勉強の哲学 来たるべきバカのために 増補版 (文春文庫 ち 9-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167914639

感想・レビュー・書評

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  • 著者の「動きすぎてはいけない」の実践編とも言える書。現在に著書が対峙する為の理論書が「動きすぎてはいけない」なら、本書はそれを元に具体的にどうアクションするのかを「勉強」をテーマに展開している。
    が、議論はかなり理念的なもので所謂、ハウツーではない。かといって、かつての浅田彰の「逃走論」みたいなのかなぁと思ったが、さにあらず。抽象的な思想を背景に現実的な実践方法を濃度を希釈することなく語ってみせている。寧ろ、勉強を題材に言語論を展開してみせたという感じ。決断主義を回避する為のユーモアのコード変換(の潜在的多義性)がクリプキのクワス問題からの引用とは!言語の相関主義的議論を踏まえた上で、思弁的実在論のモノ自体性も言語の物質性、美学性を語る上で織り込んでいるあたりは興味深い。DGというより、分析哲学的、思弁的実在論の言語感に依拠した原理論かな。アイロニー(ツッコミ)の現実界そのものの希求、根拠づけへの意思が決断主義主義へ逢着するいうのは、柄谷行人が「建築への意志」いうて独我論の外部へいかにして出るか?というので論じてたやつやな。彼もそのあとやっぱ、ウィトゲンシュタイン、クリプキを論じとったな。元々、このへんてH・アルバートとかアーペルとかの批判的合理主義が主題化したんとちゃうかったかな。ドゥルーズや思弁的実在論を足掛かりに何とか現在における倫理を描き出そうと格闘している点はいかにも哲学書なんだが、やはりこうした議論に今いかほどの価値があるのか悩ましいところだなと感じる。議論としてはかなり道徳論、美学論に近い。カントの第二批判みたいな感じ。そもそも、「全体性に回収されること」がなぜそんなに忌避されないといけないことなのか、当たり前に前提されているがこの辺りは一般的な読者からはわかりにくい。ダスマンとしての幸福に浸ることだって別にいいんじゃね?と思う。

  • 無理して周りのノリに合わせない。その根拠は?の問いを繰り返すと非合理に行き着く。それではきりがないので、視点を横にずらして、別の見方で考える。ずらし続けてもきりがないので、しっくりくるところで仮固定する。つまり常に変化可能な状態を保っておくこと。いつも相対的に物事をみて、変化し続けられる状態であることなのかと思いました。

  • 社会問題を知れば知るほど、他の問題にも絡み合ってる複雑な状況を知って、情報の刺激を受けすぎて、何からやればいいのか、何がしたいのかわからなくなってしまった時に出会った本。

    深く勉強する=ノリが悪くなる
    その逆=周りに合わせて動く生き方

    これにすごく共感していて、一年前の自分が読んでも分からなかったかもしれない。でも「ノリが悪くなる段階を通って新しいノリに変身するという時間がかかる勉強法」を経て、①みんなでワイワイやれる自分、から、②昔の自分がいなくなるという試練を経験した。驚くほどに辛かったけど、③その先で来たるべきバカに変身する。まだしてないけど

    この本いわく、勉強≠同じままの自分+新しいスキル。むしろ、勉強=自分の破壊=自由になるため、今までのノリから解放すること

    「日本社会は同調圧力が強くて、ノリが悪い者は排除され、出る杭は打たれる。その上限界を破って自分の新しい可能性を開くため、今までできてたことができなくなる=能力の損失が起こるかもしれない。それでも勉強するのか?」といったような問いに対して、わたしはどう考えるのかなあ

  • 勉強とは過去の自分の自己破壊である、新しい自分を作り出すイメージを持てた気がする。勉強に向かう姿勢のデトックスになる。

  • タイトルに惹かれて購入。「深く」勉強するにはどうしたらいいのか?独学で勉強するための技術を解りやすく解説した本。とても面白く読みました。第4章の「勉強を有限化する技術」は実践編として大いに役立ちそう。巻末にある補章「意味から形へ――楽しい暮らしのために」は読んでいて創作活動において目から鱗か落ちたような気分です。私の中にあった上手く言語化できない部分を語っていてストンと腑に落ちました。

  • 大体の構造は理解できたけど難しかった

  • この本を読み始めた時、
    「なんでわざわざこんなわけ分からん言葉ばっか出してくるんだ?」
    と心の底から思った。もっと噛み砕いて、読者が実感を伴いやすいような言葉を使ってくれと。
    でも、読み進めるうちに、これこそが本書が伝えたいことなんだと理解した。勉強するということすなわち、新しいコードに入り込んでいくということの意味を、この本全体を通して伝えていたのだと思う。

    言語の他者性と環境のコードに立脚した”勉強”の捉え方は自分にとってまさしく今までのコードの破壊であり、新しいコードとの出会いであったと言えるだろう。

    アイロニーとユーモアと享楽的こだわりによる結論の仮固定と比較の継続を持って、ノリの悪いキモいバカを目指してみようか。

  • 自分の固定的な世界観を広げるために勉強する。

    人生の主要な出来事を俯瞰し、自分の生きてきた文脈や社会背景を把握する。
    また、きままに浮かぶキーワードを並べて、そこから機能的に見える傾向を把握する。

    深堀りするテーマを決めて、入門書を複数読み、基本書・教科書へと進む。そのうえで、専門書を拠り所として思索を深める。

    世界をすべて知ることはできないが、勉強を継続して自分の世界を広げ続けること。

  • 自分は体育を勉強している。
    そして、行き詰まっている感がある。それは、体育に限らず全てに言えることだか、子どもが成長するとはどういうことか、教育の効果とはどういうことかわからなくなっているから。
    目の前の子どもたちは千差万別で、何がいいかはそれぞれで違っていて、それでもやらなきゃならないことがあって、結果的に何人かはわからないまま切り捨てざるを得ない。そんななか体育とか図工は楽しむということにおいてはすべての子が達成できるようになんとか工夫しているつもり。
    勉強ってなんだろう?
    知識を注入する、されることではない。それは自己破壊で、あって出産である。
    アイロニーとユーモア。決断主義ではなく中断。有限化。
    ノリの悪いひとになる。それを突き進めれば来るべきバカになる。
    空気ばかり読んでいたら、本当に空気になる。自分は空気ばかり読んでしまう。それは良くない。自分の思いを、それはひとの考えの借りパクなことが多いけど、それでもノリ悪く話していくこと。それから自分の自己破壊を始めようと思う。
    京楽的に。
    わからなくなったときこそ、中断。そして保留。その時にユーモアを。
    自分の進むべき道が見えた。いやすでに見えていたことが、意識化されたと感じた。

  • 「答え」を決めつける態度に馴染めないのは臆病だからではなく、誠実だからだと勇気づけられる一冊。とはいえ「仮の足場」は必要で、そのための具体策まで提示するというのが本書の目論見。
    「原理編」「実践編」それぞれに多くの学びがあったが、主眼である「仮の足場」を作ることに関しては直接的な実践方法がないように感じた。欲望年表もEvernoteも有用だろうけれど、結局はそれぞれのやり方で「専門書を読み、書きながら考える」しかないのかもしれない。
    大学2年生くらいの自分に読ませたい本。

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著者プロフィール

1978年生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。
著書に『意味がない無意味』(河出書房新社、2018)、『思弁的実在論と現代について 千葉雅也対談集』(青土社、2018)他

「2019年 『談 no.115』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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