子どもは判ってくれない (文春文庫 う 19-1)

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  • / ISBN・EAN: 9784167679910

感想・レビュー・書評

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  • ■書名

    書名:子どもは判ってくれない
    著者:内田 樹

    ■概要

    内田樹さんのエッセイ集

    ■感想

    面白い。
    もっと正確に表現するのであれば、「面白いという感情を私の脳に
    感じさせてくれた」一冊です。

    ただし、「面白い」ということと、「理解できている」ということ
    は別物です。恐らく、私は、この本の一割も理解出来ていないと
    思います。

    私は、「~~主義」や「~~性」という"比較的短時間でその単語の
    定義が変化する抽象的な言葉"が嫌いです。嫌いなので、これらの
    言葉は強制的に私の視界や理解から省かれるようになっています。

    この本には、このような言葉が結構あるので、こういう部分は、
    私の脳が勝手に読み飛ばしてしまっています。

    では、なぜこの本が面白いのかというと、所々に上記の言葉を言い
    換えた私の脳が理解できる別の説明が記載されており、その内容に
    より、"上記の苦手な言葉を理解した"と錯覚させてくれるからです。

    実際にはほとんど理解できていなくても、理解できた気分にさせて
    くれる本がつまらないわけがないです。

    これが、内田さんの1つ目の凄さだと思います。

    2つ目は、この本に限らず、今まで内田さんの凄いところは、本に
    書かれているような考えが出来ることって考えていましたが、よく
    よく考えると、少し違うように思います。

    勿論、このような書き方が出来ることも素晴らしいと思いますが、
    もっと凄いところは、"考えた事を文章にして他人に伝える事が出
    来ること"です。

    この部分に焦点を当てて考えた時、少なくとも以下のような技術が
    必要だと思います。

    ・自分の考えを、文字に起こす事が出来る技術
    ・使用している単語の知識
    ・文章を書く能力(相手に不快に思わせない程度の、文章の構成能力)
    ・論理的に文章を記載する力
    ・話題をすりかえる力

    この中で、内田さんに特出しているのは、"話題をすりかえる力"だと
    感じます。

    内田さんの文章を読んでいると、以下のどれかの感想を持ちます。

     1.書いてあることを自分の中で理解でき、かつ、それに共感できる
     2.書いてあることを自分の中で理解できるが、それに共感出来ない
     3.書いてあることを自分の中で理解できるが、何となくモヤモヤが残る。
     4.書いてあることを自分の中で理解できないが、何となく内容は
      分かった気になる。
     5.書いてあることを自分の中で理解できないし、内容もさっぱり分
      からない。


    この中で、くせものなのは"3"で、この感覚を持つことが内田さん
    の文章を読んでいると、何となく多いと感じます。

    これは、言い換えると、"言っている事を理解した気になっているが、
    実際には理解できていない。"という事です。

    この感覚を抱く原因は、以下のようなものが考えられます。

     ・私の知識不足。
     ・文章の話題が途中ですりかわっていることを、感覚的に感じ取っ
      ている(が、それを言葉で説明できない。)


    勿論、私の知識不足が原因の場合もあるとは思いますが、知識不足
    が原因の場合、そもそも"書いてあることを自分の中で理解できない"
    場合が多いと感じます。

    なので、私が感じているモヤモヤの部分は、"記載している文章を
    自分の頭で処理した結果、始まりから終わりまで一つの流れは出来
    ているが、その内容に違和感を感じる。"ことが原因だと思います。

    そして、その原因を考えると、それは"話題のすり替わりによって発
    生している"ように思うのです。

    なので、私は、内田さんの技術の中で特に素晴らしいのは、"ほとんど
    違和感なく、話題をすりかえる力"だと思いました。


    ということで、話を元(本の感想)に戻すと、いつもどおり気付きが多く
    頭の体操になる本でした。

    ただ、やはり読むのに少しパワーと覚悟(準備)がいります。

    後、本とは全く関係ないですが、この方の見た目が少し家の親父に
    似ている気がします。

    ■気になった点

    ・現実が複雑であるときは、話しも複雑にするのがことの筋道と
     いうものである。

    ・問題は若い人々における「教養の不足」ではない。
     「教養が不足している」同世代としか自分を比較しないので、
     「自分達には教養が不足している」という事実が認知されない
     こと、これが問題である。

    ・私は、ふと手に取った本こそ「ご縁のある本である」という信念
     を貫いてきた。

    ・私の選書の基本は「その本を読んでいないと、その本を読んでい
     る奴に騙される危険性がある」という本を探り当てる、という
     ことにあった。

    ・人間がその潜在能力を爆発的に開花させるのは「やりたいことを
     やっている場合」だけである。

    ・実際にそう言ってみると。なんとなく「そういう気」になって
     くるのが不思議である。

    ・私が自分で「オリジナルだ」と信じて書いているものの大部分は
     実は誰かのコピーである。

    ・私達を廃人に追い込むような種類の「後悔」とは、「何かをし
     なかった後悔」である。(「何かをした後悔ではない」)

    ・「好きなことをやっている」ように見える人間は、「好きなこと
     がはっきりしている人間」ではなく「嫌いなこと」「出来ないこ
     と」がはっきりしている人間である。

    ・自分がなぜ、ある種の社会活動について、嫌悪や脱力感を感じるか
     ということを丁寧に言葉にしてゆく作業は、自分の個性の「輪郭」
     を知るためのほとんど唯一の、極めて有効な方法である。

    ・人は好きなものについて語るときよりも、嫌いなものについて
     語るときの方が雄弁になる。

    ・「自立している人」というのは、周囲から「自立した人だ」と 
     思われている人

    ・自立というのは、バカな他人にこき使われないですむことである。

    ・現実が整合的で無い以上、それについて語る理説が整合的である
     必要性はない。

    ・「結論を出すということ」と「正論を出す」ということは全く違う。

    ・「私の予測は外れる可能性がある」という主張は「正論」になり
     ようがない。

    ・呪いというのは誰でもやっている。呪いというのは、答えられない
     質問を繰り返し、相手を縛り付けていくことである。

    ・形式的には"問い"だが、実際には、沈黙を強いる言葉を呪いという。
     「おまえは学校を何だと思っているんだ?」
     「子供は作らないの?」
     
    ・「節度を欠いたコミュニケーションの欲望」の対象となったとき、
     私達は、「呪い」をかけられているのである。

    ・全ての家庭はどこか欠損があり、全ての親は何かに依存しており、
     そこで育つ子供たちは、多かれ少なかれそのせいで精神にゆがみ
     をきたしている。

    ・けなすのは簡単で、褒めるのは難しい。
     悪口を言うときには、対象の適切な理解は不要である。
     しかし、褒めるときには対象への適切な理解(少なくとも相手に
     承認されること)が必要である。
     だから、私は、理解したいと思うものについては、とにかく褒め
     るというスタンスを自らにかしている。

    ・情報の「利益」とは、その速報性において「優越する者」が「出
     遅れたもの」から「何かを奪い取る」という形でしか存在しない
     のである。

    ・未来永劫に正しい制度は存在しない。

    ・平和は退屈であり、あまりに長く続く平和は人間を苦しめるという
     のは本当である。
     しかし、その退屈や苦痛は、戦争がもたらす悲惨や苦悩とは比較に
     ならないものである。

  • 4章立てになっており、前半から後半にかけて人の内面~対人~日本、国際に関する内田氏の考察が書かれています。私は社会の中での自分の立ち位置とか対人の接し方とか考え方が気になるので、割と前半が面白かったですね。後半の日本や国際に関する論の展開は積極性ではなく「一歩引いた」姿勢が打ち出されているので、好き嫌いが分かれる文章だと思います。

  • 読み始めてから随分長い時間がたったのでところどころわすれているけど、呪いのコミュニケーション と 話を複雑にすることの効用 は なかなか興味深かった。 110607

  • 最近、「呪いのコミュニケーション」の章を何度も何度も読み返している。
    今起こっているのはまさにこれ。
    解決の手がかりは何だろう。
    メッセージが「聞き届けられるべき人に聞き届けられる」ように努めることなのか。それとも、「話を複雑にすることの効用」にあるように、「自説の危うさ」の定量を優先させる事なのか。

  • 私も中年です。

  • 読みながら思ったことが、次の章に書かれていたりして、大変納得しました。
    まさに「本に呼び寄せられた」状態です。

  • この本に一貫して伏流しているのは、世の中がこれからどうなるのかの予測が立たないときには、何が「正しい」のかを言うことができない、という「不能の覚知」である。

    その「不能」を認識したうえで、ものごとを単純化しすぎるきらいのある風潮にあらがって、「世の中というのはもう少し複雑な作りになっているのではないか」ということをうじうじと申し上げたのである。

    「快刀乱麻を断つ」というのがこういうエッセイ本の真骨頂であり、読者諸氏もそのような爽快感を求めておられることは熟知しているのであるが、残念ながら本書はそのような快楽を提供することができない。筆者はああでもないこうでもないと言を左右にし、容易に断言をせず、他人を批判する時も自分は逃げ支度をしており、本書をいくら読んでもそれで世の中の風景が判明になるということは期待できないのである。すまないが。

    しかし、言い訳をさせていただくと、昨今の時評類はあまりに話を簡単にしすぎてはいないか。

    世界情勢は複雑にして怪奇であり、歴史はうねうねと蛇行し、私たちの日本社会も先行きどうなるのか少しも見えない。そういうときには、それらの事象のうちとりわけ奇にして通じ難いところを「分からない、分からない」と苦渋の汗をにじませながら記述することもまた、面倒な細部をはしょって無理やり話の筋道を通してしまう作業と同じく必要な仕事ではないか、と私には思われるのである。

    それゆえ、この本からのメッセージは要言すれば次の二つの命題に帰しうるであろう。

    一つは、「話を複雑なままにしておく方が、話を簡単にするより『話が早い』(ことがある)」。

    いま一つは、「何かが『分かった』と誤認することによってもたらされる災禍は、何かが『分からない』と正直に申告することによってもたらされる災禍より有害である(ことが多い)」。

    これである。

  • "後悔、後に立たず"と"目からウロコの愛の心得"は、座右。

  • 相変わらず切れ味鋭い考想を展開してくれる。
    ちょっとだけ長々として愚説にお付き合いを。

    圧巻は「『セックスというお仕事』と自己決定権」の章。
    フェミニストたちの売春に関する主張と娼婦たちのそれの違いを指摘しつつ、
    さらにはフェミニストの主張のゼロサム構造を看破する。

    要約が大変困難であるが、あえてな愚見的解説を付すなら
    ・フェミニストの主張の大半が父権制批判であり
    ・それは男性が商品価値の所有を独占しうる構造に問題があり
    ・結果的に女性は男性に性以外の売るものを持たないプロレタリアートの地位に貶められる
    ・そして、売春婦は最も阻害された抑圧のシンボルであって
    ・売春婦をその奴隷的境涯から真っ先に解放される必要がある

    ここから内田節が炸裂する。

    ・これでは、売春婦の解放が主婦や妻の解放に先んじなければならない理由がない
    ・むしろ、主婦や妻こそ父権制の無自覚な共犯者に他ならないし
    ・男子の財力をあてにする生き方が否定されるのであれば
    ・目指すべきは、父権社会の全ての性制度の同時的廃絶であって、売春制度の選択的廃絶ではない

    そして、
    「(前略)父権制批判を徹底させようと思えば、廃娼運動を唱導することは断念しなければならないし、
    廃娼運動を優先しようと望むなら父権制批判をトーンダウンさせなければならない」(p148)
    という論考へ帰着する。

    このフェミニズムの主張に対して、売春婦達の主張が一貫して
    「人権を守れ=安全に労働する権利」ということに尽くされる点に着眼し、タツルはそこに賛同する。
    ただし、タツルは「売春は『嫌なものだ』という考えを私は抱いている」(p164)とも言う。

    「現実が整合的でない以上、それについて語る理説が整合的である必要はない。
    『すでに』売春を業としている人々にはその人権の保護を、
    『これから』売春を業としようとしている人には『やめときなさい』と忠告すること、
    それがこれまで市井の大人たちがこの問題に対して取ってきた『どっちつかずの』態度であり、
    私は改めてこの『常識』に与するのである」(pp164-165)

    嫌なものだとする論拠にはお得意の武道論からくる「身体性の尊厳」を挙げ、
    整合の取れないところに関する事例として「『囚人の人権を守る』ということは
    『犯罪を肯定する』こととは水準の違う問題である」(p153)を引く。

    ものすごい切れ味である。

    私自身が以前から感じていた、
    ・フェミニストに対する漠然とした嫌な印象
    ・売春に対するもやもやとした否定的な感想
    を見事に切り取り、批評し、批判し、自説を展開している。
    圧巻、ということばがふさわしい論説だった。

    ***

    書籍の後段は政治色が強く出てきていささか退屈。

    だが、本論以降の「文庫版のためのあとがき」で、とても面白い論考が展開される。
    書き物の価値を定量する方法、すなわち良書の条件である。

    タツルは書かれたものの「耐用年数」を挙げる。

    「例えば、法隆寺の五重塔を見て下さい。紀元七世紀の建造物ですけど、いまだに地震で倒れたことがありません。
    今日本のゼネコンが建てている建物はたぶん世界最高水準の建築技術を駆使して建造されているのでしょうけど、
    その中に起源三四世紀まで残っているものがあると思いますか?万が一物理的には立っていられたとしても、
    十三世紀にわたって『残したい』と望む人がいるような建物をあなたは周囲に発見できますか?」(p336)

    これは気鋭の哲学者・故池田晶子の「古典を読め」という論拠に通ずる。

    名著には、時代性・個別性をらくらくと超越し、
    それぞれの読者に「これは私のことを書いている!」と思わせる理が記されているのだと思う。

  • 「本が私を読んでいる」とか、
    「後悔、後に立たず」とか、
    多くの示唆に富む言葉が載っている。

    国家のこと、売春のこと、コミュニケーションのことなど、いろいろなことが書かれている。
    また、しばらく時間がたってから、読みなおしてみたい。

    2001年から2003年に書かれたものだが、今読んでも考えさせられる。
    たぶん、今後も通用し続ける内容だと思う。
    だからこそ、節目節目で読みなおしたい。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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