女ぎらい――ニッポンのミソジニー

著者 :
  • 紀伊國屋書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784314010696

感想・レビュー・書評

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  • 本当に頷ける論功に圧倒される著作だ。

  • 読んでいる間ずっと苦しかった。けれど私が必要としている本だった。

    私は差別のない世界を想像できない。
    生まれたときから差別意識を内在化するように(無意識に)強要されてきた。
    問題があることを感じてはいても静観している過半数に埋没して生きてきた。たまに聞こえてくる、行動する少数者の声にとまどいながら心をざわめかせてきた。
    けれど、価値観は移りゆくもので、絶対的な存在ではないことを歴史が証明している。
    少しずつ自分を肯定できるような習慣を積み重ねていけば、なにか変わるかもしれない。

    全てのホモサピエンスはDNAの99%以上が同じなのに、どうして1%未満の違いのために争いが起こるのか。

    コミュニケーションスキル
    対人関係の技術

    「永遠の夫」を読んだときにも思ったけれど、自分が自分であるために他者が必要なの?

    「人と関わりを持ちたい」

    皇族はやっぱり人権がなかったんだ。

    自分の人生は自分でどうにかするしかない。自分と和解することがその出発点になる。

    「わたしはあなたではない」
    「わたしはあなたの妄想の産物ではない」

    用意されている選択肢が「死か去勢か」なら、私は私の第三の選択肢を探し出す。

    社会的弱者を必要とするのは社会と社会を構成する人間が未成熟だからだ。

  • 20年前に上野さんの本に出会ったらはまったかもしれないが、ジェンダーに今は興味がないのだという事に改めて気づく。本の言葉を引用すると「私はミソジニーとの対決をさけてきた」。以降は本からの引用です//パーツ化された女の記号。自分の怒りや鬱屈のゴミ捨て場として求めた女。享受。男は罪の意識を感じずにすむ。二重に他者化。絶対安全圏にいる自己満足のための資源。ホモソーシャルな連帯。軍隊の兵士管理術。性の二重基準。差別とは他社化することによって共有するある人と同一化。聖母と娼婦。モテ…対人関係の技術。(夫婦)一種のロールプレイ。女戸主など近世までは庶民のあいだにおこなわれていた慣行は、明治の男系重視の民法や戸籍法のなかで抹消されてきた。女は関係を求め男は所有を求める。人は他者が欲望するものしか欲望しない。女が発情するのは男性集団のあいだの男のポジション。「負け犬」が自己戯画化。個人としての達成と女としての達成、このふたつを両方とも充足しなければ。特?的な「例外」を産出することで差別構造は無償のまま再生産されつづける。フェミニストは女ぎらいだ。

  • 社会学者の上野千鶴子が、社会に根付く「ミソジニー(女性蔑視)」について秋葉原の無差別殺人事件や東電OL殺人事件などにもからめて、性、家族、社会、歴史などさまざまな切り口から考察し語った一冊だ。
    「男性は男性集団の中で認められることによって男になる」
    「男性はたいがいが女ぎらいである」
    「女性は男性にとって所有するモノであって自分と同じレベルのヒトではなかった」
    「ミソジニーの男は女を個人ではなく<女>という記号で捕らえ、発情する」
    「現代女性は個人としての達成と女としての達成、ふたつを成し遂げなければ充足されない」
    バシバシと切り捨てるような論調は容赦がなく、難しいし怖い。
    なるほどな、と思う半面で、ここまで社会に根ざした「文化」を簡単に切って捨てることはできないだろうな、とも思う。
    これは真理の一面ではあるかもしれないけれど、すべてではない。
    この本と男性誌の風俗ネタ記事を並べて読むとなんとも興味深い。男と女の溝の深さの一部が感じられる。
    しかし、こんな風に考えてしまったら、異性との恋愛関係を結ぶのが困難になりそうだな、とも思う。
    差別、固定観念、蔑視、そういうものもあるとわかった上でなければ、他人との恋愛なんてできない、そんなことはみんな知っているんじゃないの?
    あと、ひとつ、視点がない気がして気になったのは、「女に隷属的な立場で性を売る男」や「男の性を買う、単純に<男>の記号が好きな女」は、この論理ではどういう位置づけになるんだろう。

  • 立ち読み:2011/3/21
    購入:2011/3/28
    読了:2011/9/25

    あぁ〜、おもしろすぎる…読むのをやめられん。

    生まれた瞬間に父方の祖母から「なんや女か」と吐き捨てるように言われたという話を物心ついた頃から実母より20年に渡りえんえんと聞かされ続けてきた私の、一生のテーマなのかも知れん。

    「守る」は「所有」の言い換えでしかない。

    売却:2013/9/16

  • 容赦なく、という感想。

  • 溜飲が下る。なぜ韓国詣でに誘われなかったか。なぜ「男にさせてやろう」という先輩がいなかったか。肌の色が白すぎるのだ。幼少のころから。女みたいなやつ。それがすべての原因だったようだ。ホモソーシャル、ミソジニー、ホモフォビア。とてもわかりやすい概念だと思う。上野氏の本を読むと呪縛から解放されていく感じがするなぁ・・・。

  • 多分、読んでいて気付く事も多いと思いますが、主旨としてはミソジニーというのは、この社会の個々を構成している個々人の意識にすり込まれ社会全体が持っているということを自覚しましょうという話のような。

    その中で、ミソジニー、ホモソーシャル、ホモフォビオ、という言葉がこの社会を成立させている隠れた意識だということを主軸にし、「女」というものがこの社会の何を担っているのか書いているので、興味深いところはあるし、面白い話なのですが、たまに著者の主張が突飛すぎてよく分からない時がある。前提に向かって、慎重に話を進めていくというよりも、論理的な飛躍が突如として行われる時がある。
    なので、エッセイ的な感じで読んでしまったのだけれど、元来著者にはそういう意図ではなかったような気もして、なんだなかなぁとも思ってしまう。

  • ジェンダーについては人によって考えに違いがあると思うので、この本は独りで読むのではなくて、みんなで読書会すると面白いと思う。以下は独りで読んだ感想。

    男性一般のミソジニーについては、「いわゆる男」というものには顔がないのでまずまず冷静に読めたけれど、親子関係におけるミソジニーの章は、胃が焼けるような思いだった。世の中にも自分にも、こんなにも根深く女性を嫌悪する構造が組み込まれているのかとつらい。自分の周囲の半分に、根本的には人扱いしてもらえてないって、身の置き所がない。「そんなことないって」と笑い飛ばすには、本書に書かれていることは腑に落ちる個所がありすぎる。

    いつものことながら女性学の本を読むと、そこから自分の暮らしに何を取りこんでいけばいいのだろうかと呆然としてしまう。自分が嫌われ者だっていうところから出発するって、ハードなことだ。でも、自分がされたくないことは人にもしたくない。従来の男女別の役割分担にのっかって自分が楽をするような、相手に無理強いをするようなまねはしてはいけないのだ。

  • 面白く読めるが穴だらけ<br /><br />フェミニスト日本代表・上野千鶴子のミソジニー論。<br />ミソジニーとは簡単に言えば女性蔑視のこと。<br />評論は「女好きの男、つまりプレイボーイほどミソジニーが激しい」というある意味パラドキシカルかつ、体感的には納得できてしまう話から始まる。<br /><br />あいかわらず鼻につくし論理ないも同然だけど、立場がわかりやすくキャッチャーなので面白く読めてしまう。非モテのミソジニーは視点いいのに包括性に問題があって説き伏せるとこまでいけてないのが残念。

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著者プロフィール

上野千鶴子(うえの・ちづこ)東京大学名誉教授、WAN理事長。社会学。

「2021年 『学問の自由が危ない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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