- Amazon.co.jp ・本 (443ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334751067
感想・レビュー・書評
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空想での人間愛と現実での隣人への憎み、この相反する感情に気づき自己嫌悪する貴婦人に対して、
ゾシマ長老が「わかっていればよいのです。それは貴方がそれだけ自分と向き合った証です」
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“人生初、クリムゾンキングの「21世紀の精神異常者」を聴いてしまった感覚 × 100倍“
という感じでした。(喩えが間違っている気もしますが)
恐らく30年以上前、35年前くらいに、新潮文庫全3巻の翻訳版で読みました。
おもしろかった・・・すごかった・・・重かった・・・
という記憶だけ残っています。
(でも、もう、肝心の犯人が実は誰だったのか、すら覚えていません)
再読、やはり、濃い。でも美しく、混沌で過剰で、そして2時間サスペンスでも焼き直せるような、プロフェッショナルなエンターテイメント。
ブルーチーズの極みというか、最上級の豆腐窯というか、食べやすい山羊汁というか。最高のエリック・ドルフィーというか。
村上春樹さんが「グレート・ギャツビー」と並んで、とにかく愛読書というか凄かった読書として挙げているそうですね。
(「ギャツビー」は、まあもう村上春樹さんのアイデンティティみたいなものでしょうから、それと並んで挙がるのが、実力を感じます)
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「カラマーゾフの兄弟 1」ドストエフスキー。光文社古典新訳文庫。亀山郁夫訳。初出は1879年。2019年12月読了。
ロシアの、田舎町にフョードル・カラマーゾフという無教養下品で女好きで成り上がりの地主・金持ちがいた。もう、老人と言って良い年齢。
結婚して別れたり再婚したり死別したりして、男子が3人いる。
長男ミーチャは軍人になって退役してふらふらしている。
情熱家で放蕩家で幼稚で一途で乱暴。
次男イワンは大学出のインテリで雑誌に文章を載せたりしている。
冷静で知性的で無神論者でシニカル。
三男アリョーシャは町の修道院に入っている。
敬虔で純真で思慮深く愛に溢れている。
そして更に、カラマーゾフ家の召使いとして、
スメルジャコフという男がおり、
この男がフョードルの私生児ではないかという疑いがある。
拡大解釈すると、
ミーチャ、イワン、アリョーシャ、スメルジャコフ
これらが「カラマーゾフの兄弟」。
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全部で4部に別れて書かれていて、第1部(光文社古典新訳文庫版で言うと、第1巻が第1部)は、
●長男ミーチャと父フョードルの間で、深刻な財産分与争いが起こっている。更に、このふたりはあるひとりの金にがめつい美人を父子で奪い合っている。
●争いが起こっている背景には、長男ミーチャが、許嫁がいるのにがめつい美人に岡惚れ暴走していて、色々その辺の不義理を果たすのに、まとまった金が緊急に必要だ、という尻に火が付いて背中まで燃えている事情がある。
●その話し合い、そして仲裁のために、三男アリョーシャが師事している、ゾシマ長老の元で一家勢揃いの会合が持たれる。
●主に父フョードルと長男ミーチャの破滅的でひねくれた、そして情熱的過ぎる性格のために、会合はしっちゃかめっちゃかになってしまう。
●アリョーシャは、実家に戻って、父フョードル、兄イワン、スメルジャコフと「神の有無」について議論を戦わせる。
●アリョーシャは更に、長男ミーチャに依頼を受けて、ミーチャの許嫁を訪ねて伝言を伝えようと。だがそこには「がめつい美女」がなぜかいて、「がめつい美女」と「許嫁」は仲よさそうに見えたけど、大げんかになって終わる。
と・・・これくらいの出来事で、終了となります。
時間軸で言うと、わずか1日のお話しです。
これが、オモシロイ。
オモシロイ小説は、あらすじだけでは分からない面白さがあるもので、そうぢゃないと小説でなくっても構わないということになってしまいます。
上記したくらいの筋立ての中で、とにかく名文句が迸ります。ほとんどが、2020年の日本で暮らす僕たちにとっても、グサリと刺さるような。人生と金について、生きがいについて、家族について、人間のショーもない煩悩について、道徳と現実について、愛について。
(従って、リアリズムではありえないくらい、人物たちはよくしゃべります(笑))
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”自分に嘘をつくものは、他の誰よりも腹を立てやすい。腹を立てるというのは、時としてたいそう愉快なものですからね。たんに気持ちいいだけぢゃなく、時としてかっこうのいいものですからね”
”受難者も、やはり絶望に苦しむかに見せて、ときに絶望で気晴らしを楽しむことがあるものです”
”友人のラキーチンは、本当は不正直者でありながら、全然そのことを自覚していない”
”俺たちがみんな本物の信仰をもてないのは、たんに軽率だからだが、それは俺たちに暇が無いからなんだ。第一に仕事がきつい。第二に神様は少ししか時間をくださらなかった。一日にたった二十四時間しか。懺悔どころか、十分に眠る暇だってありゃしない”
”それまでは静かにしていた酔っ払いが、急にむかっ腹をたて、どうしても威張り散らしたくなる一線というのがある”
エトセトラ、エトセトラ。
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それから、もっと単純な人間ドラマとしてもオモシロイ。
長男ミーチャが、人生のために金が必要で、その金がない。でもその金を持っているヤツがいる。
どうしても手に入れたい。手に入れないと、プライドもそして実際にも破滅する。
時間が無い。
この放蕩男の身が焼かれるようなカネを巡る苦しみは、なんとも壮絶に描かれます。
永遠不滅の人間の業ですね。この描写はすごい。
ドストエフスキーさんが、相当に破天荒な放蕩家だったとのことなんで、こればっかりは彼にしか描けないのかも知れません。
そして、父フョードルが、やがて殺される・・・ということはチラチラとほのめかされます。
(語り部が、「カラマーゾフ一家と同じ町に同じ時期に住んでいた人が、相当に歳月が経ってから全てを振り返って語っている」、という形式。これがまた絶妙)
どう考えても、長男ミーチャが、父フョードルを殺しそうな感じです・・・。 -
カラマーゾフの兄弟は必読と聞く、そして読み終えた今、必読だと納得
ただし新しい訳で読むことが推奨される。
例えばスネギリョフがお金を投げつけるシーンでのセリフ、古い本だと、「こんなお金、こうですよ!こうですよ!」と言ってるが、この訳ではなんのこっちゃになってしまう・・ 新しい訳では「こんなお金、こうしてやる!こうしてやる!」となっており、状況とセリフに整合性が付いている。 簡単なシーンでこの状態なため、難解な台詞ではかなり意味不明なパートが出てくるのは容易に想像できるかと -
随分前から読もうと思っていてやっと読み始めました。
大文豪の最高傑作と言われている本書。
今のところの感想としては
主人公がかなりかわいそう!
という感じ。
思っていたよりは普通の内容な気もしなくはないけれど、
まだまだ序盤!
じっくり読んで行こうと思います。 -
世界的にも有名な古典小説。カラマーゾフの三兄弟に人間のすべてがある、とまで言われているらしい。フョードルの道化は、自分の弱い自己愛を守るための行動としてみれば消極的攻撃性とも言えるし、程度はあれこのような行動をする人間は実際いる。故に、強烈な腹正しさの中にどこか哀れみを覚える。ドミートリーの葛藤は、あるべきとありたい、ありたいと在るということの差異によって生まれているもので、これまた程度の差はあれ誰にでもある。それぞれの登場人物が強烈な個性を持っている上、その強烈さの中に私自身との共通性が垣間見えるからおもしろい。あと、賛否あるらしいがこの訳がいい。別の訳では挫折したけどこれはとても読みやすい。
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なんつーか、みんなテンション高くて饒舌だね。
もうちょっと落ちついて要点を分かりやすくしゃべってくれんかな。
それじゃ文学にならないのかもしれないけど(笑) -
古本市で(5冊)セットで購入。蔵書印付き。2022年11月18日から読み始める。分からないことは読書ノート10にメモする。
2023年12月
去年読み始めたけど250ぺージで止まってしまったから、今冬1から読み直し。
ドストには冬が似合う。 -
親父がひどい。ミウーソフもひどい。ろくでなしばっかり。著者の言い訳が長い。続きを読むのが嫌。
しかし、圧倒的なパワーを感じる。 -
「相対主義・ニヒリズムの克服」が私の読書テーマの一つなので以下が印象に残った。
「魂の不死がないなら善もない。つまり、すべては許されている」と主張するイワンを、ラキーチンは「思想の解きがたい深みにはまったほら吹き中学生」と切り捨て、こう続ける。
「善のために生きる力くらい、自分で自分のなかに見つけるもんなのさ!」(p.215)
確かになぁ…!
ところで、「カラマーゾフには血ではなく乳が流れている」という表現が気に入った。
好色をこうも端的かつ野卑に表現できるとは。
ある種の聖性を付与された愛され天使アレクセイもやはり乳(血)には抗えないのか?
2巻以降はこれを楽しみに読もう。