ、本書の要旨がうまくまとまったくだりがあるので引用。

    「自由な消費が始まろうとした頃、人々はマス・メディアという大きな船に乗った。そして、豊漁の後の嵐を経た頃に、小さな船が登場した。人々は徐々に、船を乗り換えた。そして、自ら情報の海を航海しようと試みた。
    それがインターネットの時代である。
    ところが、小さな船ほど潮の影響を受けやすい。気がつくと、小さな船は同じようなところに集まって、大きな船もまた近くにいる。いろいろな大きさの船が離散を繰り返しながら、結局は大きな潮に乗っている。」

    前半は、高度成長期を背景にモノが社会に溢れる中、
    人々は「買うためのストーリー」を提供してくれる発散型広告にのっかったということ。
    しかしこうしたマス広告につきまとう誇大性(本書では「偽リアリティ」)に食傷気味となった大衆は、次第に自分の生き方を志向し始める。
    大衆はマスではとらえきれず、分衆化、セグメント化していく。

    この傾向に対応する存在としてインターネットが出現。
    インターネットにより自分が情報を取捨選択できることで、情報の主導権が企業から人々の手に移ったかと思われた。
    しかし、口コミサイトのレビューが、自分の体験を述べるというよりも「事前の期待値との答えあわせ」をしていることにも見られるように、
    まだまだ外からの情報を求める人々がいる。
    できる限り損をしないように、「情報との合一性に」による安堵を見いだしている。

    しかし時代としては、広告は大きな変化の中にある。


    という感じでした。
    ちょっと乱暴な要約ですが。。。

    広告について初心者すぎて、だいたいの記述を「なるほどなー」と素直に受け入れてしまいました。
    これを読む事で何かすぐに役立つものがあるということはわかりませんが、小説に似た読み応えはあるかなと思います。

  • 元博報堂社員による、情報(広告)と人の生き方の関わり合い方を唱えた本。私たちに情報を提供する、二大巨頭「電通」「リクルート」を対比させつつ、時代とともに、彼らが人々の欲望にどう応えてきたのか、これからどこに向かうのか?を論じた一冊。
    なるほどヘェ〜!と頷ける部分もあったが、論体自体が抽象的で、なぞらえ方もなんかわかりにくく、結局何が言いたいんだこの人?ってのが、よくわからなかった。
    彼が「おわりに」で主張しているとおりで、情報を発信したり整理する側が、「本当に人々のことを考えるならば、人々を情報への固執から解放してあげるという選択肢も考えるべき」とあるように、彼もまた、あえて読者に具体的にこうすることが大事だと伝えることの明言を避けているような気がした。そういう意味では、一貫してるんだけど、皮肉だが、逆にわかりづらいよ!という感想も半分(笑)。

    ■電通とリクルートの対比
    ・創業:戦前/戦後
    ・基盤:元栓(電波)のうまみ/毛細管(中小企業まで網羅した営業力、編集力、起業力)
    ・広告の役割:発散志向(拡声と伝達)/収束志向(整理・ガイド)
    ・メディア:マスメディア/情報誌・情報サイト
    ・スキル:変換(意味の書き換え)/編集(規格化と検索性)
    ・対象:日用品/選択性の高いもの
    ・収益力:高売上/高利益率

    →インターネットの登場で、現在は、線引きが曖昧になってきている

    ■感想
    結局、彼が言いたいのは、「おわりに」の一文だと思う。

    「(電通もリクルートも)多くの情報を与えてくれる一方で、時に情報による船酔いも起きてしまう」「(それらは地図でしかなく、決断するときには)指針となる読むもの、つまり聖書が必要」で、それは一人一人の中にあらる「それぞれの内面の聖書なのだ」。

    電通もリクルートも、それぞれの強み・特色を活かして、世の中に欲望を生み出し、うまく距離をとりながら、広告というコミュニケーションをとり続けてきた。情報を使う我々消費者のほうも、うまくそれらの情報をケースバイケースで受け止めながら、ときに補完させながら、躍らされないよう・効率的に取得してきた。
    でも、いくら受け取り方が変わってきても、これだけ情報量が増えると、意識的にも無意識的にも、誰ががつくった情報に依存してしまう。あまりにも情報が多すぎるから、つい探してしまうし、何を選べばよいか決め手が欲しい。でも、結局、情報はどう使うかでしかなく、最終的にどうしたいのか?は自分で決めること。情報に頼るだけではなく、結局自分は何がしたいのか?何のためにその情報が必要なのか?を見つめなおすことも大切ですよ。

    …と、だいたいこんなところかな。

    日本の一般的な小中高を経て、大学に入ると、必ず誰もが少なからず戸惑うだろうな、と思うのが、居場所。
    それまでは、一定の枠組み(クラス)の中でカリキュラムが決められていた。その限られた範囲内で、自ずと自分の居場所が決まり、ある程度行動も決まっていた。それは言い換えれば、誰かがつくった枠組みの中で、行動も制限されていた、ということになる。
    それが大学に入るとガラリとかわる。正確にはかわったわけじゃなくて、枠組みや制限自体は残っているんだけど、いっきに広がった感じ。
    自分でどうしたいか?どう時間を使って、何をして、誰と過ごすかを、自分で考えて決めるというカルチャーショック。居場所を自分でつくっていかなくてはいけない焦り。
    慣れれば最高、慣れるまでは大変。

    いま考えれば、あれも大人への第一歩だったんだろうけど、情報の関わり合い方と似ている。そもそも自分の置かれている状況が限られている狭い社会や時代においては、上から降ってくる情報を鵜呑みにしがちだし、大衆化しやすい。でも、自由の幅が出てくると、情報が多すぎて決められないから誰かに整理して欲しいし、後押しが欲しい。自分が選ぶ方向は間違ってないかどうか答えが欲しい。
    前者が小中高の私で、後者が大学生になりたての私。
    そもそもどんな生き方があるかわからないから、情報を頼る。その生き方をするにはどうすればいいのかを知るためにも、情報を頼る。
    どっちも欠かせない作業だけど、これまで自分がどう生きてきて、どうなりたいのか?は、自分しかわからない。
    本当は、この作業を、大学に入るとか入らないとかの前に、みんなやったらいいと思う。

    そういうことを思いださせてくれた一冊ではあった。

  • 電通モデルを発散志向の広告、(ネット広告モデルのルーツとしての)リクルートモデルを収束志向の広告と位置付けた論述展開。
    この2社をツールとした中での戦後から今に至る日本の消費分析が「なるほど」という感じで読めました。

    電通は元栓を押さえることで収益の基盤を確立することで圧倒的なシェアを実現し、リクルートが毛細管の拡張と維持を最大の経営資産として勇躍した。

    これからの時代、日本というマーケットだけで捉えた場合、彼らがどのようなアプローチをとり続けていくのか興味深い。
    グローバル展開では、タイムマシンモデルによりこれまでのノウハウが役立つ場面も多々あるのであろうが、日本においてはどのような進化が必要なのかよく見えないので注目したい。

    「キュレーションの時代」ではビオドーブと呼ばれていた、濃くて良質なビジネスマーケットとしての無数の塊を効率よく創造していくことが生き残りのための一つの術なのだろう。
    そういう意味では、リクルートの次のチャネル展開が興味深い。

  • 電通をはじめとする大手広告代理店の収益は、マス・メディアとの長い歴史の中で育まれた関係を維持することでもたらされてきた。広告ビジネスには、外部からの印象以上に、きわめて「農耕的」な風土がある。
    それに比して、リクルートは次々とメディア自体を開発して、クライアントを開拓してきた。対比的にいえば、明らかに「狩猟的」である。p10

    「発散志向広告」と「収束志向広告」

    リクルートが毛細管の拡張と維持を最大の経営資産としていったのに対して、電通は元栓を押さえることで収益の基盤を確立した。p61

    Cf. 「金曜日はワイン」→辞書的、文脈の書き換え

    「幸福のペンタゴンモデル」
    ①時間密度
    ②手ごたえ実感
    ③自尊心
    ④承認
    ⑤裁量の自由
    Cf. 『幸福の方程式』p98

    Cf. 『「分衆」の誕生』

  • 1980年代から両社が拡散志向広告と収束志向広告で相互補完してきた歴史を通して、広告と消費社会の30年間がざっと分かった。

    2007年に両社が資本提携したという「オチ」もインターネット時代の広告ビジネスをとりまく現状を考えれば必然だったんだろう。

    なんにしても両社ともすごい会社だ。

  • 企業論に見せかけて時代論。電通とリクルートをベースに戦後の広告業界が求められてきた社会への役割を概要で語る一冊。視点が遠距離すぎて電通とリクルートの内情なんて一切でてこない。数値としては売上利益の推移があるぐらいで、あとは電通の主な広告とリクルートが発行した媒体から時代のありようを茫洋と語るのが主題。分析の内容は納得できる部分がそれなりにあるにはあるが、それを裏付ける要素がなく、同じことを何度も何度も語るもんだから読めば読むほど説得力が下がっていく。人目を惹くタイトルで釣ってんだから「そうだったのかもね〜」以上の感想を読者に与える具体性が欲しかった。

  • 著者の言う変換と編集の違いについて検討。意味自体の編集と、メタデータの編集。新たな疑問。メタデータはコンテクストか。コンテクストはメタデータか。

    著者の対置に従えば、「電通的」とはコンテクスト編集であり、「リクルート的」とはメタデータ編集と言える。そこで先の疑問。本質的な違いは?

    リクルートは「住宅情報」で、怪しげな不動産広告市場をクリーンにする一助を担ったという。「徒歩一分=80m」に象徴されるように。いまの共同購入クーポン市場に必要なのもまさにそれだ。住宅情報創業に関する資料を掘り起こす価値はありそう。

    「電通的広告」がいかに夢を語ろうとーすでに80年代からー「リクルート的広告」には現実が並んでいた。それは価格という現実だ。そこに人々は自分自身の情報を読んでもいた。ーこれは慧眼。

    コミュニケーションとは「編集された情報の伝達・交換」ではなく、「編集構造・編集体系の伝達・交換」である、というのに似ている。情報誌に自分自身を読み、行動を決定するという行為もまた「編集」だからだ。

    「電通的」は「コンテンツ的」、「リクルート的」は「アーキテクチャ的」。

  • 『売れないのは誰のせい?』に続いて著者が新潮新書から出した一冊。隣どうしで並んでいたから手に取り、『売れない~』のほうはかなり納得して読めたんだけど、こちらはいまいち。ま、あくまでも憶測だけど、ネタに困っちゃったんじゃないかなと。前著で述べていたことが再出していたりもするし。そもそも、編集者の発案だそうだが、タイトル見たときに何となく違和感があったんだよね。コピーとしてのツカミはいいんだけどね、著者らしくはない。
    書中では、電通とリクルートの両者を広告界の雄としつつ、前者のマス広告を発散志向、後者を現在のネット広告のような個人向けの収束志向と位置づけて対比的に論じている。いや、というよりは大筋では発散志向から収束志向へと流れてきた広告の世界、人々の思考性を論じている。そのあたりは著者の真骨頂でおもしろい。
    いかにも自分で選択しているような現代人だけど、その実、大海を一人で漕いでいる小舟のようなものだとか(ま、いろんな船に乗り移れるのが実際の航海者とは違うと書いてあったけど)。そういう頼りない状況だから、一人で後悔しているようで、人の航跡をたどったり、コバンザメのようだったりするという。一人で選ぶのは酷だからネット評とか気にしてしまうという文脈なんだけど、これって医療とかにしたら顕著かも。治療法の選択とか、患者任せにされるのはそれなりに酷だよな。
    ネット評といえば、事前情報との期待値で評価をする現代というのもおもしろいなと思った。「みんなが賞賛しているほどの名店じゃなかった」みたいな評のことを指すんだけど。
    ただこの本、タイトルからすると電通とリクルートについて論じているみたいだし、実際のところタイトルで手に取った人はそれを期待するだろうから、自分もその一人でちょっと齟齬を感じたまま読んでしまったかな。そもそも、自分に広告界の知識がないこともあるかもしれないけど。

  • 題名から、広告業界の泥沼で生き馬の目を抜く世界を紹介するのかと思ったら、戦後広告史を丁寧に俯瞰する良著だった。ちなみに著者は博報堂出身で、両者にたいして妙に距離のある書き方だったのもあとがきまできて納得した。

  • 電通とリクルートという、非常に関心を引き付ける2社の歴史と共に日本人の情報との関わり、購買欲のあり方の変遷について論じる。

    目新しい点は特に見当たらず。図書館で借りてもよかったかな。

    今の時代は答えあわせをする、というようなことが書いてあり、確かにと思う一方、はじめから決めつけて結論に持っていっている感があり素直に頷けない。

  • 最近この本の存在を知ったので読んでみました。発散志向の電通と収束志向のリクルート、という対比で展開される前半。そして、この十数年で広告が日本人の消費行動にとってどのような存在になったのかで展開される後半。個人的には、後半が興味深かったです。

  • (summary)
    電通=発散志向型広告、リクルート=収束志向型広告と比較の視点を持ちつつ両社は相互補完的な役割を果たしながら消費者/労働者である同一の人に様様な影響をもたらしてきたとしている。ネットの浸透により広告は一つの情報ソースの一つとして組み替えられ再整理されたため、憧憬を生み出すことが困難となった。こうした中で、広告ビジネスのあり方は変化が求められており、それは自分で自分のことを決める際に本当に役に立てる情報を伝えること、つまり自由と自立への支援という原点への回帰である。

    (memo)
    電通とリクルートの相違点
    •電通=関係維持のための営業/農耕的風土/発散志向広告/変換スキル
    •リクルート=新規開拓のための営業/狩猟的風土/収束志向広告/編集スキル

    両社の共通点
    •情報を加工して届ける
    •買う人/稼ぐ人という同一の人
    •情報の流れの元栓を押さえる
    •インターネットによって企業ポジションに揺らぎが見える

    広告のあり方
    •消費活動と広告へのニーズは比例(GDPと広告費は比例)⇒消費の量的拡大が広告の使命
    •拡声と伝達⇒1970s〜辞書の書き換え(=幻想への憧れ)⇒拡声と伝達(?)
    •欲求の多様化
    •人々が欲しかったのはモノではなくモノを買う理由
    •消費財のマス依存度UP=マス広告の効果が限定的に
    •広告も数多くの情報の中に再整理された
    •新たな意味を付け加えるのは広告からメーカーへと変遷した ex)DS,Wii,食べるラー油
    •情報自体に感謝する時代
    •情報の期待値と体験の答え合わせをする時代

  • 本屋で見かけて色々ない見で興味深い2社なので気になって衝動買い(3時間で読了)
    内容が必ずしも悪いわけではないが、電通とリクルートについてではなく、広告業界全体の社会や時代背景、それぞれの時代に両社がどのようなポジションでどのような戦略をとってきたのかということが書いてあるだけで、両社についての理解が深まるような内容ではなく、少々期待はずれであった。
    電通は「拡散型情報」、リクルートは「収束型情報」というのは、そのとおりだと思うので、タイトル負けしている感じが強い。読む価値がないとは言わないが、そういうものと理解して読んだほうが良い本。

  • 予想していた内容(どのようにしてこれらの会社ができたか)ではなく、広告と情報を題材にした本だった。

    正直微妙だなあ・・・と思っていたが、中盤からは広告の移り変わりなどを示していて、なかなか楽しめた。

    口コミランキングの部分は確かに!と思った。

  • 電通を発散志向広告(マスメディア)、リクルートを収束志向広告(情報誌)と定義。異なる2社をモチーフにし、人々の消費行動の変遷を分かりやすく解説。情報との付き合い方を考えさせる一冊である。

  • 電通の発散志向とリクルートの収束志向の「広告」という対比的な文脈で書かれた本であるけれど、決して二項対立的な位置づけではなく、むしろ相互補完的な二つの役割を担うシンボリックな企業として語られていて、とても面白かった。特にリクルートの果たしている役割というのが自分のイメージでは、職に関するものに限定されていたけれど、本書を読んで、その既成概念が取っ払われ、とても視野が広がったと思う。

  • 似て非なるものの比較。

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著者プロフィール

山本 直人(ヤマモト ナオト)
コンサルタント/青山学院大学経営学部講師
1986年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同年博報堂入社。コピーライター、主席研究員、ブランドコンサルタント、人事局ディレクターを経て2004年9月独立。多くの企業にてマーケティング、ブランディング、および人材育成トレーニングをおこなう。2006年より青山学院大学経営学部マーケティング学科非常勤講師としてキャリア開発、マーケティング、メディア等を担当。著書に『グッドキャリア』『マーケティング企画技術』(以上、東洋経済新報社)、『50歳の衝撃』(日経BP)、『世代論のワナ』(新潮社)他多数。

「2021年 『数学的に話す技術・書く技術』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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