日の名残り (ハヤカワepi文庫 イ 1-1)

  • 早川書房
4.08
  • (970)
  • (847)
  • (582)
  • (66)
  • (21)
本棚登録 : 9381
感想 : 991
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200038

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 著者は両親を日本人として生まれますが、5歳にて家族とともに渡英し、以降英国にて教育を受け、世界的作家として活躍しています。 かねてより彼の小説を読んでみたいと思っていた理由は、日本人としての彼のルーツが作品にどう影響しているか、という観点でした。 今回、手に取った小説の主人公は両大戦を挟む時代に、英国のカントリーハウスにてダ-リントン卿に執事として仕えるも、今はアメリカ人の手に渡った邸宅に残る、古き良き英国の気品を象徴するような人物として描かれています。

    彼が、自分の執事としての職業人生や、同僚である女中頭への思い、またダーリントン卿が主催する外交会議などを振り返る中で、旅の終わりの夕暮れ時に、自身の人生を俯瞰(即ちメタ認知する)ところにクライマックスがあります。それは、信じていたものに裏切られるような残酷な瞬間でもあり、主人公の一刻な性格を考えるに、その失望の大きさに心を動かされるものがあります。職業をめぐるこうした情緒は、日本的なテーマのような気がするも、この小説が英国、そのほかの国々でも翻訳され多くの読者を獲得しているということは、とりもなおさずその普遍性を意味する証左でしょう。

    以前誰かの評論で、イシグロの小説の主題の一つが、運命に抗えない人々の悲劇、というの読んだことがありますが、この主人公は最後の段でこれからの人生に明るい展望を抱いており、そこが救いになっています。

    ストーリーテラーとして力量、構成力、そして登場人物の機知にとんだ会話にすっかり引き込まれてしまいました。この作品は、アンソニー・ホプキンス主演にて映画化もされておりますので、一度鑑賞してみたいと思いました。

  • ダウントンアビーの風景と重なる。旅の目的がが期待通りにいかなくても、失望を露わにしないすました語り口調に、執事らしさを感じた。

  • 私の未熟な能力に拘らず、数時間で読めたのは、本作品(および翻訳)における極めて優れた特徴のお蔭なんだと思う。
    まず、文章が非常に読み易い。文章は短く、簡潔。そして日本語は海外ものとは思えないほどこなれていて、翻訳が秀逸。まさにクリアーな視界で読書をしている気分だった。
    それでいて、登場人物の微妙な心情を繊細に伝える業には、驚くべきものがある。やや入り乱れる時系列の中でも、読み手を全く混乱させないし違和感の一つもない。上品な文体やユーモアに癒されながら、まるで穏やかな緩徐楽章を聴くときのような心地よさで読み切ることができる・・・。
    しかし、このような表層が作品の秀逸さの本質であると言い切ることはできないのだろう。何といっても、そこに盛り付けられた内容こそが、大層見事なものだった。

    ミス・ケントンとの別れの場面、主人の過ちを認め、自身の人生の空虚さを感じた涙のシーンなど、特に最終章には感じ入った部分が多くあった。悲しさと美しさの入り混じる夕焼けのなかで、再び前へ進んでいこうと決意する最後の段落は、格別なものだったのでメモしておきたいと思う。

    旅を始める前から、堅物過ぎるスティーブンスは、現在の新主人の好むアメリカ流ジョークに対して調子を合わせることができず悩んでいた。しかし、最後にスティーブンスは「決意を新たにしてジョークの練習に取り組んでみる」ことを胸に抱き、前向きに歩んでいこうとする。「立派なジョークでびっくりさせて差し上げることができるかも」というスティーブンスの思い描く胸の裡は、作者のユーモア・センスが効いていて微笑ましい。
    旅の道中も、田舎者たちのジョークに気の利いた返しができず白けてしまう様子が描かれるなどしており、これは茨の道だろうな、と読者は容易に想像できる。しかしながら、それでも不器用なりに努力を続けていこうとするスティーブンスの姿は、読み始めた際に感じた鋼のような仕事人とは別の、少しだけ暖かみを感じさせる近しい存在に変わっている・・・。

    読後、まさに日の沈む際の、あの何とも形容し難い、悲哀の入り混じった温かな感動に包まれた。さしてドラマチックでもない淡々とした展開なのに、ここまで胸を打たれるとは・・・。個人的には、英国らしい上品で堅実な文体からはエルガーの交響曲のようなテイストを感じたが、最終章における展開と読後の印象からは、マニャールの4番における悲しく美しい輝きと夕闇を想起させられた。悲劇的ながら、実は前向きな最後は、まさに何事も上手くいくわけではない現実に生きる私たちにとって、少なからず共感できるメッセージを孕んでいるのではないかなと思う。


    (自身のブログから一部を抜粋し改変しました。)

  • 古き良き英国が描かれている。老執事の回想で、長く仕えてきた主人への忠誠と自分の仕事への誇り。

  • 戦前の旧き良きイギリスを描いた作品、と一言で言えばそうではある。ある意味、清廉潔白で美しすぎる作品。それがイギリス紳士なるものなのかもしれないけど、何というか、もう少し人間らしい側面からも登場人物たちを描いてほしかった、と思うのは浅い読み方だろうか。読み手によっては、違う読み方もあるかもしれない。そういう点では、幅広いファンがいそうな一作。

  • 「ダウントンアビー」を見た後に読んだので自然とあの映像と内容が重なった。
    ちょうど、あのドラマと時代も舞台設定も重なっていたように思う。
    主人公は現在はアメリカ人の主人に仕える執事で、長年忠実に職務をこなしてきた彼は数日間の休日を与えられる。
    その休日に、車を使っての小旅行に出た彼は、イギリスの田園風景を堪能しつつ、自分の過去を回顧していく。
    尊敬していた前当主のダーリントン卿、執事として見習うべき存在だった父親、共に働いてきた女中頭のことー。

    とても分かりやすい設定で、作者の言いたい事もシンプルに伝わってきた。
    後半も後半に、ある人物が言った言葉がそのまま、この小説で伝えたかった事なんだろう、と思う。
    さらに、主人公が旅行に出て日常から離れ、いつもの自分と違う場所で客観的に自分を見つめ直す。
    そして、ある事に気づいて成長し元の場所に戻っていく。
    というのも、典型的だけどとても分かりやすい。

    晩年といっても、今日、今この時が自分にとって一番新しい瞬間であり、今の自分はこの人生の中で一番若い。
    誰かの言葉ではあるけれど、それを物語として見せてくれる事で、さらにイメージの中でも理解させてくれた。
    今の私自身にも響いてくる内容だった。

  • ノーベル文学賞の本というものがどういうものなのか気になり購入。

    過去に映画化されており、そちらも高評価。
    観てませんが…

    イギリス、ダーリントンホールでダーリントン卿に仕えた一流の執事が本作の一貫した語り手。
    時代は移り変わり、館の新しい主人となったファラディの提案により、執事スティーブンスは出発する。

    旅をしながらスティーブンスはダーリントンホールでの自分の人生を回想する。

    執事としての仕事への姿勢、哲学。
    主人への忠誠心。
    歴史を動かさんとするダーリントンホールでの会合。
    そこに集まる要人たちや主人との出来事。
    会合の最中に起きる父親の死に向き合うスティーブンス。
    向き合っていた彼は果たして息子としてのスティーブンスなのか、執事としてのスティーブンスなのか。
    同じ館で共に主人に仕えたミスケントンとのやりとりが「日の名残り」としてスティーブンスの脳裏を巡っていく。

    仕えた主人に対する彼の忠誠は、旅先で主人への世界の認識に触れる時試される。

    そして、小旅行終わりに、館を後にしたミスケントンと再び逢う時、日の名残りは彼の心を動揺させる。

    人としての、そして「地位にふさわしい品格」、持つべき矜持、主人への忠誠心。
    スティーブンスの持つそんな特質が胸を打つ。

    小説を締めくくる最後のシーン。
    海辺の町の桟橋での見知らぬ男との会話。

    小旅行によって過去の出来事を反芻し、選ばなかった自分の過去の決定に区切りをつけて、スティーブンスは思いを新たにし、今使えるべき主人へと思考は前進してゆく。


    一人の紳士の凜とした姿、歳をとり、過去への思いと戦いながらも、前進していくそんな美しくも哀愁の漂う物語。

    言葉にすると陳腐だけれど、人としての品格、ひいては、「地位にふさわしい品格」。そんな考え方も大きなテーマだと感じた。

    ようするに、面白かった。

  • 「人生、楽しまなくっちゃ。夕方が一日で一番いい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ。夕方が一番いい。わしはそう思う。みんなにも尋ねてごらんよ。夕方が一番いい時間だって言うよ。」p294
    タイトルの意味。過ぎ去った一日を振り返っている。
    執事が、休暇旅行の間に、今までの人生を思い出す。これまでの執事として、執事として品格を持って生きたかを考える。今までの人生を考える。人生の残照。また、それは、大英帝国の黄昏でもある。
     「夕方は一日で、一番楽しめる時間なのかもしれません。では、後ろを向いてばかりいるのをやめ、もっと前向きになって、残された時間を最大限に楽しめという男の忠告にも、同様の真実が含まれているのでしょうか。」
     訳者解題。一日のまだ残っている部分。この執事のこれから、ジョークを学ぼうとする気持ち。前向きなこと。
     ノーベル賞だし、日本人だった人だし、と軽い気持ちで読み始めたが、日本人らしい感覚がなく、イギリスのセンスあふれる作品で、最初は戸惑った。日本的なものを期待していた。図らずも、筆者と1歳違い。今、執事と同じように人生の黄昏で、読みながら、重ね合わせるように人生を振り返った。
    「あの時ああすれば・・・と考えるが」、「私どものような人間は、何か真に価値あるもののために微力を尽くそうと願い、それを試みるだけで充分である気がいたします。」結果がどうであれ、そのこと自体が自らに誇りと満足を覚えてよい十分な理由となりましょう。」実感を込めて同意する。今読んだからこそ分かる、想定外の収穫であった。すべては、クライマックスの桟橋での夕暮れシーン。
     翻訳物は遠ざかっていたが、作者が日本語で書いたかと思うほど、訳も違和感がない。MR.イシグロ作品をちょっと追ってみようと思う。
     

  • 執事が語る。
    英国の良き時代、執事の品格。
    どこのなく懐かしいような、静かな作品。

  • 土屋さん訳、すっと頭に入ってくる。すごいなあ。夕方が1番いい。人生においても余生が1番いい。そんな風に思えるのがよいなあと思う。
    remains =名残り。 残りが名残となるだけで奥深さが全然違うから言葉は楽しい。

  • 淡々と叙述されていく。どこかに盛り上がりがあるわけでも、思わぬ展開があるわけでもない。もしも小説の価値が、エンタテインメント性で決まるとすれば、この作品の価値は低いだろう。しかし良い。すっと沁み込んでくる。良質な鉱泉水を口にしたような読後感。

    • kame3hoさん
      すごくわかります!

      ところで、機会があればジュンパ・ラヒリの停電の夜に、をぜひに。カズオイシグロと並んで大好きです
      すごくわかります!

      ところで、機会があればジュンパ・ラヒリの停電の夜に、をぜひに。カズオイシグロと並んで大好きです
      2018/05/14
  • イシグロ作品初読み。
    美しい文章で綴られる老執事スティーブンスの回想。読後は温かい余韻が心の中に残った。
    英国の名家の戦前戦後を支えてきたスティーブンスが、かつての同僚と再会すべくひとり旅に出る。
    そして道中、のどかな田園風景の中をドライブしながら、これまでの自分の人生や執事としての仕事についての思い出に浸る。。。
    実直を絵に描いたようなスティーブンス、自分の感情も押し殺して主人に仕え、ただひたすら執事としての品格について考え追い求める半生だったが、真の意味の品格って何なのか?それは本当に正しい事だったのか?品格にこだわり過ぎたがために気づくことができなかったミス・ケントンの本当の気持ち。最後の数ページ、すべてに気付き衝撃を受けるスティーブンの心の描写が見事だった。
    旅先で出会った元同業の男性の言葉が深い。
     -人生、楽しまなくっちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。

    ジョークが上手くなったミスター・スティーブンスとまたいつか再会したいなぁ。

  • 「忘れられた巨人」[ https://booklog.jp/item/1/4151200916 ]よりも、こちらの方が自分には面白かった。こういうのを「信頼できない語り手」というのだろう。
    強烈な職業意識のもと、自分の感情を律して完璧な執事であろうとする主人公の視点から思い出が語られる。真面目な人だなぁという程度の素直さで読み進むと、だんだん違和感が生じてくる。
    彼はこの女性の想いに気づいていないのか?気づいていながら、気づかないふりをしているのか?いやむしろ彼自身が相手に特別な感情を抱いているのに、自ら気づいていないのか?それすら、気づいていながら気づかないふりをしているのではないか?
    読者としての疑いが積み重なっていった先に、主人公の信奉する「品格」や、前主人への敬慕さえひょっとすると怪しいものではないか、繰り返される表白そのものが欺瞞ではないかという疑いが現れてくる。ラストシーンでは主人公自身がそれらの疑いに気づくが、そこで崩壊でなく再出発となっているのが優しい。
    [ https://booklog.jp/item/1/490707283X ]を読んだ時、執事という職業はまさに感情労働であるという感想を抱いたのだが、望まれる振る舞いを演技するのが得意になっていくという職業的性質が、この小説の背骨になっている。

  • 意識高い系執事による品格を追い求めるストーリーです。

    かつて英国で社交界の中心的存在だったダーリントン・ホールの執事スティーブンスは、現在の雇用主である米国人実業家ファラディの許しを得て、北イングランドへのドライブ休暇をとる。その目的はかつての同僚ミス・グランドを訪ね、人手不足に悩むダーリントンホールに戻ってくる気はないか誘う、というもの。旅の途中、これまでの執事人生を誇りとともに振り返るスティーブンスですが、読者は彼の静かな口調の中に、そこはかとない違和感を覚えます。

    スティーブンス自らの語りで物語が進みます。
    自分の心情を吐露しているはずなのに、どこまで本気なのかわからない。
    「偉大な執事は、紳士がスーツを着るように執事職を身にまといます」というスティーブンスにとって、スーツを脱ぎ捨てるのは、完全に一人でいる時だけ。
    語り口調ということは他人を前にしているということであり、その間はスティーブンスは、自らを犠牲にしてでも主人に仕える執事だからです。

    その自己犠牲を尊ぶ彼の執事感がもっとも現れるのが、父の死に際に立ち会わなかったことを思い出す行。
    同じ屋敷の中の、ほんのすぐそこの部屋で父が死の床に伏したにも関わらず、設宴での接客を続けたときを振り返るスティーブンスの言葉は、静かな執事言葉にも関わらず、壮絶な「職業意識」が現れています。

    「私にとりまして、あの夜はきわめて厳しい試練でした。しかし、あの夜のどの一時点をとりましても、私はみずからの「地位にふさわしい品格」を保ちつづけたと、これは自信をもって申し上げられます。」

    「そして、あの夜の私をうらやまぬ執事がどこにおりましょうか」

    揺るぎのない断定口調なだけに、スティーブンスの葛藤が伝わってきます。

    旅の終盤、ある人物との出会いをきっかけに、その口調に変化が見られる。
    執事のスーツに綻びが生じたとも受け取れる変化は、スティーブンスにとって幸福だったのか、救いになったのでしょうか。

    「あたし執事さんだから」的な自己犠牲を賛美するでも批判するでもなく、人間としての「品格」に迫る傑作です。
    みんなのうたの歌詞に炎上する人もそうじゃない人も、ぜひ読んでほしい一冊です。

  • 映画を先に見ていたのでどうしてもアンソニーホプキンスとエマトンプソンで人物がかたまってしまっているが、かえってそのイメージでさらに楽しめた。
    すごくイギリスな雰囲気が日本土着の自分にはたまらない。
    最後は、ユーモアに対する、ジョークの圧倒でしょうか。
    訳が素晴らしい。
    そして、丸谷才一の解説で二度とおいしいです。
    しかしこの小説はあまりに切ない。

  • 読み終わってまた深い満足感に包まれた。
    執事という、日本の(私の)日常生活からではほぼ想像のできない仕事についている男の独白で物語は進んでいくが、その内容が非常に興味深い。
    イギリスの歴史、地理、執事という仕事について、奥深く語られる。すべて興味深かった。
    イギリスへ行ったことがないので、想像力をかき立てられた。
    また他の作品も読んでみたい。

  • 「結局、時計をあともどりさせることはできませんものね。架空のことをいつまでも考えつづけるわけにはいきません。」p343

    スティーブンスは現在の主人から暇を出され、以前いたミス・ケントン(現在 ミセス・ベン)に会いに行きます。その道すがらダーリントン・ホールで開催された重要な外交会議や「理想の執事」に近づくべく仕事をしていた過去に思いをはせます。スティーブンスの胸に去来するものは一体なんでしょうか。

    ブッカー賞授賞作。主人に忠実であること=品格ある執事。と思い仕事を遂行していたスティーブンス。しかし、自分が思い付かない事が起こるのが人生の面白みであり哀しみです。その変化にスティーブンスは戸惑い、旅の最中に出会う人々と話すことで「自分の価値観」や「自分が当たり前」がそうではない事に気づくのではないでしょうか。ミス・ケントンと会った後にくる哀しみを和らげてくれたのは、たまたま会った初老の男性のひと言です。哀しくても後悔しても過去は変わりません。「これから何をしていくのか。」変えられるのは自分だけだと思いました。

  • <内容紹介より>
    品格ある執事の道を追求し続けてきたスティーブンスは、短い旅に出た。美しい田園風景の道すがら様々な思い出がよぎる。長年仕えたダーリントン卿への敬慕、執事の鑑だった亡父、女中頭への淡い想い、二つの大戦の間に邸内で催された重要な外交会議の数々ー過ぎ去りし思い出は、輝きを増して胸のなかで生き続ける。失われつつある伝統的な英国を描いて世界中で大きな感動を呼んだ英国最高の文学賞、ブッカー賞受賞作。

    ーーーー
    土屋政雄の訳によるところでありましょうか、文章が非常に美しい言葉で綴られていましたことを、述べておかないわけにはまいりますまい。
    みたいな文体で、「品格」を自身のアイデンティティとしていた執事のスティーブンスが、過去の思い出を語っています。
    自分の感情や考え等を明らかにすること無く、「忠誠心」をもってダーリントン卿に仕えるスティーブンスの姿勢は、まさに「執事の鑑」と思わせるものでした。

    「古き良き」時代であるのか、「過去の遺物」であるのか、評価は別れるかもしれませんが、個人的にはプロに徹する、時として冷徹にも見えるスティーブンスの在り方に魅力を感じました。

  • 素晴らしいの一言。

    ノーベル文学賞発表の前日、カズオ・イシグロさんが選ばれたらいいな〜と何と無く思った翌日ニュースを見てびっくり‼️

    土田正雄さんの翻訳が素晴らしいのでページを開くごとに場面場面の風景や登場人物の動向が目に浮かび上がるようだった。

  • イギリス、貴族のお屋敷を切り盛りする責任者 “執事” 。
    そうお嬢様の面倒を見てるだけじゃないのだった。
    スティーブンスは、理想の執事像を体現する事が目標だったのだろうか。時は流れ主人は貴族からアメリカの富豪に変わり仕え方に戸惑う彼。与えられた休暇旅行にこみ上げるものは何だろう。最盛期だった自分、衰え始めた今、微かな恋心?
    空の色が変わる夕暮れ、そこにある日の名残り、暮れても希望は先の楽しみは何かある。

全991件中 161 - 180件を表示

著者プロフィール

カズオ・イシグロ
1954年11月8日、長崎県長崎市生まれ。5歳のときに父の仕事の関係で日本を離れて帰化、現在は日系イギリス人としてロンドンに住む(日本語は聴き取ることはある程度可能だが、ほとんど話すことができない)。
ケント大学卒業後、イースト・アングリア大学大学院創作学科に進学。批評家・作家のマルカム・ブラッドリの指導を受ける。
1982年のデビュー作『遠い山なみの光』で王立文学協会賞を、1986年『浮世の画家』でウィットブレッド賞、1989年『日の名残り』でブッカー賞を受賞し、これが代表作に挙げられる。映画化もされたもう一つの代表作、2005年『わたしを離さないで』は、Time誌において文学史上のオールタイムベスト100に選ばれ、日本では「キノベス!」1位を受賞。2015年発行の『忘れられた巨人』が最新作。
2017年、ノーベル文学賞を受賞。受賞理由は、「偉大な感情の力をもつ諸小説作において、世界と繋がっているわたしたちの感覚が幻想的なものでしかないという、その奥底を明らかにした」。

カズオ・イシグロの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
コナン ドイル
コナン・ドイル
フランツ・カフカ
カズオ イシグロ
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×