子どもは判ってくれない (文春文庫 う 19-1)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (348ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167679910

感想・レビュー・書評

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  • 内田さんの文章はくどいいうか難しい表現があり、読みづらい。私が教養がないのかもしれないが。第2章の自立のために知っておくべきことは耳が痛かった。自立していない自分を目の前にさらけ出されたからだ。どの内容も本当によく練られており、なるほどと思ったしだいで、自分が同じ事を書くとしたら、もっと浅いものになるだろうなと思う。やはり内田樹は思想家である。

  • 「ハラスメント」とは、「それにきっぱりと答えることのできない種類の問いかけや要求を執拗に繰り返すことによって、生気を奪い、深い疲労を与えること」

  • 9、本が私を読むなど、内田樹特有の一見矛盾しているが、話を聞いてるうちに確かにと頷いてしまうものが多く、読んでいて楽しい。
    日本を代表して考えるという視点に賛同した。

  • 何かちょっと久しぶりな気がする内田節。でもならではの論調で、改めて腑に落ちる体験。昔の年齢だと、自分はまだ20代前半なんですね、なるほど。って、未熟なことを納得して、そのままをよしとしててもいかんのだけど。自助努力あるのみ、ですか。

  • 著者のウェブ・サイトに掲載された時評的なエッセイを収録しています。

    「この本の想定されている読者は「若者たち」である。しかし、私自身は「若者」ではないから、「若者たち」が私の意見に賛同するということはあまり期待していない(ぜんぜん期待していないと言ってもよい)。しかし、それにもかかわらず、私は「若者たち」から「合意することの大切さについての合意」だけは何とか取り付けたいと思っている」。「たいへんに長いまえがき」にはこのように書かれています。

    これは、価値観の異なる複数の参加者どうしが合意の形成をめざす「討議空間」への参与を呼びかけている文章として読めるように思います。ただし、この討議空間の普遍的な原理はア・プリオリに定まってるわけではありません。他者との粘り強い交渉と対話をくぐり抜けることによって、初めて討議空間に共に参与するということが可能になるという発想が、ここには見られます。討議空間に他者と共に参与する人に要求されているのは、「正しい意見を述べること」ではなく、「言葉が聞き届けられること」に対する気遣いだというのが、著者の立場なのだろうと思います。

    著者は、「論理的な人」と「理屈っぽい人」とは違うといい、「自分の考え方」を停止して「他人の考え方」に想像的に同調することのできる能力が「論理性」だと述べています。そこで求められているのは、そのつどの問題に対して、それにもっともふさわしいアプローチを探し出す「思考の自由」です。そしておそらく、他者と共に討議空間に参与することを粘り強く求めていく態度にとって必要なのも、こうした「思考の自由」なのではないかという気がします。

  • 2015.2.1

  • 子供は判ってくれない、トリュフォーへのオマージュだってこと、ちょっとは気付いてよね、!みたいな感じのあとがきが書いてあった。内田さんの本は、タイトルからのイメージと内容が、だいぶ違うことが多いが今回も多少そんな気がした(タイトルがお洒落で、読めば内容とも矛盾しないと解るから、なんともかっこいいが)。


    逆説的だけど、橋元治の「解説」が、本編の内容とすごい補完関係にある気がする。本編の内容と、筆者の書き得ない「筆者の立ち位置」というパーフェクトな補完関係。書き出しは突拍子がなくともちゃっかりと落ちに読者を連れていく。


    《受け容れなければいけない。大人は受け容れつつ、歩まなければいけない》。そういう全編の趣旨であるから、読むと、ちょっと畏まったような身につまされて硬くなるような気持ちになる。でも解説を読むと、そうか、そうだ。これが「外交上の建て前」なのだ、「社交辞令」という 呪いを避けるための 礼なのだ。と気付く。
    橋元さんは内田さんと自分を「戦うことを引き受けた人(大学人)」と「民間人」という言い方をするが、本編で内田さんは自らを「戦うことを避ける人間」とも言明している。橋元さんのをもっと原理的に言ってしまえば、前者は「戦わずして勝つことを決めた人」で、後者は「(つい)戦ってしまう人」であると思う。この本編の多くを“大人の、国際関係上の立場”を占めているのだから、この対比がすなわち「公人」と「民間人」となるのは実は自明なんである。なので、内田さんのこの本の中の言葉は、なんとなく全部が「」に入っている。


    私なぞはつい、社会人になったとしても つい戦ってしまい、というか、戦わずして主張を通す事が出来ずしかもがまんができず 戦って勝つしか方法がなくなってしまう事がある。。たまには戦うのもいっか!とか思ったりするけれど、もちろん国交上の問題はそうはいかない。
    しかも、言葉の主張上の闘いと、直截的な戦いは全然意味がちがう。というか次元が違う。代償が、計り知れない。


    こうつらつらと書いたところで この本の冒頭にあるように、正しい事を言ったからとて、その言葉が効力を発するとは限らないのだ。もっと「戦わずして主張が成功する」ような技を磨かなければ。関係ないかのように見えて、着実に核心にもっていく橋元治さんの解説は、突飛に見えて周到に逆算された うわてな解説だとおもう。この逆算が、トークでできたら奇蹟的に思う。

  • 「話を複雑なままにしておく方が、話を簡単にするより『話が早い』(ことがある)」。
    「何かが『分かった』と誤認することによってもたらされる災禍は、何かが『分からない』と正直に申告することによってもたらされる災禍より有害である(ことが多い)」。
    と著者は述べている。
    要約するとそこに行き着くのだが、それでもなお削ぎ落とし過ぎの感にさいなまれる。
    様々な気づきを与えてくれる本であった。

  • 内田樹のブログを書籍化したもの。
    この人の本は非常に面白い。深い。批判的思考を養うのに最適書。

  • 複雑な問題にはのらりくらり、うだうだと語る建前の著者も、こと改憲反対の語気は荒いのが傑作だ。「私を説得してみろ」ったって、改憲論者は貴方と対話する前提条件を満たしてないですよ、きっと。どうあれ、総じて楽しく読みました。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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