- Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
- / ISBN・EAN: 9784151200038
感想・レビュー・書評
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文学として素晴らしい一冊。
執事のスティーブンスの語り口調に慣れるにしたがって、その言葉の裏にある彼の人間らしい心の機微が、文章には見えていないのだけれど、確かに読み手に伝わってくる。
人生の中で、振り返ってみるとあれはどうだっただろうかと悔いるような事は誰しもあるものだと思うが、自分もそういうことを考えながら、スティーブンスが旅をする中で自分の人生を静かに回顧し、悔いたり、恥じたり、改めて誇りに思ったりする様をじっと見守る。
ラストは自然と涙が出た。静かな、それでいてとても大きな感動。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
あらすじ
1989年ブッカー賞
(ブッカーしょう、Booker Prize)
イギリスの文学賞。
世界的に権威のある文学賞の一つ。
the Bookerなどの通称もある。
日系の英国作家K・イシグロのブッカー賞受賞作を基に「眺めのいい部屋」のJ・アイヴォリー監督が、侯爵に忠実な執事として徹底的にストイックに生きた一人の男の悲哀を描いた物語。恋を知らぬ彼は安っぽい恋愛小説に慰めを得、それを女中頭に見つかり頬を赤らめる。互いに愛情を感じながらもその感情を抑えこんでしまう彼に、彼女は待ちきれず、彼の友人と結婚し町を去る。戦後、侯爵がこの世を去り、ようやく自由を感じた彼は女中頭を訪ねるのだが。
第二次世界大戦が終わって数年が経った「現在」のことである。執事であるスティーブンスは、新しい主人ファラディ氏の勧めで、イギリス西岸のクリーヴトンへと小旅行に出かける。前の主人ダーリントン卿の死後、親族の誰も彼の屋敷ダーリントンホールを受け継ごうとしなかったが、それをアメリカ人の富豪ファラディ氏が買い取った。ダーリントンホールでは、深刻なスタッフ不足を抱えていた。なぜなら、ダーリントン卿亡き後、屋敷がファラディ氏に売り渡される際に熟練のスタッフたちが辞めていったためだった。人手不足に悩むスティーブンスのもとに、かつてダーリントンホールでともに働いていたベン夫人から手紙が届く。ベン夫人からの手紙には、現在の悩みとともに、昔を懐かしむ言葉が書かれていた。ベン夫人に職場復帰してもらうことができれば、人手不足が解決する。そう考えたスティーブンスは、彼女に会うために、ファラディ氏の勧めに従い、旅に出ることを思い立つ。しかしながら、彼には、もうひとつ解決せねばならぬ問題があった。彼のもうひとつの問題。それは、彼女がベン夫人ではなく、旧姓のケントンと呼ばれていた時代からのものだった。旅の道すがら、スティーブンスは、ダーリントン卿がまだ健在で、ミス・ケントンとともに屋敷を切り盛りしていた時代を思い出していた。
今は過去となってしまった時代、スティーブンスが心から敬愛する主人・ダーリントン卿は、ヨーロッパが再び第一次世界大戦のような惨禍を見ることがないように、戦後ヴェルサイユ条約の過酷な条件で経済的に混乱したドイツを救おうと、ドイツ政府とフランス政府・イギリス政府を宥和させるべく奔走していた。やがて、ダーリントンホールでは、秘密裡に国際的な会合が繰り返されるようになるが、次第にダーリントン卿は、ナチス・ドイツによる対イギリス工作に巻き込まれていく。
再び1956年。ベン夫人と再会を済ませたスティーブンスは、不遇のうちに世を去ったかつての主人や失われつつある伝統に思いを馳せ涙を流すが、やがて前向きに現在の主人に仕えるべく決意を新たにする。屋敷へ戻ったら手始めに、アメリカ人であるファラディ氏を笑わせるようなジョークを練習しよう、と。
感想
執事が主役の小説 -
海外小説なのにすんなり入ってくる。
翻訳がいいのはもちろん、品格とか忠誠心にこだわる感覚的なところ、
郷愁や美しさを感じる風景が、なんだか日本人的な気がする。
日本的というよりユニバーサルなのか。
ノーベル賞作家の中で最も読みやすい。 -
"英国貴族に仕える伝統的な執事"
真面目で超完璧主義。しかも自己肯定感高め。
滅私奉公を厭わず主人に仕える。誇り。品格。
と最初は文章のまま受け取ってたんだけど、どうやら違う。人生の夕暮れ時「自分の人生、こんなか」「頑張ってきたのにもしかしてどこかで間違えたのか?」誰もがきっと感じたことがあるそんな漠然とした絶望を、上品な物腰で突きつけてくる。
それを受け入れて今までの自分のまま「さぁ。ジョークを勉強するぞ」そんな感じの本。
面白い本かって聞かれたら面白くないんだけど(←苦笑)、良さはそこじゃないし結構好きだった。
最後まで飽きずに読める。
和訳素晴らしい。 -
カズオイシグロのゴリゴリの一人称視点で、古き良き大英帝国の品格を持つ(?)執事の過去と今が書かれている本作。
最近見るエンタメ作品はテーマに対して直接的な表現をしていることが溢れているが、本作のように遠回しに、主人公の在り方を風刺することは非常に高度な技術だと思う。
後半に進むにつれて事実が明かされ、非常に面白くなっていく。
ノーベル文学賞も納得の作品。 -
うまく表現できないが、文学読んでますっ!という気分になる。
取り立てて何か大きな出来事が起こるわけでもない物語なのに、文体や表現、言葉遣いなどから情景がありありと浮かび、次から次に読み進めたくなる。
それこそが、名作というものなのだろうかと思ってみたり。
驚く内容があるわけではないのに、誰かに何かを聞かれたら『日の名残りが良いよ』と言ってしまうだろう作品。生涯記憶に残る作品だろうと思う。 -
良かった
語り手が執事だけど、終始堅苦しい訳でもなく所々ユーモアが散りばめられていてクスッとなる
切なさがあった -
#英語 The Remains of the Day
ずっと読みたかったイシグロ作品、一気に読みました。とてもよかったです。
どうしたらこの読後感を言語化できるのだろう。
丸谷才一氏の解説も参考になります。 -
面白くて考えさせられる、理想的な小説。
主人公の造形がとてもリアル。
自分も中年になって、自分がもっとも仕事で充実していた時期を振り返ると
何を思うのか。
著者の他の作品もぜひ読んでみたい -
オーディブルにて聴き終えました。
これは文字でも読みたいですね。
「わたしを離さないで」の時も思ったけど、カズオ・イシグロさんの作品は、いつも新しい読書体験だ!と思わせてくれる。
切ないロマンスかと思いきや、もっと違う強烈なメッセージを投げ込んでくる人だ…。
スティーブンスの印象は、最初は「見栄っ張りでいけずな京都人そっくり(笑)」と思いながら読んでたけど、だんだん「なんかこいつ隠してんな?」になり、「なぜそこでそうなる!?」と行動につっこみ、彼が仮面を脱ぎ捨ててからは「そういうこともあるやんな、しょんぼり…」となりました。
つまりは彼の旅に同行して、感情を共にしました。
夕方こそ人生でいちばんいい時間だ。
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上品な作品の世界を味わった。
世界の切り取り方と語りが、なんとも上品なんですよ。
語りと風景を通して、誰もが一度は抱く「あの時のあの自分の価値観、考え方は、果たして正しかったのか?」という拭えない疑念と、その真実を受け入れざるを得ない人間の哀愁が物哀しい。
カズオ・イシグロさんの作品は他に『わたしを離さないで』を読んだ。
この作品と『わたしを〜』を紡ぎ合わせたと言われる最新作『クララとお日さま』は、¥3,000くらいと値段が高くてまだ買えない。
図書館は180人待ちつまり10年待ち。
どんだけ人気なん? -
ノーベル文学賞受賞作。
20世紀の英国を舞台にした執事の話。
新しくアメリカ人が、オーナーとなった屋敷の執事が旅に出て、ざまざまな回想をする。イギリスの黄昏を描く中、品格とでも呼ぶべきものがテーマか。 -
“人生、楽しまなくっちゃ。
夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。
脚を伸ばして、のんびりするのさ。”
私は二十代なので、まだまだ人生午前中だな。
人生の夕方には何を思うんだろう。
今は日中を頑張ることしかできないし、
日中を頑張った人の夕焼けはきれいだろうな。
『わたしを離さないで』で有名な
カズオ・イシグロさんの小説。
旅の話だ、ということで興味がわいて読んだが、
やっぱり名作は名作なんだな、文章がとても素敵。
作中の言葉を借りるなら、文章に「品格」があって
一人称で穏やかに綴られる品の良い物悲しさに
すっかり引き込まれてしまった。
慎ましく?わざとらしくなく?さりげなく?
上手い言葉が見つからないけど、
声高に叫ばない感じ、
静かな闘志や確固たる信念、みたいな、
とにかく、この文章みたいなあり方に憧れる。
執事としての仕事への信念、父の死、
ミス・ケントンとの日々、
あの時ああしていればあったかもしれない未来、
卿への敬愛……
人生の夕方にさしかかった
スティーブンスの回顧を通じて、
自分の今までとこれからを考えずにいられない。
ラスト、
まだ脚を伸ばしてのんびりしない夕方を選んだ
スティーブンスは、
いきいきしていてとっても素敵だ。
午前中の自分なりに
いろいろ感じ取ることはできたけど、
この本を余すところなく
十分に楽しみ尽くせた自信はないし、
たとえば歴史的背景を分かって読んだりしたら
きっと新しい発見もあるだろうから、
もっと人生の時間が進んだら
また読み直してみよう。 -
舞台は1950年代、イギリス
アメリカ人に使える英国人執事の回顧録
当時のイギリスの時代背景と、
執事の価値観・思い出を調和させた作品
穏やかな世界観の裏にある様々な思惑が面白く、
読了感がとても心地よい -
ダーリントンホールの煌めきも、田園風景の豊かさも、ミス・ケントンとの関係も、ラストシーンの桟橋も、それだけで心満たされるほど鮮明に情景を思い描かせる文章だった。価値があると信ずるもののために、人生の多くを犠牲にする覚悟がある、それだけで人生の誇りと言えよう、なんて。勇気づけられる。そんな風に考えられるならば、いつか来る人生の夕暮れ時も、楽しみに思える。
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静かな物語。大きな事件が起こるわけじゃなくて、回想を通して少しずつ心情が変わっていく流れ。ずーっと心穏やかに読んでた
主人公の執事が、世の中がだんだん資本主義やら実利主義やらに走って行く中、品格ある理想の執事像を追求し続けた末に、今の自分にあまり多くものが残ってないことに気づく姿が切ない。
あと大英帝国が覇権を握っていた時代の、本物の英国紳士の伝統的な価値観、生き方みたいなものを感じ取れた気がする。その良き伝統が新しい時代の変化に合わずに失われていく姿は、どこの地域・時代にも見られる現象だけど、複雑な気持ちになる。
伝統的には、執事は雇主に仕える立場で自分は政治とかに関与する身の丈じゃないから、自分が違うとを思っていても慕っている雇主を信じて仕事をこなすのが正しいとされるけど、現代だと自分が正しいと思ったなら例え相手が尊敬する目上の人でも率直に意見を述べる方が正しいとされそうだなと、思った。
物語の中でイギリスの田舎の風景がすごい浮かんできて、また行きたくなった。イギリスって他の大陸ヨーロッパの国とかアメリカと結構空気が違う気がしてて、意外と日本に通じる点が多くないか?とか思うこともある。
とりあえず、この小説の真髄を理解するにはまだ自分は若過ぎた。人生経験まだまだです。 -
「1日の中で夕方が一番いい」
夕暮れ時、主人公ミスター・スティーブンスの傍に座る老いた男がつぶやく。
この小説は、このラストシーンのためにある。
十九世紀までのヨーロッパでは、国という地域概念より貴族社会という階級概念が強く、内政も外交も各国の貴族による社交場で繰り広げられていたが、二十世紀に入り二つの大戦を経験すると、その社会は大きく変革していった。
舞台は、大戦前後の英国の伝統的な御屋敷で繰り広げられた、執事と使用人、屋敷の主人と訪れた人々の物語。
主人公は、第二次大戦後の新しい主人(アメリカ人)からの提案で暫く旅をすることになり、その道中、自分の執事人生の回顧を読者に語りかける。
自分がこれまで、どのような仕事をして、どのような信念を持って、なにを目指したか、自信満々で語る姿が、ある意味で滑稽とも映る。
やがて読者は、迷いもなく堂々と語り続ける主人公の話の中に、隠れた迷いがあることに気がつき始める。
そして、主人公が初めて信念の揺らぎをみせる中で迎えるラストの夕暮れ時のシーンでは、雄弁さが消え失せ暮れゆく日の名残りをじっと見つめている姿が浮かび上がる。
時代の「日の名残り」
人生の「日の名残り」
最後の一言「決意を新たにジョークの練習に取り組んで……」は「前向き」か「諦め」か、それともまだ「自信」なのか…読む人でそれぞれ。