- Amazon.co.jp ・本 (348ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167679910
感想・レビュー・書評
-
ところどころ、読んでてイラッとするのはなぜなんだろうw
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ブログをほとんど全部読んでいたので、わざわざ買って読まなくてもよかった。それは、わかっていたことなので文句はないです。とても説得力があるし、その通りと思うことばかりなので、逆に疑わなければと身構えてしまう。
-
私とは違った角度で物事を見ている方。特に後半の文章、「愛国心とネオコン」「動物園の平和を嘉す」などは〝倫理性〟について、深く考えたい視点が提供されてました。
-
(以下引用)
「誰にも迷惑かけていないんだから、ほっといてくれ」と言って、売春したり、ドラッグをやったり、コンビニの前の道路にへたり込んでいる若者たちがいる。彼らは「人に迷惑をかけない」というのが「社会人としての最低ライン」であり、それだけクリアーすれば、それで文句ないだろうというロジックをよく使う。なるほど、それもいいかもしれない。でも自分自身に「社会人としての最低ライン」しか要求しない人間は、当然だけれど、他人からも「社会人として最低の扱い」しか受けることができない。そのことはわきまえておいたほうがいいと思う。(P.125)
例えば「囚人の人権を守る」ということは「犯罪を肯定する」こととは水準の違う問題である。(中略)人権は人権、犯罪は犯罪である。それと同じように、「売春は犯罪だが、売春婦の人権は適切に擁護されなければならない」という立場はありうると私は思っている。(P.153)
多くの人が勘違いしているが、人間の価値は、その人にどれほどの能力があるかで査定されているのではない。その人の「替え」がどれほど得難いかを基準に査定されているのである。現に「リストラ」というのは「替えの利く社員」を切り捨て、「替えの利かない」社員を残すというかたちで進行する。どれほど有能な社員であっても、その人が担当している仕事が「もっと給料の安い人間によって代替可能」であれば逡巡なく棄てられる。(中略)だが競争社会というのは、全員の代替可能性を原理にしている社会である(だから「競争社会」は必ず「マニュアル社会」になる)。そのような社会で、個の多様性や一人ひとりの「かけがえのなさ」への敬意がどうやって根づくだろうか。(P.305)
自民党も民主党も、改憲を望む人々は九条二項を廃絶したいと望んでいる。戦争に関する「フリーハンド」を回復したいと望んでいるのである。より厳密に言えば「(本音のところでは)あまり戦争になんかしたくないけれど、『戦争になるかもしれない』という政治カードを自由に切ることができる国家になりたい」と望んでいる。(P.318) -
各論が腑に落ちすぎて妙な安心感が得られると思う。
もうすぐ社会人になる身としてウチダ先生の「大人」像を拝見し、他者との関わりの中で心がけたいことが生まれた。
よくわからないものを「わからない」まま「知らない」ことは怖い。「知らない」ことを「わかってしまった」ときには瞬間行き場がなくなってしまう。再読して思考の論理を書き記しておきたいと思った。 -
大人にもわからなかったよ・・・。
一つ一つは、言いたいことが分かるよ(うな気がするんだけど)。
でも、全体を通したら、わからないよー?と思った。
そんな中で、笑って、理解しようと思った言葉が一つありました。
呪い
全然怖くないこの項目は、大人とか子供とか、社会に出て働いている人とか家の中で働いている人とか、毎日一生懸命頑張っているどんな人にも読んでもらいたい。と思う。 -
再読。
-
愛読書の樹さん。
この作品はいまいちぐいぐいこなかったのはテーマのせいかな。
国家とか、人種とか、ちょっと政治的な話が多いためか、共感しまくって読むっていういつもの感じではなかったです。
その中で、「呪いの言葉」の話はずしんと胸に来ました。
セクシャルハラスメントのハラスメントとはなんぞや、という話からのつながりだったのですが、つまり、ハラスメントとはそれによって、自分の自由が奪われて拘束されるものである、と。
それはわかりやすく言えば「呪い」である、と。
日常にあふれる呪いの言葉の例として
「あなたのためを思って言っているのよ」
「何が気に入らないのか、はっきり言いなさい」
「お願いだから、私の気持ちも分かってよ」
「おまえ俺をナメてんのか」など、こういうことばを投げかけられると、確かにぐっと言葉につまってとても息苦しい。
よく意味がわからないけど、自分が責められていることはよくわかる。
そもそも、これらの言葉には、答えなど求められていないというのだ。
**********************************************
このような「絶句」状況に他人を追いつめることを(それとはしらずに)好む人がいる。他人が自分の問いかけによって言葉を失い、青ざめ、うつむき、沈黙のうちに引きこもるさまを見て、ある種の愉悦を引き出すことのできる人がいる。
むろん、本人はそんな「邪悪」な欲望が自分を駆動していることを知らない。しばしば呪いをかけている人間自身は(意地の悪い教師がそうであったように)、自分の行動を動機づけているのは教化的な善意だと信じている(場合によっては、「愛情」だとさえ)。
「絶句させる人」が有害なのは、たんに「相手に影響を及ぼす」からではない。影響力が及んだことの確証として、相手が自分から逃れられないように「縛り付けられた」姿を見ようと望むからである。
相手が自分の言葉によって「縛りつけられ」、身動きできなくなっているありさまを、深く親密な、かけがえのない関係の成就だと勘違いする人、それが「呪いをかける人」である。
***********************************************
人が無意識のうちに相手を拘束し支配しようとする言葉、あるわあ~。
私、けっこう言われるわあ~。
でも、それが呪いの言葉であると分かっているということは、呪いに絡みとられないためにとても必要なことだ。