- Amazon.co.jp ・本 (166ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122036765
感想・レビュー・書評
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著者が描く淡い独特の世界の中に、人間の緻密な感性や起伏する感情がささやかに色をさすような、穏やかな一冊です。際立って目立つような人物がいるわけでもなく、どちらかといえば地味で大人しい主人公たちだけれど、言葉で言い表せないような鮮やかさ、というか、丁寧さをまとって生きているのが、ページをめくるたびにしみじみと伝わってきて、悲しいわけでもないのに、胸に熱く響きました。生きるというのは、ということを、登場人物たちの日常を通して伝えてくれる本です。壮大であったり派手であったりする必要はなく、ささやかなところに人生は広がっているんだなと、読んでいる私たちの生活に小さなアドバイスを与えてくれるような、手放せない一冊でした。
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今読むんじゃなかったなぁ。もう少しずれていれば、すっきり収まったかも。それでも少しはひっかかるからすごい。
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あまりにもちいさくてあまい。
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奇妙な関係性の物語。語り手のまなかと裕志もそうだが、まなかと今はブリスベンに暮らす実の母、まなかと継母のそれぞれは、違和感はないものの、やはり特殊な関係性にある。物語そのものの内容はけっしてそうではないのだけれど、全体には一貫して孤独感と寂寥感が覆う。また、夢と現実とが等価なほどに語られ、そこには非在感さえもが漂うのである。あるいは透明感こそがこの作品の本質なのかもしれない。特にエンディングの空気感は鮮やかだ。なお、MAYA MAXXの挿画は小学生のような具象と、プロの抽象とが混在したような味わいだ。
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ハネムーンに読んだ、ハネムーン
夢見がちな女の子じゃなくて、現実的に生きてる女の子
ほんわか、むにゃむにゃ、女性は感性で生きてるなぁ -
再読なのですが、なかなか合わない。
最初の時も違和感があったのですが、
まだ時期じゃなかったかー。
またリベンジします。 -
だいぶ特殊な境遇にある新婚さんですが、あまりにも自然体で、うらやましいくらいです。
1回目も2回目も、素敵なハネムーンでした。 -
すごいよかったと思う。
白石一文の翼に相通ずる何かがあったと思う。
連続して読んだから、びっくりした。 -
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子供は、気を使って無理に話し続けるということを知らないから、時として大人よりもロマンチックに沈黙を味わう。なにも言わないことによって、完璧にわかち合う。
「やっぱりうちに来てごはん食べたら?」
母は言った。ダイニングの小さなテーブルにすわる母の顔はいつものとおりに見えた。やはり私だけが違う宇宙にいたような気がした。ずっとこの家で続いてきたこの平和な風景の一歩外側には、様々な人の心が生み出す様々な色の空間がひしめいている。それを思うとどきどきした。この夜の中に満ちている果てしなく深い孤独の色彩……それに直接触れずにいるために、みな家の中を飾ったり、大きな木に体をあずけてすわったりするのかもしれないと思った。
朝早く起きて、庭で水を撒いた。(略)
虹を作りながら、泥の水たまりに映る美しい空、流れて行く雲を見ながら私は思った。こういう小さな、笑ってしまうようなことが、人生を作る細胞だと。ていねいに感じることができるコンディションでいることはむつかしい、そのために私は、空や、草花の息吹や、土の匂いがとても必要だ。それで私は裕志に、旅行にでも行こうか、と言いたいと思った。なにかいい景色でも見ないと、この気持ちが漬物みたいに濃く漬かったまま固まってしまう。温泉にでも行って、濃い緑や谷を見ながら露天風呂に入って、まずいおさしみやしし鍋を文句を言いながら食べたら、元気になるかもしれない。濡れた庭石が光っていた。とてもきれいだったが、私はもっと大きくて美しいものを見たくてたまらなくなった。
あんたたちほどぶらぶらしていられる子たちは見たことがないよ。と言った。
それもそうだ、と私は思った。浜辺でぶらぶらしているということは、想像の上ではやさしいが、実際はむつかしい。だんだん服も髪も手も潮風や砂で汚れてうっとうしくなってくるし、飲み物や食べ物なんて一瞬のうちになくなってしまうし、それを超えてぼんやりとすわったり寝たりするには、時間に対する感覚を少し変えなくてはいけない。私は庭にいてそれを学んできたし、裕志はもともとあてがないから、それが苦もなくできるのだと思った。
「本気でいろいろなものを見ていると、どんなに小さなものの中にも、ニュースを見ているよりももっとすごい真実味があるのよ。」
と私は言った。生き物が死んだり、腐ったり、土になったり、虫同士で争いがあったり、洗濯物にとんぼが止まったり、さっきまで晴れていたのに雲がどんどん流れてきたり、家の中の物音でお母さんのきげんが悪いのを知って、買い物にすばやく行ってあげたり、ちゃんと見ていれば、外側に求める必要がないくらいに、心は忙しく働くのよ、と。
なにかが治っていく過程というのは、見ていて楽しい。季節が変わるのに似ている。季節は、決してよりよく変わったりしない。ただ成り行きにたいに、葉が落ちたり茂ったり、空が青くなったり高くなったりするだけだ。そういうのに似ている、この世の終わりかと思うくらいに気分が悪くて、その状態が少しずつ変わっていく時、別にいいことが起こっているわけではないのに、なにかの偉大な力を感じる。突然食べ物がおいしく感じられたり、ふと気づいたら寝苦しいのがなくなっていたりするのはよく考えてみると不思議なことだ。苦しみはやってきたのと同じ道のりで淡々と去っていく。
あれ、これかなーーーり前に読んだのに、なんで登録してなかったんだろ。ふしぎ。たぶん一月?メヒコから戻ってきて、まだいろいろ考えてはひたってた時に読んだ、からよけいおもしろかった。経験は読書を豊かにする。 -
いいかもしれない。こんな暮らしも。
まなかの生き方が人間の本来あるべき暮らしであったらどんなにいいだろう。
庭の木の下に座り、何時間も何時間も空や虫や落ち葉を眺める。それだけで庭は世界のいろんなことを教えてくれる。
『ハネムーン』はその響きから連想される内容とはかけ離れたストーリーになっている。陰惨で奇怪とも言える内容を含んでいるのに何故だか暖かさは消えない。
どんな暗いとこにいても暖かい人と、自然があれば生きていけるんだろう。
『取り返しのつかないことはたくさんあるー取り返しがつかないことがいくらあっても生きていくしかないということだけを、人はいうことができる』
『世界はわたしがどうなろうとも、何とも思っていないけれど、世界はおもしろくて美しくて愛情みたいなものにあふれていて、なにがあるかわからなくて、その中で泳いでいるわたしは全然かわいそうなんかじゃないって思ったの』