三国志 第八巻 (文春文庫 み 19-27)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (397ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167259280

作品紹介・あらすじ

戦え、と天はわれに命じている。天意を感じた関羽はわずかに笑み、そして孫権の兵に突入し斃れた。復讐を誓い荊州に出兵した劉備だったが、自らも死の病に伏す。三十余年の霸道を駆けぬけた魏王曹操もついに崩じ、王位は嗣王の曹丕に。戦国の英雄たちの死によって後漢王朝期は終焉を迎え、今ほんとうの三国時代が始まる-。

感想・レビュー・書評

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  • 遂に曹操が死んでしまったが、その前に関羽。
    一枚岩かと思われた劉備と関羽と張飛だけれども、諸葛亮が加わることによって亀裂が生じた。
    諸葛亮が加わる前は、「国のために正義を尽くすぞ!」という一念で繋がっていた三人。
    その正義は必ずしも後漢王朝のための正義ではなく、自分たちにとって都合の良い正義だったとしても、本人たちの心はまっすぐであった。

    けれども、今の国のかたちが正義ではないのなら、正義の国を創ろうじゃないか。
    そのためには人材が必要だ。
    と、諸葛亮を加えたことで、目的のために手段を問わないことも出て来た。
    詭弁をもって謀るようになったのだ。
    それが、関羽には耐えられなかった。

    諸葛亮を重用する劉備から少しずつ距離を置くようになった。
    劉備も、同じだったのかもしれない。

    関羽は無頼の徒であったとしても気性はまっすぐだったので、孫権の言動には実がないことに気づくのが遅れてしまった。
    また、厳しすぎる関羽を憎んでいるものが身内にいることにも。

    突然呉軍が背後を攻めた時、守り抜いてくれるはずの味方がさっさと降伏してしまったことも、単独行動だった故援軍を頼むことができなかったことも、関羽には想定外だっただろう。
    でも、それは関羽が蒔いた種ともいえる。
    それでも最後の関羽の戦いっぷりを、誰も非難することなどできないだろう。

    曹操が亡くなり、曹丕が後を継いだと思ったら、献帝からの禅譲の話。
    曹操・曹丕親子が献帝に無理やり禅譲を迫ったと今まで聞かされていたが、この本によると(つまり史実によると)献帝からの申し入れ。
    そして何度も断る曹丕。

    思うに、このタイミングでの禅譲ということは、曹操にも過去に持ち掛けていたのではないかと思われる。
    けれど曹操が相当はっきりときっぱりと、半ば脅すように断ったのではないかな。
    「私を逆賊にするつもりか!」くらいな事を言って。
    で、曹操がいなくなったタイミングで曹丕に禅譲。
    だって、勧める、断る、勧める、断るのやりとりは、いわばお約束のはず。
    そういう三文芝居みたいのは曹操が嫌うところのものだから、「二度と言うなよ!」くらいの強い言葉で断ったのではないかと。

    さて、多くの臣が止めるのも聞かず、関羽の敵を討ちに呉に宣戦布告する劉備。
    しかしやっぱり彼は戦下手なので、多くの犠牲を出しながら、仇も討てないという体たらく。

    ”いわゆる礼儀をことごとくないがしろにしてきたがゆえに、帝位に昇るという最大の無礼を平然とおこなうことができたとはいえ、白帝城にとどまったまま、成都へ帰ろうとしない劉備に、いつもながらいさぎよさがみられない。”

    国を治めることを中断してまで出兵して、負けたのに帰ってこない皇帝。
    無責任にもほどがあるけれど、彼を選んだのは蜀の民だからね。しょうがない。
    関羽を失うことでそれほど意気消沈するのであれば、なぜ彼を一人取り残していたのか。
    家族すらあっさり見捨てる劉備が、唯一失いたくなかったのが関羽と張飛という事か…とも思ったけど、一度関羽を見捨てて逃げたよね。
    やっぱり劉備ってよくわからない。

    魏の皇帝となった曹丕についても思ったことはいろいろあるけれど、それは次の巻にでも。
    覚えていれば。

  • 依然、『正史』に準拠した展開、淡々とした筆致で興味深い。

  • 曹丕が夏侯尚の愛妾を殺して廃人にする腹黒エピソードが載っている。
    途中まで読んで長らく放置してたので内容は忘れたが関羽が陸遜のやり方を腹黒いと憤るシーンもあった。
    魏蜀との関係を慎重に図る孫権も狡猾。
    そう思うと曹操ってやっぱすごかったな。
    劉備はまあ……

  • 曹操と劉備、二つの巨星は落ちた。

    劉備、関羽、張飛の三義兄弟の死のきっかけは、明らかに関羽の北伐にある。秋の霖雨を利用して関羽が魏に対する北伐を強行し、魏に通じた呉が関羽の背後を襲い、関羽が死に、正気を喪った張飛と劉備が復讐に及ぶも失敗し、結局死に至る。一連の流れは蜀という新興国の統制の無さ、と捉えるのが妥当だと思うが、卑しくも背後を襲った呉に対する憤りを前面に出せば、三国志演義のように見方が変わってくる。

    思えば、正史三国志には「桃園の契り」のシーンは出てこない。これが羅漢中の創作なのだとすると、この三人を義兄弟と描いたのは、三人の死に様から得た着想なのではないか、と思ってしまう。

    とまれ、後漢末の混乱を駆け抜けて曲りなりにも新秩序を構築しようとしてきた創業者世代は世を去った。三国の相克を乗り越えて平和な治世を取り戻せるのかどうかは、曹丕や諸葛亮など第二世代の力量にかかっている。

  • 英雄たちの挽歌・・・というほどでもなく、あっさりと歴史は進行していくリアルさ。

  • 曹操、関羽、張飛、そして劉備が逝く。

    例によって感情移入の余地のない冷静な描き方。
    反対に関羽に斬られる龐徳の死は詳述される。

    常々、関羽はなぜ劉備と連携せずに北伐を敢行したのか疑問だった。作者は劉備、関羽のそれまでの生き方や、彼らの思考方法を推理していくことでその答えを求めていく。それも一つの解なのだろう。
    では、なぜ劉備、関羽の死に諸葛亮が関与してこないのか?
    この辺の件は歴史の「たられば」が尽きない。

  • 夏侯淵、曹操、関羽、張飛、劉備・・・・・。巨星が瞬く間に落ちていく。一つの時代が終わりゆく境目の巻である。関羽の感情の疎隔を象徴しているような益州と荊州の版図の広がり。但し不自然は続かない。水が高いところから低いところへ流れていくように世の中は自然に動く。謀略はすべて道理にかなっており、そこには伝説も奇跡もない。ただただ合理があるだけである。死ぬ間際まで潔さを示さなかった劉備。創意も工夫もなく、凡庸を貫き凡庸を突き抜けてしまったところに劉備の不思議さがある。劉備とは一体何者だったのか。

  • 先生の曹ヒの扱いが辛い。

  • ただただ淡々と淡々と進んでいく
    主要人物が軒並み亡くなったいくが、特に大きな盛り上がりもなく、訃報を伝えるがごとく、淡々と
    新巻が楽しみです

  • 今回は漢中王即位から蜀南征までが描かれています。
    この間に、主要なメンバーがかなり亡くなりました。
    関羽、曹操、張飛、呂蒙、張遼、ホウ徳、曹仁、そして劉備。

    宮城谷さんからみた蜀陣営は、どうやら正義ではないようで、
    劉備や関羽に対しての採点が辛いような気がします。
    (特に関羽が劉備と距離を置こうとしていた、いう記述は
     びっくりしました。)

    今回気になった将は、田豫、張既、李恢でした~。

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著者プロフィール

宮城谷昌光
1945(昭和20)年、愛知県蒲郡市生れ。早稲田大学文学部卒業。出版社勤務のかたわら立原正秋に師事し、創作を始める。91(平成3)年『天空の舟』で新田次郎文学賞、『夏姫春秋』で直木賞を受賞。94年、『重耳』で芸術選奨文部大臣賞、2000年、第三回司馬遼太郎賞、01年『子産』で吉川英治文学賞、04年菊池寛賞を受賞。同年『宮城谷昌光全集』全21巻(文藝春秋)が完結した。他の著書に『奇貨居くべし』『三国志』『草原の風』『劉邦』『呉越春秋 湖底の城』など多数。

「2022年 『馬上の星 小説・馬援伝』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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