とうとう最終巻。
読み終わってしまうのが寂しいなぁ。
『大地の子(四)』 山崎豊子 (文春文庫)
思い返せば最初のころは、人名や地名の中国読みに辟易していたんだった。
北京(ペイチン)←普通に「ぺきん」て読みたい!
内蒙古(ネイモンクー)←普通に「うちもうこ」て読みたい!
陸一心(ルーイーシン)←もう「りくいっしん」でいいやん!
てな感じでいちいち引っかかりながら読んでいた。
でも四冊目ともなるとさずがに慣れるね。
今では、河北省(ホペイセン)も古城県(クーチョンシェン)も長春(ツァンツン)も范家屯(ファンチアトン)も、趙丹青(ツァオタンチン)だって馮長幸(フォンツァンシン)だってへっちゃら~♪
でも、近所の小林さんの表札を見ると「シャオリン」と読みたくてうずうずする、という弊害も(笑)
あつ子との再会、GIS問題、馮長幸の暗躍など、一心の周りに様々なことが起こった前回。
今回も大変だった。
本当にこの人はどれだけ苦労をすればいいんだろう。
あつ子の死に始まり、実父との再会、冤罪による左遷、復帰、宝華製鉄の完工、長江の船旅。
あつ子の死を看取った一心は、娘の消息を尋ねて来た実父・松本耕次と偶然再会する。
本来なら喜ばしいはずの親子の再会。
しかし、侵略戦争の贖罪の意味合いが多分にある“中日友好の精神”のもとで進められている宝華プロジェクトにおいて、中方の上層部にいる一心と、日方代表の松本との関係は非常に微妙であり、二人が実の親子であると知った時の中国側の警戒心は異常だった。
それは一心も分かっていたはずなのに……
日本への出張中、無断単独行動禁止という外事規律を犯して、一心は松本耕次の家へ行ってしまうのだ。
祖父、母、あつ子、みつ子の位牌に線香をあげに。
いつもは毅然として隙を見せない、この頑なな人の心が、ほろりとほどけてしまう瞬間に胸を打たれる。
中国にいる時のように誰の耳目も気にせず、一心は仏壇の前で声を放って泣いた。
もうね。もらい泣きですよ。
ここから先はしばらく読み進むことができなかった。
子供の頃の「カッチャン」に戻った一心を、そっとしておいてあげたかった。
で、ここで出てくるのがあの男、馮長幸。
度々出てきて悪さをしてくれるおかげで“フォンツァンシン”てすらすら読めるようになってしまったんだからね馮長幸!
馮長幸は、国家機密の裏工程表を盗み出し、一心に機密文書漏洩の罪をかぶせ、一心は内蒙古の大包鋼鉄公司へ飛ばされてしまうのだ。
しかしその後、趙丹青のおかげで冤罪は雪がれ、宝華製鉄完工までに復帰することができたのだった。
ところで、今回私が一番感動したのは、GIS問題で、三十億円もの損害をかぶる決断をした関東電機の工場長の言葉だった。
一台一億円のGISは、中国にとっては“国宝級”の買い物であるという意識があり、いささかの瑕瑾も許されない。いくら機能面での支障はないと争っても、今回のことは勝ち目のない闘いであり、この日中の考え方の相違、中国の技術感覚を認識していなかった自分たちの甘さが原因であったと。
「日本で点検修復して貰いたいという中方からの要求には、或る意味で救われました」
なんと。
中国にここまでされて受け止められる、中国は悪くないと思える強さ。
名前もない地味な登場人物だけれど、この工場長、かっこよかったな。
着工から七年、さまざまなトラブルや苦労を乗り越えて、日中双方の心が一つになった高炉の火入れ、初出銑、国を越えて人々が抱き合い肩をたたき合い、喜ぶ場面が心に残った。
そしてラストシーン。
実父・松本耕次との船旅は、一心にとって、日本の父と暮らすか中国に残るかを決断する旅でもあった。
「私はこの大地の子です」
自分を育んでくれた中国の大地を、一心は選んだんだね。
義父母のことを考えたのはもちろんだろうけど、それだけじゃない。
中国という国に今まで自分がされてきたこと、日本人の出自を持つ中国人陸一心としてこれまで中国と向き合ってきたこと、そのすべてが自分の歴史なのだ。
その場所でこれからも生きていくことを、一心は選んだ。
この小説は、故・胡耀邦総書記の理解と英断がなければ完成しなかったという。
作品中の、周恩来と稲村会長との親交もそうだが、個人レベルでは理解し合えるのに、どうして国どうしになるとギクシャクしてしまうのだろう。
戦争の火種のほんの一点がそこから生まれる。
恐ろしいことだと思う。
私が一番気になっていた黄書海の消息は、結局最後まで分からないままだったな。
この人は、日本人でも中国人でもなかった一心の背中を、正しく進むべき方向へ、力強く押してくれた人だ。
茫洋とひろがる内蒙古の草原をしみじみと思い出した。
解説に、作者のインタビュー記事が引用されている。
「陸一心は戦争と文化大革命の二重の犠牲になったけれど、戦争さえなければこんなめにはあわなかった。戦争は個人を虐殺するのです」
いろいろなことを考えさせられた小説だった。
フィクションなんだけどそうは思えなくて、陸一心の真っすぐな生き様に出会えたことに感謝したくなった。