- Amazon.co.jp ・本 (203ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140810071
感想・レビュー・書評
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大学に入学し、取ろうか取るまいか迷いながら、ある少人数クラスに出席したミッチに、モリー教授は出席簿を見ながら声をかけます。
「ミッチのほうが好きかい?それともミッチェルでいいのかな?」
ミッチです。友だちはみんなそう呼んでいます。
「じゃあ、ミッチだ」と、まるでそれで手を打ったっていうような言い方をする。
「ところで、ミッチ」
はい?
「そのうち、私のことを友だちと思ってくれるようになるといいな」
定年を数年後に控えた教授は、十代の青年に、無条件で人を愛する姿勢を見せつけます。
モリー教授とミッチは、担当教官と学生として、深い信頼関係と絆をつくりあげます。
ミッチは大人になりスポーツライターという多忙な生活の中で、すっかり忘れていたモリー教授に再会します。
たまたまチャンネルを合わせたニュース番組に登場したモリー教授は、ALSに罹り、余命わずか。
死の淵にあっても、病や肉親を失い苦しむ人たちの相談にのり、生きるメッセージを送る人として、取材を受けていました。
そのTVを見てから、モリー教授とミッチの個人授業がはじまります。
毎週火曜日、ミッチはボストンに住む教授を尋ね、彼の枕辺で「人生とはなにか」というテーマで濃密な対話をします。
その授業は、教授が死を迎えるまで、14回続きます。
モリー教授はALS。人の介助を必要としています。
週一回の授業を続けるうちにも、できないことが増えていきます。
「いちばん恐れていることは、おシリを自分で拭くことができなくなること」と、インタビューに答えていたモリー教授に、ついにそのときが訪れました。
人におシリを拭いてもらうことを体験し、教授は一つの悟りに達します。
「他人頼りを楽しむことにしたのさ。今では誰かが横向きにねかせてくれたり、ただれないように尻にクリームをすりこんだりしてくれるときには、楽しいなと思う。額を拭いたり、脚をマッサージしてくれるときも、うれしくて、うれしくて。目をつぶって味わいつくすって感じさ」
介護されることは、「赤ん坊にもどるようなものだ」。
母親から無条件に愛され、無条件の心配りを受けていたのと同じ体験をできるなんて、素晴らしい。
モリー教授のように考えることができれば、人間は最後まで肯定的に生きていけるでしょう。
「老いの恐怖」についての授業では、こんな素敵な言葉もありました。
「私自身の中にすべての年齢が交じり合っているんだよ。三歳の自分、五歳の自分。三十七歳の自分、五十歳の自分というように、そのすべてを経験して、どんなものだかよくわかっている。子どもであるのが適当な場合には、喜んで子どもになるし、思慮深い老人であるのがいい場合には、喜んでそうなる。何にだってなれるんだ! 私は、今のこの年までのどんな年齢でもある。わかるかい?」
ぼくはうなずいた。
「今の君の年代を羨ましがってなんていられないよ。 前に自分がそうだったんだから」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1 どんな本?
ALSに侵されて余命宣告を受けたモリー先生と
教え子のミッチの全15回の火曜日を最終論文と
して綴った本。物質社会に依存している我々の目
を覚させる一冊。愛を誰かに与えたい。
2 なんで読んだの?
(1) 人生の目的を考えたいから。
(2) 何をするのが幸せか知りたい。
(3) 愛を与える方法を実践出来る状態になりたい。
3 構 成
全15火曜日195頁
「恩師の生涯最後の授業は『人生の意味』」と始
まり、「テーマは『人生の意味』それは今も語ら
れている。」と死後の著者への人生の影響を綴っ
て終わる。
4 著者の問題提起
人生の意味はなんですか?
5 命題に至った理由
モリー先生との火曜日の対話
6 著者の解
愛を与える事
7 重要な語句・文
(1) 愛さ、愛は必ず勝つ。
(2) 人生に意味を与える道は人を愛する事周囲
のために尽くす事
(3) 友達はずっと隣にいてくれない。ずっと居て
くれるのは家族だ。
(4) お金や地位に人生の意味を求めても幸せには
ならない。
8 感 想
私の精神状態が良く無い時に読んだので感動は
薄かったが、読みたい事を読む事が出来た。
刺さったのは人生に意味を与える道。愛と貢献
が大事な事だと良く分かった。
深く知りたい事は愛し方。どうすれば愛を与え
る事が出来るだろう?
人に勧めるなら物質的なものに拘らない事。幸
福への道じゃ無い。
タイトル通りのモリー先生との火曜日を綴った
暖かいとても意味ある本だった。
9 TODO
(1) 家族に毎日愛してるを伝えよう。
(2) 周囲の為に出来ることをやろう。(雑用?)
(3) 人の話をしっかり聴こう。
10 問 い
幸せとは?
11 答 え
人間関係にある。
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なんとなく毎日せわしなく暮らしていて、満ち足りない気持ちになることもある。
足りないのは手にいれていないのではなく、自分が大切にしていないだけなのかも、と思わせられた本だった。 -
ALSを患い余命幾ばくもないモリー先生がかつての教え子に施す人生最後の授業。
死を目前にして、人は何を語れる?
全身の筋肉が自由に動かせなくなるALS。最近日本でも話題だし、世界的にはホーキング博士が有名なALS患者。
昔映画を見て感動した記憶があり、原作を知って買ってみた。文章ならではの感動がそこにはあった。 -
スポーツ・コラムニストとして忙しい日々を送っていた筆者が、難病に侵されている大学時代の恩師モリーを偶然テレビで見かける。その後、病床の恩師を毎週火曜日に訪れて、死、家族、感情、金などについて授業を受ける。その時の記録が本書。
死を目前にして身体の自由を奪われた状態で、どうしてモリーはこんな言葉をはけるのか。こんな風に死を迎えたい、いや、でも自分には怖くてできない…いろいろな思いが交錯した。
モリーの根底にあるのは、訳者あとがきにある通り「愛」であるのは間違いない。そうでなければ、「ほんとうの満足は『自分が人にあげられるものを提供すること』によって得られる。」なんて言葉は決してはけない。
本書は、周りに誰もいなくて自分の感情を抑えこまなくてもいい環境で読むのが、多分ベスト。(特に、後半はいつ涙が出てもおかしくない。)
でも、通勤電車で読むのも悪くなかった。その日に覚えた怒りや不満が、本書を読むことで、なんだかものすごく小さくてつまらないことに、そして、いい人生を送るにあたってはどうでもいいことに思えてきたから。
久々の五つ星。 -
今後、節目節目に、手に取ってパラパラ見返してみよう、と思えたノンフィクション作品。
スポーツライターのミッチは、大学時代の恩師モリーが、ALSという難病を患っていることを、テレビ番組を通じて知ります。
居ても立っても居られず、彼は先生に会いにいきます。
徐々に体の自由がきかなくなり、やがて死に至る難病に侵されているのに、自分の病を嘆いたり死の影に怯えたりせず、ほがらかで、誰かの相談に耳を傾け、優しい言葉をかけるモリー。
まだ若く、側から見たら多くの成功を手に入れている筈なのに、過去の挫折や親類の死、家族との距離に悩み、どこか疲弊していたミッチ。
「なんでも質問して」というモリーの言葉を受け、二人はモリーの死が訪れるまでの毎週火曜日、人生の意味についての授業を行うことになり…というお話。
授業のテーマは、愛、仕事、社会、家族、老い、許し、そして、死にまでおよび、人生においてはどれも避けて通れないもの。
私自身はまだ、この本を読んでも、言ってることは頭での理解できるけども、「私は老化をありがたく受け入れる」というモリーのような境地にはやはり達せず、老いにも死にも、そして、仕事も家族との距離感にも…あらゆる悩みは尽きない状態です。
それでも、モリーが実践していた「(逃げるのではなく)感情に自分を投げ込み、とことん経験した後に、そこから一度離れる」こと、そして、現状を受け入れることからまずは始めたいな、と思え、それだけでも気分を軽くしてくれた一冊でした。
また時間をおいて、読み返したいです。 -
死がもうすぐそこまで来ている人の言葉はさりげない中にも重みがある。最期に必要なのは名声でもお金でもない。どれだけ他人を思いやり、優しい言葉をかけ、誠実に生きてきたかが重要なんだと思った。
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「何系?」ときかれ、
ぼくは「人情系?」と答えた。
不治の病に犯されているモリー先生は、目の前に死が迫っている中で、一番弟子のミッチに大切なことを伝えたのさ。
「幸せになるためには、どうすればよいか」
宗教でも、スピリチュアルでもない、大学の社会学者が死と向かい合いながら至った幸せになるための提案。
ぼくはモリー先生の教えに出会い、なるほどなと思った。 -
*人々はタブロイド紙をごっそり買って、ゴシップをむさぼり読む。〜
自分にはまるっきり何の意味もない事柄に何時間も何時間もつぶしている。
*人生に意味を与える道は、人を愛すること、自分の周囲の社会のために尽くすこと、自分に目的と意味を与えてくれるものを創りだすこと -
泣きました。優しさが溢れていて、大きくて、強い。一瞬一瞬を、対象に対して、全力で向き合うこと。自分の人生を生きることは、そういうことなんだともう一度確認できた。何を相手に与えられるか、実際に与えるか、いや、その与えようとする気持ちこそが、社会的なる存在としての自分であると。強く生きようと思えた。