勉強の哲学 来たるべきバカのために

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著者 : 千葉雅也
  • 文藝春秋 (2017年4月11日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163905365

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勉強の哲学 来たるべきバカのためにの感想・レビュー・書評

  • 処女作『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』も、一定の評価を受けて一定の層に受容されている。その題名からも分かるように著者の専門はフランス現代思想。大学二年生のときに東浩紀の『存在論的、郵便的』に出会い、哲学を志したという。その著者が、『勉強の哲学』というタイトルで書いた本が、東大と京大の生協書店で売上No.1だという。今の学生もフランス現代思想を前提とした「勉強の哲学」なるものを興味を持って読むのかと思うと大変な驚きである。前著『動きすぎてはいけない』も読んでいないのだけれど、参加する読書会で取り上げるということなので読んでみた。

    「勉強」という一連の作業の中で、情報を探すということに関しては、著者がいうように現代はかつてないほど恵まれた環境となっている。90年代末に学生であった著者からしても「勉強のユートピア」と呼んでもいい時代になったという。それは逆に、今までにない程、情報と勉強に関するリテラシーを身に付けることが必要な時代でもある。だからこそ、少し意識の高い学生にこの本は受けるのかもしれない。

    著者は勉強をすることは、「ノリが悪くなることである」と告げる。勉強することによって、それまでの「ノリ」から自由になり、別の「ノリ」に移るということになる。それは著者自身の経験でもあったのだろうか。「勉強とは喪失すること」という。つまり、「勉強とは自己破壊である」ということである。そのことを著者はキモくなるとも表現する。東大・京大で売れているのは「キモく」なることへの自己正当化にもなっているのだろうか。

    そもそも人間は「他者によって構築されたもの」である。もう少しいうと「自分に言語がインストールされている」という事実が、他者によって構築されたものでことを示している。なぜなら「言語は他者」であるからである。そして、人間は「言語的なヴァーチャル・リアリティ」を生きているといえるのである。フランス現代思想においては、「言語」への拘りと同時にそこからの自由を求めることが哲学というものなのかもしれない。フランス現代思想とは、言語の他者性について考えることとだとすると、この本はそこから自由になるための勉強論であるのかもしれない。

    そして、ツッコミ=アイロニーとボケ=ユーモアを、既存のコードから自由になるための思考スキルだという著者のフレームワークは知的な刺激ではある。著者はアイロニーを過剰化せずにユーモアへと折り返すことを推奨する。柄谷行人に『ヒューモアとしての唯物論』という著作がある。柄谷は、ここではアイロニーに対して、ユーモアを上に置いている。いずれにせよ、アイロニーとユーモアを対置するフレームは決して新しいものではない。

    著者は具体的な「勉強」のツールとして、フリーライティングを薦める。自分もEvernoteを利用して読書ノートを付けて、少し形をまとめてブクログに上げるようにしている。勉強を継続するためにノートアプリを利用して書くことを薦めるが、まったくその通りだと思う。

    そして、比較を続けること、絶対的な結論を出さないこと、最終的な決断をしないことこそが大切なのだという。その思考スキームは現実の世界においては、実際のところちっとも役に立たない。その意味で「勉強」とはすでに役に立つものでもなくなっているのだ。それでもなお「信頼に値する他者は、粘り強く比較を続けている人である」という言葉には強く共感するのである。

    この本を読んで、ポスト構造主義(ドゥルーズ・ガタリやデリダ、ラカン、バルト)が残したものは何であろうかと考えた。「深く勉強することは、言語偏重の人になることである」と著者はいう。それは、彼らを結果として裏切りはしなかったか。
    壮麗な装丁の『アンチ・オイディプス』を買ったとき、『差... 続きを読む

  • 勉強=いままでのノリから抜け出すこと

    相対的に比較していくことで世界を認知するならば、比較対象を増やしていくことはより比較の精度を上げることになる。

    懐疑(アイロニー)と連想(ユーモア)を繰り返して思考を深めていくが、それは際限がないので享楽(自分のこだわり)によってある程度見切りをつける。

    自分の享楽について理解するためには欲望年表を作成すると良い。

    「ある程度勉強した状態」はあっても「勉強完了」の状態はないので享楽を繰り返しながら深めていけば良い。

    この知の有限化のプロが教師。教えられる者は何を教わっているかと同時に教師は何を切り捨てているのかも意識できた方が良い。

    学問も、それぞれの世界にノることと同義。入門書→教科書→基本書→専門書と深めていく中でその学問のノリに入っていく。そうした書物はプロ・モードで書かれているためにそうして慣れていかないと理解ができないから。

    本は修正が効かない分注意深く書かれていることが多い。でも間違っていることも往往にしてある。プロ・アマ両輪で読むことによって必要な分だけ自分のものにしていく。

    ノートは勉強のタイムラインになる。
    考えた結果を書くというより書きながら考える。箇条書き(アウトライン化)も有効。

  • 哲学だけに難しかったけど、勉強をツッコミ=アイロニーとボケ=ユーモアで思考するあたりから腑に落ちるようになった。
    アイロニーとユーモアを行ったり来たり、勉強を有限化する、読書は完璧にはできない、そして「アイデアを出すために書く、アイデアができてから書くのではない」という、私なりの本書の構造を掴んで読了。
    書評で『「同調圧力」時代の突破口に』とあったけど、それはよくわからない…

  • タイトル通り、哲学の観点から勉強の仕方を示した、今まで触れたことのない新鮮な本であった。自分にとっては一度だけでは理解しきれていないところもあるが、それでも勉強方法として新しい気付きを与えてくれた意味では良書であった。

    ・勉強とは、かつてのノっていた自分をわざと破壊する、自己破壊である。言い換えれば、勉強とは、わざと「ノリが悪い」人になることである。
    ・環境における「こうするもんだ」とは、行為の「目的的・共同的な方向づけ」である。それを、環境の「コード」と呼ぶことにする。言い直すと、「周りに合わせて生きている」というのは、環境のコードによって目的的に共同化されているという意味です。
    ・環境のコードに習慣的・中毒的に合わせてしまっている状態を、本書では、ひとことで「ノリ」と表すことにしきしょう。ノリとは、環境のコードにノってしまっていることである。
    ・言語によって構築された現実は、異なる環境ごとに別々に存在する。言語を通していない「真の現実」など、誰も生きていない。
    ・勉強とぼ結局、別のノリに引つ越すことですが、この勉強論で光を当てたいのは、以前のノリ1から新しいノリ2へと引つ越す途中での、二つのノリの「あいだ」です。そこにフォーカスするのが、本書の特徴です。ニつの環境のコードのあいだで、板挟みになる。
    ・言語には2つの使用がある。一つは「道具的」な言語使用。環境において、目的的な行為のために言語を使うこと。たとえば、「塩を取って」というのは「依頼」であり、相手を動かして塩を手に入れるという目的のために言っている。言葉のリモコンで何かをするわけです。二番目は、たんにそう言うために言っているという言語使用。これを「玩具的」な言語使用と呼びきしょう。おもちゃで遊ぶように、言語を使うこと自体が目的になっている。先ほど挙げた詩の例はそういうものと捉えてほしい。ダジャレとか早口言葉もそうですね。
    ・一般勉強法とは、言語を言語として操作する意識の育成である。それは、言語操作によって、人特定の環境のノリと癒着していない、別の可能性を考えられるようになることである。
    ・自由になる、つまり、環境の外部u可能性の空間を開くには、「道具的な言語使用」のウェイトを減らし、言葉を言葉として、不透明なものとして意識する「玩具的な言語使用」にウェイトを移す必要がある。

    ・環境のノリから自由になるために、勉強を深める。根本的に深い勉強、ラディカル・ラーニング。それは言語偏重になることである。言語偏重になるというのは、ある環境でスムーズに行為するために言語を使っている状態から脱して、言語をそれ自体として操作する意識を高めることである。言語の「道具的使用」から「玩具的使用」へ。言葉をおもちゃのように操作し、「言えるには言える」という形で、自分のあり方の多様な可能性を、環境の求めから離れて自由に考えられるようになる。
    ・「コードの不確定性」の説明は、会話に限らず、行為全般の「こうするもんだ」=環境のコードについて言えることです。環境のコードは、つねに不確定であり、揺らいでいる。会話にもコードを想定できるし、人に会うときの身ぶりとか、何かチームでやる作業とか、服装とか、あらゆることにコードを想定できますが、コードはつねになんとなくのもの、不確定なものでしかありません。
    ・コードを客観視する「最小限のツッコミ意識」が、勉強の大前提である。勉強とは、新大なことを自覚的にできるようになるこしです。
    ・(0)最小限のアイロニー意識:自分が従っているコードを客観視する。その上で、(1)アイロニー:コードを疑って批判する。(2)ユーモア:コードに対してズレようとする。そもそも不確定なコードをますます不確定にすることを、「コードの転覆」と呼ぶことにする。アイロニーとユーモアはそのための技術であ... 続きを読む

  • つ…疲れた…。
    考えても考えても、言葉自体に頭が追いつかなかったり、理解するのにとても苦労しました…。
    本が問題なのではなく私自身の頭の回転の話になるのですが…しかし、最後まで読みきった達成感は何にも代え難いものがありますな。

    さてさて。
    サブタイトルにある『来たるべきバカのために』というのは、大学教授も務める千葉雅也氏の愛情表現だなぁ、というのを読んでいてつくづく感じました。

    勉強、その言葉自体が僕はもう苦手で苦手で…。
    何が苦手って、何をもって学習なのかも、勉強なのかも分からない私に取っちゃあ「勉強しなさい」が何よりもの即死魔法でした。ドラクエ風にいるならザキでした。

    この本の中には勉強を続けるのには気張らなくていいんだよっ☆肩の力抜きなって☆というようなフランクさがあってとても良かったです。

    レベルアップした気分。

  • 勉強とは何なのか、それをするとどうなるのかということについて、哲学を基礎に置いていますが、バックボーンの無い人にもわかるように書かれています。勉強すると余計な贅肉も付いてしまい、それがアイロニー(ツッコミ)として発生してしまいます。そういう人間たくさん見るなあと思い当たる点、自分にも有ったりしました。本書はそこからどうするのか、かじり始めた勉強をどうやって発展させていくのかが書かれています。
    勉強していない人に、勉強する意味を説明することは非常に難しいものです。なぜならそれをするためには、相手にそれを理解するだけの知識を求めるからです。本書はその難しさを、可能な限りハードルを下げて説明されていると思います。難解なことをここまで分かりやすく専門性を省いて書かれた著者の労力はすごいと思いながら読みました。
    アイロニカルに突き進むと「自分が決めたから決めたんだ」という結論に至りますが、著者はそれではマズいと言います。その視点は反省を促し、冷や汗が出ました。

  • 著者の千葉雅也は、2013年発表のデビュー作『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』で注目を集めた、フランス現代哲学を専門とする新進の哲学者。
    本書は、著者曰く、「ドゥルーズ&ガタリの哲学とラカン派の精神分析学を背景として、僕自身の勉強・教育経験を反省し、ドゥルーズ&ガタリ的「生成変化」に当たるような、または、精神分析過程に類似するような勉強のプロセスを、構造的に描き出したもの」である。
    私は、現代思想に関して専門的な知識は持たず、著者が補論でも語っている本書の学問的背景はよくわからなかったが、興味をもって読み進めることができた。
    というのは、私はおそらく一般の人と比べると、文系・理系に限らず幅広いジャンルの数多くの本を読むが(と言っても、著者のいう「一般書」の範疇だが)、自らの、著者のいう“ノリの悪い語り”を意識することがあるのだ。。。例えば、皆がコラーゲンやグルコサミンの効用についての経験を話していると、「それは分子生物学的にはあり得ない」と否定してしまったり、中国の駐在経験者たちが、中国の生活の不自由さについてあれこれ話をしていると、「中国共産党政権は、ソ連と同様に遠からず崩壊するはずだ」と呟いてしまったりするのである。。。
    著者は、勉強するとは、言語偏重の人になることであり、言語偏重の人とは、その場にいながらもどこか浮いているような、ノリの悪い語りをする人である、と述べているが、日頃自分が持っている違和感をポジティブに説明してくれたような気がして、その先一気に読み切ってしまった。
    前半の原理篇1~3のロジカルな分析と比較すると、後半の実践編1~2は、著者自らの体験に基づく記述が増えて、別の本のような印象すら受けるが、読者がそれぞれの立場で意味を感じられるような一冊ではないだろうか。
    (2017年7月了)

  • 千葉雅也『勉強の哲学』読了。「勉強」とあるけれど、広義的な「勉強」と捉えられる内容で、ある種のオタク分析のようにも読めて、非常に興味深かった。内容としては、勿論『勉強』についてではあるんだけど、勉強というツールを使ったコミュニケーション論であり、言語論といった感じで、面白かった。
    『勉強の哲学』読んでて、サルトルの「人間は自由の刑に処せられている」という言葉がふと浮かんだのだけれども、『勉強は自己破壊』という文中の言及、元々存在する環境(不自由)からの脱却は時として重圧である、自由(自己責任)の方が困難なこともあるよなぁと改めて考えたりしたわ。
    まぁ、その読みも知識のない私の勝手な解釈に過ぎないけれど…。内容としては大枠としては理解したつもりになっているけれども、所々、前提条件とされる知識が曖昧な部分があったりして、勉強不足を痛感したよね……。言葉は多く持っているに越したことはない………。

  • 勉強とは何か、ということについて哲学的に書かれた本。途中何度か見失いそうになったけど、何とか最後まで読み終えた…。全く詳しい訳ではないけど、構造主義的な立場、なのかな。

    印象に残った点は3つ。
    ・深く勉強するというのは、ノリが悪くなることである。
     勉強によって自由になるとは、キモい人になることである。
    ・ツッコミ=アイロニーとボケ=ユーモアが、環境から自由になり、外部へと向かうための本質的な思考スキルである。
    ・信頼に値する他者は、粘り強く比較を続けている人である。

    最後に結論としてまとめがあったのでだいぶ助かった。
    こういう本、考えることについて考えるみたいな、ある行動や概念について構造的に多角的に見た本はなかなか難しいけど、好きだ。

  •  勉強とは何なのかを考える本。
     1、2章が原理編
     3章が原理&実践編
     4章が実践編
     原理編は分かるようでわからなかった。
     実践編は具体的な方法が書かれており読みやすい。ただ、○○をすると身につきやすいといったような内容ではない。
     正直、自分がレビューできるような内容でなく(悪い意味ではない)実際に読んで欲しい。

  • オビに「思想界をリードする気鋭の哲学者による本格的勉強論」とあるのだけど。

    「本格的」な勉強論とは……一体?

    勉強するということを比喩から始めて、哲学的に捉えているのは、なんとなく分かる。
    その場の空気に同調している、そんな自分を客観視して、なんで同調しちゃってるの?ってツッコミを入れられる批判的な自分を作っていく。
    それこそ、その空気を作り出している人に、モノに、テーマに、世界に……。
    あらゆる角度から切り込んで、ズブズブと深めていくことは、傍目に見ると気持ち悪いことかもしれないけど、それが勉強だ、と言っている?
    んー。まあ捉え方はズレてるかも。

    言葉の記号化、決断の意味。
    哲学的に面白い部分と、紹介する本の多彩な引用を読んで、筆者の中身にはものすごく面白い世界が詰まっているだろうに、と思った。

    でも、この本の対象の見えなさと、比喩の軽さと、ページの空白の多さに、「ちゃんと理解しよう」という気持ちが削がれ続けて結論に至ってしまった。
    タイトルは面白いけれど、中高生にはある意味で難解だと思う。
    そして、社会人を対象にしているのなら、実践編をもう少し広く書いて欲しい。

    ある境界を越えて、苦しんだ後にふっと楽しめるバカになっていた、それは勉強の魅力だと思う。

  • 私は勉強が好きなつもりだ。
    その「勉強」について深く考えて見たくて読んだ。

    ちょっと難しかったかな。
    しかし、「勉強とは自分を破壊して、違うノリにうつることだ」という考え方は、転職を目前にしている自分としてはなんとなく共感できる部分があった。

  • 20170928 私には荷が重い内容。勉強法の本と思って読んでみたが勉強とは?という内容だったようだ。全部読んだからといって理解できるわけでは無く、逆に理解する事は不可能とのこと。これからの読書の参考にしようと思う。

  • 全四章構成される。。三章までは、勉強に対しての作者なりの哲学的な考えについて書かれている。私個人、勉強法をこの本から学ぼうとするために選んだために、為になるのは第四章のみであり、あとは流し読み。。正直他の章を読まなくても第四章は理解できるので、勉強について哲学的な見解を求めている人以外は読まなくても損ではない

  • 勉強とは,これまでの自分を失って返信することである。
    という帯のコピーをみて,自分が考えていたことに類似しているため興味を持ちました。
    自分が子供の頃「勉強するとバカになる」と大人が行っていたのを思い出した。

  • 勉強=変身と定義し、勉強することで、世の中の環境に流されている自分から離れ、そんなコードに沿った自分とは違う自分を持つことが出来る、という、若者を勉強に誘う良書。

    学生時代に政治思想をかじったキャリアのせいか、ある意味で懐かしく、ある意味でシンパシーを感じる本。

    客観的に見れば、些か強引というか、冷静に勉強を若者に勧める立ち位置とは別に、著者自身の理想像に向けた個人的な挑戦の書という意味合いも感じる。

    20年前にルネで出会いたかったな。

  •  多様な見方が人を自由にする。しかし、それは今までの環境から逸脱する危険性をはらむ。人が幸せになるには、環境の中でノッテいることが有力な方法であることを前提とした上で、それでも環境の中での居場所を失う覚悟があるか、を問うてくる本。
     その結論を出すには自分の中での優先順位を確認する必要があるが、著者は「生きていて楽しいのが一番」であるのをはっきりと表明したうえで、この本を刊行しているのが面白いと思った。著者の言うように「人間は、根本的にマゾ」というのは共感できるし、結果どういう事態になっても楽しめる楽観性は救い。

  • 17/09/02
    自分なりに考えて比較するというのは、信頼できる情報の比較を、ある程度のところで、享楽的に「中断」することである。
    ある結論を仮固定しても、比較を続けよ。

    享楽てなこだわりの成立史を年表にする。自分の仕事や主な興味につながる重要ポイントを自分の年表にざっくり書きこむ。背景になっていそうな出来事、商品、作品、人物などとその年を書き込む。
    サブとして、つながっているかわからないけど妙にこだわっていたことや印象深いことを書き込む。
    最終的に、メインとサブを接続するキーワードを無理にでもわざと考え出す

  •  詩的言語とは、ダンス的な言語です。普段から詩集を読む人は珍しいと思いますが、たまに詩的言語に触れると、言語感覚の幅が広がります。そして深い勉強とは、ダンサーが身体を柔らかくするように、言語を柔らかくして=自己目的化してから、その上で、新たなしかたで言語を道具化することなのです。(p.79)

     言語の形態が、この身に刻まれた。それは、刺青である。
     その痛みをともなう形態との出会いを、しかし私たちは、享楽している。マゾ的に。
     非意味的形態としての言語が刻み込まれたときの痛みを享楽するというのが、言語を使う人間にとって、根本的なマゾヒズムである。(p.117)

     わざと問題を立てることが、勉強です。問題を見ないようにしたければ、勉強することはできません。繰り返しますが、勉強とはノリが悪いことなのです。ときにそれは不快なことかもしれない。でも、わざとそれをやるのです。勉強というのは「問題意識をもつ」という、スッキリしない不快な状態をあえて楽しもう、それこそを享楽しようとすることなのです。(p.123)

     重要なのは、自分の実感に引きつけて理解しようとしないこと。
    「実感に合わないからわからない」では、勉強を進めようがありません。
    そもそも、これまでの自分にとって異質な世界観を得ようとしているのだから、実感に合わないことが書いてあって当然なのです。むしろ、「なんでそんなふうに考えるの?!」と気味悪く、ときには不快に思うこともあるような考え方を学んでこそ、勉強なのです。
     これが、まさしく自己破壊。これまでの自分に知識やスキルを足すのではなく、感じ方、考え方を、根本的に揺さぶる。慣れるとそれは、マッサージのように気持ちよくなってくる。(p.181)

     日々、「一応はここまでやった」を積み重ねる。ある仮固定から、新たな固定へと進んでいく。それが、勉強を継続するということ。だから、これは極論ですが、勉強は、どの段階で止めてしまっても、それなりに勉強したと言える。中段による仮固定。(p.213)

  • 自分の人生に影響を与えたものの年表を作って見たりするというのは面白そうだと思った。自分の場合だと、村上春樹を除けば、90年代後半からゼロ年代までの批評みたいなのを読んでみると、いいのかもしれない。

  • 二回読んで皆が言うこの本の面白さに行き着けてホッとした、勉強ってなんだろうをテーマに哲学的に解く本。

    自分は他者によって構築されたもので、100パーセント自分発の個性なんてない。個性とは私たち一人一人がどういう他者とどのように関わってきたかの違いである。という本の序盤の言葉が響く。とすると自分のいる環境と関わる人ってものすごく大きいじゃないか。もちろん逆も然り。

    内容は集団的なノリから自己目的的ノリに移ろう、そのためには物事に対しまず疑問を呈してみることが必要。ただそれが行き過ぎると問題は無限にあること、解がないことに気付き、ナンセンスになる。だから深追いして目移りして深追いして目移りして、とある程度のところで問題を良しとすることが勉強の有限化。
    勉強は断定することではなく、調べ物をし別の可能性につながる多くの情報を検討し、蓄積し続ける、つまり勉強を継続することが大事なんだ。
    勉強の視野を広げ、自分の享楽を分析しつつ(自分の好きなものを考えながら)勉強を続けよう。

    というもの。
    非常に簡単に纏めると勉強はきりがないよ。
    終わりがないものだよ。さあ色んな物事に深く突っ込む専門家へ…!みたいな感じです。

  • 『東大・京大でいま一番読まれている本!』という帯に引かれて読んでみましたが、私の頭では『哲学』は理解できません。頭ん中がパンクしそうです。本当にありがとうございました。

    で、最後の『結論』でこのような馬鹿相手にまとめてくれた筆者の優しさに感謝し、もうこの箇所を読むだけで分かった気がした自分はやっぱ馬鹿だったんだなあと実感。くそw

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勉強の哲学 来たるべきバカのためにの作品紹介

勉強ができるようになるためには、変身が必要だ。勉強とは、かつての自分を失うことである。深い勉強とは、恐るべき変身に身を投じることであり、それは恐るべき快楽に身を浸すことである。そして何か新しい生き方を求めるときが、勉強に取り組む最高のチャンスとなる。なぜ人は勉強するのか?勉強嫌いな人が勉強に取り組むにはどうすべきなのか?思想界をリードする気鋭の哲学者が、「有限化」「切断」「中断」の技法とともに、独学で勉強するための方法論を追究した本格的勉強論。

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