女ぎらい――ニッポンのミソジニー

著者 :
  • 紀伊國屋書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784314010696

感想・レビュー・書評

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  • 男性が自分の自尊心の為に女性を所有したり、都合よく扱おうとする様子を女性として生きてきて幾度となく見て来た。あのような考えはどこから来ているのかずっと不思議に思っていたが、なるほど、分かった気がする。これは個人の話ではなく社会生物としての話だった。

  • 「書き手にとっても読者にとっても不愉快な経験をもたらす本」と著者は謙遜する。そのくらい、本書が暴き出すミソジニー−−私は対象にも責任があると捉えられかねない「女性蔑視」(たとえば性犯罪者や性差別者、そのアライに対する女性の「男性蔑視」には、確固たる正当性が存在する)より、いっそ「女性差別」が訳語としてふさわしいと思う−−の醜さ・おぞましさは、万人にとって不愉快だ。
    だがそれは差別の不愉快さであって、本書が不愉快なのでは断じてない。他レビューにもあるが、特に女性にとっては、ある種の爽快ささえもたらすだろう。「そうそう、そうなんだよ!!!」と。
    「弱者男性」による「主夫」希望論を、「それならこれまで女が家庭で引き受けてきたすべての経験、家事・育児・介護、性的奉仕、DVへの受忍までをも引き受ける気があるのか、と聞いてみたくなるが、そこにはかれは踏みこまない」「それどころか「養われる」ために、弱者女性の側が経済力のある男に選ばれるためのありとあらゆる努力や犠牲を払ってきたことにも言及はない」とあざやかに斬り。
    「障碍者の性の権利」とはすなわち障碍者男性が生身の他者(それも当人がヘテロの場合は女性限定)をセックス相手として(ときには「福祉」として無償で)購うことであり、「風俗で遊ぶ権利」どころか性暴力被害に晒されている障碍者女性は一顧だにされていない事実を指摘し。
    涎を垂らして女性を追いかけ回す男たちが真に渇望しているものは「オンナを所有[モノ]にしたひとかどの男」という同性からの承認であり、女性は獲物としてすら求められておらず、単なるダシにされているだけであることを証明し。
    そして、これだけの無体を働きながら「家ではかあちゃんに頭が上がらないw」などと臆面もなく被害者ヅラをしてみせる男どもの唾棄すべき欺瞞を明らかにする。この「不都合な真実」を白日のもとに曝け出した快挙に、快哉を叫ばぬ女性はいないだろう。

    星1つ減じたのは、「想像力は取り締まれない」という理由でポルノの規制に反対していること(現実世界に表象として表された時点で、それは単なる「想像力」ではない。悪しき「想像力の産物」は、当然に取り締まられるべきだろう)と、旧来のステロタイプにとどまる女子校像の浅薄さ。後者は、一貫して国公立の共学育ちであるという著者の経歴を考えればやむをえないとも言えるが、影響力の大きい論客が「女子校はギスギス、ドロドロ」のような百害あって一理なしの俗説をばら撒くのは非常によろしくない。
    著者と同じ公立の共学育ちの私が、女子校育ちのママ友と女子校について話題にしたことがあった。「女子校って…」の口火に続いて、
    私「人間関係大変だったりする?」
    友「ラクだよー」
    とみごとにかぶった声の、しかし内容は正反対であったことを書いておく。

    2021/11/24〜11/28読了

  • ミソジニーについてよくわかった。ホモソーシャル、ホモフィビア、ミソジニーの三点セット。ふむふむ。面白いが中盤以降疲れてきた。読書にも体力が要るのだ。でも、読んでよかった。これ読んでおけばミソジニーという単語が出てきたときに狼狽えずに話がきける。軸がブレずに返答できるだろう。

  • p.2010/11/22

  • 勝手に夏の課題図書、ようやく読み終わった!フェミニズムやミソジニーについてはわかっているつもりでいたけれど、全然だったな!そもそも、自分の中にもミソジニーがあって、無意識にその意識を再生産していることにも気付いていなかった。それに気づけたことが本書における最大の学び。
    著者が最後の方に述べていたように、ホモソーシャル、ミソジニーが気づきようもないくらい浸透している社会で育ってきた人間にとって、〈それがなくなった社会〉なんて想像できない。だからこそ、女も男も自分の中のミソジニーを克服し続けなければならない。

  • 女が男より下に置かれる、時に侮辱される、しばしば男の妄想の中で(あるいは現実的に)凌辱される、それでいて男が女を求める、その矛盾した複雑構造を解明。

    つまり、「男である」という自らの性的主体性の証明・維持したいファンタジーであった。覇権争いで上位につくことへの妄想であった。

    娘に高学歴を求めなかった父親、いつまでも女性を”女の子”扱いした職場のおっさん、私の理路整然とした質問にキレるじじい、あいつらはつまり、自分の優位性を確かにしておきたかったのだなと腑に落ちた。

    ひとつなるほどと思ったのは、
    どんなに残忍・野蛮・変態的な性的嗜好であれ、それは表現する自由が許されるべきだという論。それによって私たちは、人の妄想がどのあたりまで羽ばたくのか、観ることができる。

  • 読了。しんどかった。読み始めは、今までの疑問が氷解する感じで面白かったが、だんだんキツくなってきた。だからどうすれば、いいのかという気持ちになっていた。最後の方で、行く先を示してくれたが、少し疲れたので休む。

  • 結構前に途中まで読んだけど、嫌悪が滲み出てくるようで穏やかに読めず、辞めてしまった。全部読めば得るものもあると思うので、時期を見てまた手に取りたい。

  • 「東電OL事件」に関するものを読み漁る日々
    なので 前半は斜め読み
    後半4章のみの感想

    各章でとりあげた作家の描くミソジニーについて丁重に解説されていておもしろかった
    今後 その作家たちの作品を読むときに思いだす楽しみが

    11章 女子校文化とミソジニー
    負け犬の遠吠えを書いた酒井順子が登場したとき
    男の視線を意識しない女の書き手がついに登場したとの感慨をおぼえた

    中村うさぎは女子高文化で生き残るための「姥皮をかぶる」というツールを紹介
    「私という病」で東電OLについて1章をさいているらしい

    男は男同士の世界か男といるときの女しか知らない
    女だけの世界で女がどうふるまうのか知らない

    12章13章 東電OLのミソジニー
    「毒婦たち」で酷評していた佐野眞一の「東電OL殺人事件」の概要を端的に説明
    そして あいかわらず鋭く「おとこのひとりよがり」と切り捨て
    東電OLの心の闇を理解する試みを放棄し 精神科医の斉藤学にその役割をゆだねる
    それは見当違いの解釈をつみかさねるよりよほど誠実だ と言い切る

    14章 女のミソジニー
    林真理子にとってミソジニーは自分以外の女に向けられたもの
    美しく魅力的な女の卑劣さや卑小さを描くのが上手いと評している

    ああ 紹介されている本を読みたくなってしまう

  • 某非常勤先の2019年度基礎共通科目の運営費にて消耗図書資料として購入。

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著者プロフィール

上野千鶴子(うえの・ちづこ)東京大学名誉教授、WAN理事長。社会学。

「2021年 『学問の自由が危ない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

上野千鶴子の作品

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