見えない都市 (河出文庫 カ 2-1)

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309462295

感想・レビュー・書評

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  • カルヴィーノの語る東方見聞録。全くの幻想でもあるし、もしかしたらどこか本当にある光景を描写してあるだけかもしれない。美しく透明な世界。

  • 架空都市を報告形式で綴るカルヴィーノ作品でも秀逸だと思う一冊

  • いったい人はどのようにして本と知り合うのだろう。こんな不思議な本を読んだ後では、つくづくそう考えずにはいられなくなる。世の中には読まれるべき本が読まれることを待ち続けている。勿論、その言明は個人に対する言明に過ぎないのであって、一般論ではない。そしてまた、その個人とて、一瞬いっしゅんが連続した個人であることはなく、どこかしら途切れとぎれの個人の集合にしか過ぎないのであるから、読まれるべき時に本が読まれるという幸せを味わえるのは、とても不思議な出会いであるとしか言いようがない。

    「見えない都市」のような本を読んで思うのは、文章の持ち得る意味と意図された意味の関係、ということである。本として、文章の集合体として持つ意味、それは「込められた意味」と言い直してよいが、それがはっきりしているように思える本がある。勿論、それは読み手である自分の勝手な思いこみがなせる業であることも承知の上でだが、それでも全体の指向している先が見える本がある一方で、カルヴィーノのそれのように、時代に対して開いた、とでも形容できるような本がある。古典のように時代を越えて読み継がれるという普遍性とは違うが、その文章の一文字ひともじの意味を取り違えずに読める位の同時代性を保ちながら、未来の読まれる時代において一気に蘇生して来るような「意味」がこの本には、散りばめられている。その読み解かれる意図に定形はない。

    個々の文の自立した意味、という問題も、また、ある。特定の設定された状況、時代の中での物語を成す一つの文でありつつ、個々に自由にイマジネーションを広げさせる力のある文が、そこにはある。この本の中でカルヴィーノの書いている文たちは、その中から一つを取り出してきて、白紙の中においたとして単独で意味を持ち得る、意思の感じられる文である。しかし、書かれていることをそのまま読み取ってはいけないことが、本の端々に匂わされている。それは、そのコンテクストの中ではあり得ないものの描写であったり、幻想のような現実であったりするのだ。読み手は、混乱させられる。そしてそのことは、この本の意図していることでもある。

    本の意図していること、と書いた。これにはもう少し丁寧に説明が必要だ。本の中では、マルコ・ポーロという人物とフビライ汗という二人の人物の対峙が描かれている。対峙は、対話で成り立っているように見受けられるが、話を交わしているとは断定しきれないようにも描かれている。勿論、この二人の名前を聞いて、歴史上の同名の二人を意識せずにはいられないし、そう読んでも構わないのかも知れない。しかし、これがそのマルコ・ポーロだとは言明されることはない。そして、あたかもそのマルコ・ポーロが語っているように見える「図」の部分には、旅人が訪れた都市の様子が描かれる。

    図の間には、二人の対話が「地」として存在し、この地によって、図の持つ意味は一つの方向に巧みに誘導されている。もし、この地の会話がないとしたら、この本の持つ印象は全く違うものになるだろうか。不思議なことに、そうはならないかも知れない、という予感がする。そして、地と図の境は、文章の隙間を越えて、判然としなくなる。

    図で語られる都市では、決して歴史上のマルコ・ポーロが目にし得ないものも出現する。その単語を読む直前まで、無意識のうちにある過去の時代に投影されていた自分の分身が、急に迷路の一つをまがった瞬間に、現代の、例えば、東京の喧騒に出くわすような錯覚がそこにはある。そしてその時、不思議な感慨に捕らえられる。何故なら、そこでマルコ・ポーロを切り離して、その部分を読むこともでき、それでも文章の「開かれた意味」は、ほとんど変わらないように思えるからだ。このことは、マルコ・ポーロという人物がフビライ汗という人物に対して語る地の中で告げていることでもある。語られている都市は、現在という時間、あるいは誰かが訪れたであろう過去という時間に対して、なんの繋がりも持っていない、ということが執拗に告げられているのだ。一つの都市、という3次元上の点を特定はしているものの、4つ目の次元については特定されず、話の前後は不明なままに残されている。やがて、3次元上の定点と思われた座標も、固定した点としての意味を失い、その都市をだれかが訪れたのか否か、そもそも存在するのか否かも、判然としなくなっていく。その錯覚を読み手は、フビライ汗と同時に味わうように、意図されている。

    意図されている、と自分が感じることは、本当に意図されていることなのだろうか。この本を、違う時代の自分が読んでも、その意図に気づくのだろうか。気づかないとしたら、その時の自分は、この本の中に何を読み取るのだろうか。そして、きっとその時読み取られたものもまた、いかにもカルヴィーノが意図したことのように思われるのだろう。そういう意味で、この本は全ての時代の自分に対して開いた意味を持っているように思えるのだ。

    見えない都市、それは、実在しないのに存在していると思われている都市のことである、とも受け取れるし、あるいは、存在しているのに4次元上の定点に居る自分からは行き着けない都市である、とも解釈できる。そして、その二つの意味に、どれだけの違いがあるというのか、という問い掛け、それが、あるいはもしかして、カルヴィーノの言いたかったことなのかも知れない。

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著者プロフィール

イタロ・カルヴィーノ(Italo Calvino)
1923 — 85年。イタリアの作家。
第二次世界大戦末期のレジスタンス体験を経て、
『くもの巣の小道』でパヴェーゼに認められる。
『まっぷたつの子爵』『木のぼり男爵』『不在の騎士』『レ・コスミコミケ』
『見えない都市』『冬の夜ひとりの旅人が』などの小説の他、文学・社会
評論『水に流して』『カルヴィーノの文学講義』などがある。

「2021年 『スモッグの雲』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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