- Amazon.co.jp ・本 (348ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167849016
感想・レビュー・書評
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昭和初期の東京の様子が細かく描かれていて楽しかった。
タキちゃんが健気。 -
最終章ですべてが昇華する。とてつもないカタルシス。
岡目八目、という言葉を思い出した。きっと睦子さんも、板倉さんも、タキちゃんにはみえないものが見えていたんだろうな。
タキちゃんの苦しみの正体を誰かが言い当ててしまえば、タキちゃんは楽になれたのだろうか。 -
2017.2月。
戦争ってこんな風に近づいてきていつのまにか入り込んで侵食してくるのかと怖くなった。特に子どもが戦争を美化して目を輝かせていることにゾッとした。私たちはもう知っている。私たちがちゃんと声をあげて止めないといけないんだ。タキちゃんのまっすぐさが眩しい。 -
今、読んでおくべき本はこの本だと思います。美しい日常に忍び寄る戦争のリアル。私達は戦前を知らないのだが、豊かだったのです。それらを奪い取る戦争。生活が変わらないから政治に関心が無くて良いと言えますか?
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穏やかな平井家の暮らしは、
二つの事でさざ波が立ち始める。
板倉さんの登場と戦争への歩み。
秘め事も戦いもいつかは終わり・・・
それを見続けてきた女中のタキも・・・。
その記憶は現代に甦り、終焉を迎える。
タキさんの冥福を祈りたくなる、そんな佳品。 -
物語は女中たきちゃんの手記の様な、日記の様な回想録の形で進んでいく。
女中として、平井家で奉公し、旦那様、奥様、ぼっちゃんと過ごした日々。赤い三角屋根のモダンなお家。戦争へ向かっていく混乱していた時代、しかし忘れられないキラキラした東京での生活の中に、忘れられないもう一つの想いがあった。
最後の種明かし(?)の部分、もう少し丁寧に描写されててもよかったかなぁ。多分、少なすぎても多すぎてもダメなんだろうけど。
けど、たきちゃんの思いを考えると、どこまでも切ない物語でした。 -
原作は未読のまま、試写会で観た『小さいおうち』。原作を読んでみてたまげました。たまげたというのは大げさですけれども、山田洋次監督はやっぱり凄い人だなぁって。
最近は原作を読んでから映画を観ることのほうが多いですが、そうでもなかった数年前、『その日のまえに』(2008)のことが思い出されます。大林宣彦監督の作品はもともと得手ではなく、『その日のまえに』も映画版は「なんだかなぁ」と感じたのに、原作を読んでぶっ飛び、それをあんなふうに映画化した大林監督は凄い人だと思い直しました。
『小さいおうち』に関しては、映画版も好きでしたから、『その日のまえに』の原作を読んだときとは入り方がそもそも違いますが、これをこういうふうに映画化するのかとタマゲタ度は同じくらい、そして山田監督は素晴らしいとあらためて思ったのでした。
話の大筋は変わりません。『北のカナリアたち』(2012)のような、原作ではなく原案と言うに留まるわけでもなく、どこからどう見ても、まちがいなく原作そのままです。しかし、少しずつ変えられた状況に非常に興味を惹かれます。
たとえば、タキ(黒木華)が最初に奉公した作家の小中先生(橋爪功)宅での話。小中先生がタキに聞かせる「気配りのできる女中」についての例。原作と映画とどちらが良いということではなく、映画の例はとてもわかりやすい。
タキが小児麻痺にかかった幼い恭一(秋山聡)をおぶって、来る日も来る日も整形外科へかよったのはうだるような暑さの夏のこと。その苦労と努力を認めた治療師(林家林蔵)が、タキにマッサージ法を伝授して、これからは君が坊ちゃんにやってあげなさいと言います。それが原作では年の暮れのこと、病院も正月休みに入るため、やむをえずタキが医者の代わりにマッサージすることになります。
平成のタキ(倍賞千恵子)の様子をしょっちゅう見にくる優しい健史(妻夫木聡)が、原作ではもっと辛辣にタキを嘘つき呼ばわりする甥の次男だったり、初婚同士以外だとは思ってもみなかった時子(松たか子)と雅樹(片岡孝太郎)夫婦が、原作ではそうではなくて、しかもそんなワケありだったのかと驚いたり。
雅樹がタキの見合い相手に選んだ和夫(笹野高史)には、映画・原作共に大笑い。悲しむタキの気持ちを汲んで、時子は「ずうずうしいにもほどがある」と。若い男性は兵隊に取られるかもしれないからと言い訳する雅樹に、「(あんなジジィなら)鉄砲玉に当たらなくても死ぬかもしれない」、そりゃそうだ。そして、原作ではちょっとだけ描かれていたお見合いのシーンは、映画では笹野さんのためであろう演出がなされていて印象深い。
原作ならではの楽しみだったのは、タキが工夫をこらした数々の料理。洋風化が進むなか、「クリームシチュウの付け合わせにはナマス」などという、わけのわからない取り合わせが雑誌に掲載されたりして、それは変だと感じたタキが、自らパンを焼きます。米の節約も強いられるご時世で、なんとかあるもので美味しくと、落花生を砕いたものに砂糖を落としてつくるピーナッツバターが実に美味しそう。こうした料理が映画にも登場すれば楽しかったでしょうけれども、それでは『武士の献立』ならぬ『タキさんの献立』になってしまう(笑)。
映画では時子とどうかなるには色気がなさすぎると感じた正治(吉岡秀隆)。原作を読んで誰だったらイメージできたかなと考えたら、ひょっと思い浮かんだのが斎藤工。いかがでしょ?
後日、笹野さんのエッセイが載っている新聞を読みました。黒木華を見て「この人がボクのものになるんだとつぶやいたら、山田監督に笑われました」とのこと。相変わらずワラかしてくれます、笹野さん。
映画は観たけれども原作は読んでいないという方には、ぜひお読みになることをおすすめします。
追記:映画の感想はこちら。→http://blog.goo.ne.jp/minoes3128/e/bfe84c50e6b6838c4cee0307d99db368 -
自粛という言葉は日本独特だ、なんて話も聞くけど、自粛する感覚自体は意外と他の国にもあるよなぁ、と思ったりもする。ここはこうしておくべきだろう、みたいな空気とか。
ともあれ、自粛感覚によるものなのか、一般的に戦時中の様子を語る時に、けっこう楽しい話があったとか、面白おかしく過ごしてたなんて話はあまり聞かないわけで。世の中のどこにもお調子者とかいなかったのか?っていう疑問がそう言われてみれば無きにしも非ずで。ただ一般人が、戦争って言われてもピンとこないわー、って言って暮らしてるだけの話なのに、実に新鮮なのです。
でもって適当にばあさんの昔話だけかと思ったら、最後の余韻がね、この流れはけっこう好き。