見えない都市 (河出文庫 カ 2-1)

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309462295

感想・レビュー・書評

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  • 8/17 読了。
    再読。

  • 都市に纏わる概念の、絵のない絵本と言ったところでしょうか。
    そこに物語はなく、あるのは都市の描写のみです。

    所々これはと思う個所はあるのですが、
    (都市と死者の部分は概して良かったです)
    総体として読み通すのは、個人的にはやや退屈でした。
    詞的な要素はあるんですけど、
    歌舞伎の口上のような長々と続く文体がひっかかり、
    いまいち言葉の世界にも没入できなかったもので。

    細部にわたり練られているのは確かですし、
    好きな人は好きそうではあると思います。

  • マルコポーロが主人公の、都市語り。何回も読んでる。町の説明してるだけなんだけど。おもしろいいいいい。短編は読みやすいなー。

  • おもしろいです。
    いい具合に情報を与えてから突き放してくれるので、文章からいろいろと想像して楽しむのが好きな人向けだと思います。

  • 「東方見聞録」をベースにした幻想小説。元の皇帝フビライにマルコ・ポーロが世界の都市の有様を語るという体裁で、フビライとマルコ・ポーロの対話をはさみつつ様々な都市が描写される。マルコ・ポーロが語る都市の姿は、実在する都市であり、記憶の中の都市であり、かつて過去に存在した都市であり、やがて未来に存在するであろう都市。あるいは、ひとつの都市の姿ではなく多くの都市の姿から帰納された都市であるかもしれないし、ある概念に基づいた演繹された都市、ある都市が別の都市へと反映された姿かもしれない。またマルコ・ポーロが語りフビライが聞くのであるが、その語りは常に一方向ではなくフビライからマルコ・ポーロへの働きかけも存在し、それがまたマルコ・ポーロの語る都市の姿に影響を与える。彼らが紡ぎだす都市の姿は常に一様ではないと同時にどれもが似通っている。語ること語られることから編み出される無限に増殖する都市の姿。
    「東方見聞録」に着想を得た作品と言えば楠見朋彦「マルコ・ポーロと私」もまた語り語られる関係からの無限の増殖を扱っている。そこではマルコ・ポーロの語りが受け手に無数の東方見聞録を生み出しそれがさらに無数のマルコ・ポーロを生み出すという無数の、そしてより開かれた連環を示す。楠見自身、創作にあたって「見えない都市」を参考にしたであろうことは容易に想像がつく。とするならば、「東方見聞録」→「見えない都市」→「マルコ・ポーロと私」という連続がここにも存在する。そうした連続はあらゆる創作に大なり小なり存在するわけで、創作とはすべてマルコ・ポーロの子孫だとも言っていい。

  • 戯れの中に秩序が芽生えている。

    マルコ・ポーロの見聞録として構成された
    この都市カタログは奇形児ばかり集められたような印象ではある。
    けれども、過剰も欠落もそこにはない。
    ありのままの都市が確かにある。

    水道管だけで成り立つ都市にしろ、
    郊外しかない都市にしろ、
    旅立つことしかできない都市にしろ、
    それらの描写は緻密だが、その合間には空虚しかない。
    語られたものがすべてで、都市は外側に屹立する。

    見えない都市であるのは、彼らが目を閉じているからだ。
    目を閉じ、身をおいているのだ、言葉の都市に。

    目を開けば、この日常こそが
    過剰と欠落の充溢であることが感じられるよう。

    もちろん、都市カタログとしても十分に楽しめます。
    あと、解説もなかなか気が利いている。

  • たくさん出てくる幻想都市の記述が抽象的すぎて、どうもピンとこなかった。けど、都市は頭の中にあるモノであるという発想が新鮮。
    話し手のマルコ・ポーロに興味が湧いた。

  • フビライ汗に、マルコ・ポーロが帝国内の55の「都市」の様子を報告するという形式の小説。

    「都市」の姿は、そこで生活する人間の内面の反映である。フビライはマルコ・ポーロのさまざまな「都市」についての報告を通じて、「帝国」の姿を理解しようとするが、それはそのまま人間の精神を理解しようとする試みでもある。

    しかし、この「都市」。一体何なのだろう? マルコ・ポーロが語る「都市」は、いずれも異形の街ばかりであるが、その光景はどこかでみたことがあるような気分にもさせられる。そう、それは「記憶」のなかにある「都市」なのだ。「記憶」のなかにある、いわばすべての都市の雛形とでも言えるような、「最初の都市」とは? マルコ・ポーロは言う。「それはただ例外、禁止事項、矛盾、撞着、非条理のみによってできあがった都市でございます。」

    フビライは、マルコ・ポーロの報告から、さまざまな「都市」を支配する秩序を理解しようとするが、そこにあるのは理解を拒む「無限の異形性と不調和」ばかりであり、結局手にするのは「無」でしかない。

    フビライが知ろうとしているもの。そこに、この小説に込めた筆者の思いが込められているように思われる。フビライは言う、「朕がその方の声を通じて耳傾けておるのは、都市が生存し続けてきた目に見えぬ理由、またそれゆえにおそらくは滅んでもなお再生するであろう理由なのだ」。

    そして、最後のマルコ・ポーロの言葉。印象深いので、そのまま引用してみます。
    「生あるものの地獄とは未来における何事かではございません。もしも地獄が一つでも存在するものでございますなら、それはすでに今ここに存在しているもの、われわれが毎日そこに住んでおり、またわれわれがともにいることによって形づくっているこの地獄でございます。」
    「これに苦しまずにいる方法は二つございます。第一のものは多くの人々には容易いものでございます。すなわち地獄を受け容れその一部となってそれが目に入らなくなるようになることでございます。」
    「第二は危険なものであり不断の注意と明敏さを要求いたします。すなわち地獄のただ中にあってなおだれが、また何が地獄ではないか努めて見分けられるようになり、それを永続させ、それに拡がりを与えることができるようになることでございます」

    55の「都市」の話のなかでは、筆者が「永続させ」「拡がりを与え」ようとしているものが描かれていると見ることができるのでしょう。ひとつひとつの話が2ページほどしかないので、お酒のおつまみをちょっとずつつまんでいるような感覚で読める小説でした (笑)。

  • マルコ・ポーロがフビライにさまざまな都市の話をするだけの物語。

    構成は幾何学的ともいえる凝り方をしている。基本的には、語り手マルコ・ポーロが話す物語の断片の組み合わせ。
    内容は幻想小説という形式に仮託した都市論。
    幻想小説ゆえに、空気の代わりに土がある都市や、破壊を遠ざけるために建設が続く都市など、不可思議な様相を呈した都市と出会うことができる。

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著者プロフィール

イタロ・カルヴィーノ(Italo Calvino)
1923 — 85年。イタリアの作家。
第二次世界大戦末期のレジスタンス体験を経て、
『くもの巣の小道』でパヴェーゼに認められる。
『まっぷたつの子爵』『木のぼり男爵』『不在の騎士』『レ・コスミコミケ』
『見えない都市』『冬の夜ひとりの旅人が』などの小説の他、文学・社会
評論『水に流して』『カルヴィーノの文学講義』などがある。

「2021年 『スモッグの雲』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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