西洋音楽史: 「クラシック」の黄昏 (中公新書 1816)
- 中央公論新社 (2005年10月25日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121018168
感想・レビュー・書評
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各年代で活躍した作曲家とクラシック音楽の潮流を同時に説明してくれているので、分かりやすい。
ショパンやリストわりと最近の人でびっくりした。私が好きな作曲家はほとんど近代の人だったのでミーハーであることを再確認させられた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
クラシック初心者にもわかりやすく、クラシックに対してさらに興味を持った。歴史と音楽を並行して学べるので興味を持ちやすい。例示する曲も有名な曲が多く、これも初心者にとっては有難い。
何度も読み返して自分の知識として吸収したいと思える良本。 -
2013.08.21 読了
電車内でのみ読む本として読んでいたら、読むのに年単位でかかってしまった。もう一回、ちゃんと読みたいと思う。内容はわかりやすかった。 -
読了につき、一部書き直し。
クラシックと俗に言われている音楽、西洋芸術音楽を歴史の中で考えるというコンセプト。単なる歴史の記述とは一線を画している。面白かった点として、
・西洋芸術音楽の定義が明確に与えられている。すなわち、①芸術であると意図されている、②楽譜に記譜されている(=設計、コンポーズcomposeするような対象として音楽が捉えられている)、それゆえ、③識字能力のある知的エリートが担い手となっていた音楽として。
・中世の時点で、音楽は幾何、代数、天文学といった数学的な学問と近かったこと
・著者がクラシックの時代を18世紀から20世紀くらいまでの200年としていること。地域的にはフランス、ドイツ、イタリアが発祥かつ中心であり、これは、アングロサクソンがこの本で論じられている音楽の世界において傍流であることを意味する。これは最初意外。なぜならば、こういう本を読むときは、音楽の専門ではないせいか、たいていは西欧近代とかを念頭に置いて読むわけで、産業革命に先んじ世界の工場であったイギリスこそが中心にあるイメージが少なくとも自分にはあったから。ただ、こういったイメージが、例えば、吉見先生の『博覧会の政治学』のような19世紀のロンドンから始まる歴史理解に影響を受けていたことに、本書の第5章を読んでいて気がついた。だから、本書と吉見著は本書の第5章において重なる。
・著者が主題としているような音楽とは、「大作曲家、名作、ジャンル、三和音、長/短調、拍子」といったもので特徴づけられ、バロックあたりがその重要な起点になってくる。
・バロックを特徴づける点として、協奏(曲)や対照をあげていること。また、和声がフーガを発展させたものであるというのはなるほどと。
・バッハを、ウェーバーのいうプロテスタンティズムの文化と関係がものすごく深い(ついでにカントも)音楽家として捉えていたのも新鮮。ちなみに、ヘーゲル、マルクス、ダーウィンがベートーベンと同時代を生きていたと言われても別に驚かないのは不思議。
・演奏会とか楽譜の出版が始まるのが古典派の時代で、要するに、一部の市民に開放されるようになったということ。
・19世紀のロマン派の時代になって、貴族と教会は、音楽のパトロンとしての地位を市民に譲り渡す。要するに、音楽の民主化。
・ショパンやリストがテクにはしってるみたいなのはああやっぱり。
・こういった音楽は、第一次世界大戦のころに解体。
・それ以降、三つのパターンに分岐。①アングラ文化として(サブカル的? いわゆる現代音楽)、②巨匠によるクラシックのレパートリーの演奏、③アングロサクソンの娯楽音楽の三つ。③については、アメリカ大陸において、アフロアメリカの音楽と合わさって生まれたポピュラー音楽といった形で継承される(1950年代に、「グ-ルドとコルトレーンがいたのは偶然じゃないんだぜ」というような感じ)。
以上。
茫漠としていた音楽の歴史に対し、見通しが得られた。重要なお仕事なのだろう。 -
帯の「流れを一望」への期待通りの内容。
歴史ってのは、どうしても完全な客観性を持てない物だから、いっそ一人の口で語られたほうが筋が通るし、面白いような気がする。 -
いわゆるクラシック音楽の歴史を一望できるコンパクトな新書。今まで音楽史についてほとんど無知であったが、本書を読んで、なんとなく流れを理解した気分になった。
中世音楽やルネサンスといった本書の前半戦は、知った作曲家もほぼ出現せず、いくぶん「お勉強」風味に読まざるを得なかった。
しかし、古典派、ロマン派、新古典派の歴史については、良く知った作曲家が多く登場し、それらの作曲家が歴史上どのような文脈で登場し、どのような立場をとったのかを了解することができた。 -
本書は著者が神戸大学で9年間の教鞭をとった「西洋音楽史」の知識をもとに書かれた。私たちは普通、クラシック音楽は知っていても、その生い立ちはほとんど知らない。本書は西洋音楽として楽譜のないグレゴリオ聖歌時代に始まり、現代の音楽に至るまで幅広く、しかも百科事典の知識ではなく、著者が捉えた音楽の歴史として書かれている。従って書かれている視点も教科書的ではない。クラシックとして正統のドイツ音楽が、伊・仏・西のカトリックのきらびやかな王朝貴族のバロック音楽に対抗するように、プロテスタントとしての勤勉で倹約的な文化から生まれた。あるいは、現代の音楽が3つの柱すなわち1)聴衆をあいてにしない現代音楽、2)巨匠によるクラシックレパートリーの演奏、3)ロマン派クラシックを踏襲するポピュラー音楽からなっていること。さらに、それらは何れも、宗教を喪失した社会が生み出す感動中毒である、等本書にはいろんな新しい発見があって楽しい。
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西洋音楽史を、グレゴリア聖歌から、20世紀までの歴史をまとめた本。
新書版で、全体像がわかる本なので、クラッシクに興味のある人には、西洋音楽史を概観できる良い本だと思う。 -
「本書を通して私が読者に伝えたいと思うのは、音楽を歴史的に聴く楽しみである」と著者は述べてる。
11歳でベートーベンの第九に感動して、18歳でオーケストラを始め、ようはウィーン古典派からドイツロマン派のみを聴いてきたため、大学の音楽史の授業はやたらと眠い。バッハもシェーンベルクも黙って聴いたが、ろくに覚えてない。マタイ受難曲とか浄められた夜は聴けるけど、「ロマン派的」と指摘されてたり。
著者がいう音楽の楽しみ方は実はよくわからないまま、読み終えた。その「楽しみ方」を著者自身の経験で言えばストラヴィンスキーの「プルチネルラ」の冒頭のフレーズに一箇所だけある不協和音を例示しているが、まあ、なんのこっちゃかよくわからない。
でも、古典派からロマン派、ロマン派の終焉へと行く流れはとても面白かった。それぞれの作曲家の立ち位置が、音楽史的に理解できたのは、また別の楽しみ方もできるようになりそう。まあ、それでいいのかな。