学歴・階級・軍隊: 高学歴兵士たちの憂鬱な日常 (中公新書 1955)
- 中央公論新社 (2008年7月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121019554
作品紹介・あらすじ
戦前の日本で、旧制高校から帝国大学へと進む学生たちは、将来を約束されたひと握りのエリートであった。彼らはある時期まで、軍隊経験をもつ時でさえ、低学歴者にはない優位を与えられた。それが、第二次大戦もたけなわとなる頃から、彼らも過酷な軍隊生活を送らざるを得ない情況となる。本書は、最も「貧乏クジ」を引いた学徒兵世代の恨みと諦めの声を蒐集し、世代と階級を巡る問題を照射するものである。
感想・レビュー・書評
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エリートが一兵卒としてイジメられた、という単純な話ではなかったです。日本の戦前のエリートたちの屈折した感情の数々を描き出したものでした。高貴なる義務を言いながら、士官学校を忌避する…超越を言いながら、軍隊生活では現実に負けるしかない…しょうがないと思うのは私が庶民だからか…
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丸山眞男などを代表とする戦中派知識人の軍隊体験と、それと比較対照される一高など上級学校体験について、多数の回顧・記録などをつなぎ合わせた論考。とかく、文学的(著者も文学部卒)であり、明快に筋道だって論断されるということはないが(その点が✩4つ)、その分、数々の葛藤をそのまま味わうことができるようになっている。
学徒動員という、戦中にのみ行われたことが生じさせた数々の言説をあげていく。
ところどこrドイツの話が出てくる。これも重要な一部。
一回目の読書ではまだ見取り図を描くことはできない。
(メモが必要?) -
思索
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Kindle
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太平洋戦争における兵士の手記と言えば『きけわだつみのこえ』が有名だが、これは基本的に学生だった兵士によるものだ。しかも多くが東京帝国大学出身の兵士であり、本来ならエリートとして将来を約束されていた人々だ。本書はそういう人々が軍隊と戦場でどういう状態になったかを、当時の社会情勢や東大・一高の文化なども含め数々の資料から分析している。
“高学歴の二等兵が小学校しか出ていない上官にさんざんこき使われる”といった逸話はありがちだが、そういう単純な構図だけではなかったようだ。大学生たちの自意識も現在とは違う。高潔だが時として過剰な自負、ねじれた感情などもあり、一筋縄ではいかない。自分がその立場だったらどう思い、どう振る舞っただろう? それを想像することも難しい。
哲学的な思索を感じさせる言葉が多いが、手紙を残した学生は文系の中でも文学部が多かったことが理由だろう。理系の学生は結局最後まで徴兵猶予があったため、理系学生の手記は登場しない(原典にはあったかもしれないが)。工学部の学生なら、戦場で何に注目し、何を思っただろうか。
分析は戦場から戦後の社会と学生たちの文化に及ぶが、東大が良い意味でも悪い意味でもエリートの極致だったことが強く伝わってくる。 -
新書文庫
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本書の考察を象徴し、かつ通底しているする一文が冒頭でこう述べられている。「岸野中尉は我々学徒兵が―つまり教育のある人間が憎いんですよ。」ただ、同じ高等教育機関の中でも歴然とそこで経験した「教育」に、区別がなされていた。学歴は軍・兵自身にとって、かなり依存度の高いファクターであったことが、本書全般から味わうことができる。
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良書。著者の今後に期待。こういう研究がもっと増えますように。
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高学歴兵士の戦前(徴兵猶予時代)、戦中(学徒出陣)、戦後(わだつみの声)がそれぞれに、色々と描かれている。各章、各節での主張(論理展開)は理解・納得できるのだが、一冊の本としてのまとめ、最終的な結論、まとまりがついていないように思う(弱く理解できない)。
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<メモ>
旧制高校(主に一高)出身の高学歴者が、軍隊(主に陸軍)でどのような存在として在ったのか。
エリートの傲慢さ(’’日本版‘'「ノーブレス・オブリージュ」など)。
寄宿制というエリート教育の在り方(本当に指導者たりうる存在としての教育であったのか)。
エリートと「庶民」の差。
いつでも世界は腐ってる -
趣味の問題なんだろうけれど、内容如何よりも文章の書き方が好きじゃない。だからとっても読み辛かった。
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【後半】軍国教育が生んだエリート意識やソレに対する「妬み」が
戦時中から生み出されていて、それは戦後の同世代間においても影響が出たとする
話が印象に残った。
社会の多様性、様々な考えがあって当たり前の時代であったことを印象づけた。
「徴兵退避」に対する「後ろめたさ」など、民衆の考えが見えて面白い。
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なんとなくタテマエの平等空間を実現していた一高はある種のモラトリアム空間だったのではないかと思いました。そしてまだ階級社会であった当時ではそのモラトリアムにいられる幸福な青年の総数自体が少なく、其れ故彼ら高学歴者と世俗との乖離が目立ち第二次大戦、敗戦という流れの中でモラトリアム期間の急激な中断を余儀なくされたのが彼らの憂鬱であり悲劇であったとも思います。<br>
ノーブレス・オブリージュと言う言葉が文中良く出てきますが、一高生が憧れた西洋のノーブレス・オブリージュには軍歴も含まれていたと考えられるのに、軍部が日本の事情を考慮したエリートの軍への取り込みをしなかった事と、エリート層の方でも世俗から離れることを美徳として軍に対して無関心だったことが、陸軍をエリートコースに乗る余裕も無く士官学校へ入った優秀な田舎の青年将校で満たす結果となり、其れが第二次大戦における軍部の暴走の遠因になったのでないかと推測すると、唱えるだけで掘り下げることをしていないように見える高学歴者達の言う「ノーブレス・オブリージュ」も空しいものに見えます。 -
戦前のエリートの考え方がわかるとともに、ある意味非常に平等であった「軍隊」に放り込まれた彼らの苦悩。
一億総中流時代が終わり、「格差社会」が広がる昨今、エリートへのルサンチマンが同じようにあるように感じる。
その意味で、この時期に刊行された意味は大きい。