子どもは判ってくれない (文春文庫 う 19-1)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (348ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167679910

感想・レビュー・書評

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  • ところどころ、読んでてイラッとするのはなぜなんだろうw

  • ブログをほとんど全部読んでいたので、わざわざ買って読まなくてもよかった。それは、わかっていたことなので文句はないです。とても説得力があるし、その通りと思うことばかりなので、逆に疑わなければと身構えてしまう。

  • 『疲れすぎて眠れない夜のために』はインタビュー形式で作った本で、これは、内田先生がホームページやブログなどに書いていたものを加筆してまとめたものだそうなので、前述の本より小難しさがパワーアップしてる。難しくて斜め読みしたところも多かったけれど、面白かった。複雑なものは複雑なままにしたほうが分かりやすいこともある、正解がない時代ウンウン言いながら悩んでいるのがいいんじゃないか、というようなお話だったと思うのだけど、私が言うと簡単になってしまいますが。

  • 私とは違った角度で物事を見ている方。特に後半の文章、「愛国心とネオコン」「動物園の平和を嘉す」などは〝倫理性〟について、深く考えたい視点が提供されてました。

  • (以下引用)
    「誰にも迷惑かけていないんだから、ほっといてくれ」と言って、売春したり、ドラッグをやったり、コンビニの前の道路にへたり込んでいる若者たちがいる。彼らは「人に迷惑をかけない」というのが「社会人としての最低ライン」であり、それだけクリアーすれば、それで文句ないだろうというロジックをよく使う。なるほど、それもいいかもしれない。でも自分自身に「社会人としての最低ライン」しか要求しない人間は、当然だけれど、他人からも「社会人として最低の扱い」しか受けることができない。そのことはわきまえておいたほうがいいと思う。(P.125)

    例えば「囚人の人権を守る」ということは「犯罪を肯定する」こととは水準の違う問題である。(中略)人権は人権、犯罪は犯罪である。それと同じように、「売春は犯罪だが、売春婦の人権は適切に擁護されなければならない」という立場はありうると私は思っている。(P.153)

    多くの人が勘違いしているが、人間の価値は、その人にどれほどの能力があるかで査定されているのではない。その人の「替え」がどれほど得難いかを基準に査定されているのである。現に「リストラ」というのは「替えの利く社員」を切り捨て、「替えの利かない」社員を残すというかたちで進行する。どれほど有能な社員であっても、その人が担当している仕事が「もっと給料の安い人間によって代替可能」であれば逡巡なく棄てられる。(中略)だが競争社会というのは、全員の代替可能性を原理にしている社会である(だから「競争社会」は必ず「マニュアル社会」になる)。そのような社会で、個の多様性や一人ひとりの「かけがえのなさ」への敬意がどうやって根づくだろうか。(P.305)

    自民党も民主党も、改憲を望む人々は九条二項を廃絶したいと望んでいる。戦争に関する「フリーハンド」を回復したいと望んでいるのである。より厳密に言えば「(本音のところでは)あまり戦争になんかしたくないけれど、『戦争になるかもしれない』という政治カードを自由に切ることができる国家になりたい」と望んでいる。(P.318)

  • 各論が腑に落ちすぎて妙な安心感が得られると思う。

    もうすぐ社会人になる身としてウチダ先生の「大人」像を拝見し、他者との関わりの中で心がけたいことが生まれた。

    よくわからないものを「わからない」まま「知らない」ことは怖い。「知らない」ことを「わかってしまった」ときには瞬間行き場がなくなってしまう。再読して思考の論理を書き記しておきたいと思った。

  • 大人にもわからなかったよ・・・。
    一つ一つは、言いたいことが分かるよ(うな気がするんだけど)。
    でも、全体を通したら、わからないよー?と思った。

    そんな中で、笑って、理解しようと思った言葉が一つありました。

    呪い

    全然怖くないこの項目は、大人とか子供とか、社会に出て働いている人とか家の中で働いている人とか、毎日一生懸命頑張っているどんな人にも読んでもらいたい。と思う。

  • 再読。

  • 愛読書の樹さん。

    この作品はいまいちぐいぐいこなかったのはテーマのせいかな。
    国家とか、人種とか、ちょっと政治的な話が多いためか、共感しまくって読むっていういつもの感じではなかったです。

    その中で、「呪いの言葉」の話はずしんと胸に来ました。
    セクシャルハラスメントのハラスメントとはなんぞや、という話からのつながりだったのですが、つまり、ハラスメントとはそれによって、自分の自由が奪われて拘束されるものである、と。
    それはわかりやすく言えば「呪い」である、と。
    日常にあふれる呪いの言葉の例として 

     「あなたのためを思って言っているのよ」

     「何が気に入らないのか、はっきり言いなさい」

     「お願いだから、私の気持ちも分かってよ」

     「おまえ俺をナメてんのか」など、こういうことばを投げかけられると、確かにぐっと言葉につまってとても息苦しい。
     よく意味がわからないけど、自分が責められていることはよくわかる。
     そもそも、これらの言葉には、答えなど求められていないというのだ。

    **********************************************
     このような「絶句」状況に他人を追いつめることを(それとはしらずに)好む人がいる。他人が自分の問いかけによって言葉を失い、青ざめ、うつむき、沈黙のうちに引きこもるさまを見て、ある種の愉悦を引き出すことのできる人がいる。 

     むろん、本人はそんな「邪悪」な欲望が自分を駆動していることを知らない。しばしば呪いをかけている人間自身は(意地の悪い教師がそうであったように)、自分の行動を動機づけているのは教化的な善意だと信じている(場合によっては、「愛情」だとさえ)。

     「絶句させる人」が有害なのは、たんに「相手に影響を及ぼす」からではない。影響力が及んだことの確証として、相手が自分から逃れられないように「縛り付けられた」姿を見ようと望むからである。

     相手が自分の言葉によって「縛りつけられ」、身動きできなくなっているありさまを、深く親密な、かけがえのない関係の成就だと勘違いする人、それが「呪いをかける人」である。
     
    ***********************************************
    人が無意識のうちに相手を拘束し支配しようとする言葉、あるわあ~。
    私、けっこう言われるわあ~。

    でも、それが呪いの言葉であると分かっているということは、呪いに絡みとられないためにとても必要なことだ。

  • たしかにこういうことって「子ども」にこそ分かってほしい!ってことのオンパレード!ただし、この場合の「子ども」ってのは生徒レベルの「子ども」ではないよね。自分にも「???」ってことがあったから、やっぱりまだまだ子どもなんだなーと痛感した。

    理屈っぽい人を「1つの包丁で料理をする人」、論理的な人を「使えるものならドライバーでもホッチキスでも使って料理をする人」という例え方をしたのには感動。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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