- Amazon.co.jp ・本 (145ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122032101
感想・レビュー・書評
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村上春樹のエッセイ集。3編のエッセイが収載されている。「使いみちのない風景」「ギリシャの島の達人カフェ」「猫との旅」。素敵な写真付きのエッセイ集だ。
風景は2種類に分かれる、と筆者は書いている。
おそらく自分は、その風景を、何年か先に、ふと思い出すことになるんだろうなと予感する、そして、思い出したときには、例えば、「ああ、僕はあそこに三年間住んでたんだな。あそこはそのときの僕の生活があり、僕の人生の確実な一部があったんだな」と考えるような、そのような風景。自分の中にクロノロジカルに収められている、自分という人間の移動の軌跡としての風景。それが1種類。
もう1種類は、「使いみちのない風景」である。それは、まったく唐突に、ほとんど身勝手に、自分の前に姿を表す。そんなことを覚えていたことすら、自分には分からない、そのような風景だ。それは、どこにも連結していない。
といったようなことが、私の理解によれば、「使いみちのない風景」という題名のエッセイには書かれている。書かれていることの内容は感覚的には分かる。
例えば、私の「使いみちのない風景」はどういうものか。
15年以上前に、約1ヶ月間、ヨーロッパを貧乏旅行したことがある。イギリスの大学に留学をしていたのであるが、クリスマス休暇の時期に1ヶ月以上の休暇があることが分かり、行ったことのない場所(ヨーロッパの多くは行ったことがなかったのであるが)に行こうと出かけた。マンチェスター空港からマドリードまで飛び、マドリードに2-3泊した後、リスボンに行くことにした。マドリードからリスボンは、直行のバスが走っていて、記憶によれば7-8時間をかけてリスボンに到着。到着後、ホテルを探して歩き回り、何とか安いホテルを見つけ落ち着いたのは、もう夕食の時刻だった。疲れてもいたし、初めての土地で、1人でレストランを探して、入って、注文をしてというのが面倒だったので、スーパーに行って、パンや総菜を買って部屋で食べることにした。ホテルを出て散歩がてら、歩き始めたが、スーパーが見つからない。冬のリスボン、日の暮れるのも早く、自分がどこにいるのかも分からないまま、スーパーを探してホテル近辺を歩き回った時の、風景。こんなこと、今思い出すまで、考えたこともなかった。
それは、村上春樹言うところの「使いみちのない風景」ではあるだろうが、でも、当時の、初めての土地を歩くワクワクした気持ちと、知らない場所を歩く心細さと、冬の寒さを思い出した。その時の自分自身を思い出し、ある意味で、もう一度旅行気分を味わったという意味では、「使いみち」はあったと言うべきかも、とも思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
春樹さんによる3本の短かなエッセイと、稲越功一さんの多くの写真からなる。
上下左右にゆとりのある版面で、旅先にもっていって、旅程の合間に一文ごと味わいながら読むにはうってつけだった。
私ももともと旅行は好きじゃない。行ってみたいところはたくさんある。
でも家族みんながよろこぶスケジュールを組むのがめんどくさいし、当日も慌ただしいし、帰宅してからの山のような荷物の整理を思うと、それだけでどっと疲れる。
でもこうして実際出かけてしまえば心に留まる風景はあるわけで、それは使いみちがなくとも、結局そこでしかみられない風景なのだ。
楽しかったねーと後々おしゃべりにあがるタイプの思い出とは少しちがう。
また億劫になりかけたら、何度だって旅行鞄にしのばせて連れていこう。そんなお守りみたいな一冊。
〝旅好きの猫〟にとてつもなく惹かれる。 -
三つの短いエッセイ。最初の『使いみちのない風景』は自分も感じたことがあるような一部の経験を上手くおしゃれに表してくれた。いいエッセイだった。
よく冷えたビールと、それから猫にミルクを室温で。(p.144)
自分もこんなセリフを言いたいなあ。 -
3つのエッセイに写真家稲越さんの作品が添えられていて、気楽に読める内容でした。
筆者は、今までに多くの地で生活をしてきましたが、それを「旅行」ではなく「住み移り」と表現しています。住み移りで目にした様々な風景の記憶は、筆者にとって財産であるし、筆者の中にクロノロジカルに収められているそうです。一方、旅行の過程で目にした束の間の通り過ぎていく風景の記憶は、非整合的であり、筋道や一貫性を欠いており、何かしらミステリアスな要素があるそうです。その、何も始まらない、どこにも結びついていない、何も語りかけない、ただの風景の断片を、筆者は「使い道のない風景」と名付けています。しかし、どれほど使い道がなかったとしても、それらの風景を私たちは必要としているし、それらの風景は私たちを根本的にひきつけることになる、そうしたそこでしか見ることのできない風景を求めて人は旅に出るのだと、筆者は述べています。
今回、24年前に初めて読んだ本を再読しました。これを読んだ約半年後、私は会社を退職し、海外ボランティアに参加しています。その移り住みで得た記憶は確かに私の財産であり、しかし、使い道のない風景を求めて行動した日々も、私の宝物になっていると感じます。 -
村上春樹さんのエッセイが好き。村上春樹さんの書く文章を読んでいるとき、自分は本当にその文章しか読んでいない、つまり読書に没頭できる。でも不思議と読後感はさっぱりしたもので、なんとなく(悪い意味ではなく)印象に残らない。今そのときを感じる本。左脳ではなく右脳ばかりを使っているような感覚。
使い道のない風景?の写真がこの本にささやかな彩りを添えていて、それがまた良い。静かで、洗練された一冊。 -
使いみちのない風景。
それは、旅先で見かけたワンシーン。
心のどこかに引っかかり続ける記憶。
そこでしか見ることのできないもの。
それ自体では何も生み出さないもの。
でも、僕たちが必要としている風景。
たまに旅にでたいと思うことや、
日常を少しだけ離れたいと思うのは、
どこかで、こういった風景を探し求めているからかもしれない。
使いみちはなくとも、必要という何かを。