ビジネスエリートの新論語 (文春新書)

著者 :
  • 文藝春秋
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感想 : 60
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166611102

感想・レビュー・書評

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  • 司馬遼太郎の本でなかったら読まなかったかな。

  • 司馬さんに出会えた。うれしい。

  • 司馬遼太郎が「福田定一」として新聞記者だったころに執筆していた、古今東西の金言名句をテーマにした連載をまとめたもの。
    名言集は苦手なので、第一部は途中から読み飛ばしたが、第二部は司馬遼太郎が新聞記者時代に出会った老人二人に焦点を当てており、戦前の新聞記者が、サラリーマン記者に成り下がっていく時代を感じさせ、茶者もそれに抗いたい気持ちが伝わってきた。
    新聞記者とは、お金をもらって記事を書くものではなく、自分で書きたいネタを探し出して、身を削って記事を書くものだという覚悟に圧倒された。

  • やっぱり司馬遼太郎さんはすごい。
    1つ1つの言葉に意味がちゃんと込められていて、そこから紡ぎ出される文章がなんて深いんだろう。
    60年前に書かれた本とは思えないほど、現代でも通用するところが多いし、歴史を感じることもできる。
    文章で生活して行ける人は、本当にすごいと改めて思わされた。

  • 昭和三十年、司馬遼太郎という作家が誕生する直前、福田定一名で出されたエッセー。サラリーマンの心得を軽快に綴っているが、六十年以上経った今も古さを感じさせない。

  • 鍍金(めっき)を金に通用させようとする切ない工面より、真鍮を真鍮で通して真鍮相当の侮蔑を我慢するほうが楽である。〈夏目漱石〉
     ずいぶんと人を食ったコトバである。こうクソミソにコナしつけては実もフタもないが、真鍮は真鍮なりの光がある。その光の尊さをみつけた人が、平安期の名僧最澄でだった。「一隅ヲ照ラス者、コレ国宝ナリ」

    「私は科学的なものでなければ信頼する気になれませんわ。一ダース位の重宝な格言を準備して置いて、それを世渡りのいろんなポイントに使い分けして、したり顔に暮らしている世間のエライ人達を観ていると、気が遠くなりますわ。あんな瘡蓋のような思想が社会の表面を被うている限り、我々の人生は何時まで経っても明るくも正しくもならないのだ――、貴方はそうお感じになりませんか?」
     橋本先生の思想的な立場をはっきりしておく必要がある、彼女は、マルキストである。それも、今日のそれではなく、昭和八年ごろのそれ、女子大を出て間もなくといった、当時としては尖端的なインテリ女性像というニュアンスがその思想にある。彼女は、マルクス・レーニズムによる社会科学が、人間と社会を“整然”と分析でき、まちがいなく救済できる唯一万能のものだとかたく信じている。徹頭徹尾、自分を社会主義的人間に仕立て上げていく以外、生存の目標をもっていない理知的でしかも戦闘的な女性である。
     当然、格言などというマヤカシの存在を憎悪するわけだ。また、問題を深部まで分析、批判せずに、そういうマヤカシだけでイナしてゆく生き方をを憎悪するのである。
     こういう、息の短い、歯ギシリ噛んだ態度には、健康な生活感情は、多少の反発を感ずる。また、大ナタでたち割るように、古い格言文化に対する粗大な否定の仕方は、いろんな意味でデリカシィに富み始めた今日のコミュニストなら、もはや採らないはずだが、かといって、橋本先生の言葉に含まれている本当なものは否定できないのである。
    〈中略〉が、たいていの場合、格言ずきな人達は、ちょうど新聞記事に見出しをつけるような調子で、事態に似合った格言を抽出しのなかからぬきだして問題の上に貼り付け追求への努力を省略してしまう癖はないだろうか。
     金言や、格言が、ある努力に対する推進力になったり、問題解明へのイトグチを作る発想の動機になったりする作用は、けっして見のがすことはできない。それでこそ、ルナールも「うまい言葉の一言は、悪い本の一冊にまさる」という格言の“格言”をのこしているのだし、ニーチェですら「立派な箴言は、文学における大いなる逆説であり、変化し行くものの中で不滅のものであり、ちょうど塩のように常に尊重されて不変の、利かなくなることのない食物である」といっているのだ。
     戒心すべきことは、これらを人生に応用する態度の問題である。金言を、念仏や呪文のように自己催眠や自己弁解のために使用するとなれば、いかにすぐれた真理をふくんでいるにせよ、それは麻酔薬にすぎないのである。

  • 60年前、司馬遼太郎が本名で書いたもの。もとは新聞記者と聞いてはいたが、戦後の混乱の、度胸とハッタリで潜り込み、渡り歩いてきた新聞記者だったのは初めて知った。また、大成とは俺のようになることだ、と言わしめた、二人の老サラリーマン、若き司馬遼太郎の目から見ても、惨めな人生かと思われた彼らと語り合ったシーンが印象に残る。高度経済成長期の入り口とも言える時代、今から考えると、と古臭く思えるところもあれば、60年経っても変わらないところもあり。以下、備忘録と雑感。/私は一生涯、一日の仕事も持ったことがない。すべてが慰みであったから(エジソン)/順調な出世の登山道が壊れてきたので、サラリーマンに人生派が激増した、とあるが、そういうのは高度経済成長が勢いを失った後のことかと思ってた。/「いちばんバカげているのは、徒党を組んで飲屋へゆき、上役の悪口や同僚のタナ卸し、サラリーの上りそこねた話に浮身をやつしている手合だ」/悪口は意地の悪い人の慰めだ(シューベル)/源氏鶏太の立春大吉を主人公にした「天下泰平」、読んでみたく思った。当時でも珍しく思えた、意気に通ずるサラリーマンを描いたのだとか/「愚痴はいかに高尚な内容でも、またいかなる理由があっても決して役に立たない」(エマーソン)/死ぬまで働けるような自分を在職中から育てあげるべきだ。/二十年もつとめて、なお、不遇をカコち、おのれの努力と実力のむくわれざらんことをイキドオリ、ウナギノボリに出世してゆくかつての同僚を嫉視するなどは、下司下根、釈迦も救いようのない亡者と言えるだろう/

  • 60年以上前に執筆された文章であるにも関わらず、現代にも通じてしまうという、日本社会に対して一種残念さを感じてしまう名著。
    後半部分の記者としての体験や記者になるまでの話は、まるで物語のような面白さです。

  • 司馬遼太郎が昭和30年に出したサラリーマンについてのエッセイ。当時は福田定一という本名名義だったとか。歴史上の名言を一言上げた後、サラリーマンに関する考察を述べる形式の前半が主。後半に自身が新聞記者になるまでの経緯を同僚・先輩に絡めての話を掲載。後に日本史を中心にした歴史小説の大家になった人だが、出てくる名言はむしろ西洋の名句か当時の近現代のそれらばかり。彼の教養がいかに凄いか驚かされる。またさらにサラリーマンに関する諸考察は2017年現在においても思い当たるものばかりで全く色褪せない。短い彼のサラリーマン生活は苦悩であり、そこから出てきたものだという。そう。サラリーマンは実力のそれより運か運命に翻弄される。そんな人ばかりなんだろうと思った。

  • 昭和30年。西暦1955年。終戦後たった10年目のビジネス書。書いたのは当時新聞記者として月給取り(いまのサラリーマン)だった頃の司馬遼太郎。第二部の「二人の老サラリーマン」と「あるサラリーマン記者」は秀逸。

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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