- Amazon.co.jp ・本 (210ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167502027
感想・レビュー・書評
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久々の村上春樹。
読書という一連の私の中の営みの中で
村上春樹を読むということは一種、「休憩」
のような行為。
それほど私の中のリズムとあっている。
その村上春樹のリズムを存分に楽しめる短編集。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ちょっと不思議な話の短編集。TVピープルが一番好き。
2019.7.28 -
ありきたりの日常が「ちょっと」違う違和感。「ちょっと」がこんなにも奇妙で不気味な世界になる。村上春樹作品の後半で度々味わう非日常の異世界感、そこを取り出したような短編集である。TVピープルやクレタ・マルタなど、その後の作品に通じるモチーフが登場し、村上氏のまた違った一面を味わえる。個人的なお気に入りは「我らの時代のフォークロア」である。
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「加納クレタ」が面白かった。
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6つのストーリーからなる短編集。
潜在意識がこの本の共通のテーマであるような気がした。
普段意識していない本当の自分の存在を垣間見たとき人はどのような行動に出るのか?
村上春樹の作品には言葉では言い表せない読後感がいつもある。話の内容がうまく理解出来ない事もあるが独特の世界観に引き込まれてる。その感覚は病みつきになる人がいるのも頷ける。
今回は特に引き込まれて読み進めることが出来た。
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1980年代終盤から1990年代初頭にかけての作品集。
電話はダイヤル式。
テレビは大きな立方体。
昭和の終わりと平成の始まり。
21世紀へ向けての期待感と空虚感。
「TVピープル」
我が家にやってきた「TVピープル」。勝手にテレビを設置して去ってしまった。だが、妻はそれに気づかない。雑誌の並びが変わるだけでも敏感なはずなのに。
3人組の彼らは、会社にまでやってくる。でも私以外は誰も気づかない。
「飛行機--あるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか」
20歳の彼は、7歳年上の彼女の家にいる。彼女には夫も子供もいる。
彼女は彼の「ひとりごと」を指摘する。
「人の心というのは、深い井戸みたいなものじゃないかって思うの。何が底にあるかは誰にもわからない。ときどきそこから浮かびあがってくるものの形から想像するしかないのよ」
「我らの時代のフォークロア--高度資本主義前史」
高校時代の同級生と中部イタリアのルッカで再会した。
ミスタークリーンといわれた優等生は、ミスクリーンといわれた美女とつきあっていた。
その時の告白が思わぬ形でされる。
「加納クレタ」
「水の音を聴く仕事」をする姉のマルタの手伝いをしている。
ある理由から、世間と断絶して生活していた彼女に、訪問者がやってくる。
「ゾンビ」
男は女に語る。
彼女のがにまたを。右の耳のすぐ内側のほくろを。わきがを。ブラウスの裾の汚れを。似合わないイヤリングを。
もうやめて! その先にあるものは……。
「眠り」
彼女は全く眠れなくなった。
眠れなくなって17日。
疲れない。
むしろ、頭が冴え渡る。
与えられた時間に、彼女は読書を続ける。
トルストイのアンナ・カレーニナの世界にどっぷりと浸っていく。
言葉に出来ないもの。
言い表せない空気のようなもの。
誰にも見えないけれど、誰もが共感できる何かが描かれている。
だから、村上春樹は世界で読まれている。
そして、村上春樹をまた読みたくなるのだ。 -
村上春樹さんの今から約30年前の1989年に書かれた作品集。村上さんのユーモアは乾いた笑いで例えクスリとも笑えなくても何となく別な何かを暗示しているかのような気配が漂っている所が良いのでしょうね。頻繁に出て来る擬音については何を意味しているのか深く考えて悩まないのが正解でしょうね。本書の作品は2つ目の「飛行機」を除いてはラストがバッドエンドで時代の陰りと暗い雰囲気が色濃く滲み出ているように感じられますね。そんな中で私はやはりおふざけ無しで真っ直ぐな悲恋物語の「我らの時代のフォークロア」がお気に入りですね。
『TVピープル』ウルトラQやトワイライトゾーンの世界でしょうか。妻は何処へ5分後には何が待つのか?『飛行機』意識せずにうわの空で漏らす独り言。まあ大した事ないさ。『我らの時代のフォークロア』つまる所こんな面倒くさい我が儘な女はあっさりと縁を切ればいいのに,そうできないのが男って奴なのですね。『加納クレタ』二重人格のミニサイコドラマ。「れろっぷ・りろっぷ」の意味がわかる方は教えてください。『ゾンビ』いわれなき残酷な中傷。暴力の時代の暗示でしょうか。『眠り』不吉な予感。寿命は突然に絶たれる場合もあるのですね。 -
つまんね。
リサイクル図書でゲットした本。
あちこち落書きあり。 -
<u><b>日曜日の夕方は、いつでも/誰にでも来る。</b></u>
<span style="color:#cc9966;">不意に部屋に侵入してきたTVピープル。詩を読むようにひとりごとを言う若者。男にとても犯されやすいという特性をもつ美しい女性建築家。17日間一睡もできず、さらに目が冴えている女。―それぞれが謎をかけてくるような、怖くて、奇妙な世界をつくりだす。作家の新しい到達点を示す、魅惑にみちた六つの短篇。 </span>
<blockquote>日曜日の午後にはなにもかもが少しずつ擦り減って縮尺が少しずつ縮んで見える。まるでTVピープルそのものみたいに。</blockquote>
「日曜日の午後」「TVピープル」も、春樹お得意のメタファーだと思うんだけど、人生ってのは「日曜日の午後」のようなものが多く存在する。
[more]
「日曜日の午後」は、何かをやろうとするけど、うまく行かない。少し何かをやってみようとして、やめて、また違うことを少しやってみてやめる。その繰り返しだ。
そして気付いたら、何もかも中途半端なまま終わっている。とっても無駄なことを自分はしているんじゃないかと辛くなる。
笑点の音楽を聴くと、月曜日から仕事だと考えて鬱になるなんてよく聞くけど、月曜日からの仕事に対してのプレッシャーだけじゃなく、
そうした「日曜日の午後」が抱える根本的な問題もそこには流れているから、悲しくなるんだと思う。
時々ふと、人生もそんなものじゃないかと考えてしまう。”なにもかもが少しずつ擦り減って縮尺が少しずつ縮んで見える”のだ。
春樹はよくそれを小説にえぐり出す。だからすごく悲しい、そんでもってむなしい。でも、同情してくれているようで少し心地良い。
短編小説はあまり好きじゃない。だけど、春樹の短編はものすごく好きだ。この滑稽な「TVピープル」も同じである。
<blockquote>深い哀しみにはいつもいささかの滑稽さが含まれている</blockquote>
春樹の小説がどことなく滑稽に見えるのは、そこに深い哀しみがあるからだと思う。
そして、それが私が春樹の短編の好きな理由だと思う。