グロテスク 下 (文春文庫 き 19-10)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (453ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167602109

感想・レビュー・書評

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  • イヤミスの最高峰と言って良いのではないでしょうか?
    もう暗い暗い。
    イヤ~。
    ミステリ~。
    最後まで嫌~な感じで終わっていきます。
    まさに正と負は表裏一体。
    それも感じられる作品です。
    それにしても、ユリコの子。
    ユリオて。

  • なかなか重かった。

    私の想像力では、ユリコの美しさを思い描くことが難しい。あそこまで表現される絶世の美女とはどんな人間としてこの世に降り立つのだろうか。

    女を狂わす原因は若さなのか。美なのか。はたまた、頭脳なのか。
    女の生きる意味とは。

  • チャンの手記は必要だったのか?
    人の心の中のどろどろした部分をさらにえぐる感じは良いが、読んでて病んでくる(苦笑)
    何で息子まで…ってのも理解できず。
    実際にあった事件をモデルにしているのを知ったが、本当にそんな留学で娼婦になったんだろうか?

  • ラスト、処女をつらぬき妹ユリコのように男に溺れなかった主人公が、結局はユリコの息子に溺れ、自分も娼婦となり街に立つというオチが糞胸糞悪かったです。

  • そういう意味でのグロテスクなのか と、読み終えてから分かることがあった。

  • まさしくグロテスク。上巻から感じられた不快感・嫌悪感は拍車をかけ、物語は進んでいきます。
    読者にとって地の文というのは唯一の味方であるが、その地の文でさえもグロテスク。

    「和恵」と「ユリコ」の狂気。そしてその狂気に侵食されていく「わたし」。
    本当に最後までグロテスクだった。

  • 殺人事件の容疑者チャンの手記で下巻は始まる。貧しく家畜のような扱いを受ける人生から抜け出すためにチャンと妹は日本を目指した。そんな一行では表しきれない壮絶さを経験せざるを得なかったチャンの手記は、目を捉えて離さない。
    そして公判を経て、和恵の手記に入る。そこには、努力を信じて人生を狂わせた一人の女の生があった。手記で読んだチャンの印象や行動と矛盾したことが描かれており、この物語の登場人物で信じていい人はいないのだと考えさせる。その思考はどうあれ、嘘を書いていないのはきっとユリコと和恵だけでしょう。
    ユリコ、和恵、そして「わたし」。人生という何かに翻弄された三人の女性。そこにあるのは悪意と歳月と曇った目で見えるものばかり。美貌に、男と女という形に型に嵌められ生きてきた人達。衝撃。興奮冷めやらぬ。どう考えても毒なのに、恥ずかしながら夢中になって目が離せない。背徳とはまた違う。秘める性癖をもつ悩める者の気持ちか。

  • 「金持ちだ」とか「顔がきれいだ」とか「頭がいい」とかって記号的。でも人生は方程式じゃない。1+1=2にならない。なることもあるけど、ならないことの方が多いんじゃないかな。答えが3になるときもあれば、マイナスになっちゃうことだってある。だから、記号ばっかり集めて合計を計算するのが人生じゃない。

    手っ取り早くて、分かりやすいものに飛びついてしまいがち。だけど、人を潤す何かって人の数だけ質が異なっていると思う。難しいようで簡単に手に入ったり、簡単なようで難しい。いつどうやって手に入るか分からない。でも、切実に生きていくなかで見えてくると信じたい。

  •  なかなか読みごたえのある話だった。この小説は「東電OL殺人事件」を題材にしている。東京電力で総合職として働くキャリアウーマンでありながら、夜は街娼として売春していた女性が殺害されたという事件である。この事件は当時非常に注目されたらしい。社会的に成功していたとみなされる大企業で総合職で働いていた女性が、どうして夜体を売っていたのかという疑問、「心の闇」などといったありがちな言葉で表現されこの女性は何を考えていたのか、このような女性を生んだのは社会システムに問題があるからではないのか、といったことで世間の関心を買うような要素が詰まっていたからだろう。
     実際に彼女が俗に言う心の闇を持っていたかどうかは分からない。単に売春という行為自体が好きでやっていたのかも知れない。けれども人間はどのような行為にも意味を求めるものだし、成功者が街娼という低劣な行為をしていたということ自体が、傍目からは愉快なもので堕ちていく話がほしいのだろうと思う。

     この小説はQ高校の同窓生である4人の人物が主要人物となる。ユリコの姉で特に取り柄がなく悪意を磨く、この小説の語り部となる「私」、怪物的な美貌を持つニンフォマニアの「ユリコ」、Q中学でいじめられた経験がありQ高校では一番の頭脳を持つ「ミツル」、努力家でありながら周囲の認識能力に欠け、空回りしていじめの対象となる「和恵」である。この作品のキーワードとしては、「階級」、「怪物」、「悪意」、「復讐」といったところだろうか。

     最初はQ高校が話の舞台となる。Q高校では初等部から上がってきた主流と、中等部や高等部等途中から入ってきた傍流との階級意識が堅固にある。ミツルが語るようにその二つは決して交わることはなく、例外は怪物的な美貌を持っている場合である。「私」は最初から主流に入ることを諦め傍観者となり、「ミツル」は勉強で学年で一番となり、ノートを貸すことで上手く世渡りをする、「和恵」は主流に入ろうと努力するが、却ってそれが空回りし、いじめの対象となる、「ユリコ」は持ち前の美貌で主流に入り(チアガール部に入り)、木嶋と組んで売春を始める。
     この高校のモデルは慶應高校らしいが、解説者の知人があの高校は実際にこのようだったと語っており、ここまでではなくともこれに近いところはあるらしい。名門の私立学校はこういう嫌な面も多いのだと感じた。余談だが、この高校時代の部分では「富の淫らさ」という言葉が多く出てくる。この表現は非常にうまい。

     高校時代の話が終わると、ユリコと和恵が殺され、その殺害犯と目されているチャンの公判中の現在に移る。その中で、ユリコの日記と、和恵の日記、そしてチャンの上申書が紹介される。若い時は怪物的な美貌を持っていたユリコも、和恵と同様に年をとって醜くなり、客をとれなくなる。そして二人とも客に殺される。和恵の最期は特に壮絶で、客が取れなくなるに従って徐々に狂っていき、痛々しい。解説にも描かれているとおり、和恵はユリコのような怪物になることを欲していたのであり、それに成功したという点では勝利したのだと言える。最も敗北に近い位置にいるのはミツルである。高校時代から目標にしていた医学部に進学し、順風満帆に思えたが、結婚した夫とともに宗教にのめりこみ、殺人事件まで起こし刑に服していた。語り手となる「私」は最初から勝負しようとしないし、ユリコは特に計画や目標があって生きていたように思えないし、若い頃が絶頂期で、年をとって醜くなってからは凋落の一途である。

     全体として女性が社会の中で生きていくことの悲しさで満ちている。登場人物は皆、容貌や見栄、富等の世間的な価値に囚われ、振り回される。そのようなことで悩み苦しむ女性を描くことがこの作品の中心であるように思う。
     つまらない作品ではないのだが、内容の割にやや冗長であるように思う。特にチャンとミツルの役割がややあいまいだと感じる。解説では、チャンは重要な位置を占めており、主要4人の人物を相対化し物語に奥行きを与えていると書かれているが、自分にはそこまでの役割は感じられなかった。ミツルは所々で重要なセリフがあるが、それ以外はかなり影の薄い存在である。
     ちょっと物足りないような印象はあるが、彼女の他の作品も読んでみたいと思えた。

  • 後半は少し単調に感じてしまったが面白い。

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著者プロフィール

1951年金沢市生まれ。1993年『顔に降りかかる雨』で「江戸川乱歩賞」、98年『OUT』で「日本推理作家協会賞」、99年『柔らかな頬』で「直木賞」、03年『グロテスク』で「泉鏡花文学賞」、04年『残虐記』で「柴田錬三郎賞」、05年『魂萌え!』で「婦人公論文芸賞」、08年『東京島』で「谷崎潤一郎賞」、09年『女神記』で「紫式部文学賞」、10年・11年『ナニカアル』で、「島清恋愛文学賞」「読売文学賞」をW受賞する。15年「紫綬褒章」を受章、21年「早稲田大学坪内逍遥大賞」を受賞。23年『燕は戻ってこない』で、「毎日芸術賞」「吉川英治文学賞」の2賞を受賞する。日本ペンクラブ会長を務める。

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